秀策の常連の方のご紹介です。
水曜会ではみなさんご存知のタイソン・I氏
(ご本人の希望により苗字を伏せました)
名前から感じると外国人とのクォーター?なんて思うかもしれませんが日本人です。
タイソンはあだ名で、こんな名前が付いたのにも理由がありました。
詳しくは後述で。
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このIさん、今は少なき真剣師の一人。ご本人から聞いた話ですが、
十代の頃本因坊丈和の碁を徹底的に並べて強くなったとの事。
十代後半の頃からは最寄の碁会所などで実戦一本槍で鍛えた。
ご本人曰く「その頃からあんまり強くなってないよ~、十代が一番勉強したな。成長した事って昔より勝ち方を覚えた事くらいかなァ?。」と冗談っぽくニッコリとそう語ったIさん。
二十歳になった頃の大学時代は
今で言う「婚活活動」に励んでいたとの事で「女の子ばかり追いかけていた」
大学を聞かれて「わたくし二ツ橋大です」と冗談を言うIさん。
碁はおそらく封印時期。
二十代後半の頃にふと碁をまた始める。赤羽某所の碁会所に入り浸った。
このあたりの時期に懸賞碁を知ったとか。
その後は今から25年くらい前に碁席秀策に訪れるようになって真剣師としての腕にも磨きがかかった。 その時期に秀策では既に佐々木修先生、石塚勇ニさんなどは有名な存在だった「修先生の碁に憧れた。鋭い切れ味とか色々と。 私の碁は鈍器で殴るような碁だけど。」 石塚さんについては「本格的な碁で、逆に置かせ碁もうまかった。」
と語る。 二人の陰に隠れる形となったが、裏プロとしては好都合だった。
とにかく勝たないといけないから 力は伏せて、他方から来た力自慢達を互先で食い物にしたりもした。どれだけ多く勝つか?という目碁が多かったため、
丈和で鍛えた碁は相性がよかった。その当時にIさんの目碁を観戦していたある常連の人が
相手の石をボリボリ食べるように取っていき、
ハマ入れがあふれてノックアウトした碁を見て
「まるで噛み付きタイソンだ!」と言ったのが始まりで、こうして「タイソン」が定着しました。
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時も21世紀になって懸賞をする人もかなり減りました。
Iさんも最近は片懸の指導碁も多くなったようで、懸賞碁は前に比べて減ったが、Iさんの持ち前の明るさと人当たりのよさで
対局が始まると観戦者も増えてお酒を飲みながら盤面を楽しそうに観る人や
一旦に奥に離れて、「あれどっちがいいと思う?」などと相談したりなど
時には盤上で戦わないで、観戦者と戦っていたりなど碁会所のよくある光景に
思わずクスっと笑みが出てくる。
こういう雰囲気っていいなぁと、今更ながらに思いました。