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「雨ニモマケズ手帳」を見ていてやはり気になることのうちの一つが
《57~58p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
である。このページの文字を拾ってゆくと
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
である。もちろん、人口に膾炙しているものは
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
である。つまり、「ヒドリ」は「ヒデリ」の間違いであり、賢治は書き誤ったのだというのが定説だという。たしかにそのとおりだと思う。
なぜなら、
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
の部分は対句表現だろうから、仮に「ヒドリ」を字面どおりに「日取り」、あるいは「日用取」、はたまた「一人」として捉えたのでは次の行の「サムサノナツ」とは対にならないからである。
と、自分としては己を納得させて来たのだが、賢治がこんな書き違いをするのかなと多少訝しむところがないわけでもなく、喉に小骨が刺さっているような”イズイ”感じがしていたというのが正直なところであった。そこへ昨年、和田文雄氏の『宮澤賢治のヒドリ』という本がコールサック社から出版されたりしてすっきりしない日々が続いていた。
ところが、今回同手帳の71~74pを見て私としてはこの小骨が消え去った。
ではまず、
《71~72p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
これらのページに書かれた大きな文字の部分だけを抜き出すとそれぞれ
【71p】
土偶坊
ワレワレハ(後で削除)カウイフ
モノニナリタイ
第一景
薬トリ(後で削除)
第二景 母
子(後で削除)病ム
【72p】
第三景 青年ラ ワラフ
土偶坊 石ヲ
投ゲラレテ遁ゲル
第四景 老人死セントス
第五景 青年ラ害シニ(後で削除)
ヒデリ
第六景 ワラシャドハラヘタガー
となっており、次が
《73~74p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
であり、同様それぞれ
【73p】
雑誌記者 写真
第七景 遠国ノ商人(後で削除)
第八景 恋スル女
第九景 青年ラ害
セントス
第十一景 春
【74p】
第十景 帰依者
帰依ノ女
となっている。
このメモの中の一節
土偶坊
ワレワレカウイフ
モノニナリタイ
の表現内容は「雨ニモマケズ」の
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
に酷似しており、”土偶坊”は”デクノボー”のイメージを彷彿とさせる。あるいは、もしかすると賢治は『木偶坊』と書こうとして『土偶坊』と誤記したのかもしれないとも考えられる。
一方、これらのメモの少し前の51~59pに書かれているのが詩「雨ニモマケズ」である。したがってこれらの書かれているページ上の位置関係、及び、前述したようなこれらの2つの内容の酷似性などか判断して、この71~74pのメモは「雨ニモマケズ」を演劇化、脚本化しようとしたためのメモなのではなかろうかということが容易に推測できる。
すると俄然注目を引いてくるのが
第五景 青年害シニ(後で削除)
ヒデリ
の部分である。このメモ「土偶坊」の中の”ヒデリ”は詩「雨ニモマケズ」の中の”ヒドリ”の部分と対応すると考えられるからである。そしてもしそうだとすれば、「雨ニモマケズ」の”ヒドリ”か「土偶坊」の”ヒデリ”のどちらか一方を賢治は誤記したと云う可能性が大になると思う。
ではその場合どちらの方が誤記であったかである。詩「雨ニモマケズ」には対句表現がふんだんに使われているし、前述したように”ヒドリ”よりは”ヒデリ”の方が対句表現にふさわしい内容となると思う。つまり、定説になっている
ヒドリはヒデリの誤記であり、賢治がうっかり書き間違えた。
というのが妥当なのだと私個人は得心でき、喉の小骨は消え去ってしまったしだいである。
併せて、賢治も人の子、誤記することはあるのだと少しだけ安堵した。
次の
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《57~58p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
である。このページの文字を拾ってゆくと
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
である。もちろん、人口に膾炙しているものは
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
である。つまり、「ヒドリ」は「ヒデリ」の間違いであり、賢治は書き誤ったのだというのが定説だという。たしかにそのとおりだと思う。
なぜなら、
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
の部分は対句表現だろうから、仮に「ヒドリ」を字面どおりに「日取り」、あるいは「日用取」、はたまた「一人」として捉えたのでは次の行の「サムサノナツ」とは対にならないからである。
と、自分としては己を納得させて来たのだが、賢治がこんな書き違いをするのかなと多少訝しむところがないわけでもなく、喉に小骨が刺さっているような”イズイ”感じがしていたというのが正直なところであった。そこへ昨年、和田文雄氏の『宮澤賢治のヒドリ』という本がコールサック社から出版されたりしてすっきりしない日々が続いていた。
ところが、今回同手帳の71~74pを見て私としてはこの小骨が消え去った。
ではまず、
《71~72p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
これらのページに書かれた大きな文字の部分だけを抜き出すとそれぞれ
【71p】
土偶坊
ワレワレハ(後で削除)カウイフ
モノニナリタイ
第一景
薬トリ(後で削除)
第二景 母
子(後で削除)病ム
【72p】
第三景 青年ラ ワラフ
土偶坊 石ヲ
投ゲラレテ遁ゲル
第四景 老人死セントス
第五景 青年ラ害シニ(後で削除)
ヒデリ
第六景 ワラシャドハラヘタガー
となっており、次が
《73~74p》
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<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
であり、同様それぞれ
【73p】
雑誌記者 写真
第七景 遠国ノ商人(後で削除)
第八景 恋スル女
第九景 青年ラ害
セントス
第十一景 春
【74p】
第十景 帰依者
帰依ノ女
となっている。
このメモの中の一節
土偶坊
ワレワレカウイフ
モノニナリタイ
の表現内容は「雨ニモマケズ」の
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
に酷似しており、”土偶坊”は”デクノボー”のイメージを彷彿とさせる。あるいは、もしかすると賢治は『木偶坊』と書こうとして『土偶坊』と誤記したのかもしれないとも考えられる。
一方、これらのメモの少し前の51~59pに書かれているのが詩「雨ニモマケズ」である。したがってこれらの書かれているページ上の位置関係、及び、前述したようなこれらの2つの内容の酷似性などか判断して、この71~74pのメモは「雨ニモマケズ」を演劇化、脚本化しようとしたためのメモなのではなかろうかということが容易に推測できる。
すると俄然注目を引いてくるのが
第五景 青年害シニ(後で削除)
ヒデリ
の部分である。このメモ「土偶坊」の中の”ヒデリ”は詩「雨ニモマケズ」の中の”ヒドリ”の部分と対応すると考えられるからである。そしてもしそうだとすれば、「雨ニモマケズ」の”ヒドリ”か「土偶坊」の”ヒデリ”のどちらか一方を賢治は誤記したと云う可能性が大になると思う。
ではその場合どちらの方が誤記であったかである。詩「雨ニモマケズ」には対句表現がふんだんに使われているし、前述したように”ヒドリ”よりは”ヒデリ”の方が対句表現にふさわしい内容となると思う。つまり、定説になっている
ヒドリはヒデリの誤記であり、賢治がうっかり書き間違えた。
というのが妥当なのだと私個人は得心でき、喉の小骨は消え去ってしまったしだいである。
併せて、賢治も人の子、誤記することはあるのだと少しだけ安堵した。
次の
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