Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

卵を塗って美しく

2023-11-23 20:37:17 | エッセイ

 

 

今朝の味噌汁には、卵がポトリと落としてある。

白身はほぼ固まっているが、黄身はまだ箸先でトロリと崩れ、

小さめに切った豆腐、薄く平たくした椎茸、それに細切りの長ネギ、

この3品の具材にまみれる。

味噌は自家製の赤味噌だった。

味噌と具材がバランスよく調和し独特の風味のある味噌汁。

刻んだ小葱がもう一つ、香りと彩りを添える。

出来立ての味噌汁は一段と旨い。

盆には高菜漬け、辛子明太子も置いてある。

白ご飯がすすむ。これで十分に満足な朝食である。

 

食べ終えた食器を流し台に持っていくと、

味噌汁に入れた卵の殻が2個分置いたままになっていた。

その殻の凹んだ部分には、白身が少しばかり残っており、

妻はそれを人差し指につけて頬に塗った。

「何だ お婆ちゃんがパックなのか」冷やかし半分に言えば、

「そうよ。これで、少しはしわが伸びるんだもん」

笑いながら、もう一度殻に指を入れた。そんな妻の仕草を見ていると、

70年も前の母の姿がすぅーっと浮かんできたのだった。

 

           

 

あの朝鮮戦争が終わって2年か3年、僕は小学3年生だった、と思う。

学校から戻ると、家には誰の姿も見当たらなかった。

だが、なぜか風呂場からザァーザァーと水の流れる音がした。

「かあちゃん 風呂に入っとっとね?」と呼びかけると、

「ああ お帰り」くぐもった声が聞こえた。

昼間に風呂? しかも、昨日の夜も入ったはずなのに……。

しばらくしてタオルで髪を拭きながら出てきた母は、

「かあちゃんが昼に風呂に入っていたことは内緒ばい。誰にも言わんごと」

そう言うと、すぐに戸棚から卵を一個取り出した。

そして、吸い物椀でカチンと割ると上手に白身だけを椀に入れ、

鏡に向かいながら僕を見てにこっと笑ったのである。

妻がしたように、母も椀の中の白身を指につけ、それを何度も何度も顔に塗った。

たちまち、顔はてかてかと光り、ぱんぱんに張ったようになった。

「母ちゃん 気色ん悪か」

「何ば言うとね。ちょっと待っとかんね。

顔のしわがピンと伸びた美人の母ちゃんの顔ば見せてやるけん」 

「いや、見とうなか。遊びに行ってくる」

「言わんとばい。父ちゃんには絶対に」背後に母の声が追ってきた。

 

朝鮮戦争後の大変な不況は、

食べる物も事欠くほど当家の暮らしを苦しくした。

卵さえ食卓に出ることはめったになかったのである。

そんな貴重な卵ではあったが、母はやはり女性なのである。

たまには、顔のしわを少しは伸ばし若返った美しい顔を取り戻してみたい……

そんな思いにもなったのであろう。

貴重な卵をこのように使ったことが皆に知られないよう、

誰もいない昼間に風呂に入り、卵パックをしたのだと思う。

もちろん、そんなことが分かるようになったのは、ずっと後のことである。

 

この母を真似るかのように2人の姉も年頃になるとまた、卵を顔に塗った。

中学生になっていた僕は、後ろから姉にそろりと近寄り、

脇の下をこちょこちょとくすぐった。

「こらっ、止めんね。笑わしたら、せっかくのパックがダメになるんだから、もう」

「姉ちゃんは、卵を塗らんでもきれかやない。卵がもったいなか」 

僕は笑いながら、追ってくる姉の手から逃げ回った。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする