碁席秀策へようこそ!

徹夜で打てる新宿の碁会所「秀策」の
出来事や大会などをお伝えします。
プロ・県代表クラスもよく来ている碁会所です。

秀策の明るい人気者

2013-09-14 15:29:21 | 過去の出来事

秀策の常連の方のご紹介です。

水曜会ではみなさんご存知のタイソン・I氏
(ご本人の希望により苗字を伏せました)
名前から感じると外国人とのクォーター?なんて思うかもしれませんが日本人です。
タイソンはあだ名で、こんな名前が付いたのにも理由がありました。
詳しくは後述で。

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このIさん、今は少なき真剣師の一人。ご本人から聞いた話ですが、

十代の頃本因坊丈和の碁を徹底的に並べて強くなったとの事。
十代後半の頃からは最寄の碁会所などで実戦一本槍で鍛えた。

ご本人曰く「その頃からあんまり強くなってないよ~、十代が一番勉強したな。成長した事って昔より勝ち方を覚えた事くらいかなァ?。」と冗談っぽくニッコリとそう語ったIさん。

二十歳になった頃の大学時代は
今で言う「婚活活動」に励んでいたとの事で「女の子ばかり追いかけていた」
大学を聞かれて「わたくし二ツ橋大です」と冗談を言うIさん。
碁はおそらく封印時期。

二十代後半の頃にふと碁をまた始める。赤羽某所の碁会所に入り浸った。
このあたりの時期に懸賞碁を知ったとか。

その後は今から25年くらい前に碁席秀策に訪れるようになって真剣師としての腕にも磨きがかかった。 その時期に秀策では既に佐々木修先生、石塚勇ニさんなどは有名な存在だった「修先生の碁に憧れた。鋭い切れ味とか色々と。 私の碁は鈍器で殴るような碁だけど。」 石塚さんについては「本格的な碁で、逆に置かせ碁もうまかった。」
と語る。 二人の陰に隠れる形となったが、裏プロとしては好都合だった。

とにかく勝たないといけないから 力は伏せて、他方から来た力自慢達を互先で食い物にしたりもした。どれだけ多く勝つか?という目碁が多かったため、
丈和で鍛えた碁は相性がよかった。その当時にIさんの目碁を観戦していたある常連の人が
相手の石をボリボリ食べるように取っていき、
ハマ入れがあふれてノックアウトした碁を見て
「まるで噛み付きタイソンだ!」と言ったのが始まりで、こうして「タイソン」が定着しました。
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時も21世紀になって懸賞をする人もかなり減りました。

Iさんも最近は片懸の指導碁も多くなったようで、懸賞碁は前に比べて減ったが、Iさんの持ち前の明るさと人当たりのよさで
お客さん碁仇相手からも人気者。
対局が始まると観戦者も増えてお酒を飲みながら盤面を楽しそうに観る人や
一旦に奥に離れて、「あれどっちがいいと思う?」などと相談したりなど
時には盤上で戦わないで、観戦者と戦っていたりなど碁会所のよくある光景に
思わずクスっと笑みが出てくる。
こういう雰囲気っていいなぁと、今更ながらに思いました。



   




目碁と歴史

2013-07-07 10:45:15 | 過去の出来事




昔の新宿の碁会所には真剣師(懸賞打ち)が溢れるほどでした。

今となっては真剣師も指で数える程・・でしょうか。

真剣師達の間でよく行なわれていた賭け碁の方法についてのお話です。

「目碁」とは普通の勝ち負けで支払う賭け碁とは違います。

整地する時の地合いの目数によって額が変化する。

台が500円で目が50円だとします。

台とは勝ち負けでまずもらえる額です。 目は10目単位で額が上乗せされます。


たとえば、先程の設定で9目半勝ち、又は10目勝ちになったとしましょう。
その場合は目は一番と言います。勝った人が550円もらえます。

10目半勝ちあるいは20目勝ちは二番で 600円という感じです。

地方の碁席でも目碁は有名です。ローカルルールでは一目単位で額が変化するものも
あるようです。 

それと目碁は投了ができない。整地まで持っていく事がルールです。
例外もあり、投了は5番や10番など対局前に取り決めをしたりします。 

賭け碁や目碁には先人達の経験からの格言もあります。
「負ける時は1番勝つ時は10番勝敗は3勝2敗くらいが望ましい」
「一番負けようと思う気持ちも大切。 そうするといつのまにか大勝していた」
「対局中は人を近付けさせない事」「半コウ争いはほぼ意味がない」
「セキ崩れはとても大きい」
「隅の地は最初に取ってはいけない、後で荒らして地になるのが良い」
「石は序盤で取ってはいけない」など他にも色々あります。

対局中人を近付けさせない事などは知っている方もいると思います。
古くは徳川家康と浅野長政の対局で
家康が本因坊算砂に自分にしか分からない助言のサインを送らせていた事などから
出来た言葉ではないでしょうか。(結局浅野長政も分かっていた。)



ある時私はこんな光景を見た事があります

投げ3番というルールで 局面はまだ手所が残る中盤戦でした。

数えてみると黒は40目くらい白地は100目弱ありました。

両対局者も形勢は分かっているようで 黒は細かくするチャンスが無くなったら投げる
つもりだったはず。 黒が最後の勝負手を打ちました。
黒はここで見事に成功し30目近く得しました。
白の人の棋力なら読めば間違えないような所だった気がしますが(?)

投げようと思っていたはずの黒も30目も得しては投げません。
その後の白はヨセていたような気がします。

作ってみたら結果は白の41目勝ちの五番でした。 投げれば三番なのに・・・
と思うのは対局心理的に酷でしょうか、真相は言わずもがなです。

まぁこれはイカサマとかではないので優しいものでしょう。(少しせこいと思うかもしれませんが)

これに限らず真剣師とはまことに引き出しの多いことと思った次第。


碁で生計を立てる裏プロ達...その中でも相手の対局心理を知り尽くした先人達は
イカサマなどせずとも十分に強いです。

江戸時代では四宮米蔵、勝田栄輔、幕末では若かりし頃の水谷縫次。
昭和の佐々木修氏然り、石塚勇二氏然り。
無名でも恐ろしく強い人達それが真剣師でした。









故・佐々木修師の置き碁

2011-12-19 00:43:27 | 過去の出来事

今年、佐々木修先生が亡くなって四ヶ月が経ちました。。。

生前の師から聞いたお話をしたいと思います。


師は真剣師です。

置き碁などで普通は5子の相手に六子も七子も
置かせて不利な状況で戦わないといけない状況もあったそうです。

お手本定石では下手は揺るぎません。

師が苦心して開発した白の置き碁戦略を棋譜にして載せますのでお楽しみください

【クリックして鑑賞する】七子局。 譜の27手目は、師の苦心。

奇手と言えば奇手ですが、色々な味をみた立派に有力な戦略手。
 


こんな話があります。

秀策に訪れた地方の囲碁教室の某先生が(師に三子くらい)
置かせて打つ碁が辛かったそうです。 修先生にこの手を教わってから
半年後。この某先生は置き碁を打つのが楽しくて仕方がなかったそうです。



”逃げ道ふたつ開けました。下手は困惑、佐々木修の活人碁”


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