話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

政治と金について

2024-05-21 12:36:18 | 話の種

「政治と金について」

このテーマは昔からのもので、様々な問題が指摘されているが、ここではそれを一つ一つ取り上げて論ずることはしない。

ただ、このところ連日マスコミに取り上げられている、自民党派閥の裏金問題、政治改革の問題に関連して、朝日新聞の政治改革2024と題した次のような記事(5月12日付)が目を引いたので、ここに記載しておく。

「選挙対策、かさむ出費 地元会合1万円×数百回、風評恐れ減らせず」

「自民党派閥の裏金事件を受け、政治資金の規制強化の議論が本格化している。
しかし、問題の根本は、多額のカネがかかる政治活動にあるとされる。
特に出費がかさむのが選挙対策。一部の有権者にはびこる悪弊と議員心理から、会費がふくらむ実態があるという。」

「年次総会へのご招待」。毎年、年末年始の時期になると、こんな招待状が、多数の業界団体から国会議員の事務所に届くようである。
東京選出の自民議員の元秘書は「議員が出席する団体の会合は、この時期1カ月だけで400件を超える」と話し、招待状の多くは金額の記載はないが、議員側は「会費1万円」を支払うのが相場とのことで、そのため、年末年始だけで会費の総額は数百万円に膨れ上がる。
勿論、出席しなかったり、会費なるものを減らしたりすればよいのだが、選挙での悪影響を考えればそれは出来ないとのこと。

そしてこのようなケースだけでなく、有権者側が議員側に金品を要求するケースも少なくないとのことで、次のような例を挙げている。

「東京選出の野党議員は数年前、地元の祭りにカネも酒も持たずに参加した。すると、主催者側の住民から「何も持ってこなかったのか」とどやされた。
公職選挙法では、政治家が選挙区内の人や団体に対して、寄付をすることを一切禁止している。
そのため、この議員は「持ってきたら違法になる」と説明したが、「あなたの妻の名義で持ってくれば問題ない」と言い返された。「そういうやり方で金品を持ってくる人がいるんだ」と思ったが、議員は渡さなかった。」

「東京選出の別の衆院議員の元秘書は、10年以上前、地元の町内会長にあいさつした際、「酒くらいもってこい」と露骨に要求された。渡せば違法だが、渡さなければ「けちだ」と風評が広まり、支持を失いかねない。元秘書は、後日、日本酒の一升瓶2本を持って町内会長を再び訪れた。
日本酒代は数千円だったが、違法行為のため事務所の経費とすることはできない。元秘書は自腹で支払った。あいさつの場や会合で物品を要求されるケースは「それなりにあった」。1件あたり数千円の日本酒でも、積み重なれば「100万円単位の金額になる」。元秘書は「事務所に裏金があれば、日本酒代はそこから出すことができ、自腹を切らないで済む」と話す。]

これらは私のように東京に住んでいて政治家とも全くつながりのない人間にとっては縁のない話で、多くの人がそうだろうと思うが、地域、中でも地方に行けばよく見られることかもしれない。
そして選挙ともなれば人とのつながりで、政党、政策に関係なく投票してしまうケースも多いかと思う。(現に私自身も知人が衆議院選挙に立候補したとき、意に反した政党だったが、一回だけその人に投票したことがあった。)

つまり何を言いたいかと言うと、政治改革の問題は勿論政治家たち本人の対応・行動の問題で、その責任に於いて対処すべきものだが、一方この問題の根底には政治家に対する有権者の態度・行動の問題もあり、いくら我々が口で政治、政治家がどうのこうのと批判をしていても、有権者の対応及び投票行動が変わらなければ、根本的な問題解決にはならのではと言うこと。(勿論政治家たち自身が大いに反省し変わることが出来れば良いが、彼らの性格や資質の問題もあり、現在の政治資金規正法の改正問題の議論を見ていてもこれは期待できないと思うが、果たしてどうだろうか。)

(追記)

本日のTV朝日「ワイドスクランブル」で、「政治に金がかかるということは選挙に金がかかるということ」とのコメントがあった。
そこで思い出したのは昔「この程度の国民ならこの程度の政治」と言った政治家がいたこと。
(ネットで確認したところ、警視総監から法務大臣になった秦野章氏で、この人は他にも「政治家に徳目を求めるのは八百屋で魚をくれというのに等しい」などの発言をしており物議を醸している。)

更に検索を続けたところ、松下幸之助氏もPHP誌で次のように述べている。
「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑いに値する政治しか行なわれない」
「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」

そしてこの記事の筆者は次のように述べている。(谷口全平(元PHP研究所取締役、現客員=当時))
(松下幸之助は)国民一人ひとりがもっと自分のこととして政治に関心を寄せなければならないと呼びかけたが、家庭においても学校においても政治の大切さを啓発するとともに、何が正しいか、何が国民全体にとって利益となるのかを見極める眼を育てる教育が大切だと訴えたのである。

「松下幸之助.com」
https://konosuke-matsushita.com/monthly/2016/12/seiji4.php

 

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「先生」という呼称について

2024-05-20 18:47:25 | 話の種

「先生」という呼称について

少し前の話になるが、朝日新聞の声欄に下記記事があった。(2024年3月14日=要旨)

「自分を「先生」と呼ぶのやめよう」(元中学校教員(63))

「テレビで教師役の俳優が「先生は……」と生徒に語り出した。学校現場では当たり前のことかもしれないが、私は違和感を覚えた。
教員時代、懇親会の席で保護者の方から「先生たちはどうして自分のことを『先生』と呼ぶんですか。『先生』って敬称ですよね。一般社会ではあり得ないことですよ」などと言われた。それがきっかけで「学校では誰も教えてくれないことを、私のために話してくれたのだ」との気持ちになり、自分を「先生」と呼ぶのをやめた。
敬称は、人名の下につけてその人への敬意を表す呼び方で、教員が自分のことを「先生」と呼ぶのはおかしい。話し始めるとしたら「私は……」ではないか。4月から教壇に立つみなさん。児童生徒の前では、「私は……」で話し始めてみませんか。」

これを読んで私は(?)と思った。
学校の先生が、生徒に対して自分のことを先生と呼ぶことに特に違和感は感じない。
この人の言おうとしていることは分かるが、それほど神経質にならなくともということ。

この投稿に対して新聞社側が読者の意見を募ったところやはり賛否両論あった。
多くは私と同じようなものだったが、なるほどなと思ったのは次のような意見。(2024年4月17日)

・「時と場合で使い分ければよい」(元小学校教員(78))

「投書にあったように教員が自身を「先生」と呼ぶのはおかしいとの指摘はある意味、正当な意見ではある。しかし全てのシーンできっちり当てはめる必要はないと思う。
私自身、小学校で勤務した時、「自分に先生の敬称を付けて話すのはやめよう」との学校長からの提案を受けて実践したことがある。しかし子供たちを前に話した時の子供たちの反応の悪さと言ったらなかった。「先生」は、子供たちにとっては「お母さん」と同じような感覚で、あくまでも「敬称」というよりは「一般名称」的な感覚だった。
教師側も、保護者や同僚に対して自身に「先生」をつけて話す人はよもやいまい。家庭内で「ちゃん」付けで呼び合っても、一歩外へ出るとしないのと同じである。時と場合により使い分ければよい問題であると思う。」

・「学校空間での関係性から使う」(高校講師(62))

「「先生」の呼称は、学校空間の人間関係を表している。教員が自身を「先生」と呼ぶ場面は二つある。
一つは、先生の「立場」で生徒と対応する場面だ。考えや感情が直接ぶつかり合うのを避けるために、教員は公的な学校で生徒を指導する立場・役割の意味を持つ「先生」を用いる。
二つ目は、生徒とより近い関係を結びたい場面だ。集団として最年少者を基準に構成員を呼び合う傾向があると思う。家族のような私的空間では子供を基準として「お父さん」などと自称する。教員も、生徒への親しみの気持ちから先生と自称することがあり、スムーズなコミュニケーションが成立する。「私」より「先生」がくだけた自称になる場合がある。
このように学校は公的・私的空間が重なった場所であり、「先生」という自称に敬称の意味は薄い。」

今回私が何故この問題を取り上げたかと言うと、話は少し逸れるが、政治家同士がお互いに先生と呼び合っていることに常々違和感(というよりは嫌悪感)を持っていたから。(このバカ同士が、といった感覚)

この先生が使われる対象としては医師や弁護士などもあるが、これらは正しく専門知識を持った相手に対する敬意からくるものであろう。この意味では教師もそれに含まれるが、果たして政治家はどうだろうか。
敬意に値する政治家もいないことはないだろうが、政治家同士がお互いを先生と呼び合うのは、相手に阿(おもね)るもの、或いは自己欺瞞でしかないと思える。(尤もこの人達も自分のことは先生とは言わないが)

これについては、何時かは書いておきたいと思っていたことなので、これですっきりした。

 

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企業の好決算と問題点

2024-05-18 14:10:44 | 話の種

「企業の好決算と問題点」


昨日(5月17日)の朝日新聞の社説に次のような記事があった。

「企業の好決算 賃上げ定着につなげよ」

この論説の骨子は「企業利益の「果実」は働き手や取引先に正しく還元し、賃上げの持続につなげるべきだ」というものだが、好決算の背景について下記述べている、

「牽引役は自動車企業で、営業利益が初めて5兆円を超えたトヨタ自動車は円安による押し上げが6,850億円に達し、車の値上げも増益に大きく寄与した。航空や鉄道、ホテル事業を手がける不動産などでも、訪日客の急回復を背景に、好決算が相次いだ。
 顧客にとって価値ある製品やサービスの提供が値上げを可能にし、好業績をもたらしたのなら望ましい。ただ、欧州では、コロナ禍後の急激な物価上昇時に企業が費用増を大きく上回る値上げで利益を増やしたとの見方が広まり、"強欲インフレ"とも呼ばれた。日本でも働き手への分配が十分かどうかといった好業績の内実が問われる。
 実際、過去2年にわたり、物価高に賃上げが追いつかず賃金は実質的に目減りし続けてきた。昨年の春闘での賃上げの不十分さが、今回の好決算の背景にあるともいえる。下請けの立場にある中小企業では、大企業側が適正な価格転嫁を受け入れないため、賃上げが進まない現実も指摘されている。
 好決算のトヨタは、今後3千億円を取引先の賃上げ支援などに振り向けるという。だが、日本商工会議所の小林健会頭は先日の記者会見で、下請けへの還元は「必要なコストとしてあらかじめ入れておかないとおかしい」と述べ、もうけを出してから次の年度に還元するような姿勢に疑問を示している。」

トヨタの最高益決算の疑問点については小欄「トヨタの最高益決算について思うこと」(5月11日掲載)でも述べたが、全く同じことをこの社説でも指摘している。


また、朝日新聞の同日(5月17日)の総合面(2面)に「株高なのにGDPマイナス」との記事があった。
このGDPマイナスの要因は個人消費の低迷によるところが大きい。

「GDPの過半を占める個人消費が0.7%減り、4四半期連続のマイナスになった。これは「100年に1度の危機」のリーマン・ショックが影響した09年1-3月期までの4四半期以来のこと。
もともと経済の回復の勢いは強くない。直前(昨年10-12月期)の実質GDPは年率換算で0.01%増と、ほぼ横ばい。その前(昨年7-9月期)は3.6%減だった。物価高で消費が停滞し景気の重しになっている。」

要するに、企業が好業績で過去最高の(或いはそれに近い)利益を揚げ、賃上げも過去最高水準だったといっても、それは大企業だけの話であり、中小企業及びそこで働く人々には還元されず、従って個人消費も落ち込んだままになっている。(賃上げも物価高には追いついていない状態)

当方の若いころは、インフレの時は結構予備買いということも行っていた。
これは物の値段が先々上がるなら、今のうちに買っておこうということで、これは給料も上がるという裏付けがあったから出来たことだろう。
現に今の米国などはインフレが続いており、FRBがそれを抑えようとしていくら金利を上げても、個人消費は衰えていない。
しかし日本の場合は、給料が上がらないので、消費者は生活防衛のため消費を抑えるしかなくなってしまっている。(そして生活関連商品の生産企業や飲食業などのサービス業者もそれが分かっているので、価格を抑えるしかなく、それが従業員の賃金にしわ寄せされてしまっている。)

大企業、特にその経営者が、自分たちさえよければよいという考えを改めない限り、日本経済の復活及び人々の生活の向上は望めないであろう。(そのしわ寄せはやがて自分たちにも来るのだが、と思うが。)

 

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平安時代の女性文学と日記

2024-05-17 13:32:24 | 話の種

「平安時代の女性文学と日記」


[源氏物語]

紫式部が夫との死別後、1002年頃から書き始めたもので、1005年頃に評判を聞いた藤原道長に召し出され、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)に仕える間に、藤原道長の支援のもと「源氏物語」を完成させた。

物語の概要は、天皇の実子だが天皇になれない宿命の主人公光源氏の栄光と没落、その政治的欲望と権力闘争の数々、光源氏の栄華復活とその死後、子と孫そして紫式部が自らを投影したとも思われる女性、この三者の世界と女性の末路など全54帖からなり、第1帖~第41帖は「光源氏」を軸に描かれ、第42帖~第54帖は「薫」を軸に描かれている(「二部構成説」)。

源氏物語は写本・版本により多少の違いはあるが、約100万文字、400字詰め原稿用紙約2,400枚、500名近くの登場人物、70年あまりの出来事が描かれ、和歌795首を詠み込み、典型的な王朝物語とされる。

現代の一般的な小説や物語には見られない特色として、歌人としての紫式部の力量が全帖にわたり発揮される源氏物語には和歌795首が詠み込まれ、それらは飾りではなく、とりわけ男女間の事柄や話の核心部分などは、文章ではなく、和歌によって婉曲に描かれる場面も多く、品位と描写を両立させる手法がとられており、この和歌が理解できないと話の展開自体がわからない場面も少なくない。
文章でそれらが描かれる際も、直接的描写はほとんどなく、自然の変化や流行の事柄などに置き換え、それらに語らせるなどの手法で一定の品位を保ち婉曲に描かれ、話の把握にはこの間接的描写への理解が要求される。
源氏物語は800首あまりから成る和歌集の側面を持つ物語とも言え、その鑑賞に和歌の理解は欠かせず、また平安中期の政治、文化、常識、風習、社会制度に囲まれて生活する千年前の読み手(主に皇族・貴族階級)を対象にして書かれており、現代の読み手は、これらを知り理解することも物語の把握に必要となる。

*「三部構成説」

第一部(第1帖~第33帖)
 光源氏が数多の恋愛遍歴を繰り広げつつ、王朝人として最高の栄誉を極める前半生
第二部(第34帖~第41帖)
 愛情生活の破綻による無常を覚り、やがて出家を志すその後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様
第三部(第42帖~第54帖)
 源氏没後の子孫たちの恋と人生

*「宇治十帖」(第45帖~第54帖)第三部のうち後半の「橋姫」から「夢浮橋」までの十帖をいう。
この部分は宇治を主要な舞台としているなど、「源氏物語」の他の部分と異なる点が多いことから、他の部分とは分けて考えられる事が多い。

*NHK Eテレ「源氏物語の女君たち」で取り上げられた8人
(光源氏が愛した8人の女君はこんな女性)

「趣味どきっ!源氏物語の魅力が丸わかり」(NHK)

①藤壺の宮
光源氏の父・桐壺帝のもとに入内し、後に中宮となる。光源氏に恋慕われ密通し、懐妊してしまう。
②紫の上
10歳で光源氏に見初められ二条院に引き取られる。やがて光源氏にとってかけがえのない存在に。
③葵の上
光源氏の最初の正妻。愛のない結婚生活の末、10年目にして懐妊するが、産後に命を落とす。
④六条御息所
桐壺帝の弟の妃。光源氏と密通し、嫉妬に狂い、生き霊となって葵の上を襲う。
⑤朧月夜の君
光源氏の兄・朱雀帝の女御として入内予定だったのに、光源氏と一夜を過ごしてしまう。
⑥朝顔の君
桐壺帝の弟の娘。光源氏を慕いながらも求愛を拒み、男性に頼らず生きる道を選ぶ。
⑦明石の君
播磨の前国司・明石入道の娘。明石に来た光源氏と結ばれ懐妊。娘はやがて中宮となる。
⑧女三の宮
朱雀院の娘。14〜15歳で光源氏の2番目の正妻となる。


[平安中期~後期の日記・随筆]

「土佐日記」紀貫之(866-945?)(男性)
「蜻蛉日記」藤原道綱母(936-995?)
「紫式部日記」紫式部 (973-1018?)
「枕草子」清少納言 (966-1025)
「和泉式部日記」和泉式部(978年頃-没年不詳)
「更級日記」菅原孝標女(娘)(1008-1059?)

「土佐日記」
平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。
日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。

*土佐日記はなぜ女性のふりをして書かれたのか
(土佐日記の冒頭文は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」というもの)
この土佐日記が書かれた平安時代中期には、日記というのは男性官人による公務の記録のことであり、漢文で書かれることが一般的だった。
一方ひらがなは当初女性によって用いられたもので、会話や和歌を描写することに長けており(和歌では男性も使用する)、紀貫之はこのひらがなの特性を活かした新しい日記文学の形に挑戦してみようという狙いで敢えて女性のフリをして書いたと考えられている。

「蜻蛉日記」
夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談について書かれている。
歌人との交流についても書いており、掲載の和歌は261首。なかでも「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首に入っている。女流日記のさきがけとされ、「源氏物語」をはじめ多くの文学に影響を与えた。

「紫式部日記」
藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部が、1008年秋から1010年正月まで宮中の様子を中心に書いた日記と手紙からなる。
全2巻で、1巻は記録的内容、2巻は手紙と記録的内容。

*紫式部はその日記に痛烈に清少納言の悪口を書いている。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人、さばかりさかちだち、まな書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬことおほかり」
「かく、ひとにことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすえうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし」
「そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ」

(清少納言は、得意顔でとても偉そうにしておりました人、あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしております程度も、よく見ると、まだたいそう足りないことが多い)
(このように、人より特別優れていようと思いたがる人は、必ず見劣りし、将来は悪くなるだけでございますので、風流ぶるようになってしまった人は、ひどくもの寂しくてつまらない時も、しみじみと感動しているようにふるまい、趣のあることも見過ごさないうちに、自然とそうあってはならない誠実でない態度にもなるのでしょう)
(その誠実でなくなってしまった人の最期は、どうしてよいことでありましょうか)

物静かで慎み深いと思われる紫式部がどうしてここまで言うのかということだが、これは清少納言がライバル関係にあったことに加え、清少納言が枕草子の中で、紫式部の夫・宣孝の金峯山詣で(派手な衣装で行ったこと)を批判的に書いたことへの意趣返しだったと思われている。
また、この人物批評部分(和泉式部についての記述もある)は、誰かにあてた手紙のような形が取られており、記録としての日記ではなく、走り書きのような手紙文が日記の中に混入してしまったものとも思われる。

「枕草子」
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆された随筆。
「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」の「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「日記章段」(日記章段)など多彩な文章からなる。
執筆時期は正確には判明していないが、1001年にはほぼ完成したとされている。
総じて軽妙な筆致の短編が多く、作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、「源氏物語」の心情的な「もののあはれ」に対し、知性的な「をかし」の美世界を現出させた。
中宮に仕える女房としての生活を踏まえた日記的章段を含みつつ、多くの話題にわたり、随筆という文学形式を確立した点で特筆される。

「和泉式部日記」
和泉式部によって記された日記で、女流日記文学の代表的作品。
1003年4月〜1004年1月までの数ヶ月間の出来事をつづる。
為尊親王との恋のため父親に勘当され、夫橘道貞との関係も冷めたものとなって、嘆きつつ追憶の日々を過ごしていた和泉式部のもとに、為尊親王の弟帥宮敦道親王の消息の便りが届く。その帥宮と和歌や手紙などを取り交わし、また数度の訪問を受けるうちにお互いを深く愛する関係となり、最終的に和泉式部は帥宮邸に迎えられる。この間の和歌の取り交わしと、この恋愛に関する和泉式部のありのままの心情描写が本作品の大きな特色。

「更級日記」
平安時代中期頃に書かれた回想録。
作者の父菅原孝標は菅原道真の5世孫。母は「蜻蛉日記」を書いた藤原道綱母の異母妹。
夫の死を悲しんで書いたといわれており、作者13歳から52歳頃までの約40年間が綴られている。
東国・上総の国府(市原郡、(現在の千葉県市原市))に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したことにより、1020年9月に上総から京の都へ帰国(上京)するところから起筆する。「源氏物語」を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教傾倒までが平明な文体で描かれている。(後世、作者は「源氏物語」のオタクとして知られるようになる)


(参考)「日記文学」

主として平安時代から鎌倉時代にかけて仮名で書かれた日記の中で、文学性のあるもの。 
日付を追って書く「土左日記」のような形式もあるが、ある時点で自己の生涯を自伝的に回想する「蜻蛉日記」のような形式が多い。 
自照性が強く、多くは女流の手になり、「紫式部日記」「更級日記」などが知られる。


(参考)[百人一首]より

09. 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
    小野小町(古今集 春 113)
35. 人はいさ心も知らずふる里は花ぞ昔の香に匂(にほ)ひける
    紀貫之(古今集 春 42)
56. あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな
    和泉式部(後拾遺集 恋 763)
57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜はの月かな
    紫式部(新古今集 雑 1499)
58. ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
    大弐三位(紫式部の娘 藤原賢子)(後拾遺集 恋 709)
59. やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな
    赤染衛門(後拾遺集 恋 680)
60. 大江(おおえ)山いく野の道の遠ければまだふみも見ずあまの橋立
    小式部内侍(和泉式部の娘)(金葉集 雑 550)
62. 夜をこめてとりのそらねははかるともよに逢坂の関は許さじ
    清少納言(後拾遺集 雑 939)

 

 

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紫式部とその時代(制度)

2024-05-17 13:25:35 | 話の種

「紫式部とその時代(制度)」


[朝廷の官職と位階]

「二官八省」
これは中国の官僚制度を模したものだが、制度をうまく回すために、日本では序列を厳しく定めていた。

「二官」
神祇官(祭祀を担当)
太政官(行政を担当)

「八省」
中務省 … 詔勅や上奏など天皇の側近として政務を担当
式部省 … 文官の人事、教育などを担当
治部省 … 外交、雅楽、葬儀などを担当
民部省 … 地方行政、財政を担当
兵部省 … 武官の人事、軍事を担当
刑部省 … 裁判、処罰を担当
大蔵省 … 租税や貢献物の管理・出納を担当
宮内省 … 宮中の庶務を担当

「官名と位階」

太政大臣 (正一位、従一位)
左大臣  (正二位、従二位)
右大臣  (ー”ー)
内大臣  (ー”ー)
大納言  (正三位)
中納言  (従三位)
参議   (正四位下)
~     ~
小納言  (従五位下)
~     ~
     (従六位下)     

*序列による差
平安時代中期からは、天皇が住む清涼殿に入ることができるのは基本的に五位以上の官人から選ばれた人たちで、この人たちのことを殿上人と呼ぶ。(但し蔵人は六位からも任じられた)
律令では五位と六位との差は収入にも如実に表れていて、奈良時代の記録を見ると、五位の収入が現在の金額に換算しておよそ3千万円なのに対し、六位はおよそ7百万円と大きな差があったようである。
三位以上と四位の参議のことを公卿と呼び、彼らが中心となって天皇を補佐して政治を行っており、朝廷の待遇もさらに厚かった。
収入は生活に直結するので、平安時代の貴族たちが高い位を求めた理由を、この待遇の違いからも見ることができる。
一方、この時代には七位以下の位階はほとんど授けられなくなり、下級官人のほとんどは六位という位階を持つことになったが、位階にともなう収入はほとんどなくなったので、特に官職に就いていない下級官人の生活は非常に苦しかったと思われる。
彼らはさまざまな儀式に参列する際に下賜されたり、有力者に仕えることでもらえる禄が主な収入源だったと思われ、そういう役も全員に行きわたるわけではないので、生活はなかなか大変だったであろうと思われる。
(ドラマでも紫式部の父為時は当初官位は最下位の従六位下でまた役職がなかったので、苦しい家族生活が描かれている。)
(為時はその後花山天皇即位の際に式部丞・六位蔵人の官位を受け、その後藤原道長の執政になった時は越前守に任じられ従五位下、そして最終的には正五位下で越後守となる。)

*蔵人は日本の律令制下の令外官(律令の令制に規定のない新設の官職)の一つ。天皇の秘書的役割を果たした。


「左大臣」「右大臣」
太政大臣と同じく律令制度の下に定められた役職。太政大臣に次ぐ位だが、太政大臣は実務を行わないため事実上の最高位ともいえる。

左大臣と右大臣は同列ではなく左大臣の方が上位。
右大臣には左大臣を補佐したり、左大臣が不在のときに代わりに政務を行ったりする役割がある。現在の日本で例えるなら、左大臣が内閣総理大臣で右大臣が副総理といえる。

「太政大臣」
太政大臣は太政官の筆頭長官。職掌はなくふさわしい人物のみが就任できる名誉職で通常表に出ることはない。適任者がなければ設置する必要はなく欠員とする。

日本初の太政大臣は天智天皇の息子の「大友皇子」で、天智天皇が任命した。
平安時代には藤原氏が太政大臣になることが多かったが、太政大臣になっても摂政・関白にならないうちは政治の実権をにぎれなかったので、太政大臣は貴族の家柄の格を表すというただの肩書になってしまった。
基本的に太政大臣に就任するのは貴族だが、平安時代末期に武家政権を樹立した「平清盛」が朝廷から武士として初めて「太政大臣」に任命された。 

(参考)

「関白」(成人している天皇を補佐する役職)

実際に政治を行うのは天皇で、関白は助言者のような立場。
関白という役職は律令で規定されたものではなくどこにも属さない自由な立場で、権限も強く実質的に政治を動かす力を持っていた。
関白はもともとは「関(あずか)り白(もう)す」の意味で、天皇に差し出される文書を天皇より先に見てから天皇に差し出すこと。884年に光孝天皇が天皇になったとき、その役目に任命された藤原基経が最初の関白にあたる。
やがて天皇が幼いときは摂政、成長後は関白をおいて政治を行わせることが習わしになり、藤原道長の子孫が摂政と関白の役職をひとりじめにすることになった。
藤原氏以外で関白になったのは、戦国時代の武将「豊臣秀吉」と息子の「秀頼」のみ。

「摂政」(天皇に代わって政務を行う役職)

幼くして即位した天皇や、女性天皇、病弱で政務ができない天皇の代行者として政治を取り仕切る。
日本で最初の摂政は、6世紀後半の「厩戸皇子(後の聖徳太子)」といわれてる。
叔母の推古天皇に能力を認められ政治を任されたもの。
皇族以外では藤原良房が、清和天皇が幼かったために任命されたのが最初。


「宮中に於ける女性の身分」

「宮中での序列」

(天皇の后と妃)
中宮(ちゅうぐう)
  皇后の別称。皇后が複数いる場合は2番目以降の者を指すことが多い。
女御(にょうご)
  皇后・中宮に次ぐ地位で、皇族や大臣の娘がなる。皇后や中宮になる予定でも、まずは女御になるのが基本。
更衣(こうい)
  女御に次ぐ地位で、大納言(だいなごん)以下の娘がなる。定員は12名。

(女官)
尚侍(ないしのかみ)
  内侍司 (ないしのつかさ:後宮十二司のひとつ) の長官。天皇の秘書のような役割で定員は2名。摂関家の娘が選ばれることが多い。
典侍(ないしのすけ)
  尚侍に次いで仕事を取り仕切る役割で、定員は4名。公卿の娘が選ばれることが多い。
掌侍(ないしのじょう)
  典侍に次いで実務を行う。定員は4名。

女孺(にょじゅ)
  下級女官で定員は100名。雑務を担当する後宮十二司の末端職員。
命婦(みょうぶ)
  天皇の儀式や神事を担当する。官位相当や定員はない。
東豎子(あずまわらわ)
  内侍司に所属する下級女官。行幸(ぎょうこう:天皇が外出すること)の際は男装してお供した。定員は3名または4名という説がある。

「女房」

女房は朝廷や身分の高い人々に仕えた女性の使用人のこと。「房」とは部屋のことで、屋敷に部屋を与えられていた。天皇に仕える女房を「上の女房」と言い、中宮に仕える女房は「宮の女房」と言う。

*女房は、仕えた主人が周りの貴族達に尊敬されたり、天皇の寵愛を受けたりするように務めることが求められので、教養や知性に優れた中流貴族の娘が女房に選ばれることが多かった。
彼女たちは、主人の身の回りの世話や読み聞かせ、話し相手などの幅広い業務をこなしていた。

*宮の女房は、多くが妃に付けられて後宮に入った妃の実家の人々。平安時代中期以降は中級貴族の娘が出仕するケースも多く、教養に優れた人材が多かった。

*女房によってひらがなで書かれた日記や随筆、物語などは「女房文学」とも呼ばれ「清少納言」「紫式部」「和泉式部」などが代表的な作者。
紫式部による「紫式部日記」や清少納言の「枕草子」、「菅原孝標女」による「更級日記」には女房として初出仕したときの様子が書かれている。

「女房の序列」

女房の階層は3つで、出身の階級によって分けられていた。

・上臈(じょうろう)
 官位:大臣や大納言の娘など、三位以上。
 職務:中宮の食事の給仕を務める役目の者、髪をすいたり化粧をしたりする役目の者、中宮を楽しませる役目の者などがおり、禁色を許されていた。
・中臈(ちゅうろう)
 官位:四~五位
 職務:女童(中宮や姫君の身の回りの世話をする未成年の少女)や下臈の女房たちの仕事を監視し、雑用もこなした。清少納言や紫式部はこの階層に属する。
・下臈(げろう)
 官位:摂関家の家司や神社の家の娘たち。
 職務:下級の女官で後宮十二司に勤務。中宮、上臈とも会話をする機会はほとんどない。

「後宮の仕事」

後宮に存在する以下12の役所が「後宮十二司」と呼ばれ、神事や食事、行事などの与えられた仕事を行う。内裏には1,000人を超える女官が仕えていたと言われてる。

内侍司(ないしのつかさ)
蔵司(くらのつかさ)
書司(ふみのつかさ)
薬司(くすりのつかさ)
兵司(つわもののつかさ)
闡司(みかどのつかさ)
殿司(とのもりのつかさ)
掃司(かにもりのつかさ)
水司(もひとりのつかさ)
膳司(かしわでのつかさ)
酒司(さけのつかさ)
縫司(ぬひとのつかさ)

*内侍司(ないしのつかさ)
人数が多かったのは内侍司で、ここは今でいう秘書室のような役割を果たしていた。
つねに天皇のそばに控えていて、お言葉の伝達などが仕事だった。

内侍司の人員構成

・尚侍(ないしのかみ)…2名
・典侍(ないしのすけ)…4名
・掌侍(ないしのじょう)…4名
・女孺(にょじゅ)…100名

尚侍には有力貴族の娘が選ばれることになっていて、平安時代には尚侍が天皇の后となるのが一般化した。実質的な内侍司の長官は典侍だったようでである。

内侍司はあこがれの職場だったらしく、清少納言は「枕草子」でたびたび話題にし、「なほ内侍に奏してなさん(ぜひとも内侍司に推薦しよう)」とほめられて喜ぶ場面もあるほど。

内裏(だいり):天皇が住む宮殿
後宮(こうきゅう):天皇の妃や女官達が住む場所

*後宮
天皇が政務を行った「紫宸殿」や、天皇の居住区・清涼殿が並ぶ「内裏」の後方(北側)にあったことからこのように呼ばれるようになった。 天皇に入内した女性達はいずれも七殿五舎の内どれかひとつを割り当てられる。
当時の後宮は仁寿殿北側にある七殿五舎の建物で構成され渡り廊下で連結されていた。
天皇の住居である内裏の北半分を占めている。
後宮というと江戸時代の大奥のように男子禁制の印象が強いが、それとは異なり男性官人や貴族が自由に出入りすることができた。


(参照)

「平安時代の貴族システム 官職と位階」(NHK)
「平安時代朝廷における女性の仕事」(ホームメイト)
「七殿五舎で暮らす平安時代の女性の身分」(ホームメイト)

 

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紫式部とその時代(人物)

2024-05-17 12:48:30 | 話の種

「紫式部とその時代(人物)」

紫式部といえば源氏物語の作者、源氏物語といえば光源氏というプレイボーイの色恋の物語ということしか知らず、また平安時代についても公家社会の軟弱な時代と言うことで、さして興味もなかったが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」が始まったことで、いろいろとその解説を見聞きするにつれ、その時代背景について俄然と興味が湧いてきた。

*NHK Eテレの「趣味どきっ!源氏物語の女君たち」(全8回)では、物語のキーパーソンとなる8人の女君の生き方を切り口に紹介、清泉女子大学文学部の藤井教授の解説付きで、取敢えずこの8人のキャラクターの背景を知っておけば大丈夫(物語の真髄が分かる)ということで、確かに(ああ、こういう内容なのかと)分かり易く面白かった。

(NHKのドラマも公家の顔が他のドラマでよく見られる眉毛を剃って上に短く描いたようなものではなく、
言葉も公家がよく使う「おじゃる言葉」かつオカマのような軟弱な物言いではなく、現代口語の日常会話のスタイルなので、すんなりと受け入れやすい。)

まず平安時代だが、厳しい階級社会・身分社会で、武力闘争はなくとも権謀術数をめぐらせた公家社会の熾烈な権力闘争、身分社会に於ける女性の立場や生き方など非常に興味深いものがあり、また藤原氏一族の天皇家との関係や繁栄の理由などについては一部学校の歴史で習ったもののうろ覚えで、認識を新たにした。

そして源氏物語については当時の朝廷・貴族社会の様子、女性の立場などをほぼ忠実に垣間見ることができ、単なる恋愛物語ではなく歴史的にも貴重な資料であることが分かった。
このようなものがよく書き残せたなと思うと同時に、作中での人間関係や生き方、それに伴う悩みや心情などは現代でも通じるものがあり、それらが素直に表現されていて、これが千年以上も前に書かれたものと思うと驚きである。

そこで今更ながらだが、この時代について当方が興味を持った、或いはドラマを見るうえで必要と思われること(背景)を「人物」「制度」「文学」に分けて整理してみた。
(NHKのドラマでは虚実入り混じっているので、史実として明らかにされているものを整理した)

(参考)NHKのドラマと史実との違いについては取敢えず下記参照
(この記事の後部に、ドラマ「光る君へ」に関連した記事のインデックスがあり、いろいろと参考になる)

「大河ドラマ「「光る君へ」は史実と違う?」(ホームメイト)


[天皇家と藤原氏一族]

[天皇家]

(61)朱雀天皇(930-946)(女御)煕子女王、藤原慶子
  (父)醍醐天皇(第11皇子)
  (母)藤原基経(摂政関白)の娘・中宮藤原穏子(やすこ)
(62)村上天皇(946-967)(女御)徽子女王、荘子女王、藤原述子、藤原芳子
  (父)醍醐天皇(第14皇子)
  (母)藤原基経(摂政関白)の娘・中宮藤原穏子(やすこ)
(63)冷泉天皇(967-969)(中宮)昌子内親王(朱雀天皇皇女)(女御)*藤原懐子、*藤原超子、藤原怤子
  (父)村上天皇(第2皇子)
  (母)藤原師輔(右大臣)の長女・中宮藤原安子(やすこ)
(64)円融天皇(969-984)(中宮)藤原媓子、藤原遵子(女御)*藤原詮子、尊子内親王
  (父)村上天皇(第5皇子)
  (母)藤原師輔(右大臣)の長女・中宮藤原安子(やすこ)
(65)花山天皇(984-986)(女御)藤原忯子、藤原姚子、藤原諟子、婉子女王
  (父)冷泉天皇(第1皇子)
  (母)藤原伊尹(摂政太政大臣)の娘・冷泉天皇の女御藤原懐子(ちかこ)
(66)一条天皇(986-1011)(皇后)藤原定子(中宮)*藤原彰子(女御)藤原義子、藤原元子、藤原尊子
  (父)円融天皇(第1皇子)
  (母)藤原兼家(摂政関白太政大臣)の次女・円融天皇の女御藤原詮子(あきこ)
(67)三条天皇(1011-1016)(皇后)藤原娍子(中宮)藤原妍子
  (父)冷泉天皇(第2皇子)
  (母)藤原兼家(摂政関白太政大臣)の長女・冷泉天皇の女御藤原超子(とおこ)(贈皇太后)
(68)後一条天皇(1016-1036)(中宮)藤原威子
  (父)一条天皇(第2皇子)
  (母)藤原道長(摂政太政大臣)の長女・一条天皇の中宮藤原彰子(あきこ)
(69)後朱雀天皇(1036-1045)(皇后)禎子内親王(中宮)藤原嫄子(女御)藤原生子、藤原延子(東宮妃)*藤原嬉子
  (父)一条天皇(第3皇子)
  (母)藤原道長(摂政太政大臣)の長女・一条天皇の中宮藤原彰子(あきこ)
(70)後冷泉天皇(1045-1068)(皇后)藤原寛子、藤原歓子(中宮)章子内親王
  (父)後朱雀天皇(第1皇子)
  (母)藤原道長(摂政太政大臣)の六女(道長・倫子夫妻の末娘)、後朱雀天皇の東宮妃藤原嬉子(よしこ)(贈皇太后)
  (*紫式部の娘大弐三位が後冷泉天皇の乳母)

[藤原氏一族]

藤原兼家(摂政・関白・太政大臣)*(正室)藤原時姫、(室)藤原道綱母(蜻蛉日記の作者)、他
藤原道隆(兼家の長男)(摂政・関白・内大臣)*母は時姫
藤原道綱(兼家の次男)(大納言)
藤原道兼(兼家の三男)(関白右大臣・太政大臣)*母は時姫
藤原道義(兼家の四男)(治部少輔)
藤原道長(兼家の五男)(摂政・太政大臣)*母は時姫 *妻は源倫子(正室)、源明子、他
藤原超子(とおこ)(兼家の長女*母は時姫、冷泉天皇の中宮)*三条天皇の生母
藤原詮子(あきこ)(兼家の次女*母は時姫、円融天皇の中宮)*一条天皇の生母
源倫子(ともこ)(道長の正室、父は左大臣源雅信、母は正室藤原穆子)
源明子(あきこ)(道長の妻、父は左大臣源高明、母は藤原師輔娘の愛宮)
藤原通頼(道隆の長男)(権大納言)
藤原伊周(道隆の三男)(内大臣)*名前は(これちか)
藤原頼通(道長の長男)(摂政・関白・太政大臣)*母は倫子
藤原教通(道長の五男)(関白・太政大臣)*名前は(のりみち)*母は倫子
藤原定子(さだこ)(道隆の長女、一条天皇の皇后(中宮))
藤原彰子(あきこ)(道長の長女*母は倫子、一条天皇の中宮)*後一条天皇、後朱雀天皇の生母
藤原姸子(きよこ)(道長の次女*母は倫子、三条天皇の中宮)
藤原威子(たけこ)(道長の三女*母は倫子、後一条天皇の中宮)
藤原嬉子(よしこ)(道長の六女*母は倫子、後朱雀天皇の東宮妃)*後冷泉天皇の生母
藤原寛子(ひろこ)(頼通の長女、後冷泉天皇の皇后)

*平安時代の女性の名は、教科書などでは音読みで記載されることが多いが(詮子(せんし)、彰子(しょうし)、定子(ていし)など)、これは同じ名前がいくつもでてくるので、明治以降、便宜的に音読みが使われ、一般にも広がったようで、当時は訓読みで呼ばれていた可能性が高いらしい。(いくつかの例でそれが示されている)

[藤原道長]
平安時代の最高権力者藤原道長は、その絶頂期に娘四人を相次いで宮中に送り込み「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という和歌を詠んだことで有名。 
道長の長女彰子に仕えたのが紫式部。 源氏物語の主人公、光源氏のモデルは道長で、物語はその栄華の世界の写しと言われている。

[藤原氏について]
(ドラマでも姓は藤原氏ばかりで混乱するが、そのルーツは次の通り)

古代の代表的な氏名、源氏・平氏・藤原氏・橘氏(四姓「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」)の一つ。摂関政治を行った貴族。初め中臣(なかとみ)氏といい、大和朝廷の神事を司った。中臣鎌足が中大兄皇子(後の天智天皇)とともに大化改新(645年)の大業をなし、天智天皇より藤原朝臣の姓を賜ったことが藤原姓の始まり。藤原不比等の娘宮子が文武天皇妃として聖武天皇を生んだ。このことから皇室の外戚としてその力を確固たるものとした。不比等の子孫だけが藤原姓を許され、その4子が藤原四家(南家、北家、式家、京家)の祖となった。なかでも北家が藤原氏の主流となり、摂政・関白の地位に就いた。全盛を迎えたのは11世紀藤原道長・藤原頼通のころになる。
氏神は春日大社、氏寺は興福寺。

(参照)

「確かめよう、日本の歴史/藤原道長の家系図」(静岡県総合教育センター)
「藤原道長の家系図と年表」(ホームメイト)

[紫式部]

天延元年(973年)生まれ。(諸説あり)
藤原北家良門流の越後守・藤原為時の娘で、母は摂津守・藤原為信女。幼少期に母を亡くしたとされている。(父の藤原為時は官位は正五位下と下級貴族ながら、花山天皇に漢学を教えた漢詩人・歌人)
996年越前守になった父の赴任に同行、998年父を越前に残して京に戻り、遠縁で又従兄妹でもある山城守・藤原宣孝(20歳ほど年上で既に数人の妻と子もいた)と結婚し一女を産んだ。しかし結婚から3年ほどで夫と死別し、1002年頃から「源氏物語」を書き始めた。
1005年頃に評判を聞いた藤原道長に召し出され、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)に仕える間に、藤原道長の支援のもと「源氏物語」を完成させた。


「女房となった女性の名前の由来」

[紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門]

紫式部: (973-1018)46歳没(諸説あり)
紫式部は通称(宮廷での女房名)で、元は「藤式部」(「藤原式部の女(娘)」の略称で、藤原は父親の姓、式部は父親の役職)だが藤式部という女房名は特に珍しい物ではなかったので、彼女の作品の源氏物語の登場人物である「紫の上」にちなんで、人々の間で「紫式部」とよばれるようになったと言われている。(一条天皇の中宮彰子に仕えた)

清少納言: (966頃-1025頃)60歳没?
清少納言は通称(宮廷での女房名)で、「清原少納言の女(関係者)」の略称。「少納言」については諸説あるが、家系(先祖、平安時代初期)に清原有雄という少納言(役職)がいたので、その先祖にちなんで付けられたと説が分かり易い。(一条天皇の中宮定子に仕えた)
読み方は(せい・しょうなごん)

和泉式部:(978年頃-1019年頃)42歳没?(没年不詳)
夫橘道貞(後に離婚)が和泉守、父大江雅致が式部省の官僚(式部丞)だったことからきた女房名。(一条天皇の中宮彰子に仕えた)

赤染衛門:(956年頃-1041年以後)85歳没?(没年不詳)
父が赤染時用で衛門府の官僚(右衛門志)だったことからきた女房名。(一条天皇の中宮彰子に仕えた)

(参考)
清少納言は一条天皇の中宮定子に仕え、紫式部は中宮彰子に仕えたので政敵ともいえるライバル関係にあったが、後宮における両者の活動時期には少しのズレがあったので、直接の面識はなかったのではと思われている。(ドラマでは会って話をしているが)


「女性名について」

紫式部、清少納言などのように官位を受けていない女房などは、通称として、姓は父親の名前(苗字)から一字とり、次に家族・親族で最も位の高かった位階を付けることが多い。
ではこれらの人たちの本当の名前は何かということだが、官位がないために正式に文献に記載されていないので分からない。
(*紫式部はドラマでは「まひろ」と呼ばれているが、これはドラマ創作上の名前)
一方、官位がある女性は、官位をもらう際に名前を届けるので、朝廷の公式文書に記載されることになる。

また、それ以外の女性については、例えば蜻蛉日記の作者は藤原道綱母、「更級日記」の作者は菅原孝標女(娘)というように父親あるいは息子との関係を示して文献上に表記されている。

女性で名前が残るのは次のような場合である。

1.歴代天皇の后妃たち
正式に天皇の后妃となった女性は朝廷の公式文書にその名を残す必要があったので、必ず本名を明かさなければならなかった。
(定子、彰子など)

2.神に奉仕した女性たち
伊勢神宮の斎宮や賀茂神社の斎院がこれに相当する。
未婚の内親王あるいは女王が選ばれて当代の帝の世のために神に奉仕した。
(恬子内親王、選子内親王など)

3.身分高き女性たち
例えば源倫子だが、この人は藤原道長の妻だったというだけで無く、後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の祖母になり、朝廷から従一位という最高の位を戴いたので、公式の記録に残っている。
その他、摂関家をはじめとする由緒ある貴族の場合は、その家系図を作る上での必要性から妻や娘の名前も記録に残したものと考えられる。

(参考)
源氏物語に出てくる「女三宮」だが(物語での架空の人物かつ主要人物)、朱雀帝の第三皇女で、名前ではなくこのように表記されている。(女は娘の意味で、三番目の宮様ということ)

*「宮・上・君」の使い分け(源氏物語)

宮:性別に関係なく中宮、親王、内親王に用いられる。
上:性別に関係なく高貴な人に用いられる。
君:性別に関係なくある程度高貴な人に用いられる。(「上」よりも下位、もしくは親しみのある関係に用いられる。)

(参考)女性の名前が不詳な理由

日本の歴史において、有名な女性でも名前が伝わっておらず不明なことが多い。
なぜ、女性の名前が不詳であり分かっていないのか。

まず、男性も女性も同様に、名前が無かったと言う事はあり得ない。
平安時代の女性にも、当然「名前」、つまり実名・諱(忌み名)・個人名があったはずである。
ただ、この頃は女の子の名前は身内(家族)だけで言っていたと理解する方が分かり易いかも知れない。

人の妻となった女性を他の者が名前で呼ぶのが失礼な時代で、その女性の夫は当然、妻のことを名前で呼んでいただろうが、しかし、周囲の人間や友人などは、他人の妻である女性を名前で呼ぶのはタブー(失礼)だったとされていた。また女性が他人、特に男性に本当の名前を知られるというのは、その人に自分のすべてを支配されることを意味すると言う観念もあったこともある。

(参考)平安時代の女性の名前の読み方については下記参照

「第48話  斎宮百話 女性に名前をたずねるなんて…」(斎宮歴史博物館)

(参考)女性の名前に「子}が多い訳

昔は「子」という字は男性名に用いられており、中国の孔子,孟子,韓非子や日本の小野妹子や蘇我馬子などがその例。
「子」という文字が女性の名前に用いられるようになったのは平安時代からで、嵯峨天皇が自身の娘たちに「子」の付く名前を授けたことが由来であるとされている。
それを機に、「子」という字は高貴な女性の名前に使われるようになり、時代を経るにつれ一般の女性にも使用されるようになった。

*平安時代初期、嵯峨天皇(第52代天皇、786-842)が皇女の命名を改めた時、内親王には「子」を付けて、臣籍降下した皇女は「姫」とした。
現在の天皇家にもこの命名法が引き継がれている。

(Yahoo!知恵袋回答より)
(嵯峨天皇には子供が50人もいたために全員を皇族としておくのは難しく、男子女子ともに大量の臣籍降下を行った。(天皇1人,男性皇族4人,女性皇族12人,臣籍降下男性18人,臣籍降下女性15人)。つまり33人を臣籍降下。
このときに臣籍降下に伴い男子女子ともに全員に源姓を賜った(嵯峨源氏)。そして皇族女子には全員に[子]の字を与え,臣籍降下した女子には全員に[姫]の字を与えた。(男子は皇族は2文字名前,臣籍降下した男子は1文字名前とした))(Yahoo!知恵袋回答より)


(参考)「平安時代/有名女性の結婚年齢」(推定)

源倫子  (24歳頃)
清少納言 (16歳頃)
紫式部  (26歳頃)
和泉式部 (18歳頃)
赤染衛門 (20歳頃)
藤原道綱母(19歳頃)
菅原孝標女(33歳頃)
中宮定子 (14歳頃)
中宮彰子 (12歳頃)

*年齢は数え年

 

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トヨタの最高益決算について思うこと

2024-05-11 10:38:00 | 話の種

「トヨタの最高益決算について思うこと」

今月8日にトヨタ自動車の2024年3月期の決算発表があった。
それによると営業利益が前期比96%増の5兆3529億円で過去最高を更新し、日本企業で初めて5兆円台の大台に乗せたとのこと。(ちなみに純利益は4兆9449億円(前年比101.7%増))

この空前の好決算の要因は、大幅な円安、HV販売が好調だったこと、そして値上げによるものとのことだが、この決算数字を見て、どうにも釈然としないものを感じた。
このような膨大な利益を上げることが出来るのならば、その前にもっとすべきことがあったのではないかと。つまり下請けである中小企業への利益還元である。

このように思ったのは私だけではないようで、確か日本商工会議所の小林会頭だったと思うが、同じようなことを述べており、トヨタが来期決算予想の減益要因の一つとして仕入れ先や販売店の労務費の負担を掲げたことについても、何を今更と暗にトヨタを批判していた。

トヨタは今年の春闘でも組合の要求に対して4年連続で満額回答しているが、下請け業者への対応はどうだったのだろうか。

ここで思い起こされるのは、今年3月7日になされた日産自動車に対する公正取引委員会の勧告である。
日産自動車が下請け業者への納入代金を一方的に引き下げたとするもので、この時違法と認定された減額は過去最高となる30億円超だったとのこと。
このような大企業による「下請けいじめ」は以前から問題視されていたが、特に自動車業界では「悪しき慣行」として長年に渡り定着してしまっている。

(参考)昨日(5/10)のTV東京のWBSの報道によると、この公取委の勧告にもかかわらず今でも日産の下請けいじめはまだ続いているとのこと。(2社からの告発を紹介していた)

2022年12月末、公正取引委員会は下請け業者と協議せずに取引価格を据え置くなどしたとして13の企業・団体名を公表したが、この中にはトヨタ系列のデンソーと豊田自動織機の2社が含まれていた。

(参考)社名を公表された企業・団体:
佐川急便、三協立山、全国農業協同組合連合会、大和物流、デンソー、東急コミュニティー、豊田自動織機、トランコム、ドン・キホーテ、日本アクセス、丸和運輸機関、三菱食品、三菱電機ロジスティクス

話をトヨタに戻すと、ネット上に次のような記事があった。
これ迄述べてきたことと重複する部分もあるが、いろいろと参考になるので記事の全文を記しておく。(ZERO Management)

「トヨタ 部品価格の上昇を認める 4兆円の最高益を支える産業ピラミッドを維持できるか」
(2024.02.21)

 トヨタ自動車は2024年4月から部品価格に労務費上昇分の上乗せを認める方針を明らかにしました。2年前の2022年4月、部品メーカーに対し素材やエネルギー費の高騰に伴うコスト上昇分の加算を認めており、原価低減一本槍だった部品調達政策の軌道修正を加速します。しかし、下請けメーカーの間では価格転嫁できないとの不満が多く、実効性に疑問符も。トヨタが稼ぐ4兆円超の利益は系列部品メーカーで形成される産業ピラミッドが源泉。本当にコスト上昇分を部品に転嫁できるか。今、「最強トヨタを維持できるか」も試されているのです。

[最強トヨタの源泉は部品メーカーの力]
 トヨタは年2回、半期ごとに取引する部品メーカーと調達価格を交渉しています。もっとも、交渉といってもトヨタから部品の値下げが指示され、値上げ要請はほとんど通りません。値下げの理由は部品を生産する金型や機械などの減価償却、生産効率のアップなど。「部品の原価は低減している」を盾に毎回、数%の値下げを実施するのが通例でした。

 自動車メーカーは、1台あたり3万〜5万点の部品を組み合わせて仕上げます。部品の単価がわずか下がるだけでも、全部品に値下げが反映されれば1台あたりの利益は大きく増えます。カンバン方式に代表される工場の生産性の高さとともに、系列部品メーカーを軸にした原価低減が日本最大の利益を計上するトヨタの強さを支えています。 

[部品の価格転嫁は絵に描いた餅?]
 4月から認める労務費上昇分の反映は、政府が求める賃上げ政策に呼応する形となります。今春闘でトヨタ労組が大幅な賃上げを求めているわけですから、取引する部品メーカーも自社の従業員に対し賃上げを実施しなければいけません。本来なら、トヨタから労務費上昇分を認めるというお墨付きをもらう筋の事案ではありませんが、過去の交渉を振り返れば、トヨタ系列大手のデンソーやアイシンならともかく、2次や3次の下請けメーカーが値上げを要求できることは稀。値上げを求めても、目の前の大量受注を逃してしまったら中堅・中小の部品メーカーは空を見上げるしかありません。

 部品メーカーは価格上昇分がすんなり転嫁できるのでしょうか。1年前、こんな”事件”がありました。2022年12月末、公正取引委員会は下請け企業とコスト上昇について交渉しなかった13の企業・団体を公表しました。独占禁止法の「優越的地位の乱用」に該当する恐れがあり、違反を認定しているわけではないものの、下請け企業が求めなくても取引上優位な発注企業が主導して中小企業の経営を改善させるのが狙いと説明しています。

[公取委はデンソー、豊田織機に是正を求める]
 その13社・団体にトヨタグループからデンソーと豊田自動織機の2社が含まれていました。トヨタは2022年4月から鋼材やエネルギーコストの上昇分を反映することを認めていましたが、2次下請けなどとの価格交渉の進捗度合いはどうだったのでしょうか?公取委は「優越的地位の乱用」を認め、デンソーと豊田自動織機に是正を求めていますから、下請けとの価格交渉は難航し、公取委に駆け込んだメーカーもあったのでしょう。

 デンソー、豊田自動織機はトヨタ系列の代表選手です。この2社が下請けとの価格転嫁を受け入れていないということは、他の系列大手も同様の対応だったのかもしれません。トヨタが部品の調達方針を変更し、値上げを認めるといっても、本気で価格転嫁を認める考えだったのか?首をかしげざるを得ません。

[価格転嫁の本気度が問われる]
 トヨタは2023年3月期で3兆円近い営業利益を計上し、デンソー、豊田自動織機も好収益を上げています。同じ期間、トヨタ、デンソー、豊田自動織機は下請けからの値上げを飲む余力は十分にあったにもかかわらず、拒んでいたとしたらトヨタグループの高収益をどう理解してよい良いか。「建前と本音が違うのはビジネスの常套句」。納得するわけにはいきません。

 トヨタはそれから1年後、2024年3月期の連結純利益が前期比84%増の4兆5000億円になりそうだと発表しました。最高益の更新は2年ぶり。好業績の背景には車の機能向上に伴う値上げ、ハイブリッド車などの採算上昇、生産台数の増加、円安が貢献しています。このうちハイブリッド車の採算向上は長年生産しているメリットである原価低減が含まれています。まさに部品メーカーのおかげです。トヨタが本気で自らを支える産業プラミッドを死守しようとするなら、今度こそ身を切る覚悟が必要です。

[トヨタグループへの警鐘は鳴り続けている]
 警鐘はもう何度も鳴っています。日野自動車、ダイハツ工業、豊田自動織機の相次ぐ不正認証、デンソーが開発・生産した燃料ポンプのかつてない規模のリコール。最高益の舞台裏で、トヨタグループが軋み、傷み始めています。帝国データバンクによると、トヨタと取引する企業は4万社近いそうです。産業ピラミッドが1度崩れたら、2度と元には戻りません。エンジンから電動化への転換期にある自動車産業です。部品メーカーが消えたら・・・。トヨタに4兆円の利益に浮かれている余裕はまったくありません。

(記事URL)https://from-to-zero.com/zero-management/toyota4trillionpyramid/

 

以上だが、更に付け加えるなら、トヨタの内部留保は2014年3月期は14兆円だったのが2023年3月期には28兆円と、この10年間で倍に膨れ上がっている。
この内部留保については「年功序列と成果主義」のところでも触れたが、企業が如何にお金を貯めこんでいるかの象徴であり、大企業ほどこの貯めこみの傾向が強い。
賃上げがなかなか進まないのもこのためであり、今年になってようやく大企業では労組の要求に対して満額回答をするところも見られるようになったが、言い換えればそれだけ余裕があったということになる。
しかしこれはあくまでも大企業での話で中小企業にはその余裕はなく、その理由は上記で述べられた日本の産業構造、下請けいじめに由来するといえる。

 

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半導体業界の構図と企業

2024-04-28 02:02:50 | 話の種

半導体業界の構図と企業

(株式投資の参考のために作成したもの)

IDM (Integrated Device Manufacturer)
 (垂直統合型の半導体メーカー。半導体デバイスの設計、製造、販売までを一貫して行う企業)
 インテル(米)(MPU(超小型演算処理装置)、NORフラッシュ、GPU、SSD、チップセット)
 サムスン電子(韓)(メモリ(DRAM、NANDフラッシュ)、イメージセンサー)
 SKハイニックス(韓)(メモリ(DRAM、NANDフラッシュ))
 マイクロン・テクノロジー(米)(メモリ(DRAM、NANDフラッシュ、SSD))
 テキサス・インスツルメンツ(米)(DPS(デジタル信号処理装置)、MCU(超小型制御装置))
 キオクシア(日)(メモリ(NANDフラッシュ))
 ソニー(日)(イメージセンサー)

*(ルネサスエレクトロニクス)
日立、三菱電、NECの半導体が統合。MCU(超小型制御装置)を製造。車載マイコン世界首位級。米英3社を計1.7兆円で買収。

*(キオクシア)
キオクシアホールディングスを持株会社とするフラッシュメモリ・SSD事業のリーディングカンパニー。1987年に世界初の NAND型フラッシュメモリを発明し、また 2007年には世界で初めて 3次元フラッシュメモリ技術を公表・量産化する。2017年4月に、経営危機にあった東芝から稼ぎ頭の半導体メモリー事業を分社化し「東芝メモリ」を設立。2018年6月に同社を米ベインキャピタルに売却し東芝グループを離脱、社名を「東芝メモリホールディングス」とするが、2019年10月に更に「キオクシア」に変更。しかし経営不振は続き2023年12月20日をもって上場廃止となる。

ファブレス (Fables)
 (製造工場を持たず、半導体の開発、設計に特化した企業)
 クアルコム(米)(スナップドラゴン(ARMベースのCPUアーキテクチャ、モバイルSOC)
 ブロードコム(米)(無線(ワイヤレス、ブロードバンド)、通信インフラ)
 エヌビディア(米)(GPU(画像処理専用プロセッサ)、モバイルSOC、チップセット)
 メディアテック(台)(スマートフォン向けプロセッサ)
 AMD(米)(組込プロセッサ、コンピュータ、グラフィックス、MCU)

*(ソシオネクスト)
富士通、パナソニックのロジック半導体が統合。ファブレスで先端品供給。データセンターや自動車向け。

EDA (Electronic Dsign Automation) ベンダー
(電子設計を自動化するためのハードウェア、ソフトウェアを提供する企業)
 シノプシス(米)
 CDS(米)

IP (Intellectual Proprty) ベンダー
(半導体が使用される用途や分野に向けてIP(設計資産)を開発、保有し提供する企業)
 ARM(英)
 シノプシス(米)

ファウンドリー (Foundry)
 (半導体製造の「前工程」を請け負い、顧客の設計データに基づいた受託生産をする企業)
 TSMC(台)
 サムスン電子(韓)
 グローバル・ファウンドリーズ(米)
 SMIC(中)
 UMC(聯華電子)(台)

*(ラピダス)
2022年8月、日本政府及び主要企業8社の支援を受けて設立(キオクシア、ソニー、ソフトバンク、デンソー、トヨタ自動車、NEC、NTTが10億円ずつ、そして三菱UFJ銀行が3億円出資)。2023年9月に北海道千歳市で半導体工場を着工。2025年4月にパイロットラインを稼働し、2027年に量産を開始する計画。
最終的にはプロセス・ルールが2 nm以下の先端ロジック半導体の開発・量産を行うことを目指し、ファブレスの半導体メーカーから委託されて半導体の受託生産を行うファウンドリになることを目的とする。

OSAT (Outsourced Semiconductor Assembly and Test)
 (半導体製造の「後工程」を請け負い、作業、テストを行う企業)
 ASE(台)
 アムコー・テクノロジー(米)

*半導体製造の「前工程」「後工程」の「装置メーカー」「材料メーカー」については別掲。
(「半導体の製造工程と日本の関連企業」)

(参考)大手IT企業が作っている主要な半導体チップ
(これらの企業はもっぱら自社製品に使用する目的で半導体を開発していて、外販はほとんどしていない)

 グーグル(米)(機械学習用プロセッサTPU(テンソル処理装置))
 アップル(米)(アプリケーションプロセッサ)
 メタ(フェイスブック)(米)(AI(人工知能)用チップ)
 アマゾン(米)(AI(人工知能)用チップ)
 シスコシステムズ(米)(ネットワークプロセッサ)
 ノキア(フィンランド)(基地局向け半導体)

(参考)主要企業概要

インテル(Intel Corp):
世界最大規模の半導体メーカー。半導体チップ、フラッシュメモリ、グラフィックチップ、コネクティッドデバイス等の設計・製造・販売を手掛ける(フラッシュメモリ事業については2020年10月、韓国SKハイニックスへの売却を発表)。
PC向け中央演算処理装置(CPU)市場で大きなシェアを占め、デル、レノボ、HPなど主要メーカーに提供する。PCが主要端末だった時代以降、モバイル向け半導体に出遅れて苦戦を強いられたものの、クラウド向け需要が増えたサーバー用製品に注力するなど他分野で活路を模索してきた。事業テコ入れに着手。20年2月、最高経営責任者としてVMウエアのパット・ゲルシンガー氏を招聘した。21年3月には、新戦略「IDM2.0」を公表。ファウンドリー事業への参入を発表したほか、アリゾナ州に工場2カ所を建設する計画(最大200億ドル規模)などを明らかにした。(2024/03/26)

AMD(Advanced Micro Devices Inc):
グローバルな半導体会社。カリフォルニア州を拠点とし、半導体の設計・開発を手掛ける。
グローバル・ファウンドリーズ(GFS)社やTSMCなどのファウンドリに半導体製造を委託している(GFSはアブダビ政府系ムバダラ社と合弁で設立したが、2012年に出資を引き揚げ)。産業用組み込み式製品、ゲーム機用セミカスタム製品など法人向けエンタープライズ事業を展開するほか、PCやノートPC、サーバー向けCPUやGPU、APUなどの製品も手掛ける。17年以降、新アーキテクチャに基づくデスクトップ向けCPU「Ryzen」、サーバー向けCPU「EPYC」、GPU「Radeon」の新製品を相次いで投入した。22年2月には、半導体FPGA大手ザイリンクス(XLNX)の買収を完了。データセンター向けや自動車向けなど成長分野の事業強化を図る。(2024/03/25)

エヌビディア(NVIDIA Corp):
画像処理用のGPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)を開発し、主にゲーム向けやデータセンター向けとして製造・販売する。
1999年にPCゲーム市場向けにGPUを発明して以降、コンピュータグラフィックス(CG)処理を向上させ、並列コンピューティングに革新をもたらした。「Turing」や「Ampere」、「Hopper」など新アーキテクチャを発表し、製品性能を向上させている。ここ数年は、GPUによるディープラーニングが人工知能(AI)開発の起爆剤に。PCに加え、ロボット、自動運転車などの中枢にも製品が採用された。M&Aで業容を拡大。2020年4月、通信機器大手メラノックスを約70億ドルで買収している。生成AIブームが追い風。生成AIアプリ等の学習・推論に対する世界的な需要拡大を受け、23年にクラウドサービス企業(CSPs)向け製品の販売が急増した。(2024/03/26)

*ARM(Arm Holdings plc):半導体の知的財産(IP)会社。
高性能・低コスト・高エネルギー効率の「Arm CPU」を設計し、世界的な半導体大手などに同IPや関連技術をライセンス供与している(CPU設計が複雑化する中、最新CPUをゼロから設計する企業はない)。
同社の技術は消費電力の抑制に優れ、スマートフォン向けチップの99%超で使われてきた。現在ではスマホのほか、データセンターや車、スマートウォッチやドローン等にも利用されている(累計出荷数は2500億個超)。2023年度時点で「Armベースチップ」の出荷企業数は260社超。IT大手のアマゾンやアルファベットなど、半導体大手のAMD、インテル、エヌビディアなどが名を連ねる。1998年から2016年まで英国・米国で上場していたが、ソフトバンク(SBG)により非公開化。23年9月に米ナスダックへ再上場することになった。中国事業にリスクも。同市場へのアクセスは、独立運営されているアームチャイナとの商業的関係に依存する。(2024/03/25)

*TSMC (Taiwan Semiconductor Manufacturing Company, Ltd.)(台湾積体電路製造股分有限公司):
垂直統合型が主流だった半導体業界にあって、初めて専業ファウンドリー(工場)ビジネスを確立した。
顧客から提供された独自設計に基づき、多種多様な集積回路(IC)を製造する。売上高のうち、ウエハー製造が約88%を占める(残りはパッケージングやテストサービスなど)。台湾に14カ所、米国に1カ所、中国本土に2カ所の工場を構え(24年には日本でも熊本工場を開所)、AMD、ブロードコム、インテル、メディアテック、エヌビディア、NXP、クアルコムをはじめとする数百社の顧客に1万1895種の製品を提供する(23年末時点)。微細化競争で業界トップ。19年、最先端のEUV露光装置を用いた7nmプロセス(N7+)の商用化に業界で初めて成功し、20年に5nmプロセス、22年に3nmプロセスの量産を開始している。(2024/04/08)

(参考)主要製造装置メーカー

ASML(ASML Holding NV):
欧州のハイテク拠点、オランダのフェルトホーフェンに本社を置く半導体製造装置メーカー。
1984年に設立されたフィリップスとASMインターナショナルの合弁会社「ASM Lithography」を前身とし、シリコン上に回路パターンを大量に焼き付けるリソグラフィー(露光)装置を製造・販売する。主要製品は、最先端の極端紫外線(EUV)露光装置、KrF光源やArF光源を用いた遠紫外線(DUV)露光装置、計測・検査装置など。世界で唯一、EUV露光装置を製造している。2012年に主要顧客の米インテル、台湾TSMC、韓国サムスンと共同投資契約(CCIP)を結び、EUV技術の投資・開発を進めた。13年に米サイマー(Cymer)を買収し、EUV開発を加速。16年には半導体検査装置の台湾HMIを傘下に収めた。現在は販売の軸足を「ArF液浸露光装置」から「EUV露光装置」に移行中。EUV装置の23年販売台数は53台となっている(22年:40台、21年:42台)。(2024/03/25)

AMAT(Applied Materials Inc):
世界最大規模の半導体製造装置メーカー。
多様な半導体チップの製造工程を幅広くカバーし、成長が見込まれる分野・企業に製品を納入している。ディスプレイ製造装置、大型ガラス基板用薄膜装置、結晶シリコン太陽電池の製造装置を販売するほか、コンシューマ向け機器(TV、タブレットPC、スマートフォンなど)に用いられる液晶、有機ELディスプレイ製造の分野・企業にも技術を提供する。半導体、ディスプレイ、太陽電池関連のメーカーにも、自動化ソフトウエア・ソリューションを提供。米国、中国、イスラエル、シンガポール、ドイツ、台湾に生産拠点を置き、欧州、北米、アジアに販売・顧客サポート拠点を構えている。同業M&Aを断念。2019年に旧日立製作所系のコクサイ・エレクトリックの買収を発表したが、21年3月の期限までに中国当局からの承認が得られず断念した。(2024/03/25)

KLA(KLA Corp):
シリコンバレーに拠点を置く、半導体検査・測定装置の開発・製造企業。
ウェハー、レチクル、集積回路、パッケージング、PCBなどの検査・測定、プロセス制御など生産性向上のための各種機器・ソリューションを提供している。レチクル検査装置の分野で強みを持つ。主な製品はフォトマスク欠陥検査装置、ウェハー形状測定装置・ウェハー欠陥検査システム、パターニング制御システム、データ解析(歩留まり管理)システムなど。各製品分野での競合企業はアプライド・マテリアルズ、ASML、日立ハイテクノロジーズなど。世界18地域に約1万5000人の従業員を擁する(2023年6月時点)。(2024/01/15)

 

 

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「もしトラ」について

2024-03-25 13:04:53 | 話の種

「もしトラ」について

朝日新聞に「「もしトラ」報復のシナリオ」と題する記事があった。
これは米国大統領選挙についての連載記事の第二部「トランプ再来」と題された記事の最初の表題だが、記事を読んで恐ろしさを感じた。
このような人物が本当に大統領になるようなことがあるのだろうか。(実際前々回はあったのだが)

記事の要旨を抜粋してみると、

・「皆さま! 米国の次期大統領、ドナルド・J・トランプの登場です」
「11月5日は勤勉な米国民にとって新たな『解放記念日』となる」。トランプ氏はそう言うと、続けた。「だが今の政府(バイデン民主党政権)を乗っ取っているウソつきや詐欺師、検閲官、ペテン師たちには『最後の審判の日』になるのだ」

・もしトランプ氏が再び大統領になったら――。日本のメディアでも「もしトラ」という言葉が流行し、米国でも「第2次トランプ政権」を予期する報道が増えた。国境を封鎖して移民を追放し、短期的な利益を優先した「ディール(取引)」外交を繰り広げる――。政策面は「第1次」政権の延長線上にも映る。だが今回は2016年や20年の大統領選にはなかったテーマを掲げている。「報復」だ。

・「不当な扱いを受け、裏切られた人々へ――私は皆さんに代わって『報復』を果たす」。自らを「魔女狩り」の「被害者」だと演出するトランプ氏に支持者は共鳴している。

・「選挙が盗まれた」という自らのウソを棚に上げ、現政権を「ウソつき」と非難し、「審判」を宣言する――。トランプ氏の政治宣伝には論理の転倒がある。議事堂襲撃事件で現実の暴力を生み出したことを踏まえれば、危険性は明らかだ。

・いま、トランプ氏は「公約」として「ディープステート(影の政府)」の解体を掲げる。米政財界の特権階層やメディアがひそかに世界を動かしている、という陰謀論を背景とした言葉だ。より専制的な性格を強めた「第2次」では、トランプ氏が司法機関を掌握してバイデン政権の関係者を刑事訴追する、といった観測まで出始めた。

そして記事はかつてトランプ政権の戦略立案者だったバノン氏への取材記事を次のように記している。
(バノン氏は前回の大統領選をめぐり「トランプ氏の勝利が盗まれた」と根拠のない宣伝を重ね、主要なSNSから排除された人物)

「冗舌な語り口で」

「第2次トランプ政権」に話を向けると、トランプ氏を代弁するように冗舌に語り始めた。
「彼はまず『侵略』の問題に取り組む。初日にはメキシコとの国境を封鎖するだろう」
「日本がよい関係を築きたければ、トランプ氏がフェアだと考える貿易の『ディール(取引)』に取り組むことだ」

いずれも、「第1次」のトランプ政権を思い起こさせる言葉だ。ただ、今回の取材で特にバノン氏が強調したのが、トランプ氏が「ディープステート(影の政府)の解体に即座に着手する」ということだった。

米政府の職員を、過去に例のないほどの規模で「総入れ替え」する――。それがトランプ氏の構想だという。大統領の権限で任命できる政府職員を現在の4千人から5万人に増やし、「十数万人に上る契約職員を全廃する」と予測した。

トランプ氏が問題視する「影の政府」の中核としては、米軍を統括する国防総省、中央情報局(CIA)などの情報機関、司法省などの法執行当局を列挙した。「特にFBI(連邦捜査局)に目を向けるだろう。FBIを完全に閉鎖し、予算もゼロにしてしまえばいい。警察は州ごとにあれば十分だ」。そう、バノン氏は言い放った。

四つの事件で起訴されたトランプ氏は、捜査機関を敵視し、陰謀論を背景とした「影の政府」の批判を重ねてきた。その「解体」は、実態としては大統領の権力を使った恣意(しい)的な「報復」にもつながりかねない主張だ。

トランプ氏は前政権末期の20年10月、政策決定に関わる職員を「スケジュールF」という区分に振り分ける大統領令を出した。「F」に分類されると雇用保証を与えられず、解雇しやすくなる。大統領選でトランプ氏が敗れたため、この施策は頓挫した。だがトランプ氏は、再び大統領になれば実行に移すと公約している。「F」に分類され、入れ替えの対象になり得るのが5万人程度とみられている。

「専制主義体制」

米アメリカン・エンタープライズ研究所のジョン・フォルティエ氏は、「第2次」の可能性を見据え、人材供給の準備も進んでいると指摘する。トランプ氏に近い連邦議員や州知事の政策スタッフのほか、トランプ氏やバノン氏が主導してきた「MAGA(米国を再び偉大に)」運動に賛同するトランプ政権の元幹部らだ。保守系のヘリテージ財団が発足させた「プロジェクト2025」にも100以上の保守系団体が参加し、「第2次」で働く人材を募っている。

米ジョージタウン大のドナルド・モイニハン教授(行政学)は、トランプ氏の狙いについて、政府職員を解雇の脅しで服従させ、行政府を自らの保護や政敵への攻撃に利用しようとしているとみる。「行政機構を元首の思い通りになる組織に変えるのは、専制主義体制にみられるやり方だ」と危機感を募らせる。

「民主主義は投票では終わらず、政府の運営も重要な要素だ。説明責任やデュープロセス(法の適正な手続き)、憲法への忠誠、誠実さが脅かされたとき、民主主義そのものも脅かされる」(ワシントン=望月洋嗣、高野遼)

 

ここで前回に続き、藤原帰一氏の次のような記事を記しておく。(朝日新聞「時事小言」2024/3/13)

「私たちが民主主義と呼ぶ秩序は法の支配を基礎とする自由主義と、市民の政治参加を基礎とする民主主義が、互いに緊張をはらみつつ結びついた政治秩序である。ここで選挙によって選ばれた政治指導者が、選挙による授権によって法による拘束を取り払って政治権力の集中を試みた場合、自由主義と法の支配は退き、民主主義の名の下で強権的支配が生まれてしまう。」

問題は、権力集中を受け入れるばかりか積極的に支持する国民がいることだ。トランプは複数の刑事訴追と民事提訴を受けながらそれらの裁判を魔女狩りだと呼び、検察官や裁判官を名指しで非難している。戯画的なほど法の支配を無視する存在だが、そのトランプに投票する人は実在する。自由主義と法の支配を排除する政治指導者に付き従う国民が、ハーメルンの笛吹き男に従うように、自ら望んで自分たちの自由を放棄するのである。

トランプだけではない。ロシアのプーチン大統領は選挙で選ばれた。現在に近づくほど選挙は形骸化し、獄死したナワリヌイを筆頭にプーチンに対抗する候補は排除された。既に民主政治とは呼べないが、プーチンを支持するロシア国民は存在する。

イスラエルのネタニヤフ首相も選挙で選ばれた。国内の支持が弱まり、政権維持が難しくなったなかでガザ攻撃が展開された。ネタニヤフへの支持は低迷しているが、イスラエル軍への国民の支持は固い。

トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相など、民主政治のなかから権力を集中した指導者は数多い。そこでは議会と司法による政治権力の規制、さらにマスメディアによる政治権力の監視が極度に制限された。インドのモディ政権、そして日本の安倍政権においても、マスメディアへの圧力が強められた。

自由主義を排除すれば民主主義は自滅する。「もしトラ」などと観測するだけでは状況追随に終わってしまう。政治権力の監視と法の支配がいまほど求められる時はない。」

 

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トランプ人気について

2024-03-18 11:42:02 | 話の種

「トランプ人気について」

我々日本人から見るとトランプというのは言うことなすこと無茶苦茶で、なぜこのような人物が米国で今回も大統領候補として人気があるのか不思議でならない。
そこで新聞や雑誌、ネットなどでその要因として記載されているものを整理してみた。
(当方これ迄トランプの支持者は、中西部及び南部の農民及びブルーカラーで非知識層がほとんどだと思っていたが、必ずしもそうとは言い切れないようである)

トランプは「反エスタブリッシュメント」「反移民」「反グローバリゼーション」というスローガンを掲げている。

「反エスタブリッシュメント」
トランプは自らを政治的なアウトサイダーとしてキャンペーンを展開し、これは既成政治に不満や反感を持ち、政治の変革や刷新を求める人々を引き付けることに役立った。

*(エスタブリッシュメントとは、「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」を言う)
*(2016年の大統領選挙でヒラリー・クリントンがトランプに敗北したのは、メール問題に加えエスタブリッシュメントの代表と見なされていたことがその一因とされている)

「反移民」
メキシコとの国境に壁を作り移民の流入を阻止するとしたが、これは移民により自分たちの雇用は狭められ、移民保護に自分たちの税金が無駄使いされているとする人々の不満を吸収することに成功した。

「反グローバリゼーション」
経済のグローバル化や技術革新の影響で雇用や経済的安定性に不安を感じている人々の支持を取り付けた。

*(従来、共和党は保守・金持ち、民主党はリベラル・弱者の味方と見られていたが、近年はこれが逆転し、民主党は富裕層、高学歴のエリート集団と見なされ、労働者層の支持は共和党に流れるようになった)
(「リムジン・リベラル」という言葉があるが、これはリベラルな政策や価値観を表明するがそれは口先だけで、高級なリムジンに乗っているなど実際の行動が伴わない人々を指す)

*トランプは「Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国に)」としきりに口にしており、これは弱者である人々を引き付け、将来に希望を持たせることに成功している。
(一般的に米国民は他国のことには関心がなく自分第一と思うところがあるので、トランプの言動が他国で顰蹙を買っても意に介さないと思われる)


現在トランプは「連邦議会襲撃事件」「機密文書持ち出し」「不倫口止め問題」など様々な問題で刑事告訴されており、世論調査でも半数以上が「大統領として不適格」と答えているが、それでもトランプ人気は衰えていない。

ではこのようなトランプ人気の背景には何があるのだろうか。

朝日新聞に大統領選挙について取材した連載記事があり、トランプを支持している人々の様子および声を次のように伝えている。

・「世論調査では共和党員の6割はトランプ支持だが、トランプ支持者はニューカマー(新参者)が多い」
そして幾人かの次のような発言を紹介している。(アイオワ州の共和党事務所で)
「政治に興味を持ったのはトランプが登場してから。甘い言葉でごまかすことなく、本気で話をするのがいい」(57才)
「トランプが大統領だった4年間、メディアも司法省も、ウソの主張でトランプを攻め続けた。あれを見て「我慢できない。トランプの助けになるために何かをしないと」と考えた人たちが、次々と事務所のドアをたたいた」(67才)
「トランプは金持ちなのに我々と同じような言葉遣いをする。選挙後も態度は変わらない。そんな人物を、どうして悪いヤツだと言うことができるんだ」(64才)

・「トランプの選挙運動の特徴として、個人の小口献金の多さがある。トランプ支持者には「政治が一部の富裕層や特権階級に牛耳られている」という不信感を抱く人が実に多い。トランプ自身もカネを追い続けてきた大富豪ではないか。だが、トランプに対しては、逆に「大口献金者に頼らない政治家だからこそ正しい政治をしてくれる」という有権者の期待につながっているのだ。」

・(トランプ支持者の多くは大手メディアに不満や不信感をもっている)
「(米主要メディアの)ABCやCNNは考え方を押し付けてくる。偏向報道にお金を払うのはもうやめようと決めた」(主婦64才)
代わりの情報源はインターネットだ。保守系ネットメディアの見出しをチェックして、SNS「テレグラム」で気に入ったチャンネルを回遊するのが日課だ。
「私の妹のように、仕事が忙しくてCNNを信じる人もいる。それは仕方がない。でも私は、新型コロナで休校中にパソコンで自ら調べることを覚えて、いかにメディアが信用できないかを知ることができた」(元教師60才)
言葉の端々ににじみ出るのが、既存の政治やエリート層に強い不満を持っていることだ。

以上、これらトランプ支持者の発言を見てみると、富裕層や既存の特権階層に対する反感が強く、彼らは大手メディアの言うことは信じないということで一致しており(本当にそのように思っているので始末が悪い)、インターネットで自分が信じたい情報だけを得ているようである。また物事の一面だけを見て単純に考える(私に言わせれば単細胞な)人が多いようである。

なぜそうなってしまうのか。
その答えとして、NHKの記者が米国保守系メディアの創設者と話した下記記事が参考になる。

「彼は、トランプ氏が支持者に対して自分の言うこと以外信じないよう仕向けてきたと指摘した。それは私自身も何度も経験した、トランプ氏が大規模な集会での演説で毎回繰り返してきたパフォーマンスだった。

「Turn the camera. Turn it.(カメラを振るんだ)」
トランプ前大統領は演説を撮影しているテレビカメラの放列に向かってこう発言する。

カメラを左右に振って会場を埋め尽くす支持者を撮影して、どれだけ多くの支持者が集まっているかを伝えるんだ、と要求するのだ。しかし、演説を取り逃すわけにはいかないメディアはカメラを動かさない。

そこで前大統領は「待ってました」といわんばかりにこう発言する。
「メディアはどれだけ人が集まっているか見せたくないんだ。とんでもないフェイクニュースだ」
支持者は大いに盛り上がる。
「なるほど、トランプの言うとおりなんだ。メディアは本当のことを伝えないんだな」
というわけだ。

そして、数千人規模の人々が一斉にテレビカメラの方に向いて顔を真っ赤にして「出て行け」と叫ぶ。カメラの脇に立っていた私は何度もその迫力に気圧されんばかりの感覚を覚えた。こうした手法を積み重ねて大統領はメディアへの不信感を植え付けてきたというのだ。

トランプ支持者が好む、「メディアが伝えない本当の現実」の構図が出来上がり、人々はそこに吸い寄せられていく。

また彼は次のようなことも述べていた。

メディアの人間は、人々が報道で事実を知り、それを元に何が正しいのか判断すると思い込んでいるが、現実はその逆だという。
分断されたアメリカでは、まず人々の立場が予めあり、その立場を守るための主張や言説を信じるというのだ。

(アメリカ社会は今二極化していると言われているが)価値観が激しくぶつかる中で、トランプの敗北を認めることは、自分の価値観、ひいては自分自身の否定につながってしまうという。」

そして、ここで最後に藤原帰一氏の下記記事を記しておく。(朝日新聞「時事小言」2024/3/13)

「州予備選挙を前にした米国ジョージアでトランプが演説した。2020年大統領選挙は不正だったとか越境する移民がわが国を征服しているなどの誤りと誇張に満ちた演説のなかで、見ていて苦しくなったのがバイデン米大統領の物まねだった。バイデンが吃音(きつおん)に苦しんできたことはよく知られているが、トランプは吃音を再現、というより子どもが吃音者をいじめるように、大げさに演じたのである。

体に不自由を抱える人をトランプが物まねするのは初めてではない。それでも、人の苦しみに寄り添うのではなく嘲(あざけ)りの対象にする人間が再び米国大統領になる可能性を考えると、胸が苦しくなった。」

 

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