ニーハオ!台湾は九州とほぼ同じ面積で人口は2300万人である。1910年ころから終戦まで日本が統治していて、今もその面影が残っている。今回は台北を起点として時計回りに鉄道を利用してぐるりと一周した。特に東側は余り日本には知られていないが、高い山脈か一気に海になだれ落ちる自然、大理石の素晴らしい大渓谷など筆舌に尽くしが立った。
まず台北国際空港に到着して到着ロビーにあるモバイル会社のショップに直行。タイワンモバイルでデータ通信15日間使い放題+400円分の通話=2,800円でsimcardを買った。これをタブレットに差し込むと、当たり前だがネットに接続でき、ナビや観光地、レストランの探索など大いに役立った。
台北駅、素晴らしい駅である。線路は地下を走っているので地上部は駅舎のみ。天井がやたらと高い。中央広場は大変広く旅行客が三々五々座っている。1階の周辺部分と、2階は食品店、食堂である。多くの人々が集まっている。予約していた明日の花蓮への自強号の切符を受け取る。
しかし、後日台湾でも店舗数が多い、セブンイレブン、ファミリーマートで予約、購入できることが分かり、大変助かった。日本より進んでいます。
次の日の朝、この台北駅から自強号(特急)に乗り、一路台湾東側の「花蓮」に向かう。ちょっと古手の車両ではあったが結構スピードはあった。この20分ほど前のタロコ号は新車両でもあり、1週間ほど前の発売日にすぐ売り切れていた。しかし、この自強号もほぼ満席であった。
東側の花蓮駅に到着。花蓮と言う名前がいいね。
5/12は1日バスツアーに参加し、清水断崖、太魯閣渓谷に向かう。総勢5名、2名は台中の老夫婦、後の2人は上海の中年夫婦。
清水断崖は楽しみにしていたが、上陸はしなかったものの台風の影響で雨!絶景を期待していたが眺望はいまいち。しかし、うっすらと素晴らしい風景が垣間見られた。
「台湾の峰より崖落つ五月かな」 京都
ここから太魯閣国立公園。入ったところにある長春祠。台風の余波で相当雨が降ったのか寺の下のトンネルから水がどうと流れ落ちていた。
ここ太魯閣渓谷はほとんどの岩が大理石で出来ているという。ここが着目を浴びて「是非ともこれら大理石を大々的に掘り出して国内外に売り込みたい。」と言う相当強い圧力があったそうだが、政府は「国立公園に指定し、国内外の研究、観光資源にしたい。」と言う強い意志で国立公園としたそうだ。立派なことだ!
道路から見下ろすはるか下に渓谷美と渓流美が・・・・!
車道の横、川側にずっと歩道が通っている。素晴らしい眺めの連続だ。お客の安全のために、公的にヘルメットが貸しだされる。
日本でもあまり見ない素晴らしい光景だ。
運転手は中国語オンリーであるが、上海組は少し英語が分かり、台中組は英語は分からないものの日本にも何回もツアーで訪れたということで後半は話が弾んだ。このように英語、日本語が少しでもできる人と巡り会えることはまさしく一期一会である。
「大理石の渓深々と皐月雨」 京都
ぐるっと回ってきて戻ってきての最後の停車地。この門は東西横断道路の東側の起点で、日本より急峻で高い山脈を縫って西側に続く国道が通じている。
花蓮に近い東側の海岸 七星潭.北の清水断崖から南に続く弓なりのきれいな海岸である。花蓮からも近くサイクリングや散策で訪れる人も多い。
花蓮も屋台めし屋が多い。そしてほとんどは提供するものは1,2種類のところが多く、その店がまた美味いところが多い。また安い。ここは蚵仔煎(オアチェン、牡蠣のオムレツ)と貝のスープ専門店。蚵仔煎は240円。
お客はひっきりなしに訪れ、店で食べる人、takeoutの人、わんさか訪れる。作る手際が素晴らしい。10数人分を本当に手際良く作る。それでも待ち時間は相当生じる!!!
ここも花蓮の屋台?めし屋。扁食と言うのはワンタンのこと。左の写真の1品しか売っていない。240円。これが美味い。夕方5時半ころに行ったので空いていたがいつもは相当の混雑だそうだ。
ただ残念なのは、台北の夜市を除く屋台店のほとんどがアルコール類を置いていない。コンビニで買ってきて飲めばいいのかもしれないが、「周りから浮いてしまいそうなので」ホテルで酒も買ってきて食事するケースが多かった。
13日は別の1日バスツアーで花蓮から南に初めは山沿いの道を観光し、昼からは海沿いの道を北上した。このツアーは客は私とシンガポールの中国系の母娘の3人組であった。母親が私にシンガポール訛りの英語で運転手の説明を翻訳してくれるのだが、訛りも強く、私の語学力も劣るので30%程度しか理解が出来なかったが珍道中で楽しく過ごせた。
ここは百合の花が綺麗なところだったが、主目的は百合根生産らしい。
1910年頃から1945年敗戦までは日本が統治していた。そして日本からも随分農民などが入植してきていたらしく、ここには日本式の仏教寺院が今でも残っていた。
大きな川を何度も渡ったが、ほとんど水は流れていない。なんでなんだと質問したら「雨季になると一時に高山も含めてすごい雨が降るのでこの川も一杯になる。」と言うことであった。了解!
これから何度もお目にかかったが、蘭の花。やはり熱帯なんだね。今まで気付かなかったが蘭と言うのは、大きな木に寄生している植物なんですね。
ここは台湾製糖の工場跡。サトウキビから砂糖を作る工場。日本が初め経営し、後に台湾政府が経営した。沖縄と緯度もそう変わらず、同じですね。同じと言えばキューバも砂糖作りが盛んだった。そしてどこも砂糖価格の暴落がずっと続いて、まともには経営は成り立たない悲しい話です。
昼に食べた弁當(ベンタン)です。台湾の昼はほとんどこれ。昔日本統治時代の遺産です。日本に比べご飯、おかずがぎっしり詰まっている。
石悌坪と言う海岸に出た。日本にもあるけれど岩が侵食され素晴らしい海岸を形成している。ここからは海沿いに北上する素晴らしい眺めのルートであった。
こんな切り立った岩の海岸もあった。素晴らしい眺めだが、余りに厳しく、岩の崩壊も起こるので遊歩道は立ち入り禁止であった。