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野口聡一氏が宇宙飛行士へ至った道ー中西美和子さんの思い出から

2021-03-06 10:31:17 | エッセイ
 今朝のニュースで、宇宙ステーションに長期滞在している野口聡一さんが4回目の船外活動を行って延べ27時間となり、日本人宇宙飛行士として最年長の55歳で、最長の時間となったと伝えていた。元気で、ストレスに良く耐えているものだと思う。
 くだんの野口聡一氏の伯母さんは中西美和子という方で、2006年2月現在、大阪市にお住まいであった。だからと言って別に個人的に知っているわけではない。朝日新聞への投稿記事を拝見しただけなのだが、それが実に胸にじーんとくる文章で、忘れられない。
 発端は、かつて大阪市立電気科学館プラネタリウムの解説員で、火星の地形や気象現象を研究していて、この分野では世界的に著名だった佐伯恒夫さんの話である。プラネタリウムでも、火星面研究でもパイオニア的存在だったから、佐伯さんを顕彰するため、国際天文学連合IAUが火星の大型クレーターをSaheki」と命名したのだ。それが2005年で、それを伝えるアメリカのSky & Telescope誌の記事を載せておこう。
 それを朝日新聞が伝えている。
 

資料1.【3】朝日新聞2006121日大阪本社版夕刊から
 「観測の鬼」火星の地名に
 日本人で初 故・佐伯恒夫さん
 スケッチ50年 プラネタリウム名解説
 大阪市のプラネタリウムの名解説者として知られたアマチュア天文家の故・佐伯恒夫さん(191696)の名が、火星の地名になる。大型クレーターの一つがSaheki」と命名され、今年8月にある国際天文学連(IAU)の総会で正式に決まる。日本人の名前が火星の地名につけられるのは初めてという。
 火星のクレーターには人名や小都市名などがつけられる。地動説のコペルニクス、進化論のダーウィン、新大陸「発見」のコロンブスなどの人物が名を連ねている。
 佐伯さんの教えをうけた広島県廿日市市の元プラネタリウ ム解説員、佐藤健さん(67)01年にIAUに提案し、このほど内定の連絡が届いた。このクレーターは火星の南半球にあり、直径85キロ。
 佐伯さんは独学で天文学を学び、大阪市内の自宅などで50年間にわたって火星を観測して詳細なスケッチに記録した。謎の閃光現象や灰色の雲などの観測で世界的に知られる。
 一方で、41年から71年まで大阪市立電気科学館(現・大阪市立科学館)でプラネタリウムの解説を担当。著書やテレビ・ラジオなどを通じて天文学の普及に力を尽くした。アマチュア天文家が中心の東亜天文学会や、日本暦学会の会長も務めた。
 佐藤さんは「『火星観測の鬼』と呼ばれ、火星に一生をささげた佐伯先生の名前が火星に刻まれることになって大変うれしい」と言う。
 佐伯さんの長男で兵庫県伊丹市で環境関連会社を営む雅夫さん(59)は「長年にわたる功績が認められて、父も喜んでいると思います」と話している。(杉本潔記者)

 
 この記事を受けて、中西さんから投稿があった。
 

資料2.(4)朝日新聞2006年2月6日大阪本社版投稿欄から
 佐伯先生の名火星の地名に
 無職 中西美和子 (大阪市東住吉区74)
 大阪市立電気科学館(現・市立科学館)でプラネタリウムの解説をしていたアマチュア天文家の故・佐伯恒夫さんの名前が、火星の大型クレーターの一つにつけられるという記事を読みました。私も少女の頃、父に連れられて弟とプラネタリウムを見に行くのが楽しみでした。
 戦時色の濃い世の中でしたが、電気科学館だけは美しい夜空を見て夢をふくらませられる唯一の場所でした。佐伯先生の解説は私たちにもよく分かるように親切な話しぶりで、火星に力を入れて観測しておられるのが伝わってきました。
 少し赤い星のスケッチも見せて頂きました。天体望遠鏡をのぞく機会はありませんでしたが、小さなファンのひとりでした。作業服で、腰に手ぬぐいをぶらさげたお姿を尊敬して見ていました。
 プラネタリウムがきっかけにとなり、弟は空への興味を持ち続けていたようです。やがて、弟の子どもが大きくなって花を咲かせることになりました。宇宙飛行士の野口聡一です
 いつか人類は火星へ到達する日が来るでしょう。先生の名前を刻んだ場所が永遠に伝えられるのを、心からお祝い申し上げます。

 
 この中西さんの投稿記事を読むたびに涙が出る思いがする。自分が佐伯さんの後輩であることもあるが、それを別としても教育の大切さや教育者のあるべき姿のようなものを知らされるからだ。
 丸紅の社長や中国大使を歴任した丹羽宇一郎氏が盛んに教育の重要性を訴えている。人口が減少し続け、特に中国が世界の大国になる中で、資源に乏しい小国日本はどう生き延びるか。それには善隣友好と教育だ、そのためには青年よ、海外に行って現状を良く見て来い。それが友好への道であり、それを実現させるのは教育だ。日本人ほど冷たい人たちは少ない。戦没者の遺骨は捨て置き、一度こけた人には2度目のチャンスを与えることもなく、平和のための行動をとろうともしない。これでは沈没だ、と悲痛に訴える。
 この丹羽氏の論ではないが、教育とそれを支える人材確保は国の命運を決する。佐伯さんのような研究者や教育者こそが世代を越えて影響を与え、新たな人材を育てるのだ。野口聡一氏は自然に成長したのではなかった。こうした背景があってこそなのだと、改めて、今朝のニュースで思ったことだった。
 なお、佐伯さんや電気科学館については、星学館・天文データセンターにまとめているので参照されたい。
(星学館 2021.3.6.)


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