先週末から、ずっと書こうと思っていたのに何かとバタバタしていたり疲れたりして先延ばしにしていたんですが、やっと書き始めました。
とは言っても、思ったままを箇条書きするような内容だと思いますし、決して良い文章でもないだろうし…と言う記事になると思います。それから、あくまでも個人的な意見ですので、見に来られた方にはご了承頂ければ…と思います。
先週の金曜日、広島の地に初めて現職のアメリカ大統領が来られましたね。
当日の報道では、行き帰りの道中全てを生中継していて、ちょっぴり驚きましたが、それでも確かに被曝された方々を始め現地の皆さんにとっては悲願の訪問である事を思えば、それだけの報道としての意味もあったのでしょう。
ただ、その過熱ぶりを見ていて、肝心のサミットの成果や、今だ大変な状況にある熊本県や大分県の方々の事が風化してしまうのではないかと思ってしまいそうな印象を受けてしまいました。
大統領一行が訪れた広島平和記念公園、8月6日以外の日にテレビの映像で見る事は、自分自身でも珍しいことだなと思いました。それは、それだけ日頃からちゃんと広島や長崎のことを考えると言う事が少ないんだな…と反省しなければならない事でもあるんですよね。
ライブ中継された大統領の演説は、私から偉そうな事は言えないんですが、その後の首相の演説よりもはるかに分かりやすく、また心に響きました。
原爆投下と言う出来事を、昔の事にしないと言うその思いに心打たれました。
われわれ日本人でさえも、すでに真珠湾攻撃の日も、東京大空襲の日も、沖縄戦の組織的戦闘が終了した日も、原爆が投下された2つの日も答えられなくなってきている世代が増えつつあります。
それはつまり戦争と言う事実が、これからの世代にとっては遠い過去の事であり、もしかしたら、そんな事があったの?といった受け取り方をされるのかとも思う程の重みのない歴史になっている事を表しているのではないでしょうか?
でも、決して過去の事でも架空の事でもなく、これからだって同じような、あるいはそれ以上の悲惨な状況になる可能性だってあるのです。そしてその結果は、何年何十年何百年経とうとも、消し去る事はできないのです。
その事実を明確に演説の一節に語った大統領の姿勢に、僭越ながら拍手を送りたいと思います。
戦争と言う状況は、勝者にも敗者にも悲惨さと悲しみと苦しみをもたらす事だと思います。
日本でもその他も国や地域でも、空襲や原子爆弾や地上戦で被害を受けた人達は、それまでにも既に、飢え、父親や兄弟を軍隊に奪われたり、家族と離れて見知らぬ土地での疎開生活…もう充分に苦しみや悲しみを味わっていたはずなのに、さらに追い打ちをかけられた事になるんですよね。
だから、戦争による被害者に国の違いや勝敗の差はないし、謝罪を求めたい気持ちも痛いほど感じるけれども、その事に執着して時間の流れを止めてしまっていたら、いつまでも前には進めないのではないかと…その意味からも、今回の訪問は正に歴史的な出来事であり、先へ進むための大きな一歩だったのではないでしょうか。
私たちの側でも、事実を認めるべき事は認めて先へ進むと言うことを目指していく事はできないのでしょうか。
今回の訪問には、見習うべき側面もあったと思います。
夏には、72年めのあの日がやってきます。
今回の出来事を心にとめて、色々な事をちゃんと考えながら姿勢を正して8月6日、9日、15日を迎えたいと思いました。