2月16日(火)中央開発KK,大成建設KKへ抗議活動を寒波の中、辺野古基地建設工事の中止を求め抗議のアピールを行った。
今日も寒い中仲間と共に辺野古基地建設の中止を求める抗議にきた。辺野古、現地に約1ケ月間抗議行動してきた。宜野湾市の市長選が現職の勝利したが、辺野古基地の工事は全く進んでいない。辺野古の座り込みやブロック山などの抗議行動によりほとんどトラック等の出入りが制限されている状況を見ると辺野古基地は永遠に出来ないのではないかと思えてくる。辺野古基地は200年持つと言われています。200年にも亘って沖縄に基地を押し付けるつもりなのか。
沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所で多くの人が悲惨な死を迎えている。戦争の記憶を持った多く人がもう被害者になりたくないと思っている。基地は被害者になるだけでなく、加害者にもなる。ベトナム戦争の時には嘉手納基地が爆撃機の拠点となり、沖縄は「悪魔の島」とベトナムでは言われた。加害者にも被害者にも沖縄はなりたくない。美しい海が軍事基地に変わってしまうことをどう考えるか。辺野古の大浦湾は自然豊かな海でジュゴンを始め多数の生物が生息する。この海は住民の生きる糧であり、新基地建設はこれを破壊しようとしている。一度破壊されれば二度と復活することはない。
沖縄の県民調査では、普天間基地の辺野古移設の反対は約8割と高い水準にある。沖縄ではオール沖縄の勢いが高まり、自己決定権や歴史を踏まえ沖縄のあるべき姿に気づいてきた。翁長知事は「あらゆる手段を駆使して、辺野古に新基地を造らせない」、「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきである」、「米軍基地は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因である」と主張しています.
沖縄県民の辺野古基地反対の大きな理由は、辺野古基地の建設が、沖縄戦で12万人の県民が亡くなり、占領下で広大な土地を奪われて米軍基地を建設された「歴史的トラウマ」と言うべき「沖縄県民の心の傷」に、再び政府権力が「ナイフ」を突き刺していると多くの県民が感じているからです。皆様も沖縄に「ナイフ」を突き刺しているのです。
在日米軍基地の起源は沖縄戦である。1945年3月沖縄本島に上陸し、沖縄諸島を占領し「銃剣とブルドーザー」に象徴される暴力的な手段で沖縄県民の土地を接収し、基地を次々に拡大していった。そして沖縄のなかに基地があるのではなく、基地のなかに沖縄がある」と言われるような現実が作りだされた。
沖縄の海兵隊はもともとは「本土」から移ったものである。サンフランシスコ講和条約発効当時、日本「本土」にはまだ多数の米軍基地が存在したため、「本土」と沖縄との基地面積の比率は9対1で「本土」の方が圧倒していた。ところが、その後、本土各地の米軍基地への反対運動が激化し、それが反米運動に転化することを日米両政府が懸念しそれを防ぐ目的で一般市民から米軍を隔離するためには日本から沖縄に移した。敗戦直後、9対1であった「本土」と沖縄の米軍基地面積の比率は日本復帰のころには1対1になり、その後現在の1対3に至るまで、沖縄の負担比率が増していった。
1609年の薩摩による琉球侵攻から明治の沖縄併合、太平洋戦争の沖縄戦、そして現在の米軍基地の押し付けを本土は沖縄の差別し植民地なみ扱ってきた。みなさも沖縄の「植民地化」の手助けをしているのです。
皆さん、会社からのしがらみから逃れた一人の個人として考えて欲しい。自分の判断で行動を起こし声を上げて欲しい。皆さんの良心に期待する。とのアピールをした。
今回は、歌とギターの伴奏があり、これまでとは違った雰囲気のもと、建設阻止をアピールし終了した。