宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

43 (20) 八方山(その2)

2008年10月29日 | Weblog
 ”八方山(その1)”の続きである。

 八方山の頂上から今度は清水観音に向かうため、尻平川コースを下ることにする。ただし、合流地点までは往路と同じである。
 では、
《1 合流地点》(平成19年5月8日撮影)

に着いたので、この分岐から報告する。
 道沿いには
《2 コブシ》(平成19年5月8日撮影)

《3 タムシバ》(平成19年5月8日撮影)

《4 カタクリ》(平成19年5月8日撮影)

《5 ミヤマカタバミ》(平成19年5月8日撮影)

《6 シュンラン》(平成19年5月8日撮影)

などが咲き、
《7 ショウジョウバカマ》(平成19年5月8日撮影)

が色褪せている。
《8 マイヅルソウ》(平成19年5月8日撮影)


《9 ツクバネソウ》(平成19年5月8日撮影)

はまだ葉が出たばかり。
《10 山毛欅の若葉》(平成19年5月8日撮影)

もみずみずしい。
《11 アオキ》(平成19年5月8日撮影)

《12 オオカメノキ》(平成19年5月8日撮影)

は花が咲いているし、
《13 セリバオウレン》(平成19年5月8日撮影)

の花はもう終わり実を付けているし、
《14 カタクリ》(平成19年5月8日撮影)

も実を付け始めている。
《15 ムラサキヤシオの花》(平成19年5月8日撮影)

は相変わらず美しく、一方
《16 オオバクロモジの花》(平成19年5月8日撮影)

は控えめだ。
《17 イカリソウ》(平成19年5月8日撮影)


《18 チゴユリ》(平成19年5月8日撮影)

はうつむき加減に咲いている。
 そうこうしているうちに
《19 尻平川登り口》(平成19年5月8日撮影)

も直ぐそこのようだ。
 登り口に着くと、その周辺には
《20 ツボスミレ》(平成19年5月8日撮影)

《21 タチツボスミレ》(平成19年5月8日撮影)

《22 ムラサキサギゴケ》(平成19年5月8日撮影)

《23 ミツバツチグリ》(平成19年5月8日撮影)

《24 モミジイチゴ》(平成19年5月8日撮影)

 また、蛾の繭が幾つかあった
《25 蛾の繭》(平成19年5月8日撮影)

《26 〃 》(平成19年5月8日撮影)

《27 〃 》(平成19年5月8日撮影)

 この登山口からは、ほぼ一直線状で南東方向に進むと花巻市立笹間第二小学校そばの交差点に出会える。
《28 そこからの八方山方面》(平成20年4月30日撮影)

上の写真の右手の山が八方山である。ここには次のような八方山の
《29 案内板》(平成20年4月30日撮影)

が掲げてある。
 ではここからは清水観音を目指す。行き方は表現しにくいので、案内板があちこちに建ててあるからそれに従ってほしい。すると
《30 清水観音案内》(平成20年10月25日撮影)

というところに辿り着けるはずだ。
《31 そこの供養塔群》(平成20年10月25日撮影)

ここからは案内に従って行けば
《32 清水観音まで200m》(平成20年10月25日撮影)

《33 そこからの八方山の眺め》(平成20年10月25日撮影)

直ぐに、清水観音の手前にある
《34 慈眼水》(平成20年10月25日撮影)

が見つかるだろう。ここを過ぎると
《35 清水観音前》(平成20年10月25日撮影)

参道にはいると直ぐに
《36 清水観音由緒》(平成20年10月25日撮影)

を書いた説明板がある。
 また、供養塔も境内のあちこちにあり、例えばこんな
《37 供養塔群》(平成20年10月25日撮影)

もあり、なんと金毘羅のものが2つもある。
《38 参道》(平成20年10月25日撮影)

《39 楼門》(平成20年10月25日撮影)

《40 〃 》(平成20年10月25日撮影)

これをくぐり抜けて見返した
《41 楼門》(平成20年10月25日撮影)

かなり立派な造りである。
 そして、肝心の
《42 観音堂》(平成20年10月25日撮影)

である。

 ところで、宮澤賢治はこの清水観音で次のような詩を詠んでいると云う。
     『境内』
   みんなが辨当を食べてゐる間
   わたくしはこの杉の幹にかくれて
   しばらくひとり憩んでゐよう
   二里も遠くから この野原中
   くろくわだかまって見え
   千年にもなると云はれる
   林のなかの一本だ
   うす光る巻積雲に
   梢が黒く浮いてゐて
   見てゐると
   杉とわたくしとが
   空を旅してゐるやうだ
   みんなは杉のうしろの方
   山門の下や石碑に腰かけて
   割合ひっそりしてゐるのは
   いま盛んにたべてゐるのだ
   約束をしてみな辨当をもち出して
   じぶんの家の近辺を
   ふだんはあるかないやうなあちこちの田の隅まで
   仲間といっしょにまはってあるく
   ちょっと異様な気持ちだらう
   おれも飯でも握ってもってくるとよかった
   空手で来ても
   学校前の荒物店で
   パンなぞ買へると考へたのは
   第一ひどい間違ひだった
   冬は酸へずに五日や十日置けるので
   とにかく売ってゐたのだらう
   パンはありませんかと云ふと
   冬はたしかに売ったのに
   主人がまるで忘れたやうな
   ひどくけげんな顔をして
   はあ? パンすかときいてゐた
   一つの椅子に腰かけて
   朝から酒をのんでゐた
   眉の蕪雑なぢいさんが
   ぢろっとおれをふり向いた
   それから大へん親切さうに
   パンだらそこにあったっけがと
   右手の棚を何かさがすといふ風にして
   それから大へんとぼけた顔で
   ははあ食はれなぃ石バンだと
   さう云ひながらおれを見た
   主人もすこしもくつろがず
   おれにもわらふ余裕がなかった
   あのぢいさんにあすこまで
   強い皮肉を云はせたものを
   そのまっくらな巨きなものを
   おれはどうにも動かせない
   結局おれではだめなのかなあ
   みんなはもう飯もすんだのか
   改めてまたどらをうったり手を叩いたり
   林いっぱい大へんにぎやかになった
   向ふはさっき
   みんなといっしょに入った鳥居
   しだれのやなぎや桜や水
   鳥居は明るいま夏の野原にひらいてゐる
   あゝ杉を出て社殿をのぼり
   絵馬や格子に囲まれた
   うすくらがりの板の上に
   からだを投げておれは泣きたい
   けれどもおれはそれをしてはならない
   無畏 無畏
   断じて進め

    <『新編 宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)より>
観音堂には、この詩の中のそれぞれ
《43 ”格子?”》(平成20年10月25日撮影)

《44 ”うすくらがり?”の中》(平成20年10月25日撮影)

《45 〃 》(平成20年10月25日撮影)

《46 ”絵馬?”》(平成20年10月25日撮影)

《47 算額の〃》(平成20年10月25日撮影)

と思われるものである。

 最後に、この清水観音はもともとは八方山にあったので、
《48 清水観音からの八方山》(平成20年4月30日撮影)

を眺めてみる。

 ここまで辿ってみたならば、賢治が「経埋ムベキ山」として八方山(716.6m)を選んでいることは妥当かなとは思う。はるか昔はその頂上に観音堂があったし、ここの清水観音に移ってからは太田の人たちから尊崇されているし、花巻からはもちろん見えるし三角点もある山だからである。
 ただし、気になるのは「経埋ムベキ山」32座中、この八方山にだけ賢治は◎印を付けていることである。

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