話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

英語の発音(カタカナ英語)

2024-07-05 16:22:57 | 話の種

「英語の発音(カタカナ英語)」


新聞に「カタカナ英会話」という本の広告があり、内容紹介の例として次のようなものがあった。

「Can I help you?」→「ケナイヘォピュ」
「I don't know」→「アロンノウ」
「getting」→「ゲリン」

なるほど、発音してみると確かにそれらしく聞こえる。
ということで早速この本を買ってみたが、最初の説明文のところに次のような記述があった。
(一部略)

「日本語と英語の発音は根本的に違うため、どこからどこまでが1つの単語なのかが分かりづらく、全部つながって聞こえてしまう。
これはアメリカ人やカナダ人のネイティブは実は舌足らずで、話す時にかなり「はしょる」からです。
そこで、「はしょり」や「つながり」を逆手にとり、それをカタカナにすることで「まるでネイティブ」な音になるメソッドを考えました。
一瞬、え?と思うようなカタカナ表記もたくさんありますが、これは教材の音声などのゆっくり、はっきりと話す英語と、ネイティブ同士が話すスピードの英語とで、聞こえ方が全く違うからなのです。」

この説明を読んで、日本人が英会話が出来ない(下手な)理由がよく分かった。

日本語は子音と母音の組み合わせで出来ており言葉自体がはっきりとしているが、英語は子音と母音が入り混じっており、それが繋がって発音されると、我々日本人は聞き取れなくなってしまう。
一方話す方はどうかというと日本人は生真面目なので、出来るだけ学校で習った文法通りに、そして正しい発音で話そうとするので、逆に話せなくなってしまう。

他国を見てみると、例えばシンガポール人やインド人の話す英語には特有の訛りがあり、中でもシンガポール人の英語は「シングリッシュ」と言われるほど独特の訛りがある。その他の国でも多かれ少なかれ同じことが言える。しかし彼らは文法、発音など気にせず堂々と英語を喋っている。
日本人も見習うべきところであろう。

*「カタカナ英会話」について友人に話したところ彼も知っていたようだが、あまり真似しない方がよいと言われた。というのは、このようにネイティブ風に話すと、相手もこちらがネイティブだと思って早口で返してくるからとのこと。どうやら彼の友人がそのような経験をしたことがあるらしい。

*もう一つの話題として、米国に行った駐在員が電話で彼らの話す英語が聞き取れず、適当にイエスを連発したあと、「ところでこれは?」と聞いたところ、今俺がずっと話していたではないかと言われたとのこと。
特に困るのは彼らとの会食の時で、話題が飛んでしまうと内容が分からなくなってしまい、ついていけなくなってしまう。
従って当方はネイティブとの会話は、まずこちらから質問しそれに答えてもらうという形を取り、結構これが功を奏した。

さて話を元に戻すと、この「カタカナ英会話」の説明を読んで、私が思い当たったのはカラオケで英語の歌を歌う時のことである。
英語の歌詞に忠実に歌おうとすると、どうにも上手く歌えない。これは本の説明にあったような理由によるものだろう。
従ってこれからは英語の歌を歌う時は、個々の単語に忠実に歌おうなどとはせず、はしょるところははしょって、発音なども無視して、ともかく曲の流れに沿って歌おうと思っている。
そうすればスムースに気持ちよく歌えるのではと思う。
どうせ英語の歌など、周囲の人は発音など気にして聞いてはおらず、「ジャンバラヤ」などは南部訛りのひどい歌で、アメリカ人でも分からないだろうから。


(参考)英語の発音

「McDonald's」はよく例として出されるが、マクドナルドでは通じない。発音記号は [məkˈdɒnldz]で「Mc」と「Donald's」の間で切るイメージ。カタカナで表記するのは難しいが、敢えて書くと「メク ダーヌルズ」となり、「ダ」の部分にアクセントがある。(カタカナでの表記は人によって異なるので実際にネイティブの発音を聞いて覚えるしかない。)
ちなみに、「Mc」はアイルランドやスコットランド系の名前でよく使われ、「息子」と言う意味で、「Donald's」は「ドナルドの」という意味。つまり「ドナルドの息子」となる。(マクドナルドの創業者はドナルド兄弟)

「buffet」は[bəféɪ]と発音する。(カタカナでは「ビュッフェ」ではなく「バフェィ」のイメージ)

他に下記なども日本人が間違えやすい例。

「alcohol」 [ǽlkəhɔ̀(ː)] 〇アルコホール ×アルコール
「virus」 [váiərəs] 〇ヴァイラス ×ウイルス
「allergy」 [ǽlərdʒi] 〇アレジ― ×アレルギー

*最近は翻訳機が発達しているので、ここで述べてきたことは最早必要ないかも知れないが。

 

コメント

「蛍の光」について

2024-07-01 11:55:48 | 話の種

「蛍の光」について


100円ショップのダイソーが閉店の時に流す曲を「蛍の光」から別の曲に変更したことが話題となっている。
この変更は6/11よりなされたが、6/13には投稿サイト「パンドラの憂鬱」、更に6/30にはフジTV「Mr.サンデー」でも取り上げられていたので、話の種として以下記しておく。

まず、ダイソーが曲を変更した理由だが、同社の担当者は次のように述べている。

「蛍の光が流れると、日本人には『そろそろ閉店だな』とわかってもらえる。でも近年は外国人も増え、意味が伝わらない方も増えた。買い物を楽しむ気持ちを損ねることなく閉店の声かけをするのは大変。そこで、さりげなく閉店を伝えながらも、快くお帰りいただけるような新しい閉店音楽を考えた。」
「蛍の光は別れの定番曲でもありメッセージ性が強く、印象をやわらげたい思惑もあった。」

つまりこの曲は、ダイソーに限らず、日本では「閉館・閉店を伝えるBGM」として、全国の公共施設や店舗で広く使用されているが、英語圏の国々では新年を迎える曲として知られており、なぜこの曲が流れているのか意味が分からない人が多いようである。

(*「Mr.サンデー」ではスーパーと洋品店の店主に協力してもらい、試しに店が開いている昼間に「蛍の光」を流したところ、スーパーで買物をしていた客はビクッとして「もう閉店ですか?」と店の人に尋ねたり、洋品店に入ってきた若者3人は「来たばかりなのに、もう帰れということかよ」と言い残して帰ってしまった。
どうやらこの曲は閉店のお知らせとして日本人の間ではすっかり定着しているが、出店を促すものとしてある意味威圧感を感じさせるようでもある。)

ところでこの「蛍の光」だが、元となった曲はスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」で、日本では明治初期に文部省唱歌として「蛍の光、窓の雪・・・」の歌詞が付けられ、今では卒業式の定番の曲となっている。

しかし、店舗の閉店時によく流れる曲は「蛍の光」ではなく、正しくは「別れのワルツ」である。
これはショパンの「ワルツ第9番」の別名で、1940年のアメリカ映画「哀愁」の挿入曲にもなり日本でも広く知れ渡ることになった。
同じ曲のように思えるが、何が違うかと言うと「蛍の光」は4分の4拍子だが、「別れのワルツ」は4分の3拍子のワルツである。

*オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)とは「久しき昔」といった意味で、懐かしい友と久しぶりに再会し酒を酌み交わす光景を歌ったもの。(Auld=Old, Lang=Long, Syne=Since、意訳すると「Times gone by」となる。)


(参考)
「パンドラの憂鬱」(日本人にしか理解出来ない世界的な民謡に込められた意図が話題に)
http://pandora11.com/blog-entry-4984.html

 

コメント

「親日の台湾と反日の韓国」(Use:ChatGPT)

2024-06-20 15:14:52 | 話の種

「親日の台湾と反日の韓国」(Use:ChatGPT)


[台湾]

台湾が親日である理由(歴史的背景)をChatGPTに聞いてみたところ、下記説明があった。
(当方台湾に駐在していたことがあるので、これらの理由については知っていたが。)

ChatGPT
「台湾が親日的な理由としての歴史的背景について詳しく説明します。

[日本統治時代の影響](1895-1945)

1.インフラ整備:
日本統治時代には、鉄道、道路、港湾、上下水道などのインフラが大幅に整備されました。特に縦貫鉄道(台北から高雄までを結ぶ鉄道)は台湾の経済発展に大きな役割を果たしました。

2.教育制度の導入:
日本は台湾に近代的な教育制度を導入しました。これにより多くの台湾人が教育を受ける機会を得て、識字率の向上が図られました。日本語教育も盛んに行われたため、高齢者の中には日本語を流暢に話す人もいます。

3.医療と衛生環境の改善:
日本は台湾において、医療制度の整備や公衆衛生の改善にも取り組みました。病院の建設や予防接種の実施などにより伝染病の流行が抑えられ、平均寿命が延びました。

4.農業の近代化:
台湾は日本にとって重要な農業生産地でした。日本は灌漑設備を整備し稲作の技術を導入することで、農業生産量を増加させました。特に八田與一が設計した烏山頭ダム(嘉南大圳)は台湾南部の農業生産を飛躍的に向上させました。

[第二次世界大戦後の中国国民党との関係]

1.国民党政府の統治:
第二次世界大戦後、台湾は中華民国(国民党)の統治下に置かれました。国民党政府は台湾の住民に対して厳しい統治を行い、特に1947年の二・二八事件では多くの台湾人が弾圧されました。このような歴史的背景から国民党政府に対する反感が強まり、日本統治時代を相対的に肯定的に見る風潮が生まれました。

2.蒋介石政権と台湾人の関係:
国民党政府は中国本土からの移民(外省人)を優遇し、台湾本土の住民(本省人)との間に対立を生じさせました。この結果、台湾の住民は日本統治時代をある程度安定していた時期と認識することが多くなりました。

[日本統治の評価と影響]

1.近代化の恩恵:
日本統治時代に行われたインフラ整備や教育制度の導入などの近代化政策は台湾の発展に大きく寄与しました。これにより日本統治時代に対する評価が高まっています。

2.文化的な親近感:
日本統治時代を通じて日本の文化や習慣が台湾に根付いたことも親日感情の一因となっています。例えば和食や日本の伝統行事が台湾で親しまれていることなどが挙げられます。

[日本への留学と帰国者の影響]

1.留学生の存在:
日本統治時代には多くの台湾人が日本へ留学し、医学や法学、工学などの専門知識を身につけました。彼らは帰国後台湾の発展に寄与し、日本に対する感謝の念を抱くことが多かったです。

2.台湾人エリートの形成:
日本で教育を受けた台湾人エリートは日本の文化や価値観に親しんでおり、帰国後も日本との関係を重視しました。このような人々が台湾社会の中で影響力を持つことで、親日的な風潮が広まりました。

これらの要因が複合的に作用し、台湾が親日的な感情を持つ背景となっています。」


(補足)

農業のところで述べられている八田與一のダムの話は有名で、当初は干ばつと水害の繰り返しで食物が一切収穫できず不毛の大地だった嘉南平原が、彼が設計・建設した堰堤長1,273mという当時では東洋一の規模である烏山頭ダムと、総延長16,000kmにおよぶ網の目のように張り巡らされた用水路により、嘉南平原は台湾一の穀倉地帯となり、台湾の農業生産は飛躍的に向上した。八田與一の名前及び功績は台湾では知らない人はなく、現地の人の手により銅像も作られている。この銅像だが、戦争中の金属供出のために撤去され姿を消していたが、戦後、ダムの管理組合である嘉南農業水利会の事務所で発見された。八田與一は現地の人たちには神様とまで崇められた人で、その功績に感謝していた人たちが、この銅像を事務所に隠してこっそりと保管していたとのことである。
この銅像はもとの烏山頭ダムのほとりに設置され、今でもダムの全景を見つめている。

(補足)

二・二八事件とは台北での煙草販売の取締りに端を発した事件で、この時の抗議行動が暴動へと発展し、これが台湾全土へと広まっていった。政府は軍隊による鎮圧を行い、この時の死者は2万8千人とも言われ、多くの本省人が犠牲となった。
この他にも本省人と外省人との衝突事件としては、「白色テロ時代の弾圧」「高雄事件」など多数ある。

政治的不平等としては、例えば立法院の議席配分は中国大陸の各省に基づいて行われたので、台湾は一つの省と見なされ、総議席数は約760席だったにもかかわらず台湾省は僅か8席だった。(他は江蘇省52席、浙江省27席、広東省49席など)
この他、政府機構や経済政策などにおいても外省人が優遇され本省人は不利益な立場に置かれた。

(参考)

中華民国(国民政府)の代表(総統)である蒋介石は1952年4月28日に締結(1952年4月28日発効)された日華平和条約により対日賠償請求権を放棄している。

これについては当時の国際情勢などいろいろと理由はあったにせよ、終戦後に蒋介石が述べた「以徳報怨」(徳を以て怨に報いる)という言葉は、(後に知ったことだが)強く印象に残っている。

尚、当時は中華民国、中華人民共和国、共に存在していたが内戦状態にあり、サンフランシスコ講和会議にはどちらも招待されず、アメリカの後押しもあり、日本は中華民国と日華平和条約を締結した。
(当時アメリカは中華民国(国民政府)を、イギリスは中華人民共和国政府を承認していた。)

*サンフランシスコ平和条約:
第二次世界大戦後の日本と連合国との平和条約。この条約の発効により連合国による占領は終わり、日本は主権を回復した。1951年9月8日調印、1952年4月28日発効。

(余談)

当方台湾に駐在していた時に、取引先の社長の奥さんが、「私は中国人は嫌いだ」と言っていたことがあった。自分も中国人なのにおかしなことを言うなと思ったが、よく聞いてみると、「私たちは台湾人だ」ということらしい。彼女にしてみれば、中国人と言うのは国共内戦で敗れて中国(大陸)から移り住んできた人たちのことで(外省人)、元々台湾に住んでいる人たちは台湾人(本省人)ということで区別している。
なるほどそういうことかと納得した。

(本省人と外省人の軋轢についてはChatGPTでも述べているが、二・二八事件や政治的不平等などにより、本省人の外省人に対する不信感、嫌悪感には相当根深いものがある。このようなこともあり、日本の統治時代の方が良かったという台湾人は多い。)

--------------------

[韓国]

さて一方、韓国が反日である理由については、別項目「韓国の反日感情について」で述べたが、日本が韓国を統治していた時代に於いても、台湾と同じようにインフラ整備とか経済発展に貢献したはずと思い、具体的な事例をChatGPTに聞いてみた。

ChatGPT
「日本が韓国を植民地として統治していた時代(1910年から1945年)にインフラ整備や経済発展に貢献した具体的な事例はいくつかあります。以下に主要な例を挙げます。

1. 鉄道網の整備
日本統治時代に韓国では鉄道網の大規模な整備が行われました。1910年には京義線(ソウルと平壌を結ぶ路線)が完成し、その後も多くの路線が建設されました。これにより韓国内の交通網が大幅に改善され、物資や人の移動が容易になりました。

2. 港湾の整備
釜山港や仁川港などの主要な港湾が近代化され港湾施設が整備されました。これにより韓国は国際貿易の拠点としての機能を強化し、輸出入の効率が向上しました。

3. 水利事業
日本は韓国での農業生産を増加させるために大規模な灌漑事業を実施しました。たとえば平安南道の長津江水利事業や慶尚南道の合浦ダム建設などが行われ、水の供給が安定し、農業生産性が向上しました。

4. 工業化の促進
日本は韓国での工業化を進め、重化学工業を発展させました。たとえば平壌には化学工業が発展し、鉄鋼、セメント、製紙、繊維などの工場が建設されました。また朝鮮総督府は京城(現在のソウル)に工業地域を設け、工業生産の中心地としました。

5. 教育制度の導入
日本は韓国に近代的な教育制度を導入し多くの学校を設立しました。これにより識字率の向上や技術教育の普及が進みました。京城帝国大学(現在のソウル大学校)はその一例で、高等教育の機会が増えました。

6. 電力供給の整備
日本は韓国での電力供給を整備し発電所を建設しました。これにより都市部を中心に電力供給が安定し、工業の発展や市民生活の改善に寄与しました。

7. 通信インフラの整備
電信・電話のインフラも整備され、都市間の通信が迅速に行えるようになりました。これにより商業活動や行政運営の効率が向上しました。

これらのインフラ整備や経済発展の取り組みは、韓国の近代化に一定の貢献をしましたが、同時にその背後には日本の利益追求や支配の意図があり、韓国人に対する抑圧や差別も存在しました。このため、日本統治時代の評価は韓国において複雑であり、インフラ整備や経済発展の成果だけではなく、その過程における抑圧や搾取の歴史も併せて考慮されるべきです。」

(*この質問の前に韓国の反日感情についての質問をしていたので、その流れで最後はこのようなコメントとなったと思われる。)


(参考)

親日国にはどのような国があるかChatGPTに聞いてみたところ、次のような国を挙げていた。
アジア:台湾、タイ、フィリピン、インドネシア、ブータン、マレーシア、インド、ベトナム
アジア以外:ブラジル、フランス、トルコ、ペルー

これを見ると、アジアでは中国、韓国以外は、ほとんど親日国として認識されているようである。

 

コメント

「戦後賠償の日独比較」(Use:ChatGPT)

2024-06-20 15:10:30 | 話の種

「戦後賠償の日独比較」(Use:ChatGPT)


この件についてはChatGPTの説明をそのまま記しておく。

Q:「戦後の賠償問題で日本とドイツの違いを教えてください」

ChatGPT
「戦後の賠償問題における日本とドイツの対応にはいくつかの重要な違いがあります。以下に主な相違点を示します。

1. 賠償の範囲と形式

(日本)
・日本はサンフランシスコ講和条約(1951年)を通じて公式に賠償責任を認め、多くの国と賠償協定を結びました。
・賠償は主に物品やサービスの提供、技術援助などの形で行われました。例えばインドネシアやフィリピンに対しては経済援助という形で賠償が行われました。

(ドイツ)
・ドイツは戦後東西に分断され、西ドイツ(連邦共和国)は1952年のルクセンブルク協定を通じてイスラエルとユダヤ人組織に対し賠償を支払いました。
・また、個別の戦争被害者に対しても賠償を行い、個人賠償金も支払われました。例えばホロコースト生存者や強制労働者に対しても補償が行われました。

2. 賠償に対する国内の態度

(日本)
・賠償問題については国内での議論が少なくない状況でした。特に戦争被害者への個別補償に対しては国内の支持が分かれています。
・一部の戦争責任に関する問題は未解決のままであり、中国や韓国との間で歴史認識や賠償問題が今も議論されています。

(ドイツ)
・ドイツでは戦後すぐに過去の清算が重要視され、戦争責任を明確に認める姿勢をとりました。
・ホロコーストに関する教育や記憶の保持が徹底されており、国家としての責任を強く意識しています。このため国内でも賠償や補償に対する支持が比較的高いです。

3. 国際関係への影響

(日本)
・日本の賠償問題は、特にアジア諸国との関係において歴史認識問題と結びつきやすく、外交関係に影響を与えることがあります。
・特に中国や韓国との間では、慰安婦問題や南京事件に関する謝罪や補償が今なお重要な問題となっています。

(ドイツ)
・ドイツは欧州統合の一環として、フランスや他の西欧諸国との関係改善に努めました。賠償問題は早期に解決され、戦後のヨーロッパ再建において積極的な役割を果たしました。
・ユダヤ人コミュニティとの関係も改善し、イスラエルとは強固な関係を築いています。

これらの違いは、両国の戦後復興の道筋や国際関係の在り方に深く影響を与えました。日本とドイツの賠償問題の処理方法の違いは、それぞれの歴史的背景や政治的文脈に基づいているため単純な比較は難しいですが、各国の対応の違いは顕著です。」

--------------------

Q:「戦後ドイツは各国と日韓のようなぎくしゃくした関係はないのですか。特にイスラエルなどとの関係はどのようになっていますか」

ChatGPT
「戦後ドイツは各国との関係改善に力を注ぎましたが、特にイスラエルとの関係については重要な歴史的背景と現代の関係性があります。

[ドイツとイスラエルの関係]

歴史的背景と初期の関係:
・第二次世界大戦後、ドイツはホロコーストの加害国としての責任を重く受け止め、戦後の再建と共に過去の清算を図りました。
・1952年のルクセンブルク協定を通じて、西ドイツはイスラエルとユダヤ人組織に対し賠償を行い、この協定がドイツとイスラエルの公式な関係の基盤となりました。
・初期にはイスラエル国内でもドイツとの関係改善に対する意見が分かれていましたが、徐々に関係は改善していきました。

関係の発展:
・ドイツは戦後、イスラエルに対して大規模な経済援助を行い政治的にも緊密な関係を築きました。
・イスラエルはドイツ製の軍事装備を採用し防衛協力も進展しました。

現代の関係:
・ドイツとイスラエルの関係は非常に強固であり、多くの分野で協力が行われています。
・ドイツ国内ではホロコースト教育が重要視され、反ユダヤ主義への強い対策が取られています。
・両国は文化、学術、経済、技術の分野でも交流が盛んです。

[その他の国々との関係]

ドイツはヨーロッパ内外の多くの国々と良好な関係を築いていますが、いくつかの国との間には歴史的な緊張がありました。

ポーランド:
・第二次世界大戦中の侵略や占領、ホロコーストの被害により、ポーランドとドイツの関係は戦後すぐには緊張がありました。
・しかしドイツはポーランドに対しても賠償と謝罪を行い、EU内での協力を通じて関係を改善しました。

ギリシャ:
・第二次世界大戦中の占領と破壊の記憶がギリシャには残っており、賠償問題が時折浮上します。
・経済危機の際には、ギリシャとドイツの間で緊張が再燃しましたが、対話を通じて解決に向かっています。

フランス:
・ドイツとフランスは、戦後のヨーロッパ統合の主導者として協力関係を築いています。
・エリゼ条約(1963年)は両国間の和解と協力の象徴です。

[比較:日本と韓国の関係]

歴史的背景:
・日本と韓国の関係は、朝鮮半島の植民地支配と第二次世界大戦中の行為に起因する複雑な歴史的背景があります。
・1965年の日韓基本条約により公式には賠償問題は解決されましたが、慰安婦問題や強制労働問題が未解決のままであり、定期的に関係が緊張します。

現代の関係:
・経済的な相互依存関係が強いものの、歴史認識や謝罪、補償の問題でしばしば対立します。
・政治的、文化的な交流も続いていますが、歴史問題が関係改善の障害となることが多いです。

ドイツは過去の清算を積極的に行い、公式な謝罪と賠償を通じて多くの国と関係を改善しました。これに対し日本は特定の歴史問題での認識や対応が原因で、韓国や中国との関係においてしばしば緊張が生じています。この違いが両国の国際関係におけるダイナミクスに大きな影響を与えています。」

--------------------

Q:「慰安婦問題や強制労働問題が未解決のままとはどういうことですか。日本は解決済みとしていますが」

ChatGPT
「慰安婦問題や強制労働問題に関して日本政府は公式にはこれらの問題が解決済みとしていますが、これにはいくつかの理由があり、実際には未解決として扱われる面が多くあります。

[慰安婦問題]

日本の立場:
・日本は1965年の日韓基本条約およびそれに付随する協定で、請求権問題を包括的に解決したと主張しています。この条約に基づき、日本は韓国に対して無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を提供しました。
・また、2015年には「日韓慰安婦合意」において、日本は慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認し、韓国政府が設立した財団に10億円を拠出しました。

韓国の立場と実情:
・多くの韓国人被害者や市民団体は、1965年の条約では個別の被害者の権利や慰安婦問題が適切に扱われていないと主張しています。彼らは公式な謝罪と個別補償を求め続けています。
・2015年の合意に対しても、一部の被害者や市民団体は不満を表明し、合意が十分でないと考えています。2018年には韓国政府が財団を解散したこともあり、この合意は実質的に無効化されたと見なされています。

[強制労働問題]

日本の立場:
・日本は日韓基本条約で請求権問題を解決済みとしており、これに基づき韓国人の個別請求権も消滅したと主張しています。

韓国の立場と実情:
・2018年、韓国の最高裁判所は日本企業に対し、強制労働被害者に対する賠償を命じる判決を下しました。この判決は個人の請求権は消滅していないと解釈されました。
・日本はこの判決に反発し、韓国の判決は国際法違反であると主張しました。この問題は両国間の深刻な外交問題となり、経済的な制裁措置や貿易問題にも発展しました。

[解決済みと未解決のギャップ]

日本の主張:
・法的には日韓基本条約およびその付随協定によって賠償問題は解決済みとされています。
・日本政府は個別の賠償請求はこれらの協定によって消滅したとしています。

韓国の見解:
・多くの被害者や市民団体は、歴史的な正義や道徳的な問題として、公式な謝罪や適切な補償がまだ不十分であると感じています。
・個人の請求権が依然として有効であると考える被害者やその家族が存在し、これが司法や政治の場で問題として取り上げられることがあります。

このように、日本と韓国の間では慰安婦問題や強制労働問題に関する見解の違いがあり、これが「解決済み」と「未解決」のギャップを生んでいます。歴史認識や賠償問題に関する両国の立場の違いは、依然として日韓関係の緊張要因となっています。」

--------------------

Q:「ドイツの場合、未解決の問題は存在しないということですか」

ChatGPT
「ドイツにおいても戦後賠償に関する未解決の問題が存在していますが、日本と比較するとその性質や規模が異なります。

[ドイツの未解決の問題]

東ヨーロッパの請求:
・第二次世界大戦後、東ヨーロッパ諸国、特にポーランドとギリシャは、戦争中の被害に対する賠償を求めてきました。
・ドイツはこれらの国々に対して賠償金を支払いましたが、特にポーランドとの間では賠償問題が完全には解決していないと感じる声が一部で存在しています。

(*2022年9月ポーランドは第2次大戦中のナチス・ドイツの侵攻と占領による損害が日本円にして約183兆円に上るとの試算を公表し、ドイツ政府に賠償交渉を求める方針を示した。これに対し、ドイツ政府は賠償問題は解決済みだとの立場を示している。)

ギリシャの賠償請求:
・ギリシャはドイツに対して、第二次世界大戦中のナチスによる占領下での戦争犯罪や経済的被害に対する追加賠償を求めています。
・ギリシャの議会は公式にドイツに対して賠償請求を行っていますが、ドイツ政府はこれを既に解決済みとしています。

[ドイツの賠償と和解の取り組み]

イスラエルとユダヤ人コミュニティ:
・ドイツは戦後すぐにイスラエルとユダヤ人コミュニティに対して大規模な賠償を行いました。1952年のルクセンブルク協定に基づき、イスラエルには約30億ドイツマルク(当時の通貨)を支払いました。
・個別のホロコースト生存者に対しても補償金が支払われており、これがユダヤ人コミュニティとの和解の基盤となりました。

個別の戦争被害者への補償:
・ドイツは強制労働者や他の戦争被害者に対しても個別の賠償を行いました。1990年代後半には強制労働者補償基金が設立され、数十万人の被害者に補償金が支払われました。

[日本との比較]

賠償問題の法的解決と道徳的解決:
・ドイツは法的な賠償だけでなく道徳的な責任も重視し、戦後の和解と再建に努めました。このため賠償問題に対する国内外の支持が比較的高く、未解決の問題が少ないとされています。
・日本の場合、1965年の日韓基本条約において法的には賠償問題が解決されたとされていますが、個別の被害者に対する道徳的な責任や補償については不十分だと感じる声が多く、これが未解決の問題として残っています。

国際関係への影響:
・ドイツはヨーロッパ統合の一環として、過去の清算と未来志向の外交政策を推進しました。このため戦後のドイツは多くの国と良好な関係を築いてきました。
・日本と韓国、中国との間では、歴史認識や賠償問題が現在も外交関係に影響を及ぼしています。

結論
ドイツにも未解決の賠償問題は存在しますが、その数や影響は日本よりも少ないと言えます。ドイツは戦後すぐに広範な賠償と和解の取り組みを行い、多くの国や被害者と関係を改善しました。日本の場合、法的な解決と道徳的な解決の間にギャップがあり、これが未解決問題として残っていることが多いです。この違いが、両国の国際関係や国内の賠償問題に対する認識の違いを生んでいます。」

 

コメント

韓国の反日感情について

2024-06-18 21:31:27 | 話の種

「韓国の反日感情について」

韓国はなぜあのように反日感情が強く、またしつこいのか。
今更ながらのテーマだが、こちら側の感情問題は抜きにして、客観的にその理由を整理してみたいと思った。
(「儒教/朱子学」「恨」「剝奪感」のことが分かると、その理由もよく分かる。)

よく言われるのが、
・植民地時代の被害
・戦後賠償問題
・謝罪問題
・反日教育
・反日感情の政治利用
・儒教/朱子学思想の影響
・恨(ハン)の概念
・剝奪感(バクタルカム)の概念

[植民地時代被害]

日本の統治時代(1910~1945)に日本は台湾と同じように韓国でもインフラ整備や工業化の促進、近代的な教育制度の導入など、韓国経済の基盤強化、近代化の促進などを行ってきたが、問題はそれはあくまでも植民地政策の一環としてのもので、また創氏改名や軍部の横柄な言動などもあり、当時独自の文化を持っていた韓国としては、これらは自国のアイデンティティを抹殺するもので屈辱でしかなかったということ。

[戦後賠償問題]

これは日本と韓国との間での認識の違いによるところが大きい。
「慰安婦問題」や「徴用工問題」などは、韓国側は「強制的にさせられた」との認識だが、日本側には「自発的なものもあり報酬も支払われている」との意見もある。
賠償問題については、日本側は解決済みとしているが、韓国側は国家間ではそうであっても、個人賠償は済んでいないとの認識である。

これらについては、実際のところどちらが正しいのか当方には分からない。歴史的判断を待つしかないが、多分結論は出ないだろう。

[謝罪問題]

これについては、日本側は何度も謝罪していると述べているが、韓国側は充分ではないとして納得していない。

日本側の説明は次の通り。

1.1965年の日韓基本条約:
この条約により、日本は韓国に対して経済協力金として無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルを提供。この時点で、日本は「完全かつ最終的に解決された」との立場を取っている。

2.1993年の河野談話:
河野洋平官房長官が慰安婦問題について「お詫びと反省の気持ち」を表明。

3.1995年の村山談話:
村山富市首相が「植民地支配と侵略」に対して「痛切な反省と心からのお詫び」を表明。

4.2010年の菅直人首相談話:
日本の統治下にあったことについて「お詫びと反省」を示す。

5.2015年の慰安婦問題に関する日韓合意:
安倍晋三首相が「心からお詫びと反省」を表明し、日本政府は1億円の基金を提供。

これに対して、韓国側の言い分(不満)は、

・誠実さの欠如:
日本の謝罪が公式なものとしても、本心ではなく誠実なものではないとしている。
これは、その後も日本の一部の政治家や公人が過去の歴史を否定する発言をしており、これらが信頼を損なう要因ともなっている。

・法的責任と補償の不徹底:
1965年の条約で「完全かつ最終的に解決された」と述べられていても、それは国家間の問題で、個人賠償の問題はまだ完全に解決されていないとの見解で、韓国大法院もこれを支持する判決を下している。

教育と記憶の継承:
日本国内の教育やメディアで、戦争や植民地支配に関する歴史が十分に扱われていないとして、これを徹底するように要求している。

これを見たら、日本人としては「何を言ってんだ」と思う気持ちが先に立つが、ドイツの例をみると、ドイツは戦争責任を明確に認め、学校の歴史教育でも過去の過ちを繰り返し教えている。
ドイツのホロコーストと日本の戦争責任との違いはあるにせよ、やはり日本の場合加害者意識が薄いような気がする。
戦後生まれの私たちとしては、あれは全て軍部がやった事と片づけてしまいがちだが、多くの国民がそれを支持していたことも事実で、同じ日本人として過去を客観的に見つめなおすことは必要と考える。

このような場合、まずは被害者の言うことに耳を傾けることだが、被害者の言うことを全て受け入れる必要はないが、その心情に寄り添うことは大切だと思う。

*例えば、米国の広島・長崎への原爆投下だが、「戦争を終わらせるためにはやむを得なかった」という意見があるが、これが「必要だった」と居直られると、我々日本人としては腹が立つ。犠牲者についてはどう思っているんだと。加害者の論理があるにせよ、被害者の心情を無視或いはないがしろにすることは許されるものではない。(いきなり人の顔をひっぱたいておいて、お前のためを思ってしたことだと言うようなもの。)

(とは言え、同じことを何時までも何回も執拗に繰り返されると、こちらとしては、もういい加減にしてくれとの気持ちが湧いてくることは否めないが。)

[反日教育]

方法は「歴史教科書」「抗日記念日」「慰安婦記念館」「独立運動記念館」「抗日映画やドラマ」など様々だが、目的はナショナリズムの高揚ということ。
事実を淡々と述べるだけならよいが、煽る形で執拗に繰り返されると反発心の方が強くなる。
これでは友好関係を築くことは難しい。

[反日感情の政治利用]

韓国の政治家は、国内の支持を得るために反日感情を利用することが多い。
特に選挙前や政治的な危機の際に反日的な姿勢を強調することで、国民の関心を内政問題から逸らし支持を集めようとする。
どの政権も末期になり支持率が低下してくると、必ず反日を言い出し国民を扇動するのが韓国政府の常套手段である。

[儒教/朱子学思想の影響]

儒教は「五常」「五倫」を唱え、「五常」(仁・義・礼・智・信)を守れば「五倫」(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)などの人間関係が上手くいくとの考え方。

*「五常」

「仁」:人を愛し、思いやること。(「五常」の中でも特に重んじられている)
「義」:利や欲にとらわれず、世のため人のために行動すること。
「礼」:謙遜し、相手に敬意を払って接すること。(「仁」を具体的な行動にしたもの)
「智」:偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断すること。
「信」:人を欺かず、人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、誠実であること。

朱子学は儒学から派生したもので、考えの基本は「大義名分論」で、君臣・父子の別をわきまえ、上下の秩序や礼節を重んじるということ。
特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように、人間社会にも同じように上下関係や、差別があって然るべきという考え。
これを君臣父子の別といい、「君主の言うことを臣下は絶対聞くこと」「父の言うことを子供は絶対聞くこと」を意味する。

*儒学は家族を中心とした父母兄弟、さらには友人君子を大切にするところに重きを置くのに対し、朱子学では上下関係を大切にすることに重きを置いている。

これの何が問題で、反日感情に繋がるのかということだが、呉善花氏は著書の中で次のように述べている。
(「韓国を蝕む儒教の怨念: 反日は永久に終わらない」 (小学館新書))

(要旨)「韓国・北朝鮮の理解に苦しむ言動の大部分は、「李朝500年」の伝統に深く根差しており、韓国・北朝鮮のおかしさを理解するには李朝を知ることが不可欠。
李朝は、それまで仏教文化を誇った高麗王朝にとって代わるや、儒教=朱子学のイデオロギーを持って、完璧な儒教国家の建設を目指した。国家ぐるみの儒教への総改宗が行われ、朝鮮半島の政治・社会・文化・習俗は、儒教=朱子学に基づく倫理・価値観に沿ったものへと変質していった。」(Waka氏の書評の部分を抜粋)

つまり、韓国では李朝時代に儒教の影響で「何よりもまず道徳が上位にある」とされ、「情が何よりも優先される」という社会になってしまったということ。(情が法やルールよりも優先されるということ。)

このWaka氏の書評は、私が韓国について常々思っていたことを的確に要約してあるので、以下抜粋して引用させてもらう。(いささか偏った断定的な部分もあるかも知れないが。)

「朝鮮半島はその地勢から常に外敵の侵入に脅かされる状況にあり、また文化的にも政治的にも圧倒的な中華帝国の影響を受け続けてきた。李朝は朝鮮半島の歴代王朝がそうであったように、独立国ではなく、中華帝国を宗主国とする属国の一つだった。徹底して中国に礼をもって仕えることで国土の安泰が確保されたので、大国には臣従すべしという考え方(事大主義)が李朝外交の根本を形づくった。
この事大主義が国家の価値観として定着した李朝は、やがて自らは中国と文化的同質性を持った「小中華」であるという自負を持つようになっていく。中華主義の世界観では、中華から文化的な距離があればあるほど野蛮と見なされるので、朝鮮半島諸国は、日本を自らよりも劣った野蛮な国として蔑視するようになった。」

(*更に私見だが、韓国には古代日本にいろいろと中国など大陸の文化を教えてやったのは俺たちだという自負があるのかも知れない。)

「儒教では「道徳を天の法則とする普遍主義」としたため、韓国では「法よりも道徳が上位にある」とイメージされ、裁判でも政治的決定でも、「情が法より優先される」という悪弊が社会に蔓延した。だから、他国との間で決まった約束事を勝手に破ったり、後でルールを自分たちに都合よく変更したりすることなど意に介さないのである。」

「「韓国併合」は国際法上合法だったが、韓国は「無効、不法」を主張し続けている。従って日本の韓国統治は不法行為であり、法律に基づいて戦時に日本企業で働いた朝鮮人労働者の問題に過ぎないものが、不法な「奴隷労働」を強いられた被害者個々人の問題という人権問題に化けてしまうのである。慰安婦問題も「人道に対する罪」だとして断罪活動をしている。「性奴隷にされた」「多くが殺された」といった明らかに事実でない話が世界中で広められている。」

「儒教文化の社会では、メンツを保つことが重要で、メンツを保つためなら嘘をついても恥にならない。メンツを保つ、威信を保つために、「虚言と欺瞞」が蔓延していった。中国や韓国では、国家や家族にとって都合の悪いことや不名誉なことは隠すのが正義であり、そのために嘘をつくのは正しい行為なのである。
また儒教では、高い徳を持って品位ある生活を送ることが人生の目的であり、そのためには汚い儲け方をしても構わないという考え方で、詐欺や贈収賄が習慣化している。論文の盗作、試験の不正、偽造も模倣も李氏王朝以来の伝統と言っていい。」

[恨(ハン)の概念]

(定義)
「恨(ハン)」は、朝鮮文化においての思考様式の一つで、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわす朝鮮語の概念。
(「序列で下位に置かれた者の不満の累積とその解消願望」との説明もある)
しかし実際には、人を恨めば自身が楽になるという意味で使われる事が多い。(Wikipedia)

韓国大統領を務めた金大中は、その著書のなかで次のように述べている。(「金大中哲學與對話集」)

「韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。」(Wikipedia)

[剝奪感(バクタルカム)の概念]

(定義)
「剝奪感(バクタルカム)」とは、「当然、自分のものであるはずのなにかを、奪われたとする感覚」のことで、韓国語にしかないと言われている言葉。(心理学関連の専門家などは、「相対的剝奪感」と言う)

作家のシンシアリー氏は、著書のなかで次のように述べている。(「韓国の借金経済」(扶桑社新書))(要点のみ抜粋)

「この剝奪感の核心は、実際に持っている権利や資格ではないにもかかわらず、いま自分がそれらを所有していないのは、「持っているはずなのに、いま現に持っていないのは、誰かに奪われたからだ」と思っている点です。ハッキリ言って、勘違いです。」

「なにせ、持っていたわけでもないのに、「奪」された(うばわれた)と書く時点で、すでに矛盾しています。「持っていた」に相応するなにかの理由が無いなら、それは奪われたものとは違うし、実際に奪われたことが無いなら、奪われた感じがどんなものなのか、分かってすらいないでしょう。いろいろ不自然です。
でも、剝奪感を訴える人たちの論拠は、実に簡単です。「当然、持っていたに違いない」と信じてやまないからです。そんな人たちに「いや、違うでしょう」と言うと、「なんで人を見下すのだ。お前は悪い人だ」と怒られます。」

「実はこれ、韓国では「民族情緒」とされる、恨(ハン)の基本的な心理そのものでもあります。韓国内では、恨(ハン)の民族だとする主張に反対する人はそういません。優秀な民族なのに、他の勢力、主に日本のせいで、正当に持つべき権利のほとんどを奪われてしまった、そんな民族だと信じているからです。」

「恨(ハン)は、「私が持っているはずの正当な権利を、不当な方法を使った誰かに奪われた」とする心理から始まります。その「誰か」がどこの誰なのかは分かりません。だから、ハンは消えません。」

「このように、恨(ハン)と剝奪感は高い相関関係を持っています。しかし、基本的には「誰が悪いのか」をはっきりできないし、実際に何か出来ることがあるわけでもないので、そのまま抑え込むしかありません。だから、鬱状態になったり、病気になる人も少なくありません。韓国ではこれを、鬱火病、または火病といいます。最近はまったく逆の意味で、ちゃんと抑え込まず何でもカッと怒り出す人を火病と言う場合もありますが。」

 

コメント

現金主義の日本とドイツ

2024-06-12 14:59:55 | 話の種

「現金主義の日本とドイツ」

日本は現金主義でキャッシュレス化が遅れているとよく言われるが、先日ネットを見ていて分かったが、ドイツは日本以上に現金主義社会のようである。
キャッシュレス化率をみると、2020年度の経済産業省の統計では日本は32%だがドイツは21%である。(日本の場合2022年度は36%)
一方キャッシュレス比率が高い国はというと、韓国93%、中国83%、欧米ではイギリス63%、アメリカ55%、フランス47%となっている。
日本とドイツは国民性がよく似ていると言われるが、ドイツが日本より現金志向が強いとは意外であった。(欧米ではドイツ人の現金好きは有名らしいが。)

日本が現金社会であることについて、外国人には不評だという話はよく聞くが、意外とそうでもないようである。(これについては後述「パンドラの憂鬱」のサイトを参照。要はどちらも使えてバランスが良く便利だということ。)

当方以前ファーストフード店でカードで支払いをしようとした時、機械が故障してしまい店員が困っていた時があった。キャッシュで払うからいいよと言ったところ、店員が「ああ良かった」と言ってほっとしていたので、理由を聞いたところ、「最近は現金を持たない人も結構いるので」とのこと。
私の場合、支払いはほとんどカード払いだが(ポイントを貯めるのが趣味なので)、当然現金も持ち歩いているので、まさか現金を持たない人がいるとは思いもしなかった。(現金を持たないのは特に若い人たちに多いようである。)

日本やドイツで現金払いが多い理由としては(いろいろと言われているが)、国民性ということ以外に、やはり現金に対する信頼度が高いからだろう。(紙幣が精密に作られており偽札などはほとんどない。)
また社会が安全、安定しており、現金を持ち歩いても危険な目にあうことはほとんど無い、などということもその一因かと思う。

ただ私としては、現金払いはほどほどにして、やはり支払いは基本的にはキャッシュレスにすべきだと思っている。
スーパーのレジなどで、一生懸命に小銭を探している人(特にオバサン)をよく見かけるが、時間を食うばかりで、やはり迷惑感は否めない。要はバランスの問題だろう。

(雑談)

「パンドラの憂鬱」では五円玉についての外国人の投稿も盛り上がっていた。
(これについても「パンドラの憂鬱」のサイトのURLを貼っておく)

日本の5円玉はアラビア数字での表記がなく漢数字のみで表記されているので分かりにくいというものだが、改めて5円玉を見てみると確かに算用数字の表記がない。我々日本人は漢数字の表記があれば問題ないので特に意識していなかったが。

ただ1円玉は総じて不評のようである。私も何故1円玉がいまだに使われている(流通している)のか不思議でならない。小銭入れが膨れ上がって不便この上ない。
一時期(40年程前)台湾に住んでいたことがあるが、最小通貨は1元で、当時日本円で3.5円程度。これを見て日本も流通最小通貨は5円にすべきとよく思ったものである。
(ただ米国では今でも1セント通貨が流通しており、今は1.5円換算だが、1ドル=100円以下の時は1円を下回っていた訳で、あまり1円に文句を言えないのかも知れない。)


(参考)いずれも投稿サイト「パンドラの憂鬱」より

・「日本での生活は最高だ!」 今も現金主義の日本社会に在日外国人からは感謝の声が
  http://pandora11.com/blog-entry-4979.html

・「日本の責任じゃない」 外国人には五円玉が認識できないという事実が話題に
  http://pandora11.com/blog-entry-2351.html

・「日独は本当にそっくりだ」 ドイツ『我々と日本はこんなにも似てるんです』
  http://pandora11.com/blog-entry-3637.html


(余談)

*かつて日独伊の三国同盟があったが、日独の同盟は分かるとしても何故ここに伊が入っているのか。勿論当時の国際関係や政治情勢(体制)によるものだろうが、イタリアはラテン国家で、国民性は日本やドイツとは全く異なると思うので面白いと思った。またこの同盟にイタリアを入れたのは間違いだったという話もよく聞くが。(これはイタリアが真っ先に降伏してしまったことも理由の一つかと思われる。)

 

コメント

政治不信と政治家の資質

2024-06-08 02:30:53 | 話の種

「政治不信と政治家の資質」


朝日新聞(6月4日)の素粒子欄に下記記事があった。

「この20万円のザルがなんと10万。いえ、国民の皆様の信頼回復のため、今なら出血大サービス、なんと5万円でご提供」

パー券の公開基準額。ひと月も5万10万の「攻防」見せて、首相の「英断」演出する商法にご注意を。ザルはザルのまま。

タイムカプセルかよ。政策活動費の領収書はなんと10年後に公開。岸田さん、皆さん、その時どこでなにやってるつもり?

流石、新聞記者は的確な面白い比喩を用いてその主張を簡潔に纏めるなと感心した。

この自民党提出の政治資金規正法改正案は本日(6月7日)衆院を通過し成立の見通しとなったが、よくもまあこのような法案をしれーっと作成し、ぬけぬけと可決したものだと、今更ながらに腹が立った。
この法案の内容、問題点については敢えてここでは述べないが、不愉快なので感想のみを記しておく。

Q:「政治は誰のため?」
A:「勿論我々政治家のため」

Q:「政治には金がかかるというけど、それでも政治家になりたいの?」
A:「うま味がいろいろとあるからね」

Q:「このような法案で国民が納得すると思う?」
A:「選挙が気になるけどそれは先送りすればよい。時間がたてば国民はすぐに忘れるからね。モリカケさくら問題(森友・加計・桜を見る会)もそうだったろう?」


法案は自分たちが作るので、いくらでも抜け穴を作っておくことができる。(こういうことには悪知恵が働くんだよね。)今回もそれは見え見えなのだが、「蛙の面に小便」で全くもって厚かましい。

先に法案の中身については触れないとしたが、念のため同日の新聞の見出しのみ記しておく。
・抜け穴残し衆院通過「規制法改正案「検討」も多数」
・「裏金防止 疑念」(議員の確認義務 あいまい)(パーティー券 小分け可能)
・「抜本改革 遠く」(政策活動費 黒塗り公開も)(企業献金 30年経ても死守)

ついでに同面の「視点」の最初の部分も記しておく。

<視点>保身と無反省、国民不在

政治資金規正法改正案はなぜ、ここまで抜け穴だらけで理念も哲学も感じられないのか。岸田文雄首相が、国民が求めた真相究明や踏み込んだ改革より保身を優先させた結果というほかない。
「信頼回復のため、火の玉となって、自民党の先頭に立ち取り組む」。事件発覚を受けた首相の言葉は勇ましかったが、すぐに裏切られた。
まず国民が望んだのは事件の実態解明だったはずだ。しかし、首相自身も加わった党幹部による関係者への事情聴取はおざなりで、裏金作りの発端を知りうる森喜朗元首相への聴取も電話一本で済ませた。首相の視線の先にあったのは党内の波風をできるだけ抑え、早期の幕引きを図ることで、そこに国民の姿はなかったのだろう。


どうも岸田首相というのは、最早言うこと為すことお粗末極まりない。何を言っているのか意味不明で、することもちぐはぐでどうしようもない。

以前(2月17日)朝日新聞の「多事奏論」で高橋純子氏が次のように述べていたことを思い出した。

(多事奏論)「首相の施政方針演説 災害を「踏み台」にする素、頓、狂」
「もう言い飽きたからこれで最後にしたいのだけれど、岸田文雄氏は首相としての資質を欠いている。私はそう結論している。」
(これは能登半島地震で被災地を訪れたのは発生から13日後とかなり遅く、現地に行った際も被災者たちに寄り添うのではなく、型にはまったことしか言わない。そして1月30日の施政方針演説では、被災者支援や復興については紋切り型で極めて素っ気なかったにもかかわらず、「一方」として、「過去の災害対応に比べて新しい取り組みがいくつも生まれており、強く印象付けられました」と、自分が何かをしたかのように冗舌に語りだしたということを批判したもの。)

*筆者は次のようにも述べている。
「施政方針演説では、地震の被害状況が「体言止め」で並べ立てられた。「半島特有の道路事情による交通網の寸断。海底隆起や津波被害による海上輸送の途絶。水道、電気、通信などライフラインの甚大な損傷。地震に弱い木造家屋が散在する小さな集落の孤立。高齢者比率5割を超える地域社会への直撃」。それぞれに多くの命や暮らしがかかっているのに、手際良くサッサと折り畳んでいく。冷にして淡。」
(演説に心がこもっていないということ)


岸田首相の発言、答弁には「実態把握に務める」「議論しなければならない」など、主体性がなく、どこか他人事のようなものが多く、また「あいまいな説明」や「すり替え」が随所に見られるが、これで一国の総理と言えるのだろうか。もっと毅然とした態度が取れないものだろうか。

他の政治家たち(特に大臣クラス)についても、昨今「申し上げることは控える」「それには当たらない」という言葉をよく耳にする。都合が悪いから「申し上げることは控える」のだろうが、説明責任はどうなっているのか。「それには当たらない」というのは誰が判断しているのか。それにあたると思うから記者たちが質問しているのであって、何を偉そうに答弁を避けているのかと言いたい。
更に不思議なのは、質問した記者たちが、このような返事に対してそれ以上追求しないということ。

昔の政治家たちはもっと気骨があり、それなりの信念を持っていたと思うが。
また、記者たちももっと責任感をもって追求していたと思うが、いつの間にこのようにサラリーマン化してしまったのだろうか。(「この程度のマスコミならこの程度の政治」ということだろうね。)


(参考)

秦野章(元警視総監、元法務大臣)
「政治家に古典道徳の正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うのに等しい」

佐高信(評論家)
「政治家にモラルを求めるのはゴキブリにモラルを求めるに等しい」

 

コメント

女性はしたたか

2024-06-03 02:26:14 | 話の種

「女性はしたたか」

先日(2024/06/01)の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一著)に次のような記事があった。

「完璧な選択なんてない だからとりあえず選ぶ とりあえず選ばない それでいいんじゃないか」
(山口雅俊〈脚本〉)

人生の岐路に立つ娘らを前に、父が恒例の大演説をぶつ。
何を選んでも、それが正しかったか後で不安になる。
正解を求めるより、選んだものを正解にしてゆく方が大事だと。
虚をつかれるも、まずは聞き置くに止(とど)めるところが、娘たち、父よりしたたかかも。
(フジテレビ系のドラマ「おいハンサム2」(原作・伊藤理佐)の最終話から。)

今回なぜこれを取り上げたかというと、「娘たち」「したたか」という言葉が目に付いたから。

この「したたか」という言葉は近年は女性に対して多く使われ、男性に対してはあまり使われない。
当方以前より、人が生き抜いていくためには、女性によく見られるようなしたたかさが重要かつ必要不可欠と思っており、興味を持っていたので、調べてみた。
(このコラムの選者の意図は違うところにあったかと思うが。)

(*男は「いさぎよさ」が求められることが多いが(武士道の影響だろうか)、これだと生き抜いていくことは難しい。)

 

[「したたか」の意味]

漢字で書くと:「強か」(精神的な強さ)、「健か」(身体的な強さ)
本来の意味(いい意味で使われる):「粘り強い」「強い」「しぶとい」「しっかりしている」
 (自分の意志を貫く強さや粘り強さを表現した言葉)
近年の使われ方(少し悪い意味で使われる):「計算高い」「ずる賢い」
 (使われ方が少しずつ変わってきて、「狡猾」「あざとい」「腹黒い」などのニュアンスで使われることも増えてきた。)

*「したたか」の対義語は「神経質」「脆弱」「ひ弱」「打たれ弱い」「脆い」など。


[「したたか」という言葉が女性に対してよく使われる訳]

私見だが、この言葉は良い意味でも悪い意味でも女性の特徴をよくつかんでいるので、使われる頻度が高くなったからと思われる。

・腕力、瞬発力は男の方が強いが、持久力、粘り強さでは女性の方が勝る。
・男は何かと理想論に走るが、女性の方は現実的に物事を見ている。
・男は自尊心が強いだけに打たれ弱いが、女性の方はこんなものは何の役にも立たないとして、どうでもよいことは意に介さず平気である。
 
Yahoo知恵袋には次のようなコメントも載っていた。
「したたかは、物理的に強靭という意味があるが、一方で精神の粘り強さ、叩かれても蘇ってくるような図太さを表わしてると思う。
しなやか、たおやか、とか、一見その女性的な優しい表現も実はしたたかさの一部だと思う。というのも、したたかさという強さは、攻撃的な強さではなく、受身の強さだと思うから。」

また、したたかな女性の特徴として次の3例を挙げている人もいた。
・計算高い
・周りに甘えるのが上手い
・世渡り上手


[「したたか」に悪い意味が加わってしまった理由]
(*前田めぐるさんという文章術講師をしている人の説明)

「本来「したたか」とは、「強か」と書き、「強く、簡単に屈しない」という良い意味を持つ言葉です。
本来、良い意味であった「したたか」がネガティブなニュアンスも加わってしまったのは、なぜでしょうか?
理由はさまざまですが、1つには私たちの使う言葉が、昨今では他者との関係性によって判断されることが多いからだと考えられます。
ある人が「したたか」であるという事実以上に、その「したたかさ」が周囲にどう受け止められるかが、言葉の意味にかなり影響してしまうようです。
元来、人が強く生き抜くためには、単純に気の強さだけではなく、聡明さや計算、洞察も必要です。
しかし、そうしたことが、周囲には「かけひき上手、ずるがしこく、計算高い」と見られてしまうことがあるのでしょう。
窮屈な気がするでしょうが、これもまた言葉の持つ一面です。」


以上述べてきたことを振り返ってみると、「したたか」という言葉を端的に表しているのが、良い意味も悪い意味も両方含んでいる「ずる賢い」という言葉ではないかと思う。
「したたか」という言葉があまり悪い印象を与えないのは、この言葉には賞賛する意味も含まれているからだろう。
(*「ずる賢い」の「ずるい」という言葉も、「上手くやりやがったな」というニュアンスがある。)
世界に目を向けてみると、中国やインドの外交はしたたかと言われることが多い。
欧米のような自国の一方的な主張だけでは衝突を生むだけである。(一神教国とアジアという仏教圏国の考え方の違いということもあるのだろうか。)双方の顔を立てて上手く妥協していく。
人生もこれと同じで、この柔軟性が軋轢を避ける世渡りの「こつ」かもしれない。


(余談)

男「釣った魚に餌はやらない」
女「食いついた餌は離さない」

 

コメント

日本の労働生産性はなぜ低いのか

2024-05-31 01:33:06 | 話の種

「日本の労働生産性はなぜ低いのか」


最近発表された日本の大企業の好決算とその問題点については、これ迄に何回かに分けて述べてきたが、ここではよく言われる労働生産性について考えてみたいと思う。

日本の労働生産性が低いということはよく言われており、現にOECDの調査によると2021年の日本の労働生産性は下記のようになっている。

・「1時間当たり労働生産性」:49.9ドルで加盟38カ国中27位。(1970年以降、最低順位)
・「1人当たり労働生産性」:81,510ドルで加盟38カ国中29位。(1970年以降、最低順位)
(これはポーランド、ハンガリーといった東欧諸国や、ニュージーランド、ポルトガルとほぼ同水準で、西欧諸国では労働生産性が比較的低い英国やスペインより2割近く低い。)
・「製造業の労働生産性」:92,993ドルで加盟主要35カ国中18位。
(これはフランス、韓国とほぼ同水準で米国の6割弱。2000年にはOECD諸国でもトップだったが、2000年代に入り順位が低落するようになり、2015年以降は16~19位で推移している。)

「労働生産性とは」(Productivity)

労働生産性:「労働力や設備などを投入したことで得られる成果量の割合」(一般的な定義)
      「生産諸要素の有効利用の度合い」(ヨーロッパ生産性本部による定義)
(*生産諸要素とは機械設備・土地・建物・エネルギー・原材料など、生産に必要なもののこと)

労働生産性は、「労働者1人あたり、又は1時間あたりに生産できる成果を数値で示したもの。」
(*一般的には「労働者1人に対しての付加価値額」を労働生産性とするケースが多い。)

*労働生産性の種類

「物的労働生産性」
・生産量の効率性を数値化(産出量の具体例としては総生産額(売上高))
・労働者1人が働いた成果に対する金額や生産量のこと。
(例えば労働者1人が働いたときに1,000個の製品を生産する現場よりも、1,500個の製品を生産できる現場のほうが物的労働生産性は高いといえる。)

「付加価値労働生産性」
・付加価値に対する効率性を数値化(産出量は、総生産額から原材料や外注費などを引いた金額)
・企業が生産した成果に対する金銭的な「価値」を示すもの。
(例えば製造業では、外部から仕入れた原材料を加工して新たなモノを作り販売する。これらの仕入れや加工にかかった金額と販売額の差を「付加価値」と考え、どれくらい付加価値を生み出しているかの効率を計るもの。)

*労働生産性を求める際の計算式
 労働生産性 = 産出量(output) / 投入した経営資源(input)
(産出量は生産量や成果(付加価値額)、経営資源は労働量(労働力や時間)のこと)

もう少し具体的に言うと、

物的労働生産性の計算式(「生産量」を成果と考える)
・物的労働生産性=生産量÷労働量(労働者数、又は労働者数×労働時間)
計算例:従業員数10人、各従業員の労働時間8時間、商品の総生産数量400個
・労働者1人あたりの物的労働生産性:生産量400個を投入した労働量(10人)で除して40個となる。
・労働時間1時間あたりの物的労働生産性:生産量400個を投入した労働量(10人×8時間)で除して5個となる。

付加価値労働生産性の計算式(「付加価値額」を成果と考える)
・付加価値労働生産性=付加価値額÷労働量(労働者数、又は労働者数×労働時間)
計算例:従業員数4人、各従業員の労働時間5時間、商品の売上額100万円、原材料費など諸経費合計60万円
・労働者1人あたりの付加価値労働生産性:付加価値額(100万円-60万円)を投入した労働量(4人)で除して10万円となる。
・労働時間1時間あたりの付加価値労働生産性:付加価値額(100万円-60万円)を投入した労働量(4人×5時間)で除して2万円となる。

*生産性向上と業務効率化との違い
「生産性向上」と「業務効率化」の主な違いは対象範囲

業務効率化とは、業務の「無理・無駄・ムラ」をなくして効率よく業務を進められるようにすること。
(業務プロセスの中で効率の悪い部分を省くことが業務効率化の具体例)
生産性向上とは、生産性を高めて企業が効率よく利益を上げられるようにすること。
(業務効率化は、生産性向上を実現するためのひとつの手段)

*企業規模別/業種別の労働生産性

企業規模別:
一般的に、大企業の方が中小企業と比べて労働生産性は高い傾向にある。
しかし、業種によって企業規模別の労働生産性には差があり、特に情報通信業や製造業などの機械化が進んでいる業種では顕著に差が見られる。
一方多くの人手を必要とするサービス業などの業種は、企業規模による大幅な差は発生していない。

業種別:
金融業や不動産業などは労働生産性が比較的高く出やすい。これは少人数でも多くの利益を生み出しやすい産業構造となっているため。
一方サービス業などの業種は多くの人手を要するため、労働生産性が低くなりがちな傾向にある。


「日本の労働生産性が低い理由」

これについては種々説明があるが、当方が納得できるもの及び考えついたものを記しておく。

・雇用形態
(年功序列と終身雇用)
給与体系は成果によるものではないので、何もしていなくても給料は支払われる。また正社員であれば身分も保証されているので、ある程度の年齢になり先が見えてくると、あまり仕事をしない或いは意欲的に働かない人も出てくる。その結果全体としての成果は同じでも人数で割った労働生産性は低下することになる。(但しこの制度自体には利点もあるが)

(新卒採用)
日本では新卒採用が大半で、社内教育をしてから社員を戦力としている。従ってこの分、時間と費用がかかるので生産性は落ちることになる。(この制度にも利点もあるが)
(米国などでは即戦力となる中途採用が一般的なので当然労働生産性は高い。)

・長時間労働
従来から日本では長時間労働をするということは、それだけ仕事をしていると見られる傾向がある。
また残業代が生活費の一部になっているということもある。
更に上司が帰らなければ帰れないという悪しき風潮(意識)もあり、これらが労働生産性を低下させる原因にもなっている。

・社内組織・制度
稟議書や報告書・会議などが多いことも業務の効率化を妨げる原因となっている。
(海外ではトップに伝わるスピードが早く、またトップの決断も早い。また決済が担当者個人の裁量に任されている部分も多い。)

・業務のアナログ管理
給与計算や書面の発行から郵送、各種申請や承認など、事務作業やデータ管理にかかわる業務を手作業で行っているところも多い。未だにFAXを使用しているとか、ハンコ文化などもその例。時間と労力の無駄となっている。

・客先回り
日本では何かにつけて体面形式を重視する傾向がある。顧客開拓のための訪問もあるが、商談は別として、さして用事がなくとも御機嫌伺などで客先に出向くことも多い。「生保レディ」と呼ばれる保険の外交員などは大量の人員がおり日々客先を訪問しているが、その成果は訪問回数・時間に見合ったものとは思えない。

*この他に日本の労働生産性が低い理由は中小企業の存在にあるとの意見もある。
日本は欧米諸国に比べて中小企業が多く生産効率を妨げているとの意見だが、これについてはそのような面もあるにせよ、一方自動車産業などに顕著に見られるように、これらの産業は中小企業の存在によって成り立っており、それにもかかわらず大企業が中小企業の利益を圧迫し、生産性を低くしているという側面も見逃してはならない。(日本の中小企業の生産技術の高さはよく知られているところ。)

*労働生産性は、収益の減少以外に、ひとつの業務に携わる人数が多くなったり、作業する時間が増えたりすれば、低くなる。欧米の先進国と比べると、同じ価値を生み出すために日本で投入されている労働者数や労働時間は多いため、結果として労働生産性は低くなっている。


労働生産性を向上させるには、「成果主義」を取り入れるとか「能力給」にするとか、或いは「チーム作業」の見直しとかいろいろと言われているが、私はこれらについては賛成できないところがある。
(欧米はこのスタイルだから労働生産性が高いのは当然で、逆に日本が低いのも当然である。)
私が成果主義に反対の理由については「年功序列と成果主義」のところで述べているが、このような欧米流の合理主義は日本人には向いていないと思われる。
(日本が総中流社会から格差社会になってしまたのも、経済状況の問題は別として、このことに起因するところが大きい。)
勿論、日本経済を発展させ国民全体の所得を向上させるには、生産性を高めるということは必要不可欠であり、このこと自体を否定するものではない。
しかしその方法は、我々国民性に合ったもので、納得できるものでなければならないというのが私の考えである。

 

(追記)

言い忘れたが、日本企業の生産性が低いのは、大企業の内部留保の貯め込み過ぎということも忘れてはならない。内部留保自体は生産性に全く寄与しない。この資金を「設備投資」「人材育成」「新規事業開発」などに投資されることによって、はじめて生産性向上に寄与する。(その可能性が出てくるということ。)

資金が効率よく使われているかどうかは、B/S(バランスシート)のROE(自己資本利益率)を見ると分かる。
日本企業のROEは国際比較でみるとかなり低い。東証が2022年7月に公表した資料によると、ROE15%以上の企業の割合は、日本が19%であるのに対して、米国が61%、欧州が49%となっている。
これは日本企業の資本効率が悪いということで、生産性を下げる原因にもなっている。

 

 

コメント

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

2024-05-31 01:10:00 | 話の種

「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」


日本の賃金がこれ迄上がらなかった理由については、企業(特に大企業)が内部留保として利益を貯め込んで従業員に還元してこなかった、一方中小企業は大企業からの値下げ圧力により賃金を上げる余裕はなく、非正規従業員・パートなどは立場の弱さから賃金は抑えられたままになっているなど、これ迄に述べてきた通りだが、今年になってようやく大企業を中心に改善の動きが見られるようになり、飲食業界なども人手不足が限界に達し、賃上げをせざるを得なくなっている。

しかし未だに多くの業界では人手不足が言われているにもかかわらず、相変わらず賃金は伸び悩んでいる。人手不足なら賃金を上げれば良いのではと思うがそうはならず、中でも注目されるのは、「病院の勤務医や看護師などの医療従事者」「介護士や保育士などの福祉事業従事者」「バス・タクシーなどの公共交通機関の運転手」「トラック輸送や宅配などの物流業従事者」などで、激務にもかかわらず賃金が安い業態ほど、この傾向が強いこと。

(*但し、医師、看護師、介護福祉士(単なる介護士ではなく)、保育士などは国家資格が必要という制度の問題などもあり、他の業種とは事情が異なり、以下の説明とは異なる面もあるので、例外としておくが。)

通常であれば需給の法則で、人手不足になれば賃金も上がるはずだが、そうはなっておらず不思議でならない。

そこで調べてみたところ、

「医療」は、国(厚生労働大臣)が診療報酬(事業者への点数制度による支払額)を定めている。
「介護」は、国(厚生労働大臣)が介護報酬(事業者への支給限度額)を決めている。
「バス」は事業者が上限運賃を定めるが(下限はその8割)、国(国土交通大臣)の認可が必要。
「タクシー」は国(運輸局)が運賃の上限/下限を認定し、その範囲内で事業者からの申請を認可する。

このように国がサービス価格を設定している業態は、事業者もその範囲内でしか従業員への給料は払えないということで、賃金が上がらない理由も分かり易い。(但し、分配の問題はあるが。)

では他の分野では何故賃金が上がらないのだろうか。

これについては、失われた30年と言われるように長期のデフレ経済下にあって、日本の消費者或いはサービスの利用者に於いては値上げへの抵抗感はかなり強く、供給側としたら値上げをしたら需要が落ちるのではとの不安があること、また日本の経営者には賃金は一度上げたら下げるのは難しいとの認識があるので、なかなか賃上げには踏み切れないでいると言うことが挙げられる。

更に、これらの業種は中小企業が多く(大手の下請けなども含め)、構造的な問題を抱えているということも考えられる。

例えば、2024年問題(時間外労働の上限規制)で話題となった物流業界である。
トラック運送や宅配ドライバーの過酷な労働環境(労働条件・勤務形態)は常々問題視されていたが、今回の長時間労働の禁止により、人手不足の問題が一気に深刻化した。
当初述べたように、それならば賃金を上げれば良いのではと思うが、これがなかなかそうはならない。

まずは荷主がそう簡単には配送料の値上げには応じないということ。
そして労働環境の悪さからそう簡単には人が集まらないということ。

*他の業種でも、人手不足に陥っているところは「過酷な労働状況」「労働条件の悪さ(賃金を含む)」がネックとなっているということは共通して言えることだと思う。
(*医療、介護などの資格を要する業種は、事業者がそこで働く人たちの使命感に甘えているところはないだろうか。)


ではなぜこれら業種の従業員がエッセンシャルワーカー(必要不可欠な労働者)とされているにもかかわらず、低処遇のまま安く使われるようになってしまったのだろうか。

田中洋子氏(筑波大学教授)は次のように述べている。(情報労連 2024.01-02)

[低処遇の背景]

(問題の根底にあるのは)構造改革や行政改革、「官から民へ」「小さな政府」という新自由主義的な政策の存在です。

こうした新自由主義的なイデオロギーに基づく経済とは、人件費をできる限りカットして、企業の都合に合わせて人を安く使うほど、企業の業績が良くなり、競争力が高まるとする考え方です。
(*当方としては、このように言い切るのはやや決めつけ過ぎではとも思うが。)
こうした考え方が1990年代から30年間で日本中に広がった結果、エッセンシャルワーカーの低賃金構造がもたらされた、というのが研究によって見えてきたことでした。

[コストカットの拡大]

それらは次のような形で社会に影響を及ぼしました。

一つ目は、コストダウンのための女性や若者を中心とした非正規雇用の活用です。1980年代まで、パート・アルバイトなどの非正規雇用は、家計補助型の働き方であり、社会問題化していませんでした。しかし、バブル崩壊後に男性正社員の雇用・給与が不安定化すると、これらは生計維持型に変化していきます。それでも企業はコストカットのため低賃金の非正規雇用を積極的に活用し続けています。

二つ目が、公共サービスの削減です。「官から民へ」の大合唱の下で、公務員の数や予算は劇的に減らされ、公共サービスは圧力にさらされました。その結果、公務の現場では大きく非正規化が進んでいます。特に、多くの専門職の人たちが非正規に追いやられました。その処遇は低く、フルタイムで働いても年収が200万円に届くか届かないかです。

三つ目は、請負や業務委託の拡大です。日本にはバブル崩壊前にも下請け構造はありました。しかし1990年代以降は、下請け企業への配慮がなくなり、買い叩けるだけ叩く、応えられなければ安い業者、海外の業者に出すということが広く行われるようになりました。その結果、低価格競争が進み、ピラミッド構造の中での「中抜き」も進みました。それが、実際に現場を担って働いている人たちの低賃金を生みだしました。

これら三つの出来事は、共通した考え方の下で進んできました。それがコストカットと市場競争に任せるという新自由主義的な考え方です。これらが政府や企業の方針となり、それが国民にも受け入れられていったことで、日本の低賃金構造が生まれたのだといえます。」

(参考)

「新自由主義とは」(東証マネ部 2023.11.19)

「新自由主義とは、政府の経済への介入を抑え、自由競争によって経済の効率化や発展を実現すべきという考えを指します。英国のサッチャリズムや、レーガノミクスが具体例です。

日本の新自由主義の例
日本でも、新自由主義に基づく政策がいくつか存在します。代表的な例が、以下の2つです。

・中曽根康弘首相による三公社の民営化
・小泉純一郎首相による聖域なき構造改革

日本で2人の首相が実施した政策について、詳しく解説します。

中曽根康弘首相による三公社の民営化
中曽根康弘は、日本の第71〜第73代内閣総理大臣(1982-1987)です。中曽根元首相は、サッチャー元首相やレーガン元大統領と同時期に、新自由主義に基づく政策を進めました。

国鉄(現JR)・電電公社(現NTT)・日本専売公社(現JT)の三公社の民営化を実現したことが、中曽根元首相が実施した政策における具体例のひとつです。

小泉純一郎首相による聖域なき構造改革
小泉純一郎は、日本の第87〜第89代内閣総理大臣(2001-2006)です。

小泉元首相は聖域なき構造改革を掲げ、不良債権処理の加速化、規制緩和、歳出の見直しなどを進めました。また、郵政民営化を実現したことも、聖域なき構造改革のひとつです。

その一方で、聖域なき構造改革が格差拡大につながったとの批判もあります。」


以上は低賃金構造の理由を説明したものだが、では人手不足の原因は何なのだろうか。

まず言えるのは「少子高齢化」。
少子化は言うまでもなく、賃金が上がらないので子供を育てる余裕がなく、先行きにも不安があるため。
高齢化は定年退職などによる労働者数の減少。(生活防衛或いは生きがいのために働く高齢者もいるが、働き場所・機会が限られていることもあり、絶対数は減っている。)

次は「需要と供給のミスマッチ」。
若者たちは人手不足を背景に割の合わない職場は敬遠するようになり、それがこれら過酷な労働環境の業種での人手不足を招いていると考えられる。
(更に先行き不安により、若者たちは「資格取得」「キャリアアップ」を目指すようになり、これら人手不足に陥っている業種では、それらは望めないということもあると思われる。)

そして「円安の影響」。
円安により日本での賃金が相対的に安くなったことから、日本で働く魅力が無くなり、海外からの出稼ぎ労働者の流入が減少傾向にあること。(他方日本を出て海外で働く人たちは増えている。)

*(参考)朝日新聞(5月30日)の記事。
(超円安時代)
「日本→母国、送金の目減り直撃」
「稼げる」一転「家族の生活に足りず」
「内定辞退し他国へ 人材確保に暗雲」

「記録的な円安が続く中、日本で働き、故郷に仕送りをする外国人が苦境に立たされている。円で受け取った給与を母国の通貨に替えると、以前より大きく減ってしまうためだ。日本が働く場として選ばれず、「働き手の確保が難しくなってくる」と懸念の声が上がっている。」


人手不足により、経営者は従業員の賃上げの代わりに、様々な形での合理化を行っており、これも賃金が上がらない理由の一つと言える。

人手不足及び合理化が私たちの生活にどのような影響を及ぼしているかというと、

例えば、
・介護は施設や介護士不足で家族による自宅介護が増え、働きに行けない人も出てきている。
・保育は施設や保育士不足で、母親が勤めを断念するケースもある。
・バスは路線廃止や減便などを行っている。
・タクシーは国がライドシェアなるものの導入の検討を始めた。
・スーパーのレジなどは客に操作をさせるようにしている。
・飲食店では客にタブレットで注文させるようにしている。
・電話での問い合わせなどに対する応対は自動音声となっている。

勿論生産性の向上のためには合理化も必要だが、一方でこれらはどれも利用者に不便をもたらしたり、労務を転嫁したりしたものといえる。つまり、事業者は賃上げの代わりに、我々利用者に人手不足の穴埋めを押し付けていることになる。
(デジタル対応については、若い人たちは抵抗がなくむしろ便利になったと言う人たちもいるが。)
人手不足なのに賃金が上がらないということは、単にそこで働く人達だけの問題ではなく、サービスを受ける我々にもそのしわ寄せが来ているということで、困ったものである。


(参考)

冒頭で述べた、企業収益が従業員に還元されていないということについて、朝日新聞(5月24日)に下記報道があった。(これも賃金が上がらない理由の一つ)

「物価上昇、賃金に回らず 昨年度GDP分析、大半は企業収益に」
「2023年度に相次いだ値上げによる物価上昇は、多くが企業収益となり、賃上げにはほとんど回っていないことがわかった。」(中略)
「24年3月期決算で、上場企業の純利益の総額は3年連続で過去最高となり、値上げが利益を押し上げた企業も多かった。値上がりした分が賃金にどう回ったのかをGDPデフレーターから計算したところ、23年度の上昇分(4.1%)のうち、賃上げ要因は0.3%分にとどまった。割合では1割に満たない。」(以下略)


(参考)

朝日新聞の声欄の投稿。

・「人手不足 賃上げで解決できる」(会社員(35)5月22日)

「宅配の委託会社の正社員で働いている。委託元である荷主の正社員より荷物量は2倍、配達件数も2倍弱だが給料は3割低い。委託元では賃上げがあったが、我々には全くない。同じ仕事で給料も安く、逆に荷量と件数は多く、割に合わない。
委託料が上がらない限り、我々の給料は永遠に上がることはない。今まで数え切れないほど、社員が辞めた。全ては仕事量に対する安月給が原因である。給料が上がらない限り退職者は減らないのに、なぜかたくなに賃金を上げないのか。嫌なら辞めればよい、代わりはいくらでもいると言われているようなものだと思ってしまう。
退職者が毎月のようにいるため、有給休暇すら取れず、ストレスと不満がたまる。授業参観、子どものインフルエンザでさえ休ませてもらえない。自分が病気になった時でも出社をしてくれと言われたくらいだ。
賃金格差が生み出す、人手不足。退職者が出るたびそのしわ寄せは社員にくる。物価と食料は値上がりするが、唯一給料は上がらない不可解な現状である。全ては賃上げ、賃金格差是正が、問題を解決すると私は思う。」

・「物価とともに最低賃金も上げて」(成年後見人(51)5月22日)

「私は成年後見人の仕事をしていますが、それだけでは生活費が足りないので、要介護認定調査のアルバイトをしています。今年の春、大手企業での賃上げが相次いだというニュースを見て、もしかしたら私のアルバイト先でも、という淡い期待を持ちましたが、全く変わりませんでした。
介護業界は介護報酬(委託事業は委託料)に左右されるので、企業の賃上げとは無関係ということになるのでしょうが、他にも賃上げしづらい業界は多いと思います。
現状では個人が収入を増やす対策としてできることは、単純に仕事量を増やすほかはなく、しかし一人でこなせる仕事量には限界があり、これ以上は厳しい状況です。
物価高は今後も続くでしょうから、物価の上昇とともに賃金が上がるよう、大企業だけでなく非正規やアルバイトの最低賃金も大幅に上げてほしいと切に願っています。」

 

コメント