きまぐれ日記2

気まぐれに日々感じることをデータや情報を調べながら自身のためになるよう、なるべく読みやすいよう書いてみます。

新型コロナ感染爆発第3波における政治的責任

2020-11-23 00:31:43 | 日記
新型コロナ感染者数の増加が止まらない。もちろん検査数の増加が感染者発見を促進している側面はある。だがそれと同時に感染が疑われる症状を持つものが増えているため検査が必要になっているということもまた事実であろう。
私は3月にここで記事にした際。検査数は必要がある患者が受けられれば検査数はそう増えなくていいと書いた。それには前提があり我々日本国民全員が感染のリスクを負っているということを理解し不顕性の感染者である危険性を十分理解するということである。
PCR検査は微小な遺伝子を検知する検査である。当然新型コロナに感染して不顕性で抗体ができている検体でもウイルスの死骸があれば検知される。特に若年層は免疫が強くそうなる可能性は高い。
だから必要なのは症状発症した感染者の周囲をきちんと感染判別し、その後感染者の追跡調査をするのに必要な検査数を確保することである。3月当時に比べてその必要数は増大しているのでそういう意味では検査数は必要とはいえよう。
だが一方で自分に症状がなく周囲に感染者もいないのに感染が心配という人が検査を受けるのは止めるべきだと思う。必ずこの手合いの人がいるのだがPCRはあくまでその時点でのウイルス検出である。極端なことを言えば検体採取した時点では陰性でもその帰宅途中に感染することも十分ありうるのだ。
wikipediaでウイルスを引いてみると「細胞を構造単位とせず、自己増殖はできないが、遺伝子を有する」とある。基本的構造はタンパク質と核酸(DNAあるいはRNA)からなる。細胞構造を持たないので代謝や自己増殖できず他生物の細胞に寄生することでのみ増殖可能とする。
つまり新型コロナウイルスのようにヒトに感染するということはヒトの接触あるいは飛沫によってウイルスが他人の中に入り込みそこで増殖することである。つまりヒトを媒介として飛沫感染するウイルスを感染抑制するには他人にうつさないことが必要なのである。
うつさなければ不顕性感染の人の中では抗体が産生されウイルスを排除する。症状が出てしまった人は医療により低下した免疫や生体機能を補助することで排除する。
横浜クルーズ船での感染蔓延および飛沫感染での感染経路が判明した時点で爆発的感染の危険性は容易に予想された。だから私も3月の時点で世界の感染状況を人口密度と平均気温でその時点での感染の偏在を指摘した。
つまり感染と人口密度は明確に相関し、人が集まれば感染は増えるわけである。だからGotoキャンペーンというのは感染のアクセルを踏むことと等しくなる。
私の周囲でGoto利用したという方たちの話を聞いていれば多くが複数の人と利用している。京都でも10月の人出が多いという話は聞いていた。だから9月の4連休を契機に感染者数が増加し、テレビでGotoを取り上げることで密集する場面が激増したのである。
更に気温も重要な意味を持つ。8月の第2波の感染増加は緊急事態宣言の解除による活動の再開で感染者数の増加が起因していた。だが夏季ということで気温が高く湿度も高かったので大きな感染増加までは至らなかった。
気温が低いということは恒温動物である人類は基礎代謝をして体温を維持する。ということは日常が運動や入浴後の状態と等しいということだ。運動後や入浴後に体を冷やすと風邪にかかりやすいよう冬季はウイルスに対する感染防御が低下する。だからまず感染爆発が気温の下がった北海道から顕著になったのだ。
私は3月の記事で国民の理解能力で感染の防御は決まると書いた。それはマスクをしない欧米と日本をはじめとしたマスクをする国々との感染数の差が示している。
大統領自ら感染確認後自粛しないでマスクなしで動き回る国ではそれにふさわしい感染者と死者数が示されている。そして日本でも同じだ。行動自粛8割を実践した4・5月は気温上昇とも相まって感染の抑制を実現させた。
だがこれはウイルスが消滅したわけではない。不顕性の感染状態でヒトからヒトに移りわたって生存し続けていた。現代のようにヒトの密集が避けがたい社会では容易に想像できることだ。
だから複数の識者が数年にわたりコロナの感染は続くと指摘している。現在ワクチンが開発されているが現時点で3種類存在すると報じられているよう変異による適応力もかなり強いと思われる。
さらに欧州型と呼ばれる予後の悪いタイプが存在するよう変異によりより重篤化する症状を発症させる亜種も発生しうる。さらに治療薬やワクチンに関して非常に速い臨床承認が行われている。検体数が2桁3桁で承認しようとしている。その期間も短い。副反応の危険性は否定できない。
かつて公明党が推進し副反応が問題になった子宮頸がんワクチンという例もある。現在これは積極的に推奨していませんと厚生労働省は表明している。ただでさえ不明な部分の多い新型コロナウイルスに対して性急な対応をしている世界の企業に対して非常に緩い承認過程を各国が提示している。

医師会はGoto開始時から警告を示していた。だが政府が政治判断で実施した政策だ。ここで学術会議の問題を書いた際に記したよう、政府は様々な学術団体が政府の施策に対して各分野から提言をしている。その中には政府の判断に反するものもある。それを政治家が判断したうえで政策を実行する。
菅政権というよりは任命自体は安倍政権が学術会議で政府に否定的見解を示した6人を任命拒否したよう政権交代以降自民党政権は自分に耳障りのいい人間しか周りに集めない政治をしている。
だから今回のように少しウイルスや医学に知識がある人間なら容易に想像できる事態が忠告する人間を置かないので防げない。これは学術団体が悪いのではなくそれを軽視した政治の責任である。
もし100年に一度の大雨が1年間降り続けると判明したら旅行したり会食したりとか考えるだろうか。おそらく日々の買い物など必要最低限の外出に留めるよう自粛する方々が大多数であろう。
コロナ禍は自然の引き起こした産物である。一部に中国がばらまいたという意見があるが昨秋のヨーロッパやアメリカの検体をPCR検査したら検出されたという報道もありやはり天災というべき側面が強い。
天災は人間の都合など考慮しない。当然経済もだ。だから天災を前に「経済が」と言うのはナンセンスなのだ。自然に合わせて対応しなければならないのである。
地球温暖化に対してペンシルベニアでバイデンが支持を獲得したよう人類はこれまで自然に行ってきた仕打ちに対してその反作用を受けることを考慮しなければならない。だからいつまでも化石燃料の産業を保護できないと発言したバイデンを化石燃料が基幹産業であるこの地でも選ばれた。
人類は自然に作用し続けた。その結果としてこのようなウイルスも含めた自然の反作用が発生している。それに対して人類側から対応せざるを得ない事態は今後増え続けるであろう。それは有権者が選んだ政治によって行われるのが民主主義だ。

私自身は今なお8割自粛を心掛けている。旅行もしていない。外食も8割自粛だ。おかげさまで今のところ発症はしていない。だがそれとて不顕性の感染は十分ありうると自己認識している。
だから人と接触する可能性のある場所では必ずマスクはしている。手洗いなどは今まで以上に励行している。それでも完全な感染予防は困難だと感じている。だからGotoなどは決して参加しない。
今問われているのは我々のウイルスに対する知識力と認識だ。コロナ感染者が一時期ネットなどで叩かれたことが問題となった。今でもあるかもしれない。これは自分は感染していないししたくないという前提で行われているのだと思う。
だがウイルスの性状や日本の社会形態を考慮すれば誰でも感染の危険性に瀕しているという認識が欠如しているのだ。人の集まる場所に出向けば必ず感染リスクは高まる。満員電車に乗れば感染リスクは高まる。会食や団体旅行をすれば感染リスクは高まる。気温が低下し空気が乾燥すれば飛沫感染の危険性が上昇する。
そのうえでずっと引きこもっていれば精神的に抑うつ状態になる。8割自粛で感染予防が出来るならば今までの5分の1の外出や旅行・会食にすればいい。それも連休など混むのがわかっているときは避けてである。
今の日本に欠けているのは自分が不顕性の感染者であるというリスクから目を背けていることだ。もしその意識があれば第3波は防げたはずだ。
今の日本の社会構造上全てをリモートワークにはできない。そうである以上通勤通学など密集状態を回避することは困難だ。治療薬及びワクチンが確立するまではウイルス被曝を回避することは出来ない。
テレビのワイドショーに乗せられGotoだと踊りはやされていてはいつまでたってもこのコロナ禍への対応はできない。もちろん経済のためにこの程度の犠牲は仕方ないと考えるなら別だがだ。
欧米に比べれば感染規模は桁違いに少ない。だが指定感染症であるが故感染が確認されれば仕事や業務に支障が出る。そういう様々な不利益と感染による人的被害を併せて日本経済への影響とどちらを重視するか、それを政治が判断しなければならない。
現在までは菅政権は経済が大事だと言い続けてきた。感染者が爆発的でないとも言い続けてきた。それはこの犠牲者数なら日本経済の方が大事だと政治判断してきたということだ。
だからGotoというアクセルを踏みながら各自(利用者と業者双方)でブレーキを踏めと人任せな方針を放置し続けてきた。この週末にきてようやく方針転換をするようだがおそらくこの3連休がカウントされるであろう12月初旬には更なる感染者増大が予想される。京都も観光ハイシーズンだから感染者が増え続けるであろう。
常に自分が感染しているリスクを認識していればこの自然災害ともいえる人類が防衛手段を持てない事態にどう対処すればいいか、想像できるのではないであろうか。

コロナとは関係ないが日本の少子高齢化社会は深刻だ。現在世界第4位の日本のGDPは30年後には第7位に落ちる。世界に対するGDPの比率は現在の6割程度に低下する。
そのとき日本は今のコロナ禍のような事態が起こるのではないかと私は想像する。多くの娯楽やサービス業が需要を落とし必要最低限な産業のみに限定されていくという予想だ。
外食よりも自炊となり医療介護など人の生き死にに関係する産業および1・2次産業に集約しなければかつて200万人生まれた時代から85万人しか生まれない時代の労働人口移行への対応はできない。移民政策の転換がない限りはだ。
これから30年生きる人たちはそういう覚悟をもって生活をするべきだと思う。おそらくコロナ禍は数年で収まるであろう。だが安倍政権で失った1.5兆ドルのGDP、20兆円の輸入超過、アメリカを超える金融緩和などに加えて今回大増刷された国債が加わり未曽有の経済困窮が予想される。
今回の行動自粛は来たる時代の予行演習になるのではないかと私は考える。もともと内需が主体の日本に金融緩和という名で円安誘導し日本資本を減少させた。輸出額は増大したがそれを上回る輸入額が生活費を増大させている。いずれコロナ禍のような生活抑制が必要になるだろう。
民主主義の日本においてそれを選んだのは日本人自体だ。というより政権交代以降選挙を放棄した1600万人の有権者と言った方がいいかもしれない。この京阪神の人口に相当する有権者が導いた結果を我々は甘受しなければならない。
今回のコロナ禍においてもここに至るまで政治が決断して日本医師会の警告を無視し経済を優先させて医療関係者の多くが危惧していた事態を招いた。それが自分に聞こえのいい意見ばかりを採用した政治の結果だ。
これから気温が下がる。おそらくこのキャンペーンをしている限り地方へと感染は波及するだろう。特に北の方はだ。
そして大阪万博開催のため自粛を控え感染爆発を認めたくなかった大阪府もとうとう東京を追い越す感染者を発生させるに至った。これは大阪都構想の住民投票なども無関係ではないはずだ。
政治が行った結果はきちんとその生活に反映される。コロナ下での住民投票があの時点で必要だったのか、維新の行動責任はないのであろうか?
政治を行うのは政治家だ。そしてその政治家を選択するのは有権者だ。あなたの選んだ政治家が今の日本を反映している。コロナ禍でなお上昇し続ける株価とそれを支える金融緩和、そしてそれをアベノミクスと呼び経済成長という政治が正しい姿に思うであろうか。
コロナの行く末もあなたが選んだあるいは選ぶことを放棄したことで発生した政治家が決めていく。そしてその結果を一番深刻に受け止めるのはいつも弱い市民たちだ。
大阪を借金まみれにした太田房江は論功行賞で自民党の参議院を2期務め議員年金をもらいながら優雅な老後が確定している。それを決めたのは大阪府民だ。そして大阪府民が選んだ維新がコロナ禍での住民投票で500人近い感染者を出した。人口が1.5倍以上の東京都と同じレベルの感染者をだ。
大阪府知事の発言通りおそらく緊急事態宣言に近いものが発令されるだろう。それは大阪府民の総意が生み出したということを忘れてはならない。
政治を軽視すること、選挙を真剣に考えないこと、その意味をもう一度皆さん自身で問いかける時が来ているのではなかろうか。

デイリー新潮「本当は日本で働きたい…」中国「千人計画」参加者の本音 ノーベル賞・本庶教授も日本の現状に警鐘 に思う

2020-11-01 12:57:41 | 日記
表題の記事がyahooに掲載されていた。私がここで何度も記事にしていることが書かれている。国立大学の独法化による研究資金の抑制が15年以上たって現在の日本の研究能力の低下に重くのしかかっている。
何度も書いて申し訳ないが日本の現在の論文業績は科学分野で現在世界5位だ。10年前は2位であった。そこから中国・ドイツ・イギリスに抜かれて現在の位置にある。
これも何度も書いていることだが日本の論文業績は圧倒的に国立大学で支えられている。早慶でさえ筑波大学や岡山大学の後塵を拝している。その国立大学の研究予算が減少し研究者が自らの研究を十分にできない現状が存在する。
ノーベル賞を受賞しその賞金を若い学者のための基金にすることを表明された本庶先生はその現状を理解している。そのことは表題の記事にもコメントされている。

 18年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学特別教授(78)も、

「私が免疫の研究を志したのは1972年のこと。オプジーボの基になったPD-1という分子を発見したのが92年で、それをがんの治療に使う原理を見つけたのが02年。製薬会社が薬にして認可されたのが14年ですから、トータルで40年かかった。もっとも生物学のような分野では、そのぐらいのタイムスケールは当たり前なのです」

 そう指摘した上で、

「研究者になる上での最大のメリットは、若いうちから好きなことができること。サラリーマンなら30代までは会社の使い走りですが、実力のある研究者なら35歳にもなれば好きな研究に打ち込める。私も東大で研究を始めた頃は30代でしたが、年間500万円ほどの運営費交付金という自由な研究費をいただけたことで、なんとか生き延びることができました。けれど、今の日本では40代以下の研究者は大変つらい思いをしていると思う。彼らの環境を整えなければいけません」

 加えてこう提言する。

「マラソンにたとえるなら、今の日本は優勝争いを繰り広げる先頭集団の最後尾にいる状況。一度でも脱落すれば、挽回には大変なエネルギーが要りますから、今がまさに、我が国の科学技術政策を見直すラストチャンスなのです」

 図らずも「千人計画」のベールを剥いで見えてきたのは、我が国の目を覆いたくなる構造的な惨状だった。


私は国立大学で博士課程を卒業している。まだ20世紀の話だ。同期入学の友人は私立大学で博士課程に進学していた。話をするとその待遇に大きな差があることが私は理解できた。私は必要と認められた試薬類は全て購入していただき研究に支障はなかった。だが友人は試薬の購入さえ自腹を切ることがあったとのことだ。
2004年国立大学は独法化され我が母校では助手(有給の国家公務員)が任期制に変わった。私立の大学では教授でさえ任期制になったと聞いた。
これは任期中に成果を出せということだ。ということはスケールの大きな実験は事実上若手研究者には無理ということだ。私の指導教授が教授会で新規教授を選考する際「(候補者の)研究は地味だけど…」と漏らしていたがその先生はきちんと教授に就任で来た。
そういう素地が研究能力を支えている。上記の引用コメントでもあるよう研究というのは一朝一夕でなるものはほとんどない。地道な研究とそれを支える環境がそれを成立させることがほとんどだ。多大な失敗や試行錯誤がそれを成就させる。それを数年の任期で納めろと言えばスケールの小さな研究しかできない。


最近科学軽視を象徴するような出来医ごとが日米で発生している。日本では菅首相の日本学術会議での一件だ。学術において意見の多様性というのは欠くことのできないものである。全員が政府に賛同する意見しか言えないのならそれは中国や北朝鮮と変わらない。政府には耳の痛い意見でもそれを聴いたうえで政治家が判断するというのが本来あるべき姿だ。
安倍前首相がマスクを配布するとした際誰の意見も聞かず側近の総理秘書官とで独断したことが報じられている。このように耳障りの良い意見ばかりに傾倒すると裸の王様になるのである。
アメリカはトランプ大統領のコロナ感染に対する対応だ。明らかに自身の都合のいい論理にすり替え学術を軽視し、国民の代表という立場でコロナ感染後の行動を国民に示した。おそらくそれをまねする国民はかなり発生するだろう。これがアメリカでのコロナ終息を一層遠ざけることは想像に難くない。

日本の科学研究予算は平成に入り国立大学の独法化された2004年まで3倍近く上昇している。だがその後はほぼ横ばいで推移している。さらに平成30年の間に大学は50%増え学生も同様に50%増えている。だが世代出生数は約3分の2に減っている。つまり世代における大学生の占有率が2倍以上に増えたにもかかわらず学術論文数は減り続けているのである。
これは何を意味するかは何度も書いてきたとおりである。加計の獣医学部問題で示されるよういわゆるFラン大学の雨後のタケノコ様の増殖だ。これには当然教育予算がついて大学の建設費や施設建設さらには学生に充てられる私学助成金が払われる。
だが同時に国立大学の運営交付金は減少の一途だ。2004年に対して2017年には2000億、率にして20%の減少となっている。当然これは金額なので物価上昇を鑑みればさらに研究者の雇用状況は圧迫されている。

当然そうなれば海外から特に中国から誘いがかかればそれを考慮する研究者も出てくるだろう。2004年というのは小泉改革で支出の抑制が図られている時期でもある。
それ自体は必要なことである。だが何故私立大学が次々新設される一方国立大学の予算は減り続けているのであろうか?それは文科省利権というのが答えだろう。私立大学だけでなく森友でもわかるよう新設には様々な予算が付く。
森友の設立の際に鴻池祥肇が口利きしていたことからわかるようこれは利権である。政治家にとっては金になるので私立大学の新設はありがたいのである。一方文科省にとっては天下りポストでもある。両者の利害が一致し250もの大学が平成30年間に新設されたのである。

現在国立大学の授業料は我々の頃の2倍近い。当然物価上昇分もあるのでその通りとは言えないが納付が厳しいのは事実だろう。奨学金に関しても多くの卒業生が苦労していることを報道で見た。そんななか国立大学での親の高収入化が進んでいる。
受験の費用、授業料それに対する親の収入格差の進行、これらから大学入学者の格差も進行している。親の収入で進学できるかが決まると言うことは学生の多様化を制限することにもなる。それは学問に対する多様化の抑制でもある。

現在日本は世界GDP第4位だということは皆さまご存知であろうか。現在3位はインドである。さらに30年すれば日本は第7位にまで落ちることが予想されている。その間世界のGDPは3倍になり日本は1.8倍である。こういう予想がすでに世界ではされている。
さらに少子高齢化で30年後には約4割が年金受給者となり現在の倍程度の現役世代の負担が発生する。それはひとえに出生数の減少が原因である。
2019年の出生数は約86万人、一方彼らが30歳になるころの後期高齢者は世代人口200万人である。このことは強烈な国力低下の要因となる。
移民という手段を取らなければ若者の多くが医療介護や農業などの人の生き死にに従事せざるを得なくなる。ということは研究開発にかけられる人材も予算も苦しくなるということである。
それに加えて現在の研究者の置かれている実情を併せれば、国民一人当たりのGDPを上昇させるために必要な技術革新は困難と言わざるを得ない。

マスコミに与えられることで全てを判断していても今の日本は判断できない。現実アベノミクスで皆輸出が伸びたて良くなったと思っているだろうが実は2013年からの6年で日本は輸入超過になっているのである。それは為替政策のもたらした負の遺産である。
もともと日本は内需国であり、エネルギーや食料を輸入に頼る国である。当然円安誘導で輸入食品やエネルギーコストは増大している。6年で20兆円も資産が流出したのである。年換算で消費税1%以上である。
しかし輸出企業は消費税戻しなどで国にその利益を十分還元していない。逆に役員報酬や内部留保、株式配当に費やしている。その役員報酬も外国人が多く含まれる。
さらにいうと物価上昇が約5%に対して食料品は14%の上昇だ。代表的なのはラーメンなどの小麦粉だ。こういうことは報道されないが政府の出す資料を見ればわかることだ。
大学生が増えても選挙にもいかないし、こういった不思議にも興味を持たない、その犠牲に日本の研究者の窮状は深刻化し、頭脳は海外に流出しようとしている。
小泉改革の時、企業はリストラに熱心であった。その結果日本の多くの研究従事者が海外とくにサムスンなどに吸い取られた。その結果今の日本の現状がある。

私はこのことを随分警告してきたがことコロナ禍でそれも手遅れとなっているように思う。日本は2050年をピークに少子高齢化は深刻化していく。そしてこの研究能力の低下はこれから30年ボディーブローのように効いていく。
更にコロナ禍は100兆を超える債券を発行している。これは全体の10%を超える。ただでさえ世界の中で異次元の債券発行をしているのにこれからの高齢化社会での社会福祉増大に際してこの残高が国債発行を制限させる危険性は十分ある。
さらにアベノミクスで市場に出回っていないマネタリーベースが300兆を超える額で存在する。これは現在流通する紙幣貨幣量の3倍近い額である。
このマネー量が日本が見切られたとき強烈な円安となって日本を襲う。80円から105円で20兆の資産が海外に流出し食料が14%上昇した。これが仮に200円とでもなったらどうなるだろうか。

菅政権は安倍政権を継承すると表明している。ということは今後も加計学園のような新設私立大学が乱立し、入学生はアジアからの留学生が多数を占め、彼らが東京福祉大学のように仮面留学で仕送りするような国となる。
そしてコロナ禍のような局面で食い詰めた留学生が群馬の豚泥棒のような形で生活する。学問は政府に都合の良いものばかりとなり多様性をなくし国力は衰退していく。
それをマスコミは報道しない。そして国民もおかしいと考えない。考えることを放棄しているので状態は放置される。アメリカの半分は科学より宗教が正しいと信じている。やがて日本もそういう国になっていくだろう。

アメリカが研究で優秀なのはアメリカ人が優秀だからではない。アメリカでは研究が比較的自由にできる環境が揃っているから世界の頭脳が集結しているのである。私の先輩であったベネズエラ人も日本のキャリア後アメリカで教授となった。
中国もおそらくそういう形をとりながら、アメリカ同様中国の研究成果として自国の発展を遂げるであろう。中国自体はの多様性への寛容さはないがおそらく研究に関してはそういう方向にもっていかざるを得ないであろう。
一方日本は政府が学問に注文を付ける。そして同じく少子高齢化となった英独にも置いて行かれ新潮の記事にある通り先頭集団の最後尾にいる。私はその現実を皆理解すべきだと思う。そしてそれを変えるのは選挙でしかできない。日本は戦国時代ではないのだから。
でも誰も選挙に興味がなければ仕方が無い。泥船に沈むまで乗るしかない。そのころには私は生きてはいまい。あとは自分で選んだ結末を十分堪能していただくしかない。そのとき安倍晋三は大勲位を頂き満面の笑みであろうがだ。