パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

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真田丸第11回「祝言」放送日3/20

2016-03-23 15:08:13 | 真田丸
沼田領問題家康強要に拒否し続けている真田昌幸に対して
「謀(はかりごと)を以って真田を討つべし」と室賀正武に命じるところから始まりました、と史実に倣った言い方をしました。

ドラマでは、室賀正武は躊躇し、
家康・正信によってはめられ、そそのかされ、心を売ったように描かれました。

史実では、真田室賀は、甲斐武田氏滅亡後から対立抗争関係にありました。

それをドラマでは、「おぬしの家来ではない!」や
織田北条に従属した頃の正武の態度をあのように描くことによって
対立関係を表現したのではないかと思います。

しかし、家康と関わろうとした頃から、昌幸に対する正武態度が変化しました。

史実では、先に室賀は徳川方に属していました。
昌幸が徳川方に属した後、小県平定する為に動き、室賀を抑えようとし、
それに対して室賀応戦しましたが、
真田に対して和睦を申し入れ真田の麾下(家来となる)に入りました。

そんな変化をあのように表現したのかなと。

源次郎と夫婦になる事を近親者に報告したくだりは面白かったです。
きりさんと一緒になるのかと思った」とか
源三郎との会話も仲の良い兄弟をうまく描いたと思います。

きりの耳にも入り、その複雑な心情が今回の後半にかけて描かれました。

このきり源次郎に対する思いや言動が、
今後の真田丸でとても重要な役割を果たす事になるとはっきり示したように思います。
それは、源三郎に吐露した源次郎の心情に現れていたと思います。

未熟さ、心配り、何が大切なのか、源次郎がこれから直面する問題に対して
精神的に支えてくれる重要な存在になって行くのだと思います。

ドラマでは人間的なところを描く事は大事だなと。
武勇伝、戦、歴史的事象、重厚さ云々などの
ただの羅列なら好きな戦記物や史書史記を
読んでいればいい事である。

正武の謀殺に至る囲碁からのシーンは
かなり、衝撃的に描かれていたと思います。

史実をなぞっていると
不本意ながら昌幸の家来となった
正武は、真田の勢力拡大不満に思い、家臣を家康のもとに送り訴えていた。
そこで家康の命暗殺を計画。その計画を練りに練っていた。
室賀一族の室賀孫右衛門を徳川家臣のもとへ派遣し
援軍を要請する手はずだったが、その者は既に昌幸内通しており、
そのまま上田城へ向かい暗殺計画を密告し、室賀のもとへ帰参した。
そうとは知らない正武囲碁の観戦に招待され、これを良い機会とみて
上田城へ乗り込んだが、通された書院の間にて昌幸・信幸調略により真田家臣の手で討たれた。
伴ってきた室賀家臣は捕らえられ、のちに真田の家臣となった。

と、さほどの驚きもなく、昌幸の調略により討たれた、と、
実際にはこのように淡々とした流れであったかもしれません。

しかし、そこに昌幸・正武を付加し、
「幼馴染み」「同じような人生を歩んできた」とか思い留ませる一言を入れ、
そして小刀を差し出し小県の国衆の想いを託す(?)など感傷的なところや
「おぬしの家来にはならん」と言い放つ対抗心はある。手を掛けようとするが・・・。

ドラマにするにはこのように表現しなければならなかったのか?
それを源次郎と梅の祝言を利用するという・・・。

しかし、前にも記したように、真田丸は信繁が主人公の物語、そしてヒロインはきり

この2人をうまく絡めなければ、昌幸が主人公と言っても過言ではない物語になってしまう。

そうなんです、信繁を主人公に描く事は難しいのです。
何せ、この頃の信繁の事を見出す史料が極端に少ないから。

たとえあったとしても、その時の細かな心情言動までは書かれた
史書・史記は殆んど無いと言っても良いでしょう。

逆に言えば、どんな風にも描ける。がそれもまた難しい。

あとちょっと気になったのが、
「上田城が完成した」とナレーションが入りましたが???です。
あの時点(1585年7月)では完成していません。徳川の援助による普請は中断となり
第一次上田合戦が勃発、収まったところで上杉の援助による普請で一応の完成
(9月末から10月頭にかけて)となりました。



長々となりましたが、信繁青春期のクライマックスである第一次上田合戦がいよいよ勃発

真田vs徳川、どのように表現されるのか楽しみです。

第11回「祝言」感想でした。
だんだん長くなります・・・(;^ω^)

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