きまぐれ日記2

気まぐれに日々感じることをデータや情報を調べながら自身のためになるよう、なるべく読みやすいよう書いてみます。

勝手に推測する地球と日本と地震

2019-05-18 20:55:02 | 日記
地球は太陽系の惑星で太陽を中心に周回している。そしてその回転軸は傾きがあることが知られている。23.4度の傾斜だそうだ。その理由は不明だそうだが大きな隕石の衝突などがその原因の可能性の一つとして挙げられていた。そう考えれば隕石の衝突などで塵などで太陽光を遮り氷河期が来たなんて話も真実味を帯びるわけである。
当然隕石の衝突部位は凹むわけだからそれまで垂直軸で回転していたとしても凹んだ部分は重量が軽くなるわけで球体の一部が軽くなれば地軸のそちら側が太陽に近づき重い方が太陽に遠くなる。そう考えてみれば南半球の地表面積と北半球の地表面積は明らかに北半球が大きく全体の3分の2近い。
さらに山岳地帯の面積や標高も北半球が圧倒的に高くその面積も広い。山岳地帯と平地では当然重量は山岳地帯の方が高い。陸地と海洋でも当然陸地が重い。だから地軸が南半球側が太陽に傾いているのかなと推測する。ということはおそらく隕石は南半球側に落下したのであろう。

地球は重力が存在するので自然に下に重いものが堆積する。だから私が大学院で遠心分離器に試験体をかけると重いペレット(残渣)が下に堆積する。遠心分離機は地軸とは逆で回転軸に対して上が近く下が遠い。これはより効率的に下にペレットを分離するためだろう。
だが宇宙は重力が存在しない。だから太陽系という遠心分離器にかけられた地球は上か下に残渣が溜まるかは重力の重い側による。つまり地球という土と水の混合液は残渣である陸地を長い時間をかけて北半球の太陽から最も離れた北緯23度ラインに集中するよう常に力をかけている。北緯23度線というのは


上のリンクで表される。北アフリカから中東の真ん中、それにアジアの南海岸線付近、さらにメキシコあたりが該当する。世界地図を見ればわかるがメキシコ湾にアフリカ西部を当てはめれば難びくアメリカとアフリカはパズルが合うようにひとつになる。さらにマレーシア辺りを最深部にインドネシアやオーストラリアが下方(南方)中国大陸南端が上方(北方)に分裂しているさまが見て取れる。その亀裂線上に台湾がある。
亀裂の南方にはインドネシア・パプアニューギニア・ニュージーランドからオーストラリアに至る。北方には南西諸島から日本列島がありその外郭にアジア大陸がある。
オーストラリアもアジア大陸内陸部も比較的地震が少ない。だが23度線上の台湾は当然としてその外郭ラインはプレート境界からか上記の国には地震が多い気がする。実際世界10大地震に日本および千島列島で3つ、インドネシアのスマトラ島が2つだ。あとはチリにアメリカ大陸西海岸2つ、東アジア海岸沿いとアラスカだ。先程のラインに関するところが少なくない。
南北アメリカ大陸とアフリカ大陸を引っ付けて世界を一つの大陸としてみれば南西から北東に向かって伸びていることが見て取れる。これは日本列島の並びと同じである。さらに日本列島を見れば富山湾を中心に弓なりになっていることが判るだろう。これは地球の自転方向である日本から見た東向きに陸地がないため遠心力で大陸から引き離されているとも考えられる。逆に北南米大陸とアフリカ大陸の場合は陸地部分が狭窄し不安定化しプレートが動きやすくなりチリやメキシコアメリカ西海岸で地震が起こるのではなかろうか。

富山県からは静岡県に向けてフォッサマグナが走っている。この地帯の左右には日本で屈指の高山地帯が密集している。ということは竹の平板を曲げた時のよう弓の頂点に力が集中した分だけ地表が盛り上がり日本アルプスと呼ばれる高山地帯を形成しているのだと思う。
それとは別に南西から東北という日本列島の方角と同じ方向に背骨のごとく存在するのが中央構造線だ。フォッサマグナから南西方向に紀伊山地・紀淡海峡・四国山地・佐田岬・別府・阿蘇・天草方向に走る世界一級の断層だ。
日本は複数のプレートの境界上に位置しており地震が多いと知られている。おそらくその根本は地球の自転軸や遠心力などがそうさせているのだと思う。当然ながら日本に地震がなくなることはない。確実にある周期ごとにくる。その強さは予測などできないだろう。

皆さんは愛媛の佐田岬を訪れたことがあるだろうか?上述のとおり中央構造線の一部だ。この半島は幅が1kmほど(太くても2km)の平地がほとんどない長さ40kmほどのひょろ長い岬だ。先端の三崎港まできちんとした道は一本だけで根元に伊方原発がある。半島の山の上には風力発電の風車が回り三崎港から大分県の佐賀関までのフェリーで見るかぎり潮流が速く複雑に巻いている地域だ。




四国電力は東日本大震災の計画停電などの影響は一切受けていない需要に対する電力の不安が全くない電力会社だ。むしろ関電に融通していた。原発無しでだ。そんな四国電力がなぜ原発を持つか、それは売電しているからだ。電力の自由化で余った電気を売り利益を得ているのだ。自分のところで必要のない分を大量に生産してだ。そのために伊方原発は必要なのだ。

運転中止訴訟に際して四国電力は佐田岬の住民は根元で事故が起きて避難できないときにひょろ長い片道1車線の道を40km1時間以上かけて三崎港に行き船で大分に逃げろと言っている。当然渋滞するだろう。漁船で逃げれる人は船でというが先ほども書いた通りここは風が強く潮も複雑だ。南や西に向かって風が吹けば当然被ばくする。
三崎港は小さな港だ。フェリーは300人乗りでGWに観光客が多い時は一便に全部載せられず次の便を待つこともある程だ。そこに5000人はいるであろう住民を運ぼうというのだ。港はそう規模が大きくないので常時船が停留することは不可能だ。でもお国によればそれで避難は大丈夫だそうだ。
電力の自由化というのはそういう出どころが多いのだ。だから九州電力も原発を回したがる。そして決して安くないコストでも今までの電気代よりは安いので商売が成り立つ。

私は昨年関西電力と仕事場も自宅も契約を止めた。それは私が水を使う仕事だからだ。私のところは淀川水系の水を使っている。ということは若狭湾が地震か北朝鮮のミサイルかで事故を起こすとそのまま琵琶湖水系の被ばく汚染が起こる。ということは生活はもちろん仕事が出来なくなる。ベクレル入りの水をひとに対して使うわけにはいかないからだ。
更に言えば若狭湾の風は冬が当然強くその方向は北東だ。気象庁のデータを見て頂ければわかる。行先には琵琶湖と東海道新幹線、さらに名古屋がある。揖斐川・木曽川などは汚染される危険性が高い。名古屋まで汚染されれば経済的ダメージは計り知れない。さらに東と西の交通が分断される。
地震はその大きさも場所も予測不可能だ。だが少なくてもリアス式海岸や半島や湾が入り込んだところ、四国と淡路島と近畿のようにどう見ても繋がっていたものが分離したような地形は地震が起こりやすい。そう考えれば若狭湾・琵琶湖などの形態もそれとは無関係ではない。
かつて大飯原発のある大飯町は数百万円規模のシカによる食害に何億もかけてフェンスを作ろうとした。そして大飯町にはやたらと立派なスノーシェッドや公共の建物が散見する。これは原発マネーが呼びこんだものだ。ヤクザが議員をしながら原発を推進している町もあるという。
関西電力は関電不動産という黒字企業を傘下に持ちながら今まで一切値引きせず高い電気代を押し付けてきた。電気代を安くさせると謳い文句の原発の依存率全国一率にもかかわらずだ。そして自由化になった途端値引きをする。そして原発再稼働をするために職員を自殺に追い込ませながら再稼働許可を得させた。

日本は地震が起きて当たり前の国にであることは皆さまもご理解されているあろう。そして学者をしてその予想は不可能だと言っている。そして住民の安心などは佐多岬を見れば安全前提の理論だ。そして原発事故が起こって東電の役員は責任を問われただろうか?その財を引き剥がされたであろうか。そして原発事故避難民は国や東電の後処理に満足していると思えるだろうか。
起ってから文句を言っても仕方がないのだ。少し頭を働かせれば原発の安心など絵空ごとだとわかるであろう。被爆の怖いのは色も臭いもしないことだ。私もRI実験室を使用したことがあるのでその不確かさは理解できる。それでも外に漏らさないよう何重も厳重なチェックをして扱える代物だ。火事のように見えて消化の手段があるものなら手立ては打てる。だが半減期に頼る以外は目の前の放射線物質を移動させ集約するしか手段がないものに対して安倍首相がオリンピック招致時に言ったようなアンダーコントロールという状態があり得るのだろうか?

自然の力は偉大である。人智で制御出来ることなどその一部でしかない。この地球の状態もひとときの安寧でしかないだろう。人類が地球温暖化を起こしたその裏で太陽の弱化が起こればあっという間に氷河期が起こるやもしれない。隕石の墜落だってあるかもしれない。地震なんてあって当たり前の災害だ。
東日本での危険性を知ったうえで原発が必要なのか考えるべきだろう。その先には私たちの電気三昧の生き方の見直しもあるはずだ。少なくとも近畿・名古屋圏の人たちは決して他人事ではない。



令和の時代に訪れる危機~大学編

2019-05-16 00:20:28 | 日記
今朝のニュース記事に「地方私大、淘汰の時代に 進む少子化 学生確保難しく」という西日本新聞の記事が掲載されていた。


この記事にあるよう全国の大学数は1990年の507校から、2017年には780校に増加した。約54%の増加だ。4年生大学の学生数も1990年213万3362人だったのが2017年には289万0880人にまで増えている。4年制大学だから世代人口あたりは53万3341人から72万2720人に増えている。
1990年に大学進学する年齢となる1972年生まれの世代人口は203万8682人と第2次ベビーブームのピークである。それに対して2017年に大学進学年齢となる1999年生まれの世代人口は117万7669人と1972年の約58%の出生数しかない。どちらともその前後はそう大きな人口変化はない。
ということは大学進学する世代人口の割合が1990年の世代人口に対する4年制大学生比率が26.2%だったのが61.4%にまで上昇している。つまり世の中における大卒経歴者が2倍以上に増えたのである。

それに比べて日本の大学の世界に対する位置づけはどうなったであろうか。

この記事にあるよう日本の大学の評価は低下の一方だ。ネイチャー紙に危惧されているくらい日本の科学技術レベルは低下している。ではなぜ大学生も大学数も大学進学率も増えているのに国際的な科学研究能力の低下が指摘されているのだろうか?

大学のランキングの評価に用いられるのは主に科学論文の掲載数だ。論文には掲載される雑誌のランキングのようなものがありインパクトファクターと呼ばれていた。論文掲載された雑誌のインパクトファクターが教授選考の場などで審査対象になっている。
インパクトファクターの高い雑誌の日本人研究者の論文掲載が減少していることが日本の科学研究の危機として表れてきている。つまり世界的に影響するような新しい研究業績が日本の大学から出てこなくなっているのだ。
一方研究論文の主たる担い手は大学だ。それも調べて頂ければわかるだろうが圧倒的に国立大学だ。旧帝大だけでなく地方の国公立大学も上位を占めている。そう、国公立大学の研究が危機に瀕しているのである。
上の日本のアカデミズムの危機の記事でも書かれているよう現在国立大学は独立法人化されている。これは今まで助手という有給の任期のない研究者の立場が有期の更新性を導入されたことが大きいと思う。任期の間に結果を出さなければならない、ということは基礎研究やトライアンドエラーで得られるような新規の研究は成立しにくくなるということである。

では何故国立大学は独立法人化されなければならなかったのであろうか。それが冒頭の記事に関係していくる話なのだ。国立大学の学生数は1990年の51.9万人から2017年に60.9万人と10万人増えたのに対して私立大学は155万人から213万人と58万人増えている。
国立は授業料が1990年に34万入学金が20.6万だったのが2017年には53.5万と28.2万に増加している。一方私立大学は1990年に授業料61.5万入学金27.7万だったのが86.8万と25.6万だ。国立が授業料57%アップ入学料40%アップに対して私立では授業料41%アップ入学料はマイナスだ。
国立大学は大学数が96から86と統合減少しているのに対して私立は372校から604校と大幅に増えている。そこで思い起こされるのが加計学園の獣医学部創設の問題だ。つまり私学の新設には大幅な私学助成金や地域活性化名目の税金が投入されるのだ。
文部科学省の予算はここ10年ほど微減し5.3兆円程度なのだがそのうち3000億ほどが私学助成金だ。単純に私立大学の一人当たりの私学助成額が年間16万程度なのでこの平成の間に(58万人増加で)900億ほどの私学助成金が学生の増加で教育予算から割かれている。
一方国立は大幅な学生負担増を強いながらなお予算の減少が止まらない。最近新幹線の駅に国立大学の看板を見かけるのもそうやって学生を誘致しなければならない時代に来ているからだ。そして任期制の研究者などはコストカットの一端だ。
アメリカのように産学連携という手段は研究手段としてあると思う。実際私もそういうケースを見たことがある。だが日本の企業自体が研究部門を縮小している時代にどれほどの期待が出来るだろうか?さらに企業との連携も早期に結果が求められる研究がどうしても主となる。コストを考えずにやらねば出来ない研究も多々あるはずだ。

今はまだ日本のノーベル賞受賞者が表れており、研究の業績低下を実感していない方が多いと思う。だが国立大学の独法化は15年近く前のことである。それが近年になって弊害を示してきている。ということはこれから先がもっと深刻になっていくということだ。
日本は少子高齢化が深刻な問題だ。日本の国力を維持するためには一人当たりのGDPを上げていかない限り生活の質を落とすことは避けられない。労働力の減少とAIなどによる省力化で人間に求められるのはサービスや医療介護といった人間同士のコミュニケーションで成り立つ仕事と農林水産業それに研究開発といった部門に労働を集約しなければならない。そうでなければルクセンブルグの巨大国家版のような金融国家を形成することだろうがアメリカに唾を吐けない今の日本ではそれは無理だろう。
研究能力の低下はおそらくそのまま国力の低下につながる。それを推進しているのが現在の大学行政なのだ。自民党の政治家や文科省役人は大学が増えれば客員教授だの天下りなどで自分の収益になる。だから加計学園のような案件がまかり通る。だが現実には廃校になるような大学や東京福祉大学のように留学生でその大半を満たして補助金を詐取している大学が多々ある。後者は不法就労の温床にもなっている。

そして問いたいのが大学生が増加してこの世はきちんとその学歴が生かされているのであろうか?日本地図で都道府県の位置さえわからない学生が増え、大学で因数分解を補修のごとき勉強するところがある。彼らにも年16万卒業までに64万の税金が投入される。そして彼らは選挙にもいかない。自分が学んだ知識で世の中を判断することをしないしその必要性さえ認識できない。ネットで知識を得てもその真贋を分析するだけの判断能力も知識もない。
その一方国立大学の授業料高騰に進学をあきらめる優秀な人材があり、研究予算不足に思い通り研究できない研究者がいる。私が大学院で研究していたのは1990年代後半だったが私は国立大学だったので研究試薬などは必要を認められれば供給を許された。だが私の友人は私立大学の大学院に行きそういった研究面でのバックアップのなさに苦労させられていた。私の周囲の多くの研究者が自分の研究テーマというものを持ち長くその研究をしていた。それが出来たのも研究を支える体制が国立には整備されていたからだと私は考える。

今大学の無償化が検討されている。大学として機能するだけの人材を確保するためならある意味賛成できる。だが実際は異なると私は考える。おそらくそれはほとんど大学という名を冠するに値しない大学で少子化で募集定員を維持できない大学を救済するための案だと思う。
もし無償化にするならある程度の質の確保を維持すべきだというのが私の考えだ。大学入試でも構わないし専門課程に上がるときでも構わない。国が管理するある一定の試験を課し、平均以下を一定割合を超える学生が占める大学には私学助成をしないあるいは大幅に減少させるべきだと思う。
そうでない限り日本の研究はますます凋落していくであろう。それは令和の時代をより厳しくすることになる。今の日本の教育行政でいいのか考える必要があると私は思う。そして一人が声を上げても何もならないがその危機感を持ち一人でも多くの人とそれを共有し、そういう視点で選挙投票することでしか変えることはできないのだとだろう。この問題は決して小さな問題ではない。自身の未来あるいは次世代の未来に大きく影響するだろう。
マスコミはこれを報道することはない。そうすればそれを自身のことと考え嫌悪感を示す人が少なからず存在するからだ。だが現実に教育予算は大学義務教育化とでも言いたげに施策を推進している。そして論文業績は低下の一途をたどる。それを見過ごすかは私たち次第だ。現状を認識しない限り変わらない。そして多くの人が認識しない限り日本丸は混沌の海でさまよい疲弊するであろう。一人一人が認識しない限り。

私は常に自分が正しいと言っているつもりはない。ただ問題を提起しているだけだ。必要なのはこれを読んだ皆様方が自分でそれが本当かどうか調べ感じることが必要だと思う。上の数字はネットで検索して公的機関の発表を主に書いている。でも読んだ方々自身で調べるべきだと思う。そして自分の考えを持って行動して欲しい。
せめて選挙ぐらいには行くべきだろう。有権者の半分が選挙に行かない。政権交代時から1700万人の有権者が選挙を放棄している。京阪神の人口に相当する。そんな現実を放置するかぎり、その末路で苦しむことになっても文句は言えない。ちなみに政治家の多くはそんな時代が来ても苦しむことはない。そういうために必要なさそうな大学が存在し客員教授という利益還流をしているのだから。












友ヶ島と鉄道乗りつぶしの旅

2019-05-11 21:09:57 | 日記
世間では改元で10連休となったGWだったが私は10連休するわけにはいかなかったのでもともとカレンダーの黒かった3日間仕事に出ていた。後半でどこか行こうと考えていたがどこ行っても人だらけというのは想像できた。そこで午前は混雑覚悟のうえで紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島を訪れ、午後をまだ関西で乗っていない路線を乗りつぶす旅を計画した。友人にその話をしたらのってきたので2人でその計画を実行することにした。
 ネットで検索するとGWの友ヶ島は無茶苦茶混雑するということだった。そこで朝の早いうちに島を渡るよう計画した。友人と朝の6時に新大阪で待ち合わせした。新大阪で待ち合わせには理由がある。友人が来やすいことが一つの理由だがもう一つはこれが目的であった。 

 
この3月に旧城東貨物線が複線化され開通したおおさか東線の鴫野~新大阪間だ。昔、友人と淀川にブラックバスを釣りに行ったときこの線路の淀川橋脚近くでルアーを投げた。その時は単線であったと思うが現在は複線に拡幅されている。
先頭車両にかぶりつきで前方の眺めを見ているとどうやらもともとの貨物線を新大阪行きが使用しているようだ。横に放出方面の線路が新たに追加されていた。新しく作られた区間は神崎川を渡ってから左に回ったところ(南吹田駅あたり)だけだ。それでも結構完成に時間を要した。

これでJRの新線を踏破した。 新大阪で地下鉄御堂筋線に乗り換える。高校3年の頃駿台予備校の帰りによく通ったところだ。おぼろげな記憶をもとに久々の乗り換えも無事に済ました。友人と合流し難波に向かう。ここも高校生の土曜日午後によく通ったところだがこれも記憶が抜けている。案内通りに行くと無事南海難波駅に到着した。

南海本線の紀ノ川駅で乗り換えるので区間急行に乗車する。南海本線も乗車したのは中学の時以来だ。淡輪まで釣りに行って以来だ。ただ車窓の景色のほとんどは鉄道チャンネル(スカパープレミアム)で何度も見ているので目新しさはない。友人と話しているうちに紀ノ川駅に到着した。ここで加太線に乗り換える。 



 
2両編成だが結構乗客はいる。この時間で行けば始発9時の1時間近く前には着くはずなのにだ。のどかな景色を見ながら終点加太駅に到着した。そこから少し歩く。小さな川沿いに下り橋のたもとで友ヶ島行きの船の乗り場を地元の方に尋ね橋を渡ったところの脇の階段を降りる。
するとすでに長蛇の列であった。駐車場はほとんど埋まっていた。車で来た人がすでに並んでいたのだ。だが着いてしばらくすると乗船案内がある。列とは別のところで出船時間を待っていた人が乗り込んでいく。
乗船定員100人なのでその分だけ整理券を出していた。その整理券がある人だけが乗船券を購入できるのだ。乗船人数を確認し8時30分過ぎに出船した。GWは混雑するので朝8時から30分おきに出船するとのことであった。
出船すると9時の便の整理券を配布する。ちょうど私たちの前で100人がきたので私たちは9時半の便になる。しばらく待ち乗船時間になる。


私たちは先頭で待っていたので船首近くの最前列の席に座ることにした。次々に座席は埋まり後部デッキも人が入り出船となった。乗船時間は20分ほどだ。港を出船すると左側に大きな防波堤が見えてくる。


私は釣りが好きで小さい頃からよく釣り場の地図を見ていた。加太の波止もよく見ていた。たくさん釣り人がいて少しうらやましい気分であった。そのうち友ヶ島に到着した。
桟橋に降りて島に上陸する。当初より島全部をめぐるのは時間上無理だとわかっていたのでネットで調べて島の西半分を散策することとした。聞きなれぬ鳥の鳴き声がジージーとあちこちの木の上から聞こえる。離れ小島にきたのだと実感する。
しばらく歩くとレンガ建ての廃屋が表れる。第2砲台跡だ。向こう側には淡路島の由良が見える。こうやって紀淡海峡に敵船や敵機が侵入した侵入したら砲撃を浴びせるように建立されたのであろう。




来たところを少し戻り分岐点から違う道に入る。少しアップダウンがあり日ごろ運動も歩きもしていない私は脚色が鈍る。なんとか第1砲台跡と友ヶ島灯台に到着した。島の西端に位置する。太平洋側からはおそらく山に紛れて判らないようにしてあるみたいだ。灯台があるくらいなので高台で見晴らしもいい。




少し先に行くと旧海軍聴音所跡の標識が出る。400mほどとのことなので行ってみる。ここらあたりから100mが長く感じてしまう。到着したら高台から海を見渡せるレンガ建ての廃屋であった。ここで無線の連絡などをしていたのかもしれない。海上交通整理なんかも役目だったのかもしれない。


また400mを引き返し先に進む。すると視界が広がった。広場がある。トイレの表示もあったので少し用を足した。ここはキャンプ場のようで広々とした草原が心地よさげであった。


そして最後の目的地第3砲台へと向かう。案内表示では900mなのだがこれがなかなかしんどい。運動不足が露呈してしまう。よくこの島を紹介するときに使われる写真は主にここのものである。急峻な階段を降り地下への開口部に向かう。



地下に入ると真っ暗でほとんど視界がなくなる。友人がライトを持っていたのでそれを頼りに進む。山中にアリの巣のごとく迷路を地中に張り巡らしている。おそらく上陸され白兵戦になったときのことを想定して作られたものであろう。道のいくつかは行き止まりになっている。地下で明かりもないので行き止まりに当たったら引き戻すしかないのだが壁の一部がくり抜いてありそこから敵兵をズドンと打てるようになっている。まさに戦争を実感させる構造だ。

そろそろ帰りの時間なのでそのまま山を下り野奈浦桟橋に向かう。到着するとちょうど出船するところだった。桟橋に縄を張って入れないようにしていたのだが乗船人数を数えるとまだいけるとのことで乗せてもらえることになった。

この時期は真鯛の乗っ込み時期で多くの釣り船や漁師が集まっている。そういえば加太線の列車にも鯛のマークがついていた。潮の流れが複雑に巻いたりしている。漁場としていいのは見ていて推測できた。

船を降り加太駅に向かう。そこから南海で和歌山市駅に到着、コンビニのイートインで食事を済ませもう一つのJR未踏線に乗り込む。和歌山市から和歌山駅までの紀勢本線の盲腸線だ。



和歌山駅に着いた。これで関西の全てのJRは制覇したことになる。それに浸る間もなく次の目的わかやま電鉄貴志川線に乗り込む。ここも鉄道チャンネルでさんざん見ているのだが実乗は初めてである。いつも鉄道チャンネルの番組間に流れる池の橋を渡る場所も実際見た。終点貴志駅には人だかりだ。2代目のたま駅長(猫)を見に海外からもたくさん客が来ていた。かなり大柄な猫で結構贅沢な生活をしていそうだ。





貴志川線は盲腸線なので本来はもう一度和歌山駅に戻るのが普通の人だ。だが私は盲腸線を見るとその先を路線バスで探すのが癖になっている。案の定紀の川市の地域巡回バスがあることを事前に調べていた。これでJR和歌山線の下井阪駅までバスに乗り時間短縮を図ることにした。




バスは普通のワンボックスだった。表示もほとんどない。だが我々はバス停の前で待っていたのできちんと拾っていただけた。料金は100円である。我々2人貸し切り状態で紀の川市の各所を巡りながら進む。我々が乗客だからか少々攻め込んだ運転で快調に飛ばす。サスペンションのせいか道路の凸凹で体が何度も宙に浮く。だが時間通りきちんと下井阪駅に到着する。乗り換え3分だったので定時進行で助かる。

ここからJR和歌山線で橋本駅に向かう。そんなに駅数はないのだが運賃が500円もする。交通系ICカードが使えない区間なので現金で切符を購入した。橋本駅南海高野線に乗り換える。ここから先も鉄道チャンネルで見慣れた景色だが実際乗車は初めてである。急行といっても各駅停車で次の乗り換え駅である河内長野まで進む。



ここで近鉄に乗り換える。阿部野橋行きの準急に乗りこれまた各駅停車で道明寺駅まで向かう。ここで道明寺線に乗り換え柏原駅に向かう。



降りたホームでJR乗り換え用の非接触清算をしJR大和路線に乗り換える。
王寺駅でJRを降車し駅の隣にある近鉄田原本線の新王寺駅の改札をくぐる。ちょうど出発の時だったようで我々を待っていただいた。急いで乗り込み夕暮れの田原本線で西田原本駅を目指した。ここも鉄道チャンネルで車窓は見ている。だが繰り返すが実際乗車したのは初めてだ。西田原本駅に着くころには日が暮れていた。



少しだけ歩き田原本駅から近鉄に乗り我々が共通に帰れる最大公約数駅まで乗車した後食事をして別れた。

私は近鉄の完全乗車も目論んでいる。その時律速条件になりそうなのが河内長野線と道明寺線および田原本線だった。これで近鉄完全制覇が少し近づいたといえよう。かなりせせこましい旅であったが車窓を見るのが大好きな私には楽しい一日であった。また友人も普段言いたくても言えないことを私に散々愚痴ったりしていったので少しは気が晴れたのではなかろうか。
なかなか旅に出ることが難しくなってきている日々だがまた時間があればニッチな旅をしてみたい。


7年ぶりの少女との再会

2019-05-10 20:15:02 | 日記
今日仕事をしていると7年ぶりの再会があった。7年前は小さな少女であった。顔を見てもすぐには思い出せなかったのだがあの頃の可愛らしさはそのままで立派な高校生になっていた。挨拶もきちんとしてくれてお行儀もとてもいい。嬉しい気持ちになった。

気になったのは彼女が私の顔を見て「あっ」と言ったことだった。私は何か彼女に記憶に残ることをいい意味か悪い意味かわからないがしたのかな、と考えたが彼女にそれを聞かずにいた。すぐには浮かばなかった。一通り必要なことが終わり彼女が帰った後にやっと思い出した。

私の職場は少し子供には恐怖感を感じさせる音や雰囲気がある。彼女も初めて来たとき不安そうな顔をしていた。だからその日しなければならないことを無事終わった後に私は変な顔をして彼女を和ませようとしていたのだ。そして彼女は楽しそうに同じような表情をして返してくれたのだ。

それから何度か彼女が来た時には私たちはそのやり取りをしていた。それを思い出したのではないかと私は思った。嬉しいことである。彼女は幸い7年間私の元に訪れる必要はなかった。これは彼女にとっては幸せなことである。そして今回立派に成長した姿を見て良かったと思った。この仕事をしていて良かったと思う瞬間でもある。

これでしばらく彼女はここに来なくていいと思う。さらに成長して素晴らしい女性になるのではないかと勝手に期待してしまう。次会えるならそんな遠い日にまた私を幸せな気分にしていくれると信じたい。できれば10年でも20年でも後に。

プロローグ2~厳しい時代の幕開け 来る令和の時代に

2019-05-01 09:16:01 | 日記
平成最後の夜が明け新元号令和が始まった。報道などでは概ね歓迎お祭りムードであるが現状はそうは思えないことばかりであろう。上皇になられた明仁様のご退位の年齢を考えれば即位された徳仁天皇の時代はおよそ30年ほどと推察される。これからの330年がどういう時代かを考えれば少し現状を知っている人なら苦難の時代となることは容易に推察される。

昨日にも記事にしたが現在出生数は年間100万人を割り込んでいる。令和に20歳になる世代の出生数は117万人、令和に35歳になる世代(つまり30年後に現在の規定ならリタイアする世代)が123万人だ。一方現在65歳の世代人口は177万人、この出生数が10年ほど続きそのあと第2次ベビーブームの世代人口200万人の時代が6年ほど続く。その後は緩やかに150万人程度から減少する。
この人口ピラミッドは大規模な疫病や戦争あるいは大災害でも起こらない限りその予想から外れることはない。もしそれらが起これば少子高齢化問題以前に苦難の時代となる。そしてそれらがなく平穏に時が流れても多くの高齢者が健康で長生きを願う今の社会ではバブル以降に生を受けた世代の背中に負われることとなる。彼らはバブルでいい思いをすることもなく平成という災害と景気減速の中を育ち、そして私たちより上のバブル期を謳歌した世代の物欲や好奇心旺盛な世代を支えることとなる。
いわゆる2040年問題2050年問題といわれる問題は早くから警鐘を鳴らし続けられている。これは不可避の問題だ。人口構造が変わることが判っている以上必要なのはその時代を見据えた政策であった。だがいまだその問題は解決されていないことは多くの記事で散見される通りだ。

まず第一義的に問題となるのは労働人口の減少だ。AIの進化などで人材の省力化は図られるであろう。そして令和の時代は機械でも出来るようなことには人間は仕事にありつけない時代となっていくことが容易に想像される。現在問題のコンビニの24時間問題も結局無人化のキャッシュレス決済などと顔認証で乗り切ろうとしている。
では人間の力はどこに向けられるのだろうか、それは医療介護の分野になるであろう。これは機械では出来ない。もちろん機械的補助器具を使用する時代にはなるとは思う。だがヒトとヒトとの対応は機械には出来ない。また現在外国人材の受け入れを図っているが宗教や文化の異なる間で交流するのは受け入れる日本側に相当な寛容さを要する。高齢になればそういう寛容さが発揮できない人が少なからずいる。

安倍首相は国会演説などで毎回自分の成果として有効求人倍率の向上を力説する。だが安倍政権発足実質1年目の2013年の22歳出生数は122万人、一方この年に定年退職する60歳の世代人口は187万人だ。乳幼児死亡率は1955年から1985年の30年間で40%から5.5%に下がっている。つまり2013年から定年を迎える人の数はどんどん増え続け一方で出生数が減少し続ける新社会人は減り続けていく。
もちろん民主党政権時代もその傾向はあっただろうがリーマンショック直後に東日本大震災という2つの経済的打撃を受けたことは看過できない。だが有効求人倍率の上昇の主因はあくまでも人口構造の変化によるものであり景気拡大の側面による政策の成果という首相の主張は全てが真実ではない。実際現在言われているのは人材不足による経済停滞が先のコンビニなどで生じている。

次に問題となるのは社会保障の問題だ。現在医療費は年1兆円づつ増加すると言われている。これから高齢者が増加すればその増大幅は拡大する。さらに年金受給者の割合が増える。介護保険もかなり厳しいと言われているが増え続けるだろう。
医療に関しては昨日の記事に書いたようこれからの生き方を考え直さない限り減ることはあり得ない。ガン治療の発展、臓器の再生医療など人間の寿命を延ばす技術は進歩し続ける。そのなかで働く世代と支えられる世代のバランスが歪み続けるのが令和の時代だ。我々以上の世代が死滅する時代が来ればまたそのバランスは正されるのだろうがこの令和の時代はそれはない。

年金も問題であろう。現在年金は物価スライド制が採用され賦課世代の物価に合わせて支給額がスライドされる。だから破綻がないと政府は言う。だが年金本体は現在株式や債券で資産運用をしている。160兆という国家予算の1.5倍以上の規模の額を投じている。うち4分の1が国内株式である。
株式というのは資産価値が変動する。ということは現在運用益が幾らと報道されてもその資産は確定したものではない。つまり運用益を年金として機能させるためには当然株式や債券を売るということが前提になる。
現在年金運用機構(GPIF)が保有する国内株式は約40兆円である。これは日本の株式市場640兆円の6%強にあたる。これは日銀の保有する株式とほぼ同等だ。両者を合わせれば日本国ともいえる機関が1割以上を保有することとなる。これらのどちらか片方が株式を大量に売るという行為は株式の下落を生じさせどちらかの資本が大きく棄損されることとなる。
日銀が大量に売れば年金の運用益が大きく損なわれ積立金が減少する。逆に年金が支払い捻出のために売り払えば日銀の資産が減少する。これは紙幣の発行額に見合う資産がないと海外から判断されれば通貨の暴落を引き起こす。それが国債に及べば保有するGPIFも多大な損害が発生する。それだけでなく生損保金融機関も多大な損害が発生する。国債の発行に国家予算の3割を依存する日本政府も影響を免れ得ない。
つまり資産として株式を当てにすることは現実難しいということだと私は考える。日本株式市場の2大株主である年金と日銀が株式を買うというのはそういうことである。彼らが筆頭株主として保有するのは日本の名だたる企業だ。売却は彼らの業績にも影響するだろう。当然景気への影響は不可避だ。

年金機構の株式売却が日本株式市場に影響を与えるということが判りながらなぜそういう策に出たかを考えれば現在の政権の目論見が見えてくる。株価は最も身近な経済指標である。これを日銀と年金で買い支えれば当然株価は上昇する。それにNISAや日銀黒田との異次元金融緩和で株式市場への資金流入を続けてきた。これが景気が良くなっていることの証拠としたいのである。

過去株価は景気の先行指数として機能した。それは企業業績が上昇し賃金が上昇しGDPの8割以上を占める内需が拡大することが期待されそして実際そういう結果を示してきたからであろう。だが株価の上昇分と実質賃金を比べれば相関があるとは言えない。名目賃金は上昇しているのだろうが物価上昇分を相殺しているとは言えない。
物価上昇は日銀が目標としたもので当初から想定済みだ。というかその目標値に届いてもいない。だが異次元の金融緩和は民主党政権末期130兆円だったものを2019年3月時点で500兆円を超えるマネタリーベースとなっている。その差370兆円は日銀の当座預金残高の増加分340兆が引き受けている。つまり民間銀行に流れているのだ。実際に紙幣貨幣の流通残高は30兆程度しか増えていない。30%程度の増加だ。そして物価上昇はもっと低い(5%程度)。ということは銀行がその金融緩和のほとんどを引き入れ、市中にその1割程度を回したが、実際の流通はさらに偏在的になり景気実感のない状態が生じたということだ。
本来はそこから民間に融資をし、市中の資金流通量を拡大して景気拡大と物価上昇(市中の金融流通量増大のため)を図っていたはずだ。だが人口動態からの人口減など景気拡大に懐疑的な企業はそれに反応しなかった。またバブル期の銀行の無理やり貸付貸し剥がしする悪行も念頭にあったかもしれない。とにかく資金が市中に流れることはなかった。
そのかわりに国債などの債権を買い日銀との間でループさせて収益を図った。さらに不動産や株式などの投資に運用した。株式と同様地価の上昇がよく報道されているのは実感されるところであろう。そして手数料収入とで銀行はしのいでいる。
株価の上昇はこういったもの反映であり実体経済の拡大ではないのだ。企業の収支は金融緩和などで改善している。だがその多くは過熱した株式市場に対応すべく配当や内部留保に向かった。実際これらの拡大が報道されている。給与の増大分はそのため抑制され、その結果多くの皆様が実感する通り収入が物価上昇を超えて増加しなかった。そして各種アンケートで生活実感を調べても7割近くが不景気と答える。

ただこの株価や国債の市場価格が維持されると確信できるならばそう問題はない。実際はまだ円高傾向を示すことがあるし、国債の利率もほぼゼロ金利で安定している。それは現状の日本がまだ危険視されていないからだ。だがこの先はどうであろうか。
2013年石原慎太郎と安倍晋三は福島はアンダーコントロールと嘘をついて東京オリンピックを招致した。だがオリンピック開催国のその後を皆様は考えたことがあるだろうか?ソウルオリンピックから8年後韓国はIMF管理下に入る通貨危機が訪れた。ギリシアもイタリア(トリノ)もイギリス(EU問題)もブラジルも経済危機が訪れている。アメリカでさえソルトレイクの7年後にリーマンショックがあった。中国は成長こそすれその減速がしばしば報道されている。
それは何故か。景気の先食いだからだ。祭りのような騒ぎで景気を先食いしてオリンピックを迎え、過ぎると熱が冷めたかのように景気減速する。もっとも昭和の東京オリンピックやシドニーのようにインフラがまだ貧弱な場合はそう減退もしない。中国などもその部分で助かっている部分があるだろう。
だが日本の現在は消費増税や不景気感の蔓延した消費動向だ。4kテレビなどを消費起爆にしたいのだろうが思惑どおりにはならない。東京開催でなければインフラ整備による景気拡大もなされたのだろうが今更東京に新しい道路やインフラが増えたところで何の影響もない。ただでさえ東京の人口一極集中で地方が疲弊化しているのを加速させているだけだ。
そのうえに少子高齢化による労働力減少が不可避となる。さらには日本の学術研究の凋落が著しい。これから先の科学研究や技術革新の面でおそらく大きく影響を与えてくるだろう。人口が減少し、単純労働は機械化され、先進技術からの遅れが出る。さらに日本の国土資源を考えれば輸入は不可避だろう。そんな状態でオリンピック後の不況が訪れればどうなるだろうか?

日本は円高になると憂鬱な報道がされる。だが日本は韓国と異なり内需が8割を占める。ということは円高であるからこそエネルギー食料鉱物などを経済的に輸入を可能にする。円安になれば輸出企業の利益や海外での運用益などは上昇するだろう。だが国内的には物価の上昇が避けられない。企業が増大した利益を国内で還元しないのは配当や内部留保など上述した通りだ。
さらに消費増税でオリンピック前のお祭り効果もないことが判っている。さらに東京オリンピック開催で当初予算から異常に膨大したインフラ整備などの開催費用が国民のツケとして残る。そして東日本大震災後に発行された国債の償還が2021年にも訪れる。このオリンピック騒動で得をしたのは誰か考えればいかに危険な選択をしたか想像できるものだと思う。

日本は海外の評価次第ですぐに絶望の底に落とされる危険性を孕んでいる。アメリカもEUも日本と同様金融緩和を行い景気回復を図った。だが両者とも今出口戦略を見ている。アメリカは気が触れた大統領の独裁政治のため躊躇しているがあくまでも時期待ちである。だが日本の緩和というのは黒田日銀総裁も言っているよう異次元の量だ。
日銀の収支に世界が危機感を覚えば通貨安や国債暴落は一挙に津波のように襲い掛かるだろう。そうなれば年金の破綻・生損保金融機関の破綻などが起こる危険性を認識できるはずだ。これが絶対ないといううえでの年金機構や日銀の政策ならば安心したらいい。だが取り巻く状況はそうではないと思うのだ。

政府は小渕政権以降国債の乱発をし景気浮揚を図ったが潤ったのはその財政出動から還流される政治家の懐に過ぎなかった。その結果膨大な債務を持つに至っている。国の借金はすなわち税金で償却するしかない。政府は営利企業ではないからだ。ということは税金を上げ社会保障などの政府事業を縮小し債務返済をするしかない。
そのなかで民主党政権も含めてだが政府予算を拡大し続けてきた。そのなかには加計学園の獣医学部など怪しい案件も多々あった。本来は国民に見える形で政府予算の優先順位をつけ、国債の発行額を決めたうえでその中でやりくりする予算編成が必要だったはずだ。だが今までの政権は全てそれをしなかった。

私が心配するのはこれから5年先10年先だ。おそらく景気は後退しているだろう。だがマネタリーベースは減らない。減らそうとするなら金利を上げるしかない。だが金利上昇は財政のための国債発行をさらに増やす必要性が生じる。さらに不景気化での金利上昇は恐慌を引き起こしかねない。だが日銀あるいは日本政府の金融政策や財政にマネタリーベース量に資する信頼を世界が失ったら日本の思惑と別にそういう状況は起きるだろう。
ちなみにアメリカのマネタリーベースは3兆3400万ドルだ。1ドル110円で日本円に換算すれば370兆円程度になる。日本のGDPが約5兆ドル(550兆円)、アメリカが20兆ドルということを考えればいかに異次元な状態かが想像できる。アメリカがGDP比6分の1の金融緩和を議論している中、日本ではほぼGDPに匹敵する金融緩和を今も継続すると公言している。安倍首相も出口戦略と言いながらも具体的な話は一切出てこない。というかおそらく理解できないのだと思う。

金融緩和をまだやり続け、日本の現状では金利上昇が実質不可能ということを考えれば、この令和の時代がいかに悪寒の走る状態であるかが想像できよう。日本は資産があるから借金があっても大丈夫という意見がよくあるが米国債を売る勇気のある政治家はいるのだろうか?国有地を一斉放出して地価の暴落はどうするのか?道路や公共施設のインフラなどは不況下で買い手がつくのか?恐慌覚悟で株を売っぱらえば相場はどうなるのだろうか?
そのつけは全て国民にくる。道路がもし外資に買われたら通行料金が跳ね上がるかもしれない。役所が外資に家賃を払えばそれだけ税金は搾取される。もし中国のアジアインフラ投資銀行の管理下に入ったらどうなるのだろうか?
今目の前に日本はこれだけの危険要素をはらんでいる。もしこれが私の誤解ならばいいなと思う。だがそう思わせてくれる記事は見たことがない。アメリカは日本のパートナーだから決して日本が潰れるようなことをしない、という人がいるならおめでたい人たちだ。

かなり悲観的な内容を書いてきたが私はもうそれを回避するのは困難だと考えている。なにかあるとすれば日本が世界を震撼させるぐらいの特殊な技術や開発を寡占することだが現状の日本の研究開発はその世界順位を落とす一方だ。
金融緩和、オリンピック全て現政権が推進してきたものだ。政権復帰の自民党政治を国民は看過し続けた。民主党政権発足時6700万人の有権者が選挙に行った。だが現在は5000万人程度しか行かない。これが日本国民が自国の未来に無関心になった証拠だ。自民党支持者が増えたわけではない。ただそれに警鐘を鳴らそうとする人たちが減ったのだ。京阪神の人口と同じくらいの有権者がだ。
選挙に行かない5000万人がこの状態に置いた。残念ながらその結果は日本国民すべてが甘受せねばならない。そしてこれからもこの政権が続くだろう。そしてオリンピックが終わったところでお腹が痛いと辞めるに違いない。大勲位を頂いて。
そして政権交代しようがしまいがその立て直しは困難を極める。それを安倍首相はほくそ笑みながら見ているだろう。下関のパチンコ豪邸でかどうかはわからないが。政治家はおそらくその責任は取らない。そして歴史に残る経済愚策とこの金融緩和はいわれるであろう。

私はおそらく令和の終わりごろに生きていれば晩年を過ごすことになる。その頃にはおそらく姥捨て山の社会が待ち構えているのではないかと想像している。だがそれも日本人の選んだ総意だ。付き合うしかない。令和はそんな覚悟の時代になる。身構えながらも冬ごもりの準備をしておこうと思う。