「テーブルの上にお菓子の箱があるでしょう」
帰宅すると、「お帰りなさい」に続けて妻はそう言った。
「ほほう、どんなケーキかな」甘党の僕はニンマリとする。
「では早速……」開ければ、そこにケーキはなく、
ドーナツ盤、つまりシングルレコードが何十枚も重なっていた。
でも、がっかりもせず、腹も立たなかった。
むしろ、ケーキへの思いはたちまち消え、
「どれ、どれ」とそれらのレコードを探り始めたのだった。
「押し入れの中を整理していたら、そんなのが出てきたのよ。すっかり忘れていたわ」
そう言えば、妻は前日から押し入れをゴソゴソやっていたっけ。
五行説では「青」は春の色とされ、そこから夢や希望に満ち、
活力みなぎる若い時代を春にたとえて「青春」と言うようになったのだそうだ。
もう60年ほども前。確かに心身に活力がみなぎっていた。
そんな頃、どんな歌を聞いていただろうか。
僕はやはりビートルズ、これに尽きる。
歌も髪型もファッションも、何もかもが新鮮だった。
だが、菓子箱の中にビートルズは一枚もない。
さだまさしの「防人の詩」、日野美歌の「氷雨」、
佐藤隆の「12番街のキャロル」などといった邦楽、
アニマルズ、ロッド・スチュアート、レイ・チャールズ、
コリー・ハートなどの洋楽——何だかまったく一貫性のない
レコードが全部で34枚あった。
「防人の詩」「12番街のキャロル」などは40年ほど前に出ているから、
ビートルズに夢中だった頃に集めたレコードでないのは確かだ。
おそらく40歳ちょっと手前の頃に聞いていたものだろう。
「青春」とは高校生の頃から30歳手前、そのあたりに違いないとは思う。
だが、年齢だけでそう決めつけなくてもよいのではないか。
知人は「幾つになろうとも、〝ときめき〟をなくしてはいけませんね。
むしろ、年を取るほどに〝ときめき〟が必要かもしれません」と言った。
その言葉が、なぜか僕の胸の中に張りついたままになっている。
菓子箱の中に重なる34枚のレコード。
これらは最初の「青春」を終え、さまざまな喜怒哀楽を積み重ねた末の、
ちょっぴり大人の哀歓をにじませた40歳あたり、
「第2の青春」とも言うべき時を過ごした証しに違いない。
これらの歌に、心ゆらし、ときめきながら聞いていた記憶がじわりと蘇ってくる。
僕にとり、あの頃もまた大切な青春時代であり、
それを押し入れの中にしまい込んだままにしていたのだ。
今、ボーカルのレッスンに通っている。
かつてのように歌を聞く機会は減ったが、逆に歌っている。
ビートルズをはじめとする洋楽も、またフォークソング系の歌も。
その時はかつての日々を思い出し心弾み、和む。
「青春」というのは年齢に関係ないことかもしれない。
僕は今、「第3の青春」を楽しんでいる。そうに違いない。