昨日(10月20日)、温故の会の例会が行われ、発表者は今年入会した佐藤氏。幅広く郷土史・地域史を勉強している氏が題材に選んだのは、大泉叢誌巻53から「難波の梅」という実際の事件を講談風に七五調で書かれた古文書だった。さすがに時間が無い中、くずし字を解読して解説するのは大変だったのでしょう。平成31年に翻刻出版された『大泉叢誌』の解題と解読を読みながらの発表だった。
しかし相変わらずの物知らずの私には、一度にスラスラと読まれただけでは、何のことやらさっぱり分からないのである。今回も宿題を貰った気分で、自宅で復習してみた。
賈[あきんど]甚縦[ほしいまま](ニシテ)寵(ス)二美人(ヲ)一。農三発(シテ)レ怒(ヲ)殺(ス)二麗婦(ヲ)一
など、二三度読み返して、やっと甚は商人・甚之助のこと、三は農夫・三郎治のことだと気付くのである。
それでも読み進むと、百人一首競技かるたで最初に詠まれる冒頭の和歌が浮かび、なぜタイトルが「難波の梅」なのかを知る。
文中、区切りのよい七五調ではあるが、ことわざ、慣用句、略字に難漢字ありと、私にはスラスラとは読めない。江戸人の教養の高さに圧倒されながらも、ワクワクと読み込んでいる。還暦を過ぎてから少し賢くなった気分が楽しいのである。
解題:『難波の梅』 「自娯抄」(「大泉叢誌」巻82所収)の享和2年(1802)7月20日条に、矢引坂で赤川村の三郎治が一日市町の仕立屋甚之助夫婦を待ち伏せして、湯田川の遊女であった妻を殺害した事件が記されているが、これはそれを脚色した語り物。と記されている。
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