Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

シングルレコード

2024-05-26 06:00:00 | エッセイ

 

「テーブルの上にお菓子の箱があるでしょう」

帰宅すると、「お帰りなさい」に続けて妻はそう言った。

「ほほう、どんなケーキかな」甘党の僕はニンマリとする。

「では早速……」開ければ、そこにケーキはなく、

ドーナツ盤、つまりシングルレコードが何十枚も重なっていた。

でも、がっかりもせず、腹も立たなかった。

むしろ、ケーキへの思いはたちまち消え、

「どれ、どれ」とそれらのレコードを探り始めたのだった。

「押し入れの中を整理していたら、そんなのが出てきたのよ。すっかり忘れていたわ」

そう言えば、妻は前日から押し入れをゴソゴソやっていたっけ。

 

五行説では「青」は春の色とされ、そこから夢や希望に満ち、

活力みなぎる若い時代を春にたとえて「青春」と言うようになったのだそうだ。

もう60年ほども前。確かに心身に活力がみなぎっていた。

そんな頃、どんな歌を聞いていただろうか。

僕はやはりビートルズ、これに尽きる。

歌も髪型もファッションも、何もかもが新鮮だった。

 

 

だが、菓子箱の中にビートルズは一枚もない。

さだまさしの「防人の詩」、日野美歌の「氷雨」、

佐藤隆の「12番街のキャロル」などといった邦楽、

アニマルズ、ロッド・スチュアート、レイ・チャールズ、

コリー・ハートなどの洋楽——何だかまったく一貫性のない

レコードが全部で34枚あった。

「防人の詩」「12番街のキャロル」などは40年ほど前に出ているから、

ビートルズに夢中だった頃に集めたレコードでないのは確かだ。

おそらく40歳ちょっと手前の頃に聞いていたものだろう。

 

「青春」とは高校生の頃から30歳手前、そのあたりに違いないとは思う。

だが、年齢だけでそう決めつけなくてもよいのではないか。

知人は「幾つになろうとも、〝ときめき〟をなくしてはいけませんね。

むしろ、年を取るほどに〝ときめき〟が必要かもしれません」と言った。

その言葉が、なぜか僕の胸の中に張りついたままになっている。

 

菓子箱の中に重なる34枚のレコード。

これらは最初の「青春」を終え、さまざまな喜怒哀楽を積み重ねた末の、

ちょっぴり大人の哀歓をにじませた40歳あたり、

「第2の青春」とも言うべき時を過ごした証しに違いない。

これらの歌に、心ゆらし、ときめきながら聞いていた記憶がじわりと蘇ってくる。

僕にとり、あの頃もまた大切な青春時代であり、

それを押し入れの中にしまい込んだままにしていたのだ。

 

今、ボーカルのレッスンに通っている。

かつてのように歌を聞く機会は減ったが、逆に歌っている。

ビートルズをはじめとする洋楽も、またフォークソング系の歌も。

その時はかつての日々を思い出し心弾み、和む。

「青春」というのは年齢に関係ないことかもしれない。

僕は今、「第3の青春」を楽しんでいる。そうに違いない。

 

 

コメント (4)
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