きまぐれ日記2

気まぐれに日々感じることをデータや情報を調べながら自身のためになるよう、なるべく読みやすいよう書いてみます。

時間と税金の無駄遣いな国会

2019-06-19 21:45:22 | 日記
私の仕事場ではNHKラジオを流している。だから国会中継があるときは聞こうとしようがしまいが耳に入ってくる。今日も午後から党首討論を放送していた。野党側は党首討論よりも国会の開催を要求していたはずだ。だがどうやら党首討論を落としどころにされたようだ。
自民党に政権が復帰したこの6年間はもちろん21世紀になっての数多くの国会中継を聞いている。その中で感じることがこの6年間の国会はほとんど無駄でしかないということだ。

ラジオで国会中継するときは首相と閣僚が揃った時がほとんどだと思う。それ以外の国会はよほど重要な議題でない限り放送されない。2000年代の麻生政権までは質問者が自民党の議員の場合は政策提言および政策提言の名を借りた公共事業誘導がその質疑の中心であった。
これらの質問に共感することはあまりなかったがまだ国会の議論の場として最低限の矜持はあったと思う。一方公明党は自分の党所属議員が担当大臣のところに質問し自画自賛するお粗末なものが多かった。これが最近6年間の自民党の議員質問が同じものに成り下がっているのだ。もちろん全部ではない。だが少なくとも私の耳に残る程度の頻度でそうなってきている。

政策を発表するのは政府の仕事であり、その是非を討論するところに国会運営の意味がある。だが自民党は政権に復帰して民主党政権時に野党である自民党に質問時間を増やすことで議論しようとしていたところを与党の占める時間を増やし野党質問時間を減らす戦法に出た。

首相の所信表明などを聞けば自己の成果と言わんばかり数値を羅列する。もちろんそれはおそらく虚偽のものではないだろう。だが都合のいいものだけを出している感が強い。なによりも2000年代の首相の所信表明演説はこれから何をするということに主眼が置かれていた。自民党の時代も安倍第1次政権もそうであった。だが現在は裸の王様を祀るような場と化している。

そして少なくなった野党の質問時間に対する首相答弁が酷いを通り越してふざけているとしか思えないものだ。質問されたことに対して時間稼ぎのような持論の説明で時間を稼ぐ。何度も質問者が質問に答えていないと指摘してもそのやり方を変えず質問時間を浪費させる。
本日の党首討論もひどいものであった。冒頭の新潟山形での地震に対する言葉がけに延々と中身のない言葉で時間消費させているのが聞いていてひしひし感じるものだ。もちろん丁寧に被災者に言葉がけすることは必要であろう。でもそれは党首討論で時間をかけてするものではない。各党党首が簡潔にしていたよう表現方法があるはずだ。
立憲民主党の主張に対する反論を国民民主党との討論時間に展開する時間潰しも醜いの一言だ。両党首とも少なくとも安倍晋三よりは弁が立つし落ち着いて話ができる。だから枝野に対する反論を本人のいないところでして時間潰しもできるというどこの入れ知恵かわからないが傍で聞いていてこの国の首相がこれと思うと情けなくなるような作戦だ。

さらに酷いのが維新だ。ここは国会質問時間に民主党を批判するという前代未聞の党だ。まあ安倍の第二部隊と言われているから仕方がないだろう。だが政策を論じる場で政策担当していない野党の批判を国会議論の場でする必要があるであろうか?それはテレビ番組や雑誌新聞の記事ですればいいことだ。国の税金を使って議論するのはおかしいと思わないのだろうか。

国会討論の始まる前にトランプ大統領の大統領選出馬宣言が報道された。安倍晋三とトランプはかなりキャラクターが似ている。自画自賛が大好きで人の悪口が大好きなところだ。まだ安倍晋三の方が人の目を気にしているだけまともかもしれないがそれでも基本謝ることができない人だ。
同じようなカテゴリーに石原慎太郎とか維新の丸山穂高とかがいる。彼らは自分が強いがごとくふるまうが自分の弱さに正対できない弱い人たちだ。残念ながら安倍晋三もそうだ。自分の名を冠したアベノミクスを批判されると烈火のごとく怒る。だからアベノミクスの一番の問題点である金融緩和はやめられずここまで来た。

今日の党首討論で第二自民党のば片山虎之介に援護射撃してもらっていた。衆参同時選挙のブラフとともに首相の4期目を振られていた。何度も言うがこの時間は税金を投じて行われる政策論争の場だ。維新はこういうことしかしないしできない。
だがおそらく安倍は答弁通り3期で首相を辞めると思う。それはオリンピック開催国の多くが経験する不況が訪れるからだ。消費増税でもともとオリンピック前の好況も見られなかった。このまま消費増税が行われオリンピックという覚せい剤の効果が切れるころ日本は傾き転がり落ち始めていく。
そのときこの分不相応な金融緩和が世界に評価される時が来る。円が売られ輸入なしでは生きていけない日本の資源食糧が高騰する。金融緩和で金融機関の日銀当座預金口座には多額の残高がある。ここから回収しない限り金融緩和は引き締められない。そのためには金利上昇が必要になる。だがそうすれば銀行も融資の利子を引き上げる。それは倒産を増やし、株価は暴落する。
株価の下落は年金・生損保・金融機関に大打撃を与える。日銀もその資産が暴落し一層の円安を誘導する。年金は保有する株式が暴落し目減りする。ちなみに年金は日本株式市場の大旦那の一人である。ここが株を売るということは大量の株式売却となる。それは年金発の株式暴落を引き起こすだろう。だからおそらく売って資産を確保という手段はできない。そして売れない株式が紙くずになるのを見ているしかない。
こうなったら誰があるいはどの党が政権についてもダメだろう。金融緩和は引き締めが可能ならば有効な手立てだと思う。だが日本の国家予算における国債依存度および少子高齢化による国力低下が不可避な現実を考えれば金利上昇ができないことは明白だ。金利上昇ができない以上市中に出したマネーは回収できない。国力がそのマネー量に相当していないと判断されたとき日本の崩壊が始まり加速する。
それは安倍晋三と日銀黒田総裁が始めたことだ。その責任はアベノミクスが成功したとうそぶいている以上安倍晋三にある。だが日本沈没の前に首相を辞めればあとの奴のやり方が悪いと言える。
現実に安倍晋三は金融緩和の出口戦略と口にはするが具体策は何ら出していない。そう言っている間にも増え続けている。それは国民の財布の中に入るのではなく日銀の当座預金に入っている。つまり銀行などが保有している。これがアベノミクスをほとんどの国民が実感できない理由だ。市中に出回る紙幣は緩和量の1割程度だ。それもほとんど投資で回っているだけであろう。だが物価は上昇し実質賃金は下がっている。

今国会で論ずるべきは将来の日本の国力低下に対してどのような手を打つかだと私は思う。安倍の自画自賛を聞く時間など無駄だ。社会保障の増大は避けられない。だが少子高齢化で国力は下がる。つまり国債の発行はその時に必要となる。それまで少しでも償還しなければデフォルトが現実のものとなる。それが今論ずべきことなのだ。
だが民主党政権も含めてだが国家予算を拡大し続けた。とうとう100億を突破した。現在でも借金しながらやりくりしているのに高齢者が全体の4割を占める時代になればどうするつもりなのだろうか?
まずすべきことは国家予算の優先順位をつけ国債償還をどれだけにするか将来計画を立てることからだろう。そうすれば天下りや政府予算に吸い付いている国賊議員利権を除外していくことも可能だ。
安倍晋三もそのことを考えていることは認めよう。だが加計問題など自身もそういうところに身を置いてしまっている。彼がそのことを恥じ反省するなら将来も展望できよう。だが彼は上述のとおり謝ることのできない人だ。他人のやらかしたことを遺憾であるとは言えても自分自身のことは言えない。だから絶望的だと思う。

こんな状況を作り出したのは政権交代後選挙を放棄した1700万人の有権者だ。この京阪神の人口に相当する選挙に行かない人が今の状況を放置した。彼らのためにわれわれ日本人は苦杯を舐めなければならない。
おそらく政府は我々を守らない。いや守れない。そして安倍晋三をはじめとした為政者はそんな時でも楽に暮らせるだけの財を持っている。私は自身の老後に対して出来ることはしようと思っている。と言ってもおそらく長生きしないだろう。でも今健康に気にしてサプリだの運動だの食べ物だの気にしている人はその長生きする間の社会的環境もよく考えた方がいい。

まずは一度国会中継を聴いてみることをお勧めする。もちろんテレビでも構わない。その人のひととなりが話し方や顔、声色に表れる。そしてその内容が税金を使ってしている価値があるのか判断していただきたい。
そして百年安心と思うのならこの夏自民党に投票すればいいと思う。民主主義である以上多くの人がそう思うのなら仕方がない。あとは自分の身で知ることになるだけだ。自分のあるいは自分の家族の未来のためだ。それくらいはすべきだと私は思う。