DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

ブログについて考える★今日のブログ

2008-07-14 | ブログについて考える
1.書く

ブログで、
書きたいことをできる限り
きちんと自分の言葉(経験値×ボキャブラリー)で、
他者にわかるように(常識×配慮)
書く。

行為と結果しては1つだけれど
自分の言葉で書くことと
他者にわかるように書くこととが
思うに、私の場合は乖離することが多い。

それは自分が言いたいことを書くことを優先したり
誰かに伝えることを優先したり
(それが私のイメージ通りにできているかどうかは別として)
その時々で軸がぶれるからだろうと思う。
そして、それ自体を特に私自身が問題視していないから繰り返すのかも。

それ以前に、「表現力」としての言葉を
いまだ自分のものにはできていないのかもしれない。
いや、自分の現時点の表現力に甘んじてる、そういうレベルなのかも?

書きたいことがわからなくなる時もあれば
書きたくても能力的に手に負えない時もある。
書くことに意味を見いだせなかったり
特には書きたいことがなにもない時ももちろんある。
書いてもアップしなかったり、そのままノートに書くこともある。

で。
極めてエゴな個人的空間でありながら
他者に向かって開かれたブログは面白いと改めて思う。


2.読む

あちらこちらお邪魔していると
いろいろな「私」の表現に出会える。
言葉が形作るものは言葉の世界のものでしかないのかもしれないけれど
表現としての言葉は、それがコピペであっても
臍帯のように行為者であるリアル本体につながっていて
ネットに留まる言葉の向こうに、それをテキスト化し入力し、
ネットにリリースした意思が、主体が
私の目にも垣間見える。

(私にとって)
繊細な記事、大胆な記事、
共感できる記事、驚愕する記事、
情報養分の高い記事、発見のある記事、
思わず笑ってしまう記事、リラックスできる記事、
緊張する記事、何度も読み返す記事、
眺めていたい記事、さらりと通りすぎる記事、疑問が起る記事、
我が身を振り返る記事、再考する記事

それは読んでいる時点ですべて私の思考言葉になって入ってくる。
相手の過去情報の蓄積含め、私の経験値・推測値の域を出ることはないのだろう。
ただ、そうした思考は、読んでいる最中は
厳密にいえば相手と私の境界線に浮遊している感じがする。
自分が考える他者の思考には一種の手探り感&借り物感がつきまとう。

で。
他者に薄く広くつながりながら
自分に濃縮されていくブログは面白いと改めて思う。


3.書く

それを記憶したい時、記録したい時、
完全に自分のものにしたい時・腑に落としたい時、
ブックマークする、クリップする、
コメントや記事を書く。

コメントには、記事主体に共感や感想を伝えたい時
ちょっとしたあいさつ、そういったものもあって
発信して終わる自分の記事よりも、
その行為のほうが、すごくリアルに近い実感を持つ。
記事を読み、そして入力するリアルアクションが入るからかなと。
レスポンスを待つタイムラグもまた、リアルに「間」を保つ。

なぜ書くのか
自分を記録するためか
自分を記憶してもらうためか
多分、その両方を同時に・瞬時に
主体的に両立させながら
他者の記憶にフックをかけ
他者の記録に足跡を残しながら

常に常に、アップされた瞬間に過去になっていく
「私」と「私たち」が
臍帯のようにリアル時間につながっている
今日・今・この瞬間。

ブログは面白いと改めて思う。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2008年7月14日★今日のあっし | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
MIZZ様 (なる@)
2008-07-16 00:30:17
MIZZ様は固定読者向けなのですねー。
あっしはどちらかというと、広域発信タイプのつもりなのですが
何分記事が狭い&好き勝手な趣味に走ってるので;;
&最近時間もなく新規開拓に回れていないので;;
固定読者も参加しにくく、また新規の方も参加しにくいブログになってるなぁ、と。
で、それはそれで広いブログワールドでは「あり」なんでは?とも思っちゃうのが、あっしの「ま、いいか」の最大効力っすね;;;
(自分が書きたい記事を書くうえで、読者が必要なのか?ということも何度も考えています。が、ネットに書くという行為は、自然と読者を想定してる気もしつつ。そのあたりがスパイラルになって考え出すと迷路化してしまいます;;)

>自分日記と言いつつコメントは欲しい・・・
うんうん。
コメントってすごく嬉しい&貴重ですよね!
上記と矛盾しちゃう部分もありますが
少なくても純粋(?)な日記タイプや、日常生活の記録の場合
コメントが継続の原動力になる気がします。
自分の記事を読んでくれて、自分の日々を知ろうとしてくれる人がいる。
同感や共感や、たまに苦言や反論や、アドバイスや、そういうレスポンスで
自分が書いた日記なのに、他者の中に広がっていく。
それが日記とブログの違いだな、と思います。

>ターゲットがはっきりして書きやすく
それもありますよね。

>私のサービス精神に火を付ける
ってのがMIZZ様らしくって面白い!
えへへ、彼女たちとのその後も楽しみにしてまぁす!<オイオイ
あ、最近アップされていませんが、写真も心待ちにしています!
返信する
Ren様 (なる@)
2008-07-16 00:28:19
2コメ感謝です。

いやー、18日で3周年であります。が、ブロガーをやめる気はないのですー。ご心配をおかけして申し訳ありませんです。;;ただ、111に関して、移転含めて環境をまったく変えるというのはアレコレ考え続けておりました。

ブクマも、本当にあっしでいいのかな?=私の記事に興味を持って参加してくださってるのかな?(義理じゃないのかな?ドキドキ)という部分もあるので、もし無理をされてる方がおられたら、相手のためにも関係整理もちょっとしたい気もして(・・・こういうのってそのまま相手任せにしておくほうがいいのかなぁ?悩みます;

ブログ1年目はかなり積極的に開拓に出ていたのですが、一定の方との交流ができると、確実にそこに甘んじてる自分がいて。もちろん長いおつきあいはかけがえのない宝物ではあるのですが、以前から何度も書いているように、コミュニティ化していくことに、やっぱりいまいちなる@的なネットのメリットを見いだせないでいるのですね(本当はそれがブログコミュニケーションの最大メリットかもしれない、とも思いつつ)。深い交流と広い交流の両立は難しい。&3年前とはブログ環境も変わっていて、飛び込みでの新しい交流って難しいなぁ、と痛感。それを追求するために、ブログの刷新は必要なのかもしれないとつらつら考え続けていますです。

ある意味Ren様とは悩みのベクトルが間逆なので、そのあたりが興味深いです。
>もう少し引きこもり系でもいいかなと
参加者サイドとして一方的に言わせていただくと、Ren様の思考型の日記も興味深いですが、話題のニュースなどの交流型の記事(参加させていただきやすい記事、という意味で)も充実して楽しませていただいています。
ネットという空間は、こちらからは見えてなくても多くに見られてる(通りすがりであっても)、マジックミラーな空間なので、多くの「他者」に読んでもらえる可能性は大きな意味がある気がします(もしかしたら、そこがRen様の悩みなのかもしれませんが)。
同時に、ものすごく共感でき、理解しあえるブロガー(もしくはブログ記事)と出会える可能性も捨てがたいと思います。
Ren様の目指されるブログが実現できるように願いつつ。

本当はこの1週間で作った全カテゴリーを制覇しようと目論んでたのですが
仕事で原稿が書けないまま、とりあえず、一番シンプルなバトンを選らんでしまいますた;でもかえって書きにくかったかも;;;
そういうことを含めて気にかけてくださってありがとう!
(少なくてもお2人はバトンを読んでくださったのね=私の「今」を知っておられるのね、とわかるのもコメントのシンプルなメリットですね♪)
返信する
Unknown (MIZZ)
2008-07-15 21:56:06
なかなか自身のブログの分析は出来ませんが、やっぱ『記録』という要素が強いかもしれません。
ゴルフ記事が多かった頃は見ているけどコメントしないwゴルフ仲間と不特定多数のゴルフクラブ情報を探している人向きの発信でしたが、最近は専ら明らかに固定読者をターゲットにした自分日記ですね。
その方が書きやすい一面も。
自分日記と言いつつコメントは欲しい・・・
まぁ唯一の相談場所だったりするので・・・
(最近仕事でも感じたのですが、2週間分の仕事の報告をA41枚にまとめて報告書を出すのですが、以前は課長宛てなのかその上の部長宛てにすればいいのかわからず内容が決まらなかったのですが、途中から”課内の主事、係長以上へ回覧する”という風に変わってからターゲットがはっきりして書きやすくなりました)

なる@さんのコメント欄の
『一番の読者はやっぱり自分なんでしょうね』
に妙に同感。
元々3~4回は読み返し、場合によっては一晩寝かしてからアゲル場合もある私にとって。
今までの人生で日記を書こうなんて思ったこともありませんでしたが、写真を貼れたりしてビジュアル的であることと、多少なりとも反応があるところが私のサービス精神に火を付けるのかもしれません。

10年後・・・
読んでみたいですね。
その頃の私は幸せになっているのでしょうか・・・?
それとも相変わらず愚痴をこぼしているのでしょうか?
それとも恐れているように遺物&裁判資料みたいになっちゃっているのでしょうか?
返信する
ちょっと迷子 (Ren)
2008-07-15 21:46:37
先月末から色々忙しくて、ブログと向かい合う(イコール自分とという意味にも)時間があまりとれないで居るうちに、もしかして6月で予告どおりになるさんがブログやめてしまったらどうしよう?!と、ドキドキしながらすごしておりました。
そんなわけで、結構頻繁に携帯などからアクセスして、とりあえず消えてないわとか、更新されてる~♪などと勝手にあれこれ思っていたわけで。

久しぶりになるさんの「ブログについて考える」シリーズを読ませていただいて、私もまたあれこれと考えたりしております。

今、すごく迷っています。
全面的にやめるつもりはないのですが、もう少し引きこもり系でもいいかなと…って、これ以上内向きになってどうする?って話でもあり、なんだか少し迷子状態です。

でも、上のきょくたんさんのコメントのタイトルを目にして、ああ、そのとおりだなぁと思ったり。さらになるさんのレスでなるほど、自分作りかと納得したり。

>書かなかったことを思い出すことでもある
これもなるほどです。
今の自分はむしろ、「書けなかった事」の方が多いかも。

バトンを受け取ろうか悩みましたが、書けるほどのネタがない現状なので、とりあえず退散~!スマソです。
返信する
きょくたん様 (なる@)
2008-07-15 01:12:29
>自分探しだね~
うむ。そして自分作り、みたいな部分もあるかも。
どんなに意識しないでおこうと思っても
書くという行為は他者に対し自分を客観化させる部分があって
自分との距離ができるから。

なぁんて、こういうことをくどくど考えるのがんとに好きなんだなー、
と気付くのはまさに自分発見なのかな?

>それをきちんと読んで、きちんと感じるのは自分だけなのね。
うんうん。
振り返るというより、書いてしばらく反芻するかな。
一番の読者はやっぱり自分なんでしょうね。

>書かなかったことを思い出すことでもあるんですよね。
なるほど!
そういう視点も「あり」ですねー
時間がたつと、リアルとのズレ含めて、大きなパズルを
抜けも含めて俯瞰するような感じもあるのかも。

gooがどうなるかわからないケド、
10年後にもこのブログがまだネットに存在していて
私もこの世にまだ存在していて。
昔の手紙や日記って恥ずかしくて読めたもんじゃないけど
ブログはどうでしょう?今から楽しみ。
この時期の自分の集大成としてまとめられたらそれもまたいいな。
結局、なんだかんだ言いつつ、自分大好き記録なのかもしれません。

きょく氏の毎日記録も蓄積されていい味でてますね♪
返信する
自分探しだね~ (きょくたん)
2008-07-14 20:11:26
その、時々の、それを書いた時の自分、それをきちんと読んで、きちんと感じるのは自分だけなのね。
で、ああ、なるほど、自分はこんな時に、こんな風に感じるのだと知る。改めて思う。
で、それを受け入れたり、恥じてみたり、諦めてみたり、喜んだり。

ブログを書くってことと読むってことは、書かなかったことを思い出すことでもあるんですよね。
返信する

ブログについて考える」カテゴリの最新記事