宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

106 シャーマン山について(西根山の南部分)

2009年01月31日 | Weblog
 賢治の詩集「春と修羅 第二集」の中に作品『測候所』
    シャーマン山の右肩が
    にはかに雪で被はれました
    うしろの方の高原も
    おかしな雲がいっぱいで
    なんだか非常に荒れて居ります
      ……凶作がたうたう来たな……
    杉の木がみんな茶いろにかはってしまひ
    わたりの鳥はもう幾むれも落ちました
      ……炭酸表をもってこい……
    いま雷が第六圏で鳴って居ります
    公園はいま
    町民たちでいっぱいです

    <『校本 宮澤賢治全集 第三巻』(筑摩書房)より>
というものがあり、この作品の日付は1924(大正13)年4月6日(日)である。この年は、賢治が農学校の教師となって3年目、4月には詩集『春と修羅』を、12月には童話集『注文の多い料理店』を出版した年だ。
 
 さてこの詩の中の”シャーマン山”と云う山のことだが、早池峰山のことであるというのが定説なのだそうだ。
 しかし、私には少し気になる。もし花巻周辺から早池峰山を望んだときに
    シャーマン山の右肩が
    にはかに雪で被はれました

という表現をはたしてするだろうかという疑問が生ずるからである。早池峰山の”右肩が”という表現に不自然さを感ずる。
 
 そこで、花巻から見渡せる山々をぐるり眺めてみたので報告する。後ほど述べたいが、”鋸”状に見える山を探すことが出来れば”シャーマン山”を同定するためのヒントになりそうだからである。

 先ず初回は西根山の峰々の南側部分についてである。場所は”(20) 八方山(その2)”で触れている”清水観音”付近から眺めたものである。
《1 駒ヶ岳等の夏油三山方面》(平成21年1月29日撮影)

残念ながら鋸状に見える山はないと思う。なお、夏油三山等のさらに南方にある栗駒山等はここからは望めなかった。
 では、この方角から順に時計回り(北側)に回転して眺めてゆくことにする。
《2 (北上の)羽山等の方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。
《3 高森山等方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。
《4 八方山等方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。
《5 天ヶ森等方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。
 なお、ここからは続きの山並みは見えなくなったので場所を移動して1㎞ほど北に移動して眺めた
《6 天ヶ森等方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。
《7 江釣子森山等方面》(平成21年1月29日撮影)

ここにも残念ながら鋸状に見える山はないと思う。

 残念ながら、これ以上の北側の山並みは見えないのでさらに場所を移動して西根山の続きを眺めたいが、それは続きへ。
 
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