Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

2024-11-28 11:31:10 | エッセイ

 

壁に白い板を設えただけの質素な祭壇には、マリア像に並べて

母、そして義父母の3人の遺影を飾っている。

うっすらと笑いを含んだ穏やかな表情。

それぞれに在りし日の良き思い出が偲ばれる。

ただ、本来あるべき我が父の遺影がない。

どんなに探しても見つけることが出来なかったのである。

 

まだ若かった頃、長姉が僕にこう言った。

「4人いる男の兄弟の中で末っ子のあんたがいちばん父ちゃんに似とるね。

いや、そっくりだわ。年を取ると、きっと頭も禿げるやろうね」

──よしてくれ、と思いはしたが姉は見事に言い当ててしまった。

毎朝、鏡を覗き込みながら「ええい、もう。親父の奴」と、

そのDNAを罵ってしまう。

 

実を言えば、頭の禿げ具合だけではない。足指の巻き爪もそうだ。

爪が内側にぐいと食い込んでおり、父が若い頃、

そんな爪にさんざん悩まされていたことを思い出す。

それと、アルコール類はまったくダメ、正真正銘の下戸だった。

「(酒粕で漬けた)奈良漬け1枚で顔が赤くなる」と言われたほどだ。

僕も若い頃には少しは飲んでいたが、もともとは飲めない質で、

正直言って酒をうまいと思ったことは一度もない。

これもDNAのせいなのかもしれない。

そうとあって、30年ほど前にあっさりやめて以降一滴のアルコールも口にしていない。

 

        

 

その父は入退院を繰り返す闘病の末、

昭和44年5月28日69歳で尽き果てた。

横たえられたその顔にはうっすらとヒゲが……

少しの温もりも喜怒哀楽も、何もかも失くした、

その頬や顎にそっと剃刀を当ててやった。

それはあたかも言葉を交わすことのない語らいに思えたことを思い出す。

 

そんな父であるが、写真1枚ないのではどんな顔つきだったのかさえ

忘れてしまいそうで何とも侘しい。

そんな思いをしていた時、長姉の一人娘、つまり姪の一言に驚かされた。

「あら、じいちゃんの写真ありますよ。母の結婚式の時のものですが……」

というのである。LINEで送ってくれた写真を見れば、

姉が言い当てたように禿げ具合なんかそっくり。

苦笑いと一緒に、あれやこれやと懐かしさがこみ上げてきた。

 

          

 

これで4人の親が揃った。

ただ、よくよく見れば、父だけがしかつめらしい顔をしている。

「親父め」悪態をつきながら微笑みを投げかけてやった。

 

 

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赤色エレジー

2024-11-24 23:21:37 | 日記

 

 

73歳だった。

その早い葬儀の日の夜、僕は1人、7、8席ほどが並ぶ

小さなスタンドバーであがた森魚の『赤色エレジー』を歌った。

地方の新聞社に在職した14年間、

その大半を直属の上司として若き日を導いてくれた恩人に対する、

子供じみてはいても、僕なりの心を込めた追悼であった。

 

順調に歩んでいた入社5年目のあたり、突然のポスト替えだった。

途端におかしくなった。

新たなポストが性分に合わなかったとでも言うか、

仕事にまったく気が乗らなくなったのである。

挙句、ミスを連発、後に聞かされたことだが懲戒解雇寸前までいった。

そんな時、この人は照れを隠すかのように僕から視線をそらし、

ボソボソとこう言ったのだ。

「一つのことをやれる奴は、何でも出来るものだ。

前のポストであれだけ頑張れたではないか。自信を持って前に進め」

ペラペラと言葉を並べた説教じみたやり方ではない。

言葉自体も人の心を動かすには平凡に過ぎる。

なのに、この人が持つ佇まいが、

言葉に乗り移ったかのように僕の背中を強烈に殴打したのである。

 

                  本人歌唱です

 

昭和4年生まれ。少年飛行兵を志し訓練に励んでいる最中に終戦を迎えた。

生まれたそんな世相がそうさせるのか、

それとも持って生まれたものなのか。あるいは相まったものなのか。

どちらにせよ、昭和初期のどこかもの悲しく、憂いを身にまとい、

口数は少なくとも、そのずしっとした佇まいそのものに

何かを語らせるかのような人だった。

 

言われたように、苦しいながらも前へ前へと進むうちに

自信を取り戻すことが出来たのである。

それが81歳になった今、大過なく暮らせている僕を作ったのではないか。

そう言えば大げさと思えても、

この一事が今日の礎になったのは間違いないことだと思う。

 

救われたから言うのではないが、

そんな彼をますます尊敬し、単純に好きになっていった。

たまたま2人とも早帰りだったある日、部屋を出たところで一緒になった。

「どうだ」と一言。「はい」とためらうことはなかった。黙って後に続いた。

彼は酒豪の類、対する僕は下戸に等しかった。

それなのに、しばしば「どうだ」と声をかけてくれるのである。

何軒か回り、最後に落ち着いたのが、

客は僕ら2人だけの件のスタンドバーだった。

格別の話をするでもなく、淡々と時を過ごした。いつものことだった。

 

思い出したように、カウンターに100円玉を置き

「おい あの歌を歌ってくれ」と言った。

流れてきたのが『赤色エレジー』である。

僕はあわててマイクを取り、歌詞ブックを見ることなく歌った。

間中、グラスをじっと見つめ続ける、

その人の体をどこか物憂げなメロディー、歌詞が包み込む。

そして歌が終われば、手酌でぐいっ。その夜もそうであった。

 

        2023年11月29日に掲載したものの再掲です

 

 

 

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鼻毛

2024-11-18 08:59:34 | エッセイ

 

 

50歳になるかならない頃だったと思う。友人が、

「お前もいよいよ爺の仲間入りだな」と言った。

いささかむっとして「そりゃ、なぜだ」と問うと、

「鼻毛、鼻毛。鼻毛がひょろっと出ていても一向に気にしない、そんな爺になったわけだよ」

ずばっと返されてしまった。

以来、鼻毛チェックを欠かさず、鼻穴から出かかったら小さなはさみでカットしている。

たまに、それを怠ると今度は長女から「お父さん、鼻毛!」とやられる。

 

この鼻毛、言うまでもなく鼻で呼吸した時フィルターの役割を果たしており、

塵埃や微粒子が気管支に入り込むのを防いでいる。

そうとあって、都市部など空気が汚れているところに住んでいる

人ほど鼻毛が長くなるのだそうだ。

そう言えば、比較的市街地に近い所に住んでいるし、

中心市街地に出かけることも多い。

ただし、都市部うんぬんは医学的な根拠はなく、もっぱら加齢が主因らしい。

そう言われれば、確かに年を取るにつれ、鼻毛の成長が早くなったように思う。

薄くなった頭を見て、「こちらこそ、そうあってほしいのに。なぜだ。理不尽ではないか」

そんな恨み言を垂れることしばしばだ。

 

また、フィルターの役割を果たしているとあれば、

むやみに抜いたり、切ったりしない方がよいとも言われるが、

鼻毛が出ているとやはり体裁が悪いに違いない。

友人が鼻穴から出ている鼻毛を見て、「お前も爺の……」と言ったのは、

こちらの体裁を案じてのことでもあったのだ。

 

         

 

実は、この鼻毛、文字通りの意味である「鼻の穴の毛」以外にも、

いろんなことの比喩の言葉として用いられる。

「鼻毛が長い」──女の色香に迷っている様。

「鼻毛を伸ばす、鼻毛が伸びる」──女に甘く、でれでれしている様。

                 「鼻の下を伸ばす」に近い。            

「鼻毛を読む、鼻毛を数える」──自分に溺れている男のだらしない様を見抜

                いて、女が思うままにもてあそぶこと。  

等々、男にとってあまり芳しくない比喩だ。ちょっと堅いところも一つ。

「鼻毛通し」──日本刀の柄頭にかぶせた金物にあいた緒を通す穴のこと。

        「端毛通し」とも言う。

 

今朝も髭を剃ろうと鏡をのぞき込むと、

あらら、鼻毛も伸びてきている。例の小さなはさみを取り出した。面倒くさ!

 

 

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突然死そして早死

2024-11-12 06:00:00 | エッセイ

 

確か40歳ちょっと過ぎた頃だったから40年も前の話だ。

ちょうど一回り年長の医師と知り合いになった。

別に体調を悪くして診てもらったのではなく、仕事関係で付き合いが出来たのだった。

いつものように互いの暇な時間を見つけ、医師を訪ねて世間話をしていたら、

その医師がこんなことを言い始めた。

 

「あなた、何年のお生まれ?」「昭和17年です」

「ああ、そうですか。実はね、あなたの世代、突然死のリスクが高いんですよね」

死というものを、まだ意識することもない40ちょっと過ぎの男をつかまえ、

医師たる者が何たることを……。

 

「先生、何故なんですか。それって」少しばかりの憤りを込めて聞いてみた。

「そもそも、あなたたちは幼少期が食糧難だった世代です。

つまり栄養不足だったんですね。青バナを垂れた子が多かったでしょう。

あれもタンパク質の摂取不足です。突然死が多いのは幼少期の栄養不足が一因らしい」

そう言われれば、確かに垂れたハナを服の袖で拭い、

袖口がテカテカ、ゴワゴワとなった子が多かった。

 

                   

 

「あなた、ご兄弟は?」医師が続ける。

「兄3人に、姉2人の末っ子です」

「なるほど、そうだとお母さんのおっぱい、あまり飲めていませんね」

「さあ、どうでしたでしょう。よく覚えていませんよ」

「おっぱい、大事なんだがなぁ」

医師のつぶやきが重く響く。嫌になって早々に退散したのだった。

 

もう一つあった。こちらは早死の話だ。

「体育会系の人は、そうではない人よりも平均寿命が約6年短い」

という週刊誌の記事である。

その中で、さる医師が「若い頃に激しい運動をしてきた人は、

心臓の摩耗と機能低下を抱えていることが多い。その蓄積されたダメージが

年を取ってから露見することがある」と語っていた。

この話にまたまたぎょっとさせられた。

確かに、運動選手の心臓は普通の人より大きく、よく『スポーツ心臓』と言われる。

それが原因で突然死したスポーツ選手がいるにはいる。

かく言う僕も運動漬けとも言える大学生活を4年間送った身だ。

「平均寿命が約6年短い」なんて突き付けられると心は穏やかではない。

 

そんなこんなで脅され続けていつの間に82歳になった。平均寿命もクリアした。

「どうです先生!」と言ってやりたいが、あの先生、今もご健在だろうか。

 

 

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少々、厄介者

2024-11-04 09:46:06 | エッセイ

 

妻から頼まれた郵便振り込みの手数料は287円だった。

ズボンのポケットにはビニール袋に入れた

1円、5円、10円といった小銭でずしっと重い。

手数料はだいたいこのくらいだろうと見当をつけた妻から、

「この小銭で払ってきて」と持たされたものだった。

さすがに200円というのは100円玉2枚としたが、

あとはビニール袋から10円玉を8枚、5円玉を1枚、1円玉を2枚、

間違えないよう数えながら硬貨投入口に入れたのだった。

 

家には、小銭がまだたくさんある。

その小銭を貯め込んだ張本人は、他ならぬこの爺さんだ。

何か物を買うにも、食べるにも現金払いしかしなかったから

1円、5円、10円といった小銭が釣り銭として手元に戻ってきたのだ。

とはいえ、これら小銭は格別の使い道もなく、その都度、箱の中に放り込まれた。

気付くと、それは結構な量になり、小遣い銭として孫たちを喜ばせた。

孫たちはそれを1円、5円、10円と仕分けし、

計算すると時にそれは1万円ほどにもなることがあった。

もちろん、孫たちは大喜びだった。

 

 

ところが、このところ孫たちは少々まごついている。

以前は銀行に小銭を持ち込めば無料で両替してもらえたものが、

最近は手数料がいるようになっているのである。

金融機関によって多少違いはあるが、

ある地銀の場合、たとえば窓口での取り扱いだと、

硬貨1~50枚は無料、51~500枚だと330円、

501~1000枚で550円、1001以上は1100円となる。

両替機を使うと多少安くなるが、いずれにせよ手数料が必要だ。

 

極端な例で恐縮だが、1円玉50枚、5円玉24枚、10円玉3枚、

合わせて77枚200円を窓口に持ち込み、

100円玉2枚に両替してもらおうとすると、手数料330円がいる。

両替してもらって手にしたお金より支払うお金が高くなるという計算だ。

こうした例はほとんどないに違いないが、妙と言えば妙な話である。

このように小銭の両替に手数料が必要だということになったせいで、

孫たちも以前みたいには喜ばなくなった。

 

では手元に残った小銭はどうするか。

今度の郵便局での払い込み手数料みたいにもの、

あるいはスーパーでの買い物でたまに小銭を混ぜて支払う。

そういうふうにして、ボツボツと〝消化〟していっているのだ。

ただ、ここで注意しなければならないのは、

スーパーなどのセルフレジに小銭を大量に投入したことで

機械が故障するといったケースが頻発しているそうだ。

 

孫が喜んでくれると思い、せっせと貯め込んだ小銭、それが今は少々、厄介者かな。

申し訳ないことながら。

 

では、小銭を貯め込まないにはどうすればよいか。

簡単な話だ。現金を使わず支払いを済ませればよい。

今はクレジットカード、電子マネー、プリペイドカードなど

キャッシュレス決済の時代だ。

これだと、釣り銭として小銭を手にすることはない。

ということで、この爺さんもまさにおずおずと時代の流れに乗ることにした。

これで小銭は増えることはなく、

これまでにため込んでいたものをもボツボツと減らしていくのみだ。

 

そうこうしながら、ふと考えた。

キャッシュレス決済ということになると、

お金というものをまったく見かけなくなるのではないか。

小銭だけでなく1000円札も1万円札までも。

伴って、何だかお金のありがた味が薄れていくような。

年寄りはついそんなことを考えてしまう。

 

 

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