きまぐれ日記2

気まぐれに日々感じることをデータや情報を調べながら自身のためになるよう、なるべく読みやすいよう書いてみます。

プロローグ1~足るを知ること 平成の終わりに

2019-04-30 23:05:21 | 日記
平成の時代の終わりに際し今まで書いていたブログから内容の一部をこちらで書こうと思う。というのも、元のブログで書いていた内容が書きにくい状況が生まれたという事情がある。旧ブログでは私が思うことを自由に書いていたのだが、どうも私の周囲にいる異なる意見を持つ人々の目に晒されている可能性が判明した。特段その人たちを批判するつもりもないし、実際していない。だがそうは捉えられず仕事などで支障をきたす危険性を避けたいという思いから一部をここで再開することとした。

とはいえ旧ブログではそういう案内も出来ない。ここではゼロから私を見ることになる読者の皆様との出会いになるだろう。おそらく人によっては嫌な思いをされることもあるかもしれない。まずはそうなる場合はお詫びしておきたい。あくまでも私個人の意見を述べているだけであり、それが絶対だと言うつもりはない。ただこんな考えの人もいると思っていただきたい。そのなかで少しでも感じていただけることがあれば幸いだ。まあこれだけくどい書き回しなのでここまで読んで頂けただけでありがたいことだがよければおつきあいください。

私は関西出身在住で昭和の終わりを浪人生として東京中野の図書館で受験勉強をしながら過ごした。平成に大学生となり地方の国立大学に進学した。そして大学院まで行き論文を国会図書館に所蔵されることを許された。テーマはガン細胞とテロメラーゼという当時トピック的なテーマであった。その後就職し現在自身の職場を持って何人かのスタッフと日々仕事をしている。

大学院での研究はその後の私の死生観に大きく影響している。テロメラーゼというのは細胞分裂する際に消費されるテロメアを作る酵素だ。テロメアは細胞分裂のDNA複製の際消費される無意味な繰り返し配列である。その長さは有限で細胞分裂の回数券のようなものだ。
テロメラーゼのwikiを引用すると

テロメラーゼ活性が低い細胞は、一般に細胞分裂ごとにテロメアの短縮が進み、やがてヘイフリック限界と呼ばれる細胞分裂の停止が起きる。テロメラーゼは、ヒトでは生殖細胞・幹細胞・ガン細胞などでの活性が認められ、それらの細胞が分裂を継続できる性質に関与している。このことから、活性を抑制することによるガン治療、および活性を高めることによる細胞分裂寿命の延長、その両面から注目を浴びている。

とある。つまり人間の細胞は有限であり全て老化によりある一定の寿命が存在する。それを回避するためにテロメラーゼの活性化が起こるとガン細胞の性質の一つである不死化を獲得する一因と言われている。

ここからは私の私見である。ヒトは医学や衣食住が十分ではない時代には50~60歳というのが1つの人生の区切りと考えられていた。日本では60歳で還暦でお祝いされる。それは普通に医学のない状態で健康に生活していれば50~60歳になれば体の機能が衰え運動機能の低下や視力や聴力の低下による狩猟能力や危機回避能力の低下、歯や消化器官の障害による栄養不足あるいは免疫低下などが生じ生命に危険が生じたのだと思う。だからそこまで生きるとお祝いされたのだ。それはテロメアという有限の回数券を消費することにより訪れる生命限界のようなものとも言えよう。だが文化の発展とともに衣服による体温管理、住居の進化による外気温や外敵からの防御、食事の進化による高栄養化などで寿命は飛躍的に伸び続けた。それに医療の進化だ。これで幼児期の死亡率は減少し高齢者の寿命は延長された。
それとともに生じたのが地球人口の爆発的な増大と高齢化社会の深刻化だ。おそらくテロメアは寿命を設定することで人類やその他生き物の数を制限していた安全弁のようなものなのだと思う。だが人類はその弁を現在除去しつつある。1800年に10億だった世界人口は1950年には25億、1998年には60億に増え2011年には70億を超えている。
生態系の頂点に君臨する人類が寿命を延ばせばそれだけ消費される資源は増大する。現在それでも資源が枯渇しないのは乳幼児死亡率が世界平均より高いアフリカおよびアジアの国々が存在するからに他ならない。それらは出生率が4以上の高い国が多い。彼らが餓死や電気のない生活を送ることで均衡が保たれている。だが彼らとてそのように踏みにじられる生活をこれからずっと我慢していくわけではない。情報が簡単に手に入れられる現在、彼らの不満はいろんな形で文明国に向くであろう。イスラムの原理主義などがその怒りの受け口になっている。そして世界の治安が不安定化していく。

今日本は健康について情報が溢れている。そして様々な運動器具やサプリメントが販売されている。健康に長寿する、そのことは否定されるべきことではない。だが人類は進化を続けガンを克服しようと様々な研究が行われている。さらには再生医療というものが普及すればさらに寿命というものは伸び続けるであろう。
一方高齢者はその生活の多くを社会に負うことで成立している。年金医療介護など多くの社会コストの上で成立する。もちろんそれまでの功績を考えればそれを否定することなどないだろう。だが皆が健康で長生きする社会がどういうことを引き起こすかを考える必要はあるのではなかろうか。
多産多死国家の犠牲の上で我々先進国は資源を寡占している。そして乳幼児死亡率の低さが世界第3位の日本では年間出生数が100万人を割り、少なくなる若者の背中の上で世代人口200万の年配者の多くが長生きする。本来の人間寿命たる60歳を越えてもなお。そして自給できる資源の少ない日本は世界の資源を買い漁ることとなる。それは虐げられた国からすると搾取されたという感情も生まれるであろう。
人類はバベルの塔を作り登っているのではないかと私は考えたりする。もっと健康にもっと長生きしてもっとおいしいものを食べる。それは私自身の中でも否定できない部分はあると思う。でもその欲求に従い生きることには私は抵抗を感じている。足るを知ることがない限り我々は多くの犠牲のもとでその喜びを享受することになるだろう。そして自然の摂理が定めたピリオドを乗り越え不死という神の世界へと近づこうとするその姿は神に近づくためバベルの塔を建てた姿に似てはいないだろうか。

人類を地球のガン細胞ととらえる考え方がある。私もそう感じている。本来は資源や密度などで適正な数を維持するべく自然の規律で寿命は定められているはずである。だが人類は科学を用いてその寿命を超えて生きている。それはテロメアによる細胞分裂限界を超えてなお生きようとするガン細胞のそれと似たようなものを感じてしまうのだ。そしてガン患者が増殖したガン細胞による栄養搾取で人体機能を維持させず死滅させられる。同様に人類もまた地球の資源を吸い尽くし他の生物の存続を脅かし地球本体の死滅に近づいているように思えるのである。

私がここで言いたいのは長生きするなということではない。ただ長く生きるということはそういう部分を常に内包していることを我々は知っておくべきだと思うのだ。そうして自分の体に限界が来たときにいつでも満足できた人生だと思えるよう生活すべきだと思うのだ。
人生の価値はおそらく長さではないはずだ。その生き方をどう捉えるかで変わってくると思う。そのなかで足るを知るということは大きな意味を持つと思う。そしてそれを共有することが出来ればもっと多くの人類がもっと幸せに生きることが出来るのではないかと考える。

こう偉そうなことを書いている私自身多くの無駄を浪費し世界の貧困回避からは遠いことを行っている自覚はある。そして自身の人生も寿命と言われる年月に差し掛かっている。実際に死を宣告される病名が目前に来て同じことを言えるのかと問われれば確信は持てない。だが現在の平時では十分に足る人生だったと思っている。
私は善人ではないのでおそらくこうやって能書きを垂れることしかできない。だが私よりも高尚な読者皆様にはそこから私と異なり世の中を啓発したり変えていく力を持つ人がいるのではないかと思うしそう願う。
こういうことはおそらくテレビなどでは報道されないであろう。健康長寿は今や一大産業でもある。そして多くの高齢者がそれを志向していることは日々の仕事でも感じるところだ。ガンが克服されつつあり再生医療が目前に迫る今だからこそ今一度長く生きるということを違った視点で見ることが必要ではなかろうか?

人間は欲などのために多くの間違いをしながら生きていく。そしてそのことに目を伏せながら忘却することもあるだろう。でも人生は有限であり足るを知らずに生きればどんなに長くても満足は得られない。そして生きるということはなにがしかの負荷を社会や世界にかける。天啓の刻が来たときに心の負荷と見つめ合い少しでも取り除ければきっと満足できる人生となるのだと思う。
おそらく私にはまだその心の負荷が十分見えていないのだろう。だから足るを知った気でいるのかもしれない。でもそれを見続けることから避けないようにしたいとは思っている。そして遠からず訪れる天啓の刻を少しでも足るを知る気持ちで迎えたいと私は考える。

今平成を終わろうとしている。そして天皇陛下の足跡やお言葉が放送から流れている。日本を象徴される天皇陛下はやはり足るを知ってご退位されるのだと私は感じる。陛下は天変地異が多くあり、経済的な斜陽となる混迷の平成という時代に国民を思いご活動された。我々も陛下のお気持ちのわずかでもいいから自分の未来だけでなく日本いや世界の未来に思いをもつべきなのだと改めて思う。来る令和の時代に向けて。