STOP!辺野古新基地建設!大阪アクション

沖縄辺野古の新基地建設を止めるための、大阪からのアクションを呼びかけています!よろしくお願いします!

2019.8.25 大阪アクション5周年の集い 講師 牛島 貞満さん「沖縄戦から見た辺野古の今」

2019-08-29 09:02:10 | 日記
8月25日(日) 大阪PLP会館で大阪アクション5周年の集いを開催しました。

今年の講師は牛島 貞満さん。沖縄戦を指揮した沖縄第32軍司令官 牛島満中将のお孫さんです。
牛島貞満さんは、もと小学校の教員。ご自分の祖父が指揮した沖縄戦の実相に向き合い、
聞き取りや調査を積み重ねてこられました。
そして「軍隊は住民を守らない」「牛島司令官の南部撤退・持久戦」の作戦判断が、多くの沖縄住民の死をもたらした。
との結論に至り、教員時代は平和教育に取り組み、退職後は全国で講演などを続けておられます。

 (以下、牛島さんのお話をメモをもとに要約しますが、文責はすべて大阪アクションにあります。)



講演する牛島さん。プレゼンテーションは緻密な文献調査や聞き取りにもとづく実証的なもので、とても説得力があります。



19万人近い日本側の死者の中で、沖縄住民が10万人を占めています。



会場は150名以上の参加者でほぼ満員になりました。



質疑の時間です。沖縄戦に実際に兵士として参加したという100歳の方もおられました。済州大学から日本に留学中の韓国人の学生さんもおられました。

牛島さんがプレゼンで参加者に出した問題
「4/8 5/4の日本軍(第32軍)攻勢により、日本軍は兵力の2/3(約6万4000人死亡)を失った。米軍の死者・行方不明者は約5000人。
 沖縄戦が始まって約50日、米軍は司令部のある首里城近くまで迫った」

「問題:自分だったら、どちらの作戦をとるか
 ①首里でそのまま戦う
 ②南部に下がって戦う(南部撤退)」

 ②に手を挙げた方もかなりいました。韓国には徴兵制があるため、軍隊経験のある済州大学からの留学生さんは「自分は軍隊の経験がある。軍隊の理屈からいえば②になると思う」と発言されました。
 そして牛島司令官の実際の判断は②でした。(第1の命令)



 この命令が住民の死者を飛躍的に増やします。
 牛島さんが沖縄の長嶺小学校でおこなった調査(生徒のおじいさん、おばあさん、親戚で亡くなったかたは何月に亡くなったかを調べたもの)では6月に圧倒的多数の住民が、命を落としていることがわかります。



南部に軍民混然一体となっておしこめられ、その中で日本軍にスパイ扱いされて殺された人もいました。
米軍の砲撃は軍民区別なく浴びせられました。避難した壕(ガマ)のなかで、日本軍は「子供を泣かすな。泣かせば殺す」と、住民を先頭の足手まとい、さらにスパイと見なす、自決を強要するという非人間的行為を行いました。負傷兵も殺害されました。

安里要江さんの貴重なインタビュー映像が紹介されました。

そして牛島司令官の第2の命令
「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」
牛島さんの出した二つ目の問題は「この第2の命令で、沖縄戦が終わったのはいつか?」でした。

 ①6月22日または23日(牛島司令官自決の日) ②8月15日(天皇がラジオでポツダム宣言受け入れ) ③8月15日よりあと

実際には牛島氏司令官の第2の命令によって8/15以降も、切り込みなどの戦闘は続き、32軍が正式に降伏したのは9月7日でした。
「本土決戦-国体護持」への牛島司令官の強い意志が、8/15以降も含め尊い命を奪っていきました。
家庭では「やさしいおじいさん」だった牛島 満中将を戦争と天皇制が別の人間へと変えてしまいました。




最後に、沖縄戦に見る軍隊の本質と辺野古新基地建設についてお話がありました。



まず、圧倒的な沖縄への基地集中。「普天間基地の即時無条件返還」「辺野古新基地中止」という県民の要求は、現在の基地集中の実態からみればあまりにも当然でささやかなものです。



南部撤退が住民の死者を飛躍的に拡大したことは、自衛隊幹部も認めていること。
そして軍隊の本質は自衛隊になっても変わらない。自衛隊は敵と戦うのであって、住民保護は自治体の長の責任であると今の法律にも明記してある。



集会後、まだまだ暑い中でしたが、梅田までデモ行進しました。



歌とコールで辺野古に基地はいらない、普天間基地撤去、戦争あかん!!とアピールしました。

すばらしい講演をしてくださった牛島 貞満さんにあらためてお礼申し上げます。