未亡人の独り言

夫が突然、糖尿病に。そして、膵臓癌へ…
2009年6月22日永眠。未亡人になりました。

デュロテップパッチ

2009-04-30 23:53:23 | 膵臓癌闘病記
今日から痛み止めがデュロテップパッチという貼り薬に変わりました。
緩和ケア専門のナースから事前に説明があった時「『風のガーデン』で中井貴一が使ってたヤツだね?」と主人が聞いたら「はい、そうです」と言っていたそうです。
貼った所(右胸)を見せてもらいました。もっと普通の湿布みたいな物を想像していたけど、とても小さなテープが2枚貼ってありました。
4.2mgと2.1mgが1枚ずつ。
「写真撮らないの?」と言われ
「いいの?じゃあ…」と携帯のカメラでパチリ!
今日、会社で主人の病気を知らない友達が、たまたま『風のガーデン』の話になり「あれは何の癌だっけ?最期痛そうだったよね!あんな死に方はしたくない」と言うので、主人に話したら「ハハハッ!その写真見せて『これが中井貴一の貼ってた痛み止めだよ』って言えば?」と言われ私も主人のジョークに笑ってしまいました。

今日は病室から下の売店まで一人で歩いて水を買いに行ったそうです!すごい!
でも、具合悪いと言ってましたね。
週末、自宅に帰宅するつもりで調整中でしたが
「やめた」と言われました。

昨日辺りから、食後にお腹がギュルル~っと鳴ります。
主人はそれを聞いて
「あいよ!」って言ってるとか空耳アワーの如く表現してくれます。それが本当にそう聞こえるから面白い(^O^)

最近の主人はとっても楽しいです!

余命宣告から明日で一週間!5月に入りますね!
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父のケース( その2)

2009-04-30 19:46:41 | 膵臓癌闘病記
火葬した後は、お別れ会をホテルで開きました。これも父の希望です。
招待者リストも本人作成。
没後の法事もありません。私は不精だから、お墓参りもたまにしか行きません。でも、命日は覚えているし命日でなくても大好きだった父を思い出し、相談したいことがあれば父なら何て言うかしら?と考えます。

今回、妹から聞いて初めて知ったけど、このお別れ会の招待者リストに名前の無い方々から「我も我も」と出席希望者が現れ、奥さんと兄は困ったそうです。
父の希望通りにやってあげたいという気持ちと、最期のお別れをしたいという有り難いお申し出。
妹いわく、本人の希望も大事だけど、仕切るのは残った人なんだから、あんまり細かく具体的に決めず幅を持たせるのがいい…。
なるほど~と思いました。

主人は自分の両親や兄姉達の誕生日も命日も覚えておらず、私が教えて「そうなんだ~」と言う程度。
もちろん墓参りも行きません。


なんだか支離滅裂になっていますが、私の父のことを述べました。

終わり
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私の父のケース( その1)

2009-04-30 19:45:28 | 膵臓癌闘病記
私の父は7年前の5月に肝臓癌で亡くなりました。78歳でした。
本人の希望で癌告知も余命宣告もしなかったけど、本人なりに思うところがあり、葬儀のやり方を奥さんや私達(兄、私、妹)に伝え、紙に書き残しました。

その内容は、死後そのまま斎場へ搬送すること。つまり自宅へは帰らない。理由は、マンションの他の住民に迷惑や余計な気遣いをさせるからというものでした。隣近所と親しくなかったから気遣いはかえって困ると思ったのでしょう。

そして自分は無宗教だから、読経も戒名も要らないと言いました。
夜中0時頃病院で死亡(誰も間に合わず)
朝方まで病院の遺体安置室に置かせていただき、そのまま斎場へ。

と言っても24時間以上経たなきゃ火葬できないから、斎場の冷凍庫で保管。さらに翌日に火葬しました。
つづく
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定まらない希望

2009-04-29 23:45:55 | 膵臓癌闘病記
今日の体重70㌔、血糖値139

今日は、病室に葬儀屋さんを呼び、息子もお店開ける前に来てもらい、あらためて葬儀の流れやその後のことを話しました。
元同僚のお坊さんには、共通の知人である葬儀屋さんが既に連絡してくださったとのこと。いざ本番の時も葬儀屋経由で依頼。
病院で死んだ後、先ず自宅へ帰り3日位寝かせてほしいと言われ「えっ?!3日?!」と驚く私。
「そう、腐って異臭がするまで置いて」と言うのです!「え~っ嫌だよ!」と言いました。笑ってましたよ、葬儀屋さん。
遅れて来た息子に「ねぇ、腐って異臭がするまで家に置いてくれって言うんだよ~!」と泣きついたら苦笑いしてましたね。
私は遺体となった主人を自宅に置くことに強い抵抗があります。腐るまでどころか1時間でも嫌なのです。
これからも自分が生活する空間に遺体は辛いです。
物理的にも我が家に余分な布団はなく「布団はどうするの?」と聞いたら「それぐらい買う金あるだろ!」と怒られました。
主人の遺体を寝かせるために布団選びをする自分の姿を想像してしまいました。泣けます…。

告別式の後そのまま埋葬することに(お墓を買った時から)決めていて、葬儀屋さんにも言ってあったのですが、今日あらためて主人がその旨を伝えたら「でも普通は…それに奥さんも寂しいでしょ?」と言われたので「う~ん別に…」と答えました。
そもそも即埋葬にした理由は、お墓までの交通の便が悪く、私も息子も車を運転しないし、親戚も年寄りばかりだからマイクロバスで一気に移動しようという作戦だったのです。
あらためて日取りを決めて集まる手間も省けるし。
主人がそう決めたのに葬儀屋さんに「普通」の話を聞くと揺らぐ主人。
葬儀屋さんは「天候もあるしね」と言うので「私、晴れ女だから大丈夫!」と強く訴えました。苦笑いの葬儀屋さん…。
結局どうするのかよくわからないまま解散しそうになったので「で、どうするの?」とややイラッとしながら聞いたら、葬儀屋さんが「じゃ、それはその時に…」ってことになりました。

無宗教なのに中途半端に宗教色を取り入れるからややこしい!
読経は欲しいけど、戒名は要らないとかね。(だったらお経のテープ流せば?)

無宗教なんだから四十九日もへったくれも無いと思う。
私は命が残り少なくなった主人を見て毎日病室でウルウルしてますが、一方で葬儀その他のような主人亡き後のことには生来の淡泊な面と面倒くさがりな面が前面に出ます。
でも本人の意向も気になって…。

しかし、そんな準備をしつつも主人は元気になってきたので、またこの準備は嬉しいことに無駄になるかも?
ここ数日、食事は座ってできるようになりました!
今日は、病室を出て廊下を一周歩きました!
やっぱり主人はすごいなぁ!v(゜V^*)
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寝顔

2009-04-28 08:54:49 | 膵臓癌闘病記
昨日、主人から私や息子夫婦への話が終わり、ホッとしたのか、薬の影響か目を閉じた主人。
今までも寝顔を見るとまるで死に顔に見える時があって、切なくなってましたが、鼻から酸素を入れた状態で、ふ~っと目を閉じた瞬間を見た時は
「あれ?どうした??死んじゃった?!」と驚きました。
3人揃ってるから良かった(?)
なんて冗談みたいな本気みたいなことを一瞬考えましたね。
(後で聞いたら息子夫婦も同じことを思ってたらしい)
私が心配しながら主人の顔をジーッと見ていたら、パチッと目が開いて、私と目が合ったので、私がニコッと笑ったら
「俺、なんか変なことした?」と聞かれたので
「うん、死んだみたいに眠ってたよ」と明るく言ったら、声を出して笑いながら
「ここは病院だから大丈夫だよ。なんかあれば先生がすぐ来てくれるよ」と言ってました。


昨日、息子夫婦と主人のお墓について話した時に聞いたのですが、二人が主人の建てたお墓を見に行った時、場所がわからず事務所に聞きに行き、主人の名前を言ったら
「あ~!日の丸のお墓ですね!」と即答され、迷わず案内してくれたそうです。
私もこれには爆笑!!
どうやら霊園内でも有名らしい…。
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お葬式

2009-04-27 23:40:12 | 膵臓癌闘病記
今日は、息子夫婦と私が揃い、主人から遺産相続の話がありました。
簡単に金額を伝え、あとは葬儀の進め方について…。
癌と言われた当初は音楽葬と思ってたけど、締まりがない(?)ので、知り合いのお坊さんに読経を頼もうと思うと言われました。
定年退職したから職場関係は呼ばないと言われましたが、同期にはお知らせすることになりました。
私や息子の仕事先関係は「お任せ」となりました。
「これ(←私のこと)とお金のことでもめないでね」と息子に言ってました。

息子が帰った後、主人のすぐ上のお兄さん(五男)がお見舞いに来てくれました。先週来た三男から連絡をもらったとのこと。
ワケアリのお兄さんで、私も今日が二度目のご対面。
「俺、余命宣告されたんだよ~。1ヶ月だって~(┰_┰)」と大泣きでした。
「せっかく定年まで頑張ったのになぁ」と言われたので、私が「でも、1年半頑張ったんです」と言ったら
主人が「そうなんだよ。だから定年まで生かしてもらったんだよ」と言ってました。
8人兄姉の末っ子で、もう自分含め3人しかいないけど、主人が1番若くして死ぬのです。
あまりに気の毒で…お兄さんと二人で大泣きする様子を見ながら、同じ病室の方々の困った様子の空気を感じながらも、もらい泣き…。

病院を出た後、私を待っていた息子夫婦と再び合流。主人抜きで色々話しました。
喪主は私、位牌とお墓は息子が持つことになりました。
位牌とお墓の件は、私の意向を理解してくれ、私に負担をかけたくないと引き受けてくれました。
主人の希望により、死後の法事(一周忌など)はしない(各自勝手にお墓参り)となりました。

息子は、時間の許す限りお店の前に病院に来てくれるそうです。


今日の体重69.4、血糖値158
夕方の回診時の話では、左胸に胸水が溜まってきたそうです。
ブクブクも継続中。
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毎日涙、涙

2009-04-26 22:25:39 | 膵臓癌闘病記
今日は、主人が息子に電話し、余命宣告されたことを伝えました。「それで、俺のお金を二人で揉めないで分けて欲しいからさ。明日、その事とか話があるから病院来てよ」と言いました。声が震えていました。
病室に戻りベッドで横になった途端、タオルで顔を覆い「おまえと○○(息子)の…(T^T)」と泣くので
「えっ?」と聞き返したら
「顔を見ただけで涙が…(T^T)」と言われました。
「そう?ヤダー笑ってよ~(^O^)」と私は言いましたが笑ってくれなかった(当たり前?)
そして、私に「(5月は)仕事休まないの?」と聞いて来ました。
驚きました。
正直言って、完全看護の病院で私の出番は少ない。自宅に帰って来るならわかるけど、入院してるなら私はちょっと顔を見せるだけなんです。
「少しは役に立ってる?」と聞いたら黙ってうなづいてました。

昨日の体重68.6㌔、今日は69.1㌔
今日の血糖値189

私が帰った後、主人からメールがありました。
「酸素値が低くなっているそうで、念のため病室でよくやる鼻から泡のたつ、やってます」
ビックリしましたが本人からメール来るぐらいだし…。
苦しくもなんともないそうです。
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皆様ありがとう!

2009-04-25 23:55:35 | 膵臓癌闘病記
ブログにコメントくださった方も、直接メールくれた皆もありがとう!
2度の離婚、二人の子供のいる私を引き取ってくれた主人には感謝の気持ちでいっぱいです。
3度目でようやく幸せを掴んだつもりだったけど、そうは問屋が卸さなかった!
40歳にして未亡人になる私…。
会社で親や兄弟が亡くなった人はいたけど、配偶者が死ぬなんて私が初めてになりそう。
6月のリフレッシュ休暇の募集が今日から始まりました。
申請しようかどうしようか悩んでいます。
主人に言ったら「一ヶ月以内に死ぬから休まなくていいよ」と言われました。

「誰かに電話した?」と聞いたら「してない」と言ってました。
一旦家に帰ろうか、このまま病院に居ようか悩んでいました。
あと、個室に移りたいと言ってました。
虚ろな目でボーッとしながら
「1ヶ月なんて驚いたよ。普通3ヶ月くらいあるんじゃないの?」と言うので、私は
「それだけ急に悪くなったんだよ。この2週間で2ヶ月分。それに実は私、6月くらいかなぁって思ってた」と言ったら、納得してました。
あまりに余命が短すぎて、何をしていいかわからない様子です。

薬の影響もありウトウトしている主人の手をさすりながら私は涙が止まりませんでした。
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余命宣告

2009-04-24 22:47:14 | 膵臓癌闘病記
病室で、先生から呼ばれるのを待つ間、私は主人に「先生に余命を聞かないの?」と質問しました。
今日のお話は腹水の検査結果の説明、しかも特に何も出なかったらしいと主人から聞いていたので、まさかこのような話の展開になるとは思わなかったけど、私は近々先生に聞いてみようと思っていたので、主人に言ってみたのです。
「聞かない。先生、『私は神様じゃないからわからない』とか言うだけだから」と主人は言ってました。
でも、いざとなったら自分から先生に聞いたから凄いなぁと思いました。

終わり
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余命1ヶ月の花嫁

2009-04-24 22:45:41 | 膵臓癌闘病記
もう癌の治療はできないと言われました。
今、本人の体力が落ちてる中、抗がん剤のような癌細胞もやっつけるけど、他の元気な細胞もいじめてしまうような治療は勧められないと。
怖くて隣の主人の顔は見られなかったけど、主人は「はい、はい」としっかり返事をしてました。
そして「先生、私、自分の兄弟なんかにも言わないといけないんで、あとどれくらいですか?」と少し震えた声で聞きました。
先生は、一概に言えないと前置きした上で、「4月3日のCT検査の画像では腹水が無かったのに、今この状態であることを考えると、1ヶ月後に何かあってもおかしくない」とおっしゃいました。私自身、勝手に6月頃かなぁと思っていたので、予想通りでしたね。
そして「もう、劇的に良くなることはないと思うし、退院はできないけど、まだ今なら車椅子使って移動したりは出来るから、希望があれば外泊許可するから、おっしゃってください」と言われました。
今、したいこと、やっておきたいことをしてくださいとのことでした。
まだまだ治療する気だった主人には辛い宣告だったと思う。
私は胸がジーンと熱くなるのを感じました。
病室に戻った主人は「何したらいいのかわからないな。とりあえず、葬儀屋やってる友達に電話して、俺の車の売却をやってもらおう。お前出来ないだろ?」と言ってました。
そして、疲れたのかぼんやり天井を見ながら「こうやってスーッと死ねるのかな?」と言うので
自分の母の凄まじい最期を12歳の時一人で看取った経験のある私は
「うちのお母さんは凄かったよ」とサラリと言いました。
病院を出た私は「そういえば『余命1ヶ月の花嫁』って映画やってたな。うちは『余命1ヶ月の元刑事(デカ)』か?」とか馬鹿なこと考えながら歩いてました。

つづく
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