今回は、私が3年ほど前から携わっているミャンマーの白内障プロジェクトに関するお話をしたいと思います。
突然ですが、皆さんは「真っ暗な世界」を体験されたことがあるでしょうか。私は大学生のとき、教職員免許取得のために訪れた視覚特別支援学校で真っ暗な世界を体験したことがあります。
■ 真っ暗な世界の怖さ
学校でのプログラムで、私に課せられたミッションは、アイマスクをつけて学校から池袋駅まで電車に乗って帰ってくるというものでした。
いきなり真っ暗な世界に放り込まれた私は足がすくみ、校内の障害物のない真っすぐな廊下をただ進むだけとわかっていても、壁伝いに一歩一歩足を出すのが精一杯でした。ましてや、一日55万人もの人が行き交う池袋駅で電車に乗るなどといったらもう半分パニック状態でした。
付添いの人にしがみつきながら、なんとか電車に乗ったことが、本当に強烈な記憶として残っています。
この体験によって私は、視覚障害者が生きやすい社会の実現と、眼が見えなくなる人をひとりでも減らしたいという想いを強く抱くようになりました。
それから十年ほど経って、いろいろな方のご縁で、ミャンマーで白内障患者を救うプロジェクトに携わることになります。
ミャンマーと白内障、あまり皆さんの中では結びつかないかもれません。しかし、実は世界で最も失明率が高い国はミャンマーなのです。そして、うち約70%が白内障による失明なのです。
そんなミャンマーに私は、2013年冬に初めて訪れました。日本人眼科医で、長年ベトナムで活躍している服部匡志医師と共にヤンゴンの眼科病院に到着した私は、そこで驚くべき光景を目の当たりにします。
病院の待合室や廊下は目の奥が白く濁った患者さんであふれ返っていました。あまりの人の多さに私は息を呑みました。皆、日本から名医が来るということで、ミャンマー全国各地から何日もかけてやって来ていたのです。
服部匡志医師と私たちは、来る日も来る日も朝から晩までエンドレスで手術をしていました。
気がついたら、クリスマスイブでした。
その日のヤンゴン眼科病院の朝も、患者さんたちとその家族であふれ返っていました。その中に、ほんとうに心細そうに、震えているお婆さんがいました。聞けば、シャン州というミャンマー北部からバスを乗り継いで2日もかけて来たそうです。
■ 多くの人が失明の危機に
お婆さんは、朝の検査で糖尿病性網膜症と診断され、両眼とも失明寸前でした。しかし、服部匡志医師の、たぶんその頃には、疲れが絶頂であったにもかかわらず、的確な手術で、彼女も失明を回避することができました。
お婆さんは「ありがとう、ありがとう」と、何度も何度も言いながら涙を流していました。その泣いているような笑顔のような、そんな姿が、忘れられません。
人に「光」を与える。
その尊さを垣間見て、まるで私がクリスマスプレゼントを頂いたような、そんな気持ちでした。
でも、どうしてミャンマーではこんなに多くの白内障患者さんが出るようになってしまったのでしょうか。
しかし実は、白内障は紫外線や喫煙、肥満といったこととも関係しています。そのため、近年、白内障は、発展途上国の40代からの比較的若い世代でも患者が急増しているのです。
ミャンマーで白内障が多い理由は、まずは、紫外線。次に、喫煙です。ミャンマーではタバコが安く、1本からバラ売りをしています。こうしたことの影響か、15歳以上の喫煙率が7.7%と、周辺諸国と比べてもかなり高い状態です。そして最後は、肥満の問題です。ミャンマーでは米を日本の約3倍も消費している上に、糖分の多い清涼飲料水やお菓子などを多く摂取する食生活になってしまっています。
そのせいで、肥満や糖尿病が問題になっています。こうした要因が重なり、ミャンマーでは白内障に苦しむ人々が増えているのです。
■ どうすれば白内障を予防できるか
そうした状況を受け、服部匡志医師と、白内障手術に必要な眼内レンズを製造しているロート製薬と共に、一時的な援助ではなく、現地に根付いた形で、失明を予防する取組みができないか、考えました。
白内障はミャンマー政府の最優先課題としても位置付けられていることから、少し前であれば、このような取組みは政府開発援助を通じて取組んでいたでしょう。
でもミャンマーのような経済的に発展しつつある国には、一定数の富裕層もいます。すべてが援助という形でなくても、民間事業として実施し対価を得ることで、貧しい人々に対しても診療を施せる持続的な取組みが可能ではないか。
それこそが、一時的な一方的な支援ではなく、よい循環、持続可能な支援になるのではないかと考えているのです。