わいわい!テレビ

震災の被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。私はアメリカから日本の復興をお祈りします。わいわい!テレビ

【逃げやがったな…】ここってど~こだ?

2011-05-04 | その他いろいろ
がさっ

めろっ

ぷいっ


くまくん)あれ~?


ここ、どこ?
くまくん)前よりずいぶん部屋が広くなった気が…
わにくん)ずいぶん気持ちがよくなったような…
なのくん)なんだ?この潔い感じは…

まさか、また引っ越したんじゃないでしょうね…


日本からおよそ10000km、いや6200マイル!わたくしマスターはアメリカのシカゴへ引っ越ししました。昨年夏に行ったところと同じところに、何年か生活することになりました。本当は4/2にすでに引っ越していましたが、時差や新生活に慣れるの意忙しく、このタイミングでの報告となりました。
地震や原発などの影響で今回の少なからず影響が出るかと思いきや、成田からの直行便はすでに再開していて、予約していた便も予定通り飛行するということで、特に何事もなく無事に到着しました。アメリカまではビジネスクラスで快適に、到着後もなぜか空港スタッフが待機してくださり、入国手続きもスムーズにできました。
なにかと自粛ムード漂う時期に逃げるように出国したので、不謹慎と言われるかもしれませんが、そんなこと気にせず頑張っていこうと思います。第一、計画停電の影響で電車もろくに乗れないですし、放射能におびえながら生活するのはいやです。ちょうどいい時期に日本を脱出できたと思っているところです。


くまくん)あらまあ。日本を脱出しちゃってたわけね。
わにくん)放射能や計画停電を気にしなくてもいいわけか。やったね!
なのくん)ばんざ~い!!なの

マスター)ところで、引っ越しの話とは関係ないけど、
「なのくんってなんなの?」って質問がきているんだけど、どう答えりゃいいかね。


はっ!
くまくん)そういえばなんなんだ?これ。
わにくん)考えたことなかったけど、気が付けばそこにいるわに。
なのくん)なんなの?この反応…なの。



ドキュメント「大震災」三日目

2011-03-19 | 屋外活動
http://blog.goo.ne.jp/step1238713/e/54ed9bc8475f9fbf8b7474396aada68a←前|次→
マスターです。
引き続き東日本大震災の東京の状況をお伝えします。今回は震災から三日目の新宿駅の様子をご覧いただきます。
この日は津田沼で用事をこなし夕食を食べた後、帰りに新宿駅で途中下車してみました。


その前に中央線の車内ディスプレイの様子
震災からしばらくはいつも左側のディスプレイで流れているCMは自粛されJRロゴが表示されていました。なお右側はいつも通り稼働しており、自動放送も流れていました。山手線でも同じ対応を取っていました。


アルタ前の様子
人通りはまばら、いつもならきらびやかに輝くネオンも点灯していません。このときは東電が計画停電の実施を発表することが示唆された時で、一層の節電を呼びかけていました。これに応じて看板類やネオンなどを消灯したほか、各店の営業時間を繰り上げていたりしました。


新宿アルタの時計は8:09を指していますが、


この時間はまだ動いているはずのLEDディスプレイも消灯していました。アルタ内の各ショップもすでに繰り上げ閉店していました。


こちらはヤマダ電機LABI新宿
看板類が消灯しています。


店の前には「店内照明の間引きを行っている」というおしらせが立てられていました。
実際に中に入ってみると店内照明が一部消灯しているだけではなく、テレビコーナーのテレビも消灯し、あの歯がゆいBGMも流れていませんでした。店員の方が節電の影響に負けじと客引きをしていましたが、やってらんね~やと突然笑い出す方もいました。


新宿駅西口


小田急ハルクと核テナントのビックカメラはいつもならこの時間も営業していますが、すでに繰り上げ閉店しシャッターが下ろされていました。


新宿西口と言えばヨドバシカメラ。こちらは通常営業していましたが、看板類が消灯され見つけるのに時間がかかりました。

このあと池袋に行ってみました。西武百貨店はもう閉店していましたが、ジュンク堂書店は通常営業していたので、ちょっと立ち読みして帰ったのでした。
この翌日からがひどくなるんだよね。原発とか計画停電とかで東京電力や政府の無能っぷりがあらわになってきます。次回に続きます。

フォト蔵…http://photozou.jp/photo/list/1508684/3881318

ドキュメント「大震災」二日目

2011-03-18 | 屋外活動
今回より従来のPicasaからフォト蔵に変更しました。理由としてはPicasaがSSL必須になったため、非対応のブラウザでは見られなかったり、読み込みが遅くなる可能性があるからです。これに伴い、写真の操作方法が変わっています。
パソコン版では記事内に写真が表示され、それをクリックすると元サイズの写真が別ページにて表示されます。サイズが大きいので注意してください。
携帯版では記事内の写真表示はありませんが、携帯マークをクリックすると写真を表示することができます。携帯電話用に小さなサイズになっています。
慣れるまで多少時間がかかるとは思いますが、なにとぞよろしくお願いします。

http://blog.goo.ne.jp/step1238713/e/ca99ea5257ab30ee36adfa2166bf37cd←前|次→
マスターです。


前回渋谷で東日本大震災に被災し、電車が動かなかったので歩いて帰宅した様子をお伝えしました。その翌日、筋肉痛で足がへとへとになりながらも、近くの東小金井駅・新小金井駅の様子を見に行ってみました。


東小金井駅改札口
改札機は動いていました。


電光掲示板
電車もいつもより本数は少なめですが動いているようです。


みどりの窓口
払い戻しでしょうか。見たことのない列ができています。


券売機
稼働しています。


張り紙
「3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震により、JR東日本管内の新幹線および東北地方などの各線区で運転を見合わせております。
首都圏の各線区では順次運転再開しておりますが、運転本数が大幅に少なくなっており、遅れなども発生しております。
ご利用のお客様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をお願いいたします。
平成23年3月12日
東小金井駅長」
と書かれています。


こちらはみどりの窓口に張られていた張り紙
「3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により、当社管内の各方面の列車の運転を中止しております。
そのため現在乗車券類の販売を停止しております。
お客様には、大変ご迷惑をおかけしますが、運休区間へのご旅行は、中止していただきますようお願い申し上げます。
東小金井駅長」
まあ線路が津波に流されていますし、沿線の被害も尋常ではないですから、しばらくは東北地方への旅行はできなさそうですね。


駅前のSガストと松屋
何事もなかったかのように通常営業をしていました。せっかくなので松屋の豚丼特盛を食べました。いつもと変わらない味がうれしいところ。


新小金井駅改札口
この駅には自動改札が設置されておらず、昔ながらの駅員による集札が行われています。PASMOの場合は簡易改札機にタッチすることになっています。こちらは前日の深夜よりすでに運転を再開しています。


改札わきには西武ライオンズのポスターと、その下にオープン戦中止を知らせる小さな紙が貼られていました。
まあ、この辺はライオンズとのつながりは薄いですので、中止になってもどうでもいい感じですね。


改札窓口には多摩川競艇中止の張り紙がはられています。まあ、こちらも私にはあまり関係のない話です。


ホーム
電車の姿は見ないまま帰ってしまいました。人もまばらでしたが、いつもそんな感じです。


お詫びと書かれた張り紙
「昨日の地震の影響によりダイヤが大幅に乱れ、ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
なお、お手持ちのICカード乗車券が簡易改札機を通れない場合は、駅係員までお申し出ください。
駅長」
よくよく見てみると、地震で運転を一時見合わせたことを過去のことにしている様子がうかがえました。規模が小さい都市のローカル線ならではの光景かもしれません。


こちらは新小金井駅前に設置されていた公衆電話


故障…ではなく171の使い方が書かれた張り紙が貼られていました。

余震が続いていたこの日。もう少したてば日常生活に戻ると思いきや、これから多くの困難が待ち受けていました。次回に続きます。

フォト蔵…http://photozou.jp/photo/list/1508684/3877473

2011.03.17(木) 359 PV 156 IP - 位 / 1553931ブログ
2011.03.16(水) 388 PV 150 IP - 位 / 1553332ブログ
2011.03.15(火) 335 PV 139 IP - 位 / 1552723ブログ
2011.03.14(月) 298 PV 120 IP - 位 / 1552334ブログ

…震災からテレビも元通りの編成に戻しつつあります。安定のテレビ東京は早速14日深夜より通常番組に戻しました(実はテレビ東京の前にもTOKYOMXはすでに戻していた)。その他民放も徐々にバラエティー番組を元に戻しつつあります。
そこで目にするようになったのがacのCM。ほとんどの企業が通常のCMを自粛しているため、四六時中AC~のサウンドロゴがこだまします。
オシムさんの脳卒中とか子宮頸がんとか、何かの詩の朗読とかを連続して流していますが、なかでもインパクトが強すぎるのは「あいさつの魔法。」というCM。


ACジャパン CM あいさつの魔法1分フルバージョン 2010年度全国キャンペーン→http://www.youtube.com/watch?v=EsRm78ZSOgc
めったに見られない1分フルバージョンを持ってきました。
明らかに小学生を相手にしたCMですが、「ポポポポ~ン」の威力がすごすぎたのか、2ちゃんねる・ニコニコ動画でブームになりつつあります。
1分版はそんなに見かけることはありませんが、15・30秒版はいつ見ても流されているのでもう内容を覚えてしまった方もいるかもしれませんね。現に今も流れていますし。
ネット上では「洗脳された」と堂々と宣言する者がいたりします。まあ閉塞的な雰囲気のする現在はこれぐらいしか楽しみがないのかもしれませんね。
それじゃ、さよなライオン!

アメリカ行きビザを取ってみよう

2011-03-17 | 屋外活動
マスターです。
前回の記事で私が渋谷で東日本大震災に被災したことを紹介しましたが、それまでは何をしていたのかというと、アメリカ大使館でビザ面接をしていました。そう私はこのたびアメリカに行くことになっているのです。では今回はそのことについて書いていきます。


アメリカ大使館は溜池山王駅近くにあります。付近には何かの団体の本部が入るビルが多い日本の中心地ともいえるエリアです。


溜池山王駅13番から歩いていくとまずはここで警官に会うことになります。まあ恐れることはありません。「ビザ面接はここからですか?」と言えば「そうです」と素直に通してくれます。


歩いていくと歩道が広くなりそこから人が並んでいました。結構な列でこの後後に見える建屋でのボディーチェックまで1時間ほど並んでいました。ちょっとあたりを見てみましょうか。


大使館周辺には多くの警察官が配置されているほか、警察官がたくさん乗り込んだバスも続々と到着し、物々しい警備体制でした。


大使館の前にはご立派なゲートがあり、その隣は赤坂警察署米国大使館警備派出所があります。大使館に入る車は警察官によりミラーで車の底の部分とトランクを確認し、ゲートを開けます。手前に見える車止めやゲートは自動で開くというからすごいものです。


アメリカ大使館の建物
ずいぶんご立派な建物です。でも今回は入れるのは1階の一部分。

列の半ばほどで30代ぐらいの日本人の女性の方が書類を回収しに来ました。
女性)ブランケットは何ですか?
マスター)え?ブランケットって何?
女性)ビザの種類は何ですか?
マスター)たぶん…L-2だったと思います。
女性)ワークですか?
マスター)まあ…ワークの配偶者です。
まあ自分のビザの種類をわかっていないのがいけないんだけど、女性は半分いらだった様子で聞いていましたね。
そして番号札「209」を渡して、次の人へ。そしてある程度集まったら建屋へ書類を置きに行ったのでした。

ボディーチェックを受ける建屋が近づくと、前の女性の方(外人)が本当にこの列でいいのか不安になった様子で列を抜け出てしまいました。警察官に聞いてみたが何もわかっていないようで建屋の前にいる警備員に聞くように言われて、今度は警備員に聞いてみるともう一度後ろから並ぶよう指示されていました。なんだかかわいそうですね。
結局警察官の方が元の場所に入れてくれていましたが、どうやら警察官は不審者がいないか監視しているだけで、大使館が行っていることを何もわかっていないことがわかりました。

あと警備員の方宿直交代の時に「今日は300人くらいが面接に来ているようだ」「学生さんがずいぶん後ろに並んでいる」と情報交換を行っていました。警備員の方にもビザ面接の情報が流れているのでしょうか。ちなみにこれから出てくる警備員は警察官とは違い、警備会社の人で日本人のおじさんです。


そんなこんなで建物に近づいてきました。まず台で警備員から電子機器を用意されたかごに出すように指示されます。携帯・カメラはもちろん、出したほうがいいとすすめられ携帯の充電コードも出しておきました。でも現金は出さなくてもいいようです。出したけど。
続いて進んでいくとドアがあります。このドアが特徴的で、まえシカゴに行ったときによく見かけた押すところ・引くところが横に長いタイプのドアでした。もう小さなアメリカに来たような気分ですね。警備員により通勤電車のようにできるだけ詰めてはいるよう指示され、満員になるといったんドアが閉められました。
中では荷物検査とボディーチェックが行われます。空港の出国するときに受けるあれです。まず台に先ほどの電子機器の入ったかごをだし、かばんを用意されたかごに入れると、機械が動きだしスキャンをします。
その間に人間は金属探知機でボディーチェックをします。やり方は簡単機械の中を歩くだけ。私の場合は異常はありませんでしたが、不幸にも反応音が鳴ってしまった方は、ハンディ型のやつで結構細かく調べていましたよ。
電子機器はここで預けることになり、番号札が渡されます。

ちなみに米国市民サービスへ用がある方は、身体検査なしで中に入れるようです。


異常がなさそうなら警備員から何も言われなくても外に出てしまって結構です。歩道沿いに進むと台形型の出っ張っているところがあるのですが、これがビザ面接・米国市民サービスの入口。
中に入ってみると先ほどの女性が「番号札はお持ちですか」と優しく声をかけられました。さっきとは明らかに明るくなっています。
続いて荷物検査。ここでは警備員がバックの中を開けて確認します。紙にくるまれた歯ブラシを見たときは、刃物を連想したのかちょっとびくっと来ていましたが、異常はありませんでした。
その間に私は金属探知機に入るように言われました。先ほど散々見られたのでもうならないはずです。実際なりませんでした。
荷物を受け取ると扉を開けることになりますがこの扉が結構重い!大使館も認めているらしく「重い」と張り紙がしてありました。
この空間の雰囲気を例えるなら、アメリカの映画館に入る感じですかね。少し暗い感じでした。


ディスプレイのイメージ。日本語・英語に切り替わり、直近に登録された番号は文字の色が赤・黒交互に変わる。
中に入るとまるでマックの旧内装のように青系の内装になっています。ついたての向こうを進むと米国市民サービスの窓口になります。
ビザ面接の私は何をしていいかわからず、あたりをうろちょろしていると日本人の方が「番号札はお持ちですか」と声をかけられました。持ってると答えた私は、前で待機しているように言われました。
前の方に行くといすが設置されていて、両サイドに2枚ずつMITSUBISHIの液晶とPANASONICのVIERAが設置されていました。三菱の方には番号札の番号が各窓口5つまで表示していました。窓口から向かって右側のvieraにはNHK教育が流され、左側は非稼働でした。

まずは窓口で指紋を撮ります。係員の方は外国人の女性の方でしたが、英語・日本語のほか身振り手振りを交えてわかりやすく指示してくれます。機械の方にも採取する指が表示されますので、それにしたがって指を置きます。結構強く押すのがコツのようで、完了すると「ピ」と機械音がします。
指紋を全部取ったらまたいすに座って待っていると、今度はビザ面接の窓口に呼ばれます。これも液晶ディスプレイに番号が表示されます。しかし、いちいち番号をアナウンスしたり係員が言ってくれるわけではないので注意が必要です。気づいたら番号が表示されていた、なんてこともあるかもしれません。
指示された窓口へ向かうと、面接官を待たせてしまったのかiphoneをいじくっていました。そして本人確認を一通りしたら質問を受けます。外人の方でしたが最初から最後まで日本語で行いました。
質問と答えは次の通りです。
「なぜアメリカのビザが必要なのですか?」→「語学留学をするから」
「(ワークの人を指さして)この人はもうアメリカに行きましたか?」→「はい」
「(ワークの人)はどこの会社で働いていますか?」→「(会社名)」


質問はたった3問だけ。パソコンに回答を打ち込み、そして面接官が「許可されました」と一枚の紙を投げるように渡したら面接は終了です。あとはさっさと部屋を出て、先ほどの警備員建屋で預けてあった電子機器を受け取ったら今回のアメリカ大使館ビザ申請はおしまいです。あとはビザが届くまで気長に待ちましょう。
そういえば面接中に経営責任とか破産とか言っている人を見かけました。よっぽど難しいことなのか、日本人の通訳の方もいましたね。

これからビザ面接をする方のアドバイスと言っては何ですが、何も近くの市役所で何かの手続きをしに行くような感覚で行けばいいと思いますよ。特段の事情がないなら気構えることなく気楽にいけばいいです。向こうも英語ができないことをよく理解して、日本語でなんとかしようとしてきますから。

2011.03.16(水) 388 PV 150 IP - 位 / 1553332ブログ
2011.03.15(火) 335 PV 139 IP - 位 / 1552723ブログ

ドキュメント「大震災」 第一日目

2011-03-14 | 屋外活動
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マスターです。
3/11 14:46頃、三陸沖を震源とするM9.0もの大地震がありました。私も渋谷で被災しました。その時の状況を書いていきます。

  
その日はアメリカ大使館でビザ面接を受けた後、渋谷を移動し買い物をしていました。この後新宿・池袋を回ろうと思っていましたが、買ってあった切符「都区内フリーきっぷ」をなくしてしまったようで、探していました。その過程で地下鉄の駅にも聞いてみようかと思いハチ公前交差点の下にある「しぶちか」に入ってみました。
「しぶちか」にはおばさん向けの古臭い商店が立ち並んでいました。すると店員のおばさんが一言「看板、揺れていない?」


赤線・オレンジ線は私が進んだ順路。
よ~くみてみると看板が揺れ、シャッターも音を立てていました。このときは「電車が通過したのだろう」と思いすぐに終わると思っていました。まあ一応直下には地下鉄半蔵門線・東急田園都市線の駅がありますが、そこまでは離れていてここまで揺れることはまずないと冷静に考えればわかりますが、その時は本気で思っていました。
しかし、突然揺れが大きくなり足がふらつくようになりました(ちょうどオレンジ線のあたりにいた)。地下街にいた客は一斉に外へ逃げ出しました。私もこのままでは地面に押しつぶされ、もしくは屋根が落ちたりして生き埋めになるのではないかと思い、外へ飛び出しました。まあ本当は地上より地下街のほうが安全らしいですが、冷静に考えてみるとケースバイケースという感じがします。


パニックになった私は階段を駆け上がり出口を出ました。すると左から防災無線が流れ出しました。
「こちらは渋谷区役所です。ただいま震度5弱の地震が発生しました…」
私はこのとき「これが震度5弱なのか」と思いました。まあ経験したのは初ですからね。震度7だとどんな規模になるのだろうかね。
まあやるべきこと(=落し物の問い合わせ)をしようと地下鉄の駅に行ってみましたが、あまりのものものしさに「それどころではない」と感じ、もう今日は帰ろうと切符はあきらめJRの駅に向かいました。


抑止


「電車がきます」と表示されても…


来ない


電光掲示板も山手線の時刻が消え、地震で運転見合わせになったとのメッセージが延々と表示されていました。
首都圏のJRは完全にストップしてしまいました。


しばらくして自動改札機は停止。入り放題の状態に。


券売機、清算機も稼働停止。


改札口に設置され、通常は宣伝や運行情報が表示されるプラズマディスプレイには、NHKのニュースが放映され、人だかりができていました。しばらくして音声も流れ始めました。これはかなりの緊急事態です。エスカレーター・エレベーターも止まってしまいました。


入り放題になったので外に出てみました。こちらではガラスが落ちたとのことで白い布がかけられています。


見上げてみたところ。ここから落ちたのでしょうか。危ないですね。


ハチ公口前の街頭ビジョンは通常放送。自動放送だからかもしれませんが、ここでNHKを放映したら混雑している駅前がさらに混乱になるとの配慮なのかもしれませんね。

このほか東京メトロ銀座線・東急東横線では改札を停止、東京メトロ副都心線・半蔵門線・東急田園都市線へ通じる通路では警察官が立ち行き来できない状態になりました。
商店関連では「しぶちか」も営業を再開しましたが、一部の店舗では早めに切り上げている店舗もありました。BGMはNHK?のラジオ放送が流れていました。またガラス張りの壁面が大型ビジョンになっているQFRONT内に入るTSUTAYAは営業を停止していました。
一番びっくりしたのは渋谷駅ビルの東急百貨店は営業を再開。地下の食品売り場ではいつも通り威勢のいい値引きセールが行われ、エレベーター・エスカレーターも稼働していました。大きな被害を受けたと思うのに、それを気にせず営業している東急百貨店の対応は驚きました。


渋谷駅3・4番線南端では駅の手前で緊急停車して動けなくなった山手線の乗客の救出作業を行っていました。撮影時間は16:46でしたから約2時間にわたり閉じ込められたことになります。救出作業は1時間ほどで終了し、最後に点呼を行っていました。


一応救助の仕方を図で説明。何号車だったかは失念(たぶん3・6号車)しましたが、救出は2か所で行われ、はしごを使って救出していました。その後3・4番線のホーム端まで歩き、備え付けの階段を上ると「申し訳ありませんでした」と駅員が出迎えていました。そして作業員が「大丈夫ですか」と声をかけていました。その隣には毛布が敷かれ、車いすや救急セットなどが置かれていました。

結局6時半ごろまで電車が動くのではないかと待っていましたが、駅プラズマディスプレイで流されるニュースで「JRは終日運休する」と言った瞬間、あたりでどよめきが起き私も落胆してしまいました。やっぱりJRは対応が悪いですね。駅放送ではこのことについて何も言及していませんでしたが、おそらく事実でしょう。結局JRは運休してしまいました。
家はJR中央線沿線にあります。帰ろうにも電車はJR・私鉄ともすべてが停止し、バスは最後尾がわからないほど客が殺到、タクシーなんてなかった。これでは家に帰れません。私は初めて「帰宅困難者」になりました。仕方がないので家まで歩き始めました。


赤線は渋谷から新小金井まで私が歩いたルート、青線はGoogleマップによる模範ルート
カメラはSDカードを忘れてしまい、携帯も写真を撮ったので電池がなくなり、帰ろうにもルートを立てることができなくなりました。これはもう最悪。
渋谷マークシティーから道玄坂を通ると国道246号線にぶつかりました。このままだと三軒茶屋の方に行き、家からさらに遠くなると思い、どうしようかと近くにあったファミリーマートに入りました。そこにあったガイドブックをの地図を見て、ルートを組み立てました。幸い充電器はあったので、とりあえず駅に行けばマクドナルドやauショップで充電させてもらえると考え、駅の方を通っていくことにしました。もしかしたらバス路線もあるかもしれません。
道玄坂から山手通りを通ると都心を離れようとする車で渋滞していて、動く気配もありませんでした。井の頭通り・甲州街道まできても多くの帰宅困難者が郊外に向かって歩いていました。
途中のコンビニでルートを確認しながら東北沢に到着して唖然。マクドナルドもauショップも見当たりませんでした。仕方がないので代田橋まで歩き、駅員に確認するもないといわれてしまい、なにもできないまま甲州街道まで出てきてしまいました。
でもここまでくれば何とか地図を見た記憶を頼りに行くことができそうです。だんだん疲れてきましたが、コンビニに立ち寄りつつ、歩き続けました。甲州街道と別れ都道14号、そして下本宿通りを通って、人見街道へ来ました。ちょうど三鷹駅行のバスが来ていましたが道路が渋滞してノロノロ運転の上車内も混雑していたので、歩いたほうが速いし安上がりと判断し歩き続けることに。三鷹駅からバスが出ているのかどうかもいまいちわからなかったのもあります。
連雀通りに入ってくると振り替え輸送のバスが通り過ぎていき、やっぱりバスに乗ればよかったなと思いつつ歩き続けましたが、しだいに目的地の新小金井駅に近づいてきました。もう脳内には「サライ」が流れていましたね。24時間テレビのマラソンを走り切った気分ですよもう。
新小金井駅を見るとすでに運転を再開したとの張り紙がありました。本当は井の頭通り・人見街道を通って久我山駅に行くGoogleマップのルートが一番よかったのだろうけど、まあ無事に帰れただけ幸せ者です。家に帰ったら床に倒れこんでしまうほどくたくただったのでした。

…つづく

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…この大地震。仙台の方では電気・ガス・水道・携帯・インターネット…ライフラインがすべて絶たれてしまい、安否を確認するまで2日かかってしまいました。無事でなによりです。ライフラインが絶たれてしまうと、何もできないことを痛感しました。
一方東京も仙台よりはライフラインが絶たれたわけではなくまだましですが、物流網がストップし品薄が続き、電車もろくに動かず、さらに東電がわざと停電をさせようとする始末…。どうしようかねえ。くわしくは2日目以降で紹介することにします。
テレビの方は津波に流されるかなり悲惨な被害を延々と流し続けています。あまりの惨状に気が滅入ってしまいそうですが、われらのテレビ東京が3/20から通常放送に戻し始めたのを皮切りに、他局も徐々に通常放送に戻しつつあります。いつも通りのバラエティーを見ればすこし気が落ち着くかもしれませんね。でも穴埋め用のACばっかなのが気になってしまいますね。
ところでNHKの緊急地震速報の音って最初にFNNのニュース速報テロップの音が数回入るのね。初めて知りました。
今回の反省点はSDカードを忘れてしまったことかな。こいつがあれば地震後の状況を刻銘に記録できましたが、それができなかったのがおしいところです。あまりにショックを受けた私はSDカードの口にビニールテープを貼り取り出せないようにしておいたのでした。