なにかのマイナスはより大きなマイナスを掛け合わせればプラスになる。
なにかが足りない人はもっと足りない(と、その人には思える)人に関わることで自分を満たす。
自分より下と関わる、自分より上と関わる
どちらにしても起点は自分なのだけれど
集団やつながり(ネット含む)の中で
共鳴して増幅して、案外それを忘れている(忘れていられる)
それもまた「個」人の満ち欠けの関係。
ブログがどうしてこんなにたくさんあるのか
片割れを探す、それと同時に、自分を探す人が多いから。
そして自分を残したい人、自分を見つけてほしい人も。
・・・きっと。
そんなことをふと思う、5月。
※他者(主に個人)批判系は苦手だ。ただ、きっとネットで辛辣な人は、リアルで案外孤独な(自覚的・無自覚的に&孤独が好き、を含め)人が多い。たくさんの批判系(政治・その他)を見ていると、そんな気がする。「はてな」なんかは批判行為で相手にディープにつながってる。
ブログは個人のメディア。記事そのものを書き込む行為は1人。そこで誰か(バーチャル&リアルな、見知らぬ&見知った)を批判する言葉を連ねる・少なくても対象を思い浮かべるその瞬間は脳内では独りではない。・・・だからかな、と。
「自分は(自分のほうが)正しい、えらい」「自分を認めて欲しい」を含めて、人はつながっていく、好意と憎悪とプライドで。
なにかが足りない人はもっと足りない(と、その人には思える)人に関わることで自分を満たす。
自分より下と関わる、自分より上と関わる
どちらにしても起点は自分なのだけれど
集団やつながり(ネット含む)の中で
共鳴して増幅して、案外それを忘れている(忘れていられる)
それもまた「個」人の満ち欠けの関係。
ブログがどうしてこんなにたくさんあるのか
片割れを探す、それと同時に、自分を探す人が多いから。
そして自分を残したい人、自分を見つけてほしい人も。
・・・きっと。
そんなことをふと思う、5月。
※他者(主に個人)批判系は苦手だ。ただ、きっとネットで辛辣な人は、リアルで案外孤独な(自覚的・無自覚的に&孤独が好き、を含め)人が多い。たくさんの批判系(政治・その他)を見ていると、そんな気がする。「はてな」なんかは批判行為で相手にディープにつながってる。
ブログは個人のメディア。記事そのものを書き込む行為は1人。そこで誰か(バーチャル&リアルな、見知らぬ&見知った)を批判する言葉を連ねる・少なくても対象を思い浮かべるその瞬間は脳内では独りではない。・・・だからかな、と。
「自分は(自分のほうが)正しい、えらい」「自分を認めて欲しい」を含めて、人はつながっていく、好意と憎悪とプライドで。