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さいかち淵について気になっていることがある。
それは、賢治の童話『さいかち淵』の”八月十四日”の章の出だし
ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。今日なら、もうほんとうに立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、みみずくの頭の形をした鳥ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。しゅっこが、あんまり急いで行くもんだから、小さな子どもらは、追いつくために、まるで半分馳けた。みんな急いで着物をぬいで、淵の岸に立つと、しゅっこが云った。
<『イーハトーボ農学校の春』(宮沢賢治著、角川文庫)より>
の中の鳥ヶ森のことである。
もっと詳しく云うと、賢治は
(さいかち淵から見ると)みみずくの頭の形をした鳥ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。
と表現しているが、はたして”さいかち淵”から見て鳥ヶ森がみみずくの頭に見えるのだろうかという不安がある。
そこで、その検証のためにこのさいかち淵を訪れた。まずは、中根子に道地橋(どうじばし)という豊沢川に架かる橋を目指す。それは下根子の桜橋(<羅須地人協会について(その1:明神様の湧水)>参照)からほぼ真北2㎞程の所にある。
《1 これがその道地橋》(平成21年1月8日撮影)
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であり、
《2 橋のたもと(北側)》(平成21年1月8日撮影)
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には
《3 賢治のモニュメント》(平成21年1月8日撮影)
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があり、モニュメントには
さいかち淵
ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。
と刻まれている。もちろん、このブログの最初に記載した『さいかち淵』の一節である。
《4 こちらのモニュメントは賢治のあの帽子》(平成21年1月8日撮影)
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橋を少し渡って見た
《5 豊沢川下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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《6 〃北側の川岸》(平成21年1月8日撮影)
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の向こうには早池峰山が聳えている。この写真の赤い構造物のそば、乗用車のあるところがかつての『風の又三郎ロケ地跡』ということなので、橋を渡らないで引き返し
《7 北側堤防上の道》(平成21年1月8日撮影)
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を下流方向に行くことにする。
今の橋は最近竣工したものであり、
《8 かつては今の橋の下流側にあったという》(平成21年1月8日撮影)
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《9 かつてはここは林だったという河原》(平成21年1月8日撮影)
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《10 風の又三郎ロケ地跡の標識》(平成21年1月8日撮影)
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たまたま散歩をしている人がおり、その人は今から40年ほど前にここに引っ越してきたと云う。その人が『その頃は、このあたり(ロケ地跡付近のこと)は沼地だったし、でっかい”さいかち”の木もあったが、今は沼は埋められてしまったし木もなくなってしまった。また、南側の大きな淵(まごい淵のこと)もすっかり埋め立てられてしまってその面影はなくなった。』と教えてくれた。
河原に下りてゆくと
《11 まごい淵跡の標識》(平成21年1月8日撮影)
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《12 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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が立てられているが、残念ながら書かれている文字は殆ど判読できない。従って河原小屋淵がどこかは解らない。
また、実際に
《13 まごい淵があったのは向こう岸側》(平成21年1月8日撮影)
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《14 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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《15 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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《16 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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だとのこと。
《17 河原からの早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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《18 土手の蒲公英》(平成21年1月8日撮影)
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土手に上がってみると左に見えるのが先程のまごい淵の標識だが、
《19 右側にも標石が見える》(平成21年1月8日撮影)
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《20 さいかち淵の標石》(平成21年1月8日撮影)
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《21 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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であった。
さいかち淵
「ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。」 (「さいかち淵」)
この辺りには「河原小屋淵」と「馬越淵」があったが、堤防が築かれていまはなくなった。いずれの淵も農耕馬の「冷やし場所」であり、賢治の子供の頃からの遊び場であった。作品び出てくる「さいかち淵」は両渕の総称である。
と説明してある。
再度河原に下りて見た
《22 河原からの上流方向》(平成21年1月8日撮影)
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同じく
《23 豊沢川上流》(平成21年1月8日撮影)
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《24 〃下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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奥に
《25 早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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が座している。
ここで再度道地橋を渡ると、
《26 橋の南側たもとのモニュメント》(平成21年1月8日撮影)
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《27 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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橋の両たもとに同じモニュメントがあった。ここから川岸を下って
《28 南側の河原から眺めた豊沢川下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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もちろんバックには見えるのは
《29 早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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河原には
《30 ウバユリの実》(平成21年1月8日撮影)
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がまだ残っていた。
ところで、肝心の鳥ヶ森とみみずく森のことを報告する。
まずは、さいかち淵から西根山の山並みを眺めてみよう。左から順に
《31 八方山、鳥ヶ森、無名の双耳峰》(平成21年1月8日撮影)
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などが見える。なお、手前に見える橋は道地橋である。
そこでこれらの山をそれぞれズームアップしてみよう。まずは、
《32 これが八方山》(平成21年1月8日撮影)
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で、”▽”状の雪形が見えるなだらかな山である。あの「雨ニモマケズ手帳」の「経埋ムベキ山」の中で唯一◎記号のついている山でもある。
その左手(南側)にある、さいかち淵から真西に見える
《33 鳥ヶ森》(平成21年1月8日撮影)
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がこれである。この鳥ヶ森(892.2m)とその北側にある無名峰(836m)の一連は双耳峰っぽく見えないこともないから、さいかち淵から眺めてみたかったのである。しかし、実際眺めてみると残念ながらさいかち淵からはみみずくの頭の形をした鳥ヶ森には見えないということがこれで判ると思う。
そこで、さらに左手(南側)を見るとある
《34 これが無名の双耳峰》(平成21年1月8日撮影)
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である。手前の峰は857m、奥の峰は850mちょっとのピークからなる双耳峰である。私から見ると、この無名の双耳峰の方がどうしても”みみずくの耳”に見えてしょうがない。この写真のように、さいかち淵から見た場合はこの双耳峰全体の方がみみずくの頭の形をした山に見えてしょうがないのである。
したがって、”みみずく森と六角山について”で述べたように
みみずく森=鳥ヶ森
六角山=八方山
という図式についてもやはり更に疑問が増してくる。
換言すれば、賢治の詩『地主』の中の”みみずく森”、同じく童話『さいかち淵』の”みみずくの形をした山”はいずれも鳥ヶ森の別称ではなくて創作なのではなかろうかと思ってしまう。あるいは、もしかすると
賢治はこの無名の双耳峰をみみずく森とし、鳥ヶ森と思っていたのではなかろうか
という問題提起をしたい。
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それは、賢治の童話『さいかち淵』の”八月十四日”の章の出だし
ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。今日なら、もうほんとうに立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、みみずくの頭の形をした鳥ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。しゅっこが、あんまり急いで行くもんだから、小さな子どもらは、追いつくために、まるで半分馳けた。みんな急いで着物をぬいで、淵の岸に立つと、しゅっこが云った。
<『イーハトーボ農学校の春』(宮沢賢治著、角川文庫)より>
の中の鳥ヶ森のことである。
もっと詳しく云うと、賢治は
(さいかち淵から見ると)みみずくの頭の形をした鳥ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。
と表現しているが、はたして”さいかち淵”から見て鳥ヶ森がみみずくの頭に見えるのだろうかという不安がある。
そこで、その検証のためにこのさいかち淵を訪れた。まずは、中根子に道地橋(どうじばし)という豊沢川に架かる橋を目指す。それは下根子の桜橋(<羅須地人協会について(その1:明神様の湧水)>参照)からほぼ真北2㎞程の所にある。
《1 これがその道地橋》(平成21年1月8日撮影)
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であり、
《2 橋のたもと(北側)》(平成21年1月8日撮影)
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には
《3 賢治のモニュメント》(平成21年1月8日撮影)
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があり、モニュメントには
さいかち淵
ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。
と刻まれている。もちろん、このブログの最初に記載した『さいかち淵』の一節である。
《4 こちらのモニュメントは賢治のあの帽子》(平成21年1月8日撮影)
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橋を少し渡って見た
《5 豊沢川下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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《6 〃北側の川岸》(平成21年1月8日撮影)
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の向こうには早池峰山が聳えている。この写真の赤い構造物のそば、乗用車のあるところがかつての『風の又三郎ロケ地跡』ということなので、橋を渡らないで引き返し
《7 北側堤防上の道》(平成21年1月8日撮影)
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を下流方向に行くことにする。
今の橋は最近竣工したものであり、
《8 かつては今の橋の下流側にあったという》(平成21年1月8日撮影)
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《9 かつてはここは林だったという河原》(平成21年1月8日撮影)
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《10 風の又三郎ロケ地跡の標識》(平成21年1月8日撮影)
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たまたま散歩をしている人がおり、その人は今から40年ほど前にここに引っ越してきたと云う。その人が『その頃は、このあたり(ロケ地跡付近のこと)は沼地だったし、でっかい”さいかち”の木もあったが、今は沼は埋められてしまったし木もなくなってしまった。また、南側の大きな淵(まごい淵のこと)もすっかり埋め立てられてしまってその面影はなくなった。』と教えてくれた。
河原に下りてゆくと
《11 まごい淵跡の標識》(平成21年1月8日撮影)
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《12 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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が立てられているが、残念ながら書かれている文字は殆ど判読できない。従って河原小屋淵がどこかは解らない。
また、実際に
《13 まごい淵があったのは向こう岸側》(平成21年1月8日撮影)
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《14 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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《15 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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《16 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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だとのこと。
《17 河原からの早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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《18 土手の蒲公英》(平成21年1月8日撮影)
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土手に上がってみると左に見えるのが先程のまごい淵の標識だが、
《19 右側にも標石が見える》(平成21年1月8日撮影)
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《20 さいかち淵の標石》(平成21年1月8日撮影)
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《21 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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であった。
さいかち淵
「ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。」 (「さいかち淵」)
この辺りには「河原小屋淵」と「馬越淵」があったが、堤防が築かれていまはなくなった。いずれの淵も農耕馬の「冷やし場所」であり、賢治の子供の頃からの遊び場であった。作品び出てくる「さいかち淵」は両渕の総称である。
と説明してある。
再度河原に下りて見た
《22 河原からの上流方向》(平成21年1月8日撮影)
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同じく
《23 豊沢川上流》(平成21年1月8日撮影)
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《24 〃下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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奥に
《25 早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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が座している。
ここで再度道地橋を渡ると、
《26 橋の南側たもとのモニュメント》(平成21年1月8日撮影)
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《27 〃 》(平成21年1月8日撮影)
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橋の両たもとに同じモニュメントがあった。ここから川岸を下って
《28 南側の河原から眺めた豊沢川下流方向》(平成21年1月8日撮影)
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もちろんバックには見えるのは
《29 早池峰山》(平成21年1月8日撮影)
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河原には
《30 ウバユリの実》(平成21年1月8日撮影)
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がまだ残っていた。
ところで、肝心の鳥ヶ森とみみずく森のことを報告する。
まずは、さいかち淵から西根山の山並みを眺めてみよう。左から順に
《31 八方山、鳥ヶ森、無名の双耳峰》(平成21年1月8日撮影)
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などが見える。なお、手前に見える橋は道地橋である。
そこでこれらの山をそれぞれズームアップしてみよう。まずは、
《32 これが八方山》(平成21年1月8日撮影)
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で、”▽”状の雪形が見えるなだらかな山である。あの「雨ニモマケズ手帳」の「経埋ムベキ山」の中で唯一◎記号のついている山でもある。
その左手(南側)にある、さいかち淵から真西に見える
《33 鳥ヶ森》(平成21年1月8日撮影)
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がこれである。この鳥ヶ森(892.2m)とその北側にある無名峰(836m)の一連は双耳峰っぽく見えないこともないから、さいかち淵から眺めてみたかったのである。しかし、実際眺めてみると残念ながらさいかち淵からはみみずくの頭の形をした鳥ヶ森には見えないということがこれで判ると思う。
そこで、さらに左手(南側)を見るとある
《34 これが無名の双耳峰》(平成21年1月8日撮影)
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である。手前の峰は857m、奥の峰は850mちょっとのピークからなる双耳峰である。私から見ると、この無名の双耳峰の方がどうしても”みみずくの耳”に見えてしょうがない。この写真のように、さいかち淵から見た場合はこの双耳峰全体の方がみみずくの頭の形をした山に見えてしょうがないのである。
したがって、”みみずく森と六角山について”で述べたように
みみずく森=鳥ヶ森
六角山=八方山
という図式についてもやはり更に疑問が増してくる。
換言すれば、賢治の詩『地主』の中の”みみずく森”、同じく童話『さいかち淵』の”みみずくの形をした山”はいずれも鳥ヶ森の別称ではなくて創作なのではなかろうかと思ってしまう。あるいは、もしかすると
賢治はこの無名の双耳峰をみみずく森とし、鳥ヶ森と思っていたのではなかろうか
という問題提起をしたい。
続きの
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前の
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