Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

馬鹿

2025-02-27 06:00:00 | エッセイ

 

給食費を収める日だった。

登校する時、母が袋に入れ「落とさないようにね」と言って渡してくれ、

それを無造作にポンとランドセルの中に入れた。

ところが、担任の先生に渡そうとしたら、

どこでどうしたのか給食袋がなくなっていたのだ。

世の中は朝鮮戦争後の大変な不況。

街の小さな鉄工所の経理部長だった父は苦労を強いられ、

時に遅配や欠配ということがあったらしい。

そうとあって、僕が給食費を失くしたことを知った父が

「こん、馬鹿が!」と怒鳴りつけたのも無理もなかったのだと思う。

まだ小学三年生の僕は父の怒声に縮こまり、わあわあと泣くしかなかった。

 

その時である。側にいた母が心配そうな顔をして小さな声で

「本当に馬鹿なんだからねぇ」と言って、頬をぬぐってくれたのだ。

不思議なことに、母の「馬鹿なんだからねぇ」という声に

僕の心は少しばかり軽くなったのだった。

父はもう僕をにらみつけることはせず、横を向きそれ以上は何も言わなかった。

 

     

『馬鹿』というのは不思議な言葉だ。すそ野が広く、奥が深い。

一般的には「馬鹿野郎」だとか「馬鹿者」などと相手を罵り、侮辱する時に使われる。

その一方で、相手に対する思いやり、親しみ、

愛情などの気持ちを込めて使われることがある。

声を荒げて僕を叱った父に対し、

母は「馬鹿なんだからねぇ」と慰めるように優しく言ってくれ、

その一言が僕の心をスーッと和らげたのは確かだ。

そんな風に言われれば、罵られただの、侮辱されただのといった思いは誰もしないはずだ。

両親はそんな言葉のあやを上手に使ったのかどうか、

もしかすると子を叱る時の父と母の絶妙の掛け合いだったのかもしれない。

いずれにしても、言いよう、聞きようによって

意味合いがまったく違ってくるのがこの『馬鹿』である。

 

また、「馬鹿! あきらめるな」と言われればどうか。

「馬鹿」と言いつつも、そこには「頑張れよ」という意味合いが込められてくる。

だから「何を!」と腹を立てることはないはずだ。

ただ、そこを取り違えると言い争いになりかねず、

せっかく「頑張れよ」と言ってくれた相手から「馬鹿馬鹿しい」と一笑されるに違いない。

つくづく日本語というのは、ややこしくも面白いものだ。

 

 

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メシウマ

2025-02-20 06:00:00 | エッセイ

 

 

「人の不幸は蜜の味」という。何の注釈もいらないだろう。

最近は同じ意味で、「他人の不幸で今日も飯がうまい」──

“メシウマ”と言うのだそうだから恐れ入る。

なぜ、こんなことを言い出したのか。

それは覚えたての「シャーデンフロイデ」という言葉が、

ひっきりなしに頭をよぎるからだ。

これは、他人を引きずり下した時に得られる快感のことだ。

さらに言えば、正義を振りかざして人を叩くと得られる快感であり、

攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽が得られるという。

 

何事にも意見を異にする人たちがいる。そして、互いを批判する。

民主国家であれば、当然のことだ。

だが最近、批判を通り越して誹謗中傷の類が多いように思う。

特にSNS上で、そんなことが横行しているようだ。

そういう人たちは、間違いなく「自分こそが正義」だと固く信じ、

自分の正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す悪人として叩く。

攻撃して、相手が弱れば「してやったり」の快感を得るであろう。

 

こうしたことは個人対個人だけではない。

政治の世界では与党対野党、さらに国対国などということもある。

それぞれが、自らを正義として相手を攻撃する。

韓国を“くず”呼ばわりする北朝鮮。

北朝鮮にすれば、自らを正義だと決めつけてのことだろう。

だが、事はそう単純なことではあるまい。

韓国をこれほど攻め立てている北朝鮮だが、

「今日も飯がうまいわい」─そう、ほくそ笑んでいるとは思えない。

独りよがりの攻撃で得られる快感なぞ、そんなものだろう

 

 

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孫からのLINE

2025-02-12 18:00:00 | エッセイ

孫からの思いがけぬLINEだ。

それにはThe Waltersというバンドの

『I Love You So』という曲のYOU TUBEが付けてあり、

「この曲知ってる?」とだけ書いていた。

すぐに聞いてみたが、まったく知らない曲だった。

そう返信すると、「最近聞いていたから、教えてあげたわけさ」だと。

この祖父がビートルズをはじめ洋楽を聞いたり歌ったりするのを

知っているものだから、わざわざ送ってくれたのだろう。

 

それだけかと思っていたら、しばらくして続きが送られてきた。今度は何だ。

「この歌を歌えるようにしててよ! 僕もギター練習するから! 

そしたら、一緒にやって動画でも撮ろうよ!」だと。

 

 

 

この子はいくつになったろうか。長女の二番目の男の子。

孫の年齢というのは小さい頃は3つだ、4つだとすぐに出たものだが、

これほど大きくなると正確にはなかなか出てこない。

あれやこれやと考えを巡らせた末、26歳だったかと思い至った。

一つ違いの姉は「私もうアラサーよ」と言いながら東京の外資系の会社で奮闘中。

孫の成長というのは早いものだ。

 

26歳にもなった孫が「歌を覚えろ、そして自分のギターで歌え」、

そして自分もギターを練習し「3月末頃、一緒にやろうよ」というのだ。

早速、YOU TUBEを開いて練習を始めた。

それほど難しくない。何とかなるだろう。

何と言おうか。それほどの年齢になっても孫とは愛おしいものだ。

3月末が楽しみになってきた──I Love You So

 

 

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良かったなあ! 布施明

2025-02-05 06:00:00 | エッセイ

 

17歳でデビューして60年となったそうだ。だから77歳。

驚いた。その年にして、びっくりするほど声が会場いっぱいに響く。

しかも、2時間弱のコンサート中、しゃべりはわずか。

ほとんど歌いっ放しという状態で、その体力にも恐れ入った。

 

布施明のコンサートへ行ってきた。

久し振りのコンサート観賞、それもごひいき、今時は推しか、布施明だ。

何カ月も前にチケットを購入し、この日を待っていた。

福岡サンパレスホールは完売だったようだ。

客層はこちら同様、比較的高年齢層。それも夫婦連れが目立った。

 

デビュー曲の「君に涙とほほえみを」で始まり、

数曲後には軽快に「君は薔薇より美しい」だ。

その最後の部分『ああ、君は変わった』のすごいこと。

よく、あんなに声が伸びるものだ。

プロだからね、そういえばそうではあるが、いやいや恐れ入る。

 

      

 

コンサート中盤にはヒット曲がずらっと並んだ。

日本レコード大賞を取った「シクラメンのかほり」のほか、

「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」など息つく暇もなく次々と歌い上げていった。

あの頃は若かったなあ。

これらがヒットしたかの日のことが思い浮かんでくる。

 

いよいよコンサートも終幕に近づいた。

すると、いきなり『慟哭』だ。

この曲はイタリアのLucio Dallaが作詞作曲した『Caruso』が原曲。

これをオペラ歌手などがカバーしており、布施明がどう歌ってくれるか

楽しみにしていた一曲だった。素晴らしい。期待にたがわなかった。

さらに今や布施明の持ち歌ではないかと思える『My Way』と続く。

拍手鳴りやまず。この82歳の爺さん、感極まり涙が1粒、2粒。

コンサートで涙なんて初めてのことだった。

 

4月の〝歌怪獣〟島津亜矢のコンサートのチケットもすでに買った。

聞きごたえのある歌手のコンサートに理屈はいらない。

良いなあ!

 

 

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ゴルフ亡国論

2025-01-30 06:00:00 | エッセイ

 

30歳前後だったから50年ほど前の話だ。

職場でゴルフはご法度だった。

役員でもあった職場の局長が、

「狭い国土の日本で、あれほど広い土地を占有し、

一部の裕福な人間が遊興にふけるなぞ言語道断。

君たちは決してゴルフはしてはならぬ」

そうゴルフ亡国論をのたまわった。

まるで戦時中でもあるかのように……。

直属の長である人からそう言われると、

「はい、分かりました」と言うしかない。

 

もっとも、当時の給料ではゴルフ道具を買うことも、

プレー代金もそう簡単には手が出なかったのだから、

従順なふりをしたまでだったのかも知れない。

 

     

 

後にその局長は営業セクションに転属。

すると、ゴルフは取引先との欠かせない交際術となり、

自ずとゴルフは解禁となった。

「あの方のゴルフ亡国論はその程度だったのか」

心中秘かに嘲ったりしたものだ。 

     

 

一方で職場麻雀はフリーだった。

もっとも、勤務時間中というわけでなく、

就業時間が終わると、片隅に置いていた麻雀卓を

そそくさと引っ張り出し、示し合わせていたメンツで囲む。

大きな声では言えないが、ごく自然に金銭が行き来した。

 

僕らはそんな世代だ。

ご法度だったゴルフは、今では当たり前の娯楽。

僕自身はやらないが、麻雀は相変わらずだ。

皆、とっくに定年退職しており、

たまに「おい、どうしている」と電話すると、

ジャラジャラ音を電話に入れながら

「ちょっと待て。今忙しい」と切る。

それか電話にはまったく出ない。

芝生の上でクラブを振っていれば、それは無理だろうな。

 

そう言えば、かつての職場の若い社員から

ゴルフの話はよく聞くが、

麻雀を誘い合う話はあまり聞かない。

時代は変わったなあ。

 

 

コメント (2)
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