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「ピカソとの日々」フランソワーズ・ジロー 白水社

2021年12月27日 | 書籍

浦安図書館蔵書

初めてのキス
初めての乳触り
若いミソラでフランソワーズ・ジローは老齢ピカソを翻弄するなかなかの曲者



パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)
 1943年、ピカソは21歳の画学生フランソワーズ・ジローと出会い、1946年から同棲生活を始めた。そしてクロードとパロマが生まれた。しかし、フランソワーズはピカソの支配欲の強さと嗜虐癖に愛想をつかし、1953年、2人の子を連れてピカソのもとを去り、他の男性と結婚した。このことはピカソに大きな打撃を与えた。フランソワーズはピカソを捨てた唯一の女性と言われている。
しかしピカソはすぐ次の愛人ジャクリーヌ・ロックを見つけた。彼女は南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていたところをピカソに見そめられ、1961年に結婚した。しかし、この結婚は、ピカソのフランソワーズに対する意趣返しという目的が隠されていたと言われている。当時フランソワーズはクロードとパロマの認知を得る努力をしていたので、ピカソはフランソワーズに「結婚を解消すれば、入籍してあげてもいい」と誘いかけた。これに乗ってフランソワーズが相手と協議離婚すると、ピカソは既にジャクリーヌ・ロックと結婚していた。













巨匠の創作の秘密を明かす、比類ない回想録

1943年、戦時下のパリ。40歳年上の巨匠との出会い、間近で見た創作の秘密、芸術観、交友関係、そして恋愛……ともに生きた10年間を克明に記録しながら、ひとりの女性としての自らの成長を綴った比類なきメモワール、半世紀ぶりとなる待望の新訳!

20世紀を代表する巨匠とおよそ10年にわたり人生をともにした著者による唯一無二の回想録。1943年、戦時下のパリで出会い、二人の子供をもうけ、53年に別れるまでの日々が綴られている。
二人が出会った頃、ピカソは精力的に作品を発表する一方で、戦後のヨーロッパで絶大な人気を博し、政治的にも共産党員になるなど重要な出来事があった。私生活では、妻のオルガとその息子パウロ、愛人のマリー=テレーズとその娘マヤ、さらにもう一人の愛人ドラがいた。
他の愛人たちと違い、ピカソと同居生活を送った彼女は、誰も知ることのなかった日常生活を明かしながら、アイデアの源泉、創作の手順、芸術観、他の画家や彫刻家との関係などを本人の言葉とともに克明に記録し、類いまれな知性とユーモア、彼女自身の画家ならではの視点によって生き生きと伝えている。
原書の刊行は1964年。ピカソの生前に出版された本書は、世界中に大きな衝撃を与え、当人からの出版差し止め請求にも屈せず、ベストセラーとなった。著者の瑞々しい文章が、ひとりの女性の成長物語として、およそ半世紀ぶりの新訳でよみがえる。

[原題]Life with Picasso

[著者略歴]
フランソワーズ・ジロー(Françoise Gilot)
1921年、パリ近郊ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。ケンブリッジ大学とソルボンヌ大学で学ぶ。画家を志していた1943年にピカソと出会い、1946年から53年までともに暮らし、クロードとパロマの一男一女をもうける。ピカソと離別後、1955年に学生時代の友人リュック・シモンと結婚し、翌年、娘が誕生。1964年、ピカソと暮らした年月を生き生きと描いた本書『ピカソとの日々』をカールトン・レイクとの共著で刊行、世界的なベストセラーとなる。シモンとは1961年に離婚し、1970年に小児麻痺ワクチンの開発で有名なアメリカ人の医師ジョナス・ソーク博士と再婚。1990年、フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。
これまでにアメリカ、イギリス、フランスなどで個展を開き、2010年には日本初の回顧展を開催。他の著書に『マティスとピカソ――芸術家の友情』(河出書房新社)、Interface:The Painter and the Mask(1983)、二冊の詩集Paloma sphynxとThe Fugitive Eyeなどがある。

[著者略歴]
カールトン・レイク(Carlton Lake)
1915年、アメリカ、マサチューセッツ州生まれ。ボストン大学、コロンビア大学で学ぶ。第二次世界大戦中、アメリカ海軍に従軍。戦後、ニューヨーク大学で博士号を取得、作家となる。1950年から65年までパリに滞在し、「ニューヨーカー」「ニューヨーク・タイムズ」「アトランティック・マンスリー」等にマティス、ピカソ、シャガールらのインタビューや記事を寄稿。1956年に知り合ったフランソワーズ・ジローとの共著で1964年に本書を刊行。1968年、アーサー・ランサム・ヒューマン・リサーチ・センターのキュレーターに就任、フランスの芸術文化に関する資料のコレクションに尽力する。1985年、フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2003年、名誉キュレーターとして同センターを引退。2006年、90歳で没。

フランソワーズ・ジロー(1921年11月26日ー)
フランスの画家、作家。1944年から1953年までのパブロ・ピカソの愛人で、ピカソとのあいだのクロードとパロマの2人の子どもをもうけている。
 
ピカソ死後、ピカソの妻のジャクリーヌ・ロックと遺産争いを行う。ジローは、ピカソと別れたあと、アメリカのウイルス学の開拓者ジョナス・ソークと結婚。
 
ピカソの数ある愛人のなかでも、非常に頭がよく社会的にも成功したのが特徴で、ジローはピカソの愛人であり、ピカソの間に二児をもうけた母であり、モデルであり、展示企画者であり、相談相手であり、芸術家であり、芸術批評家であり、ホステスだった。
 
1973年にジローは学術雑誌『バージニア・ウルフ・クォータリー』のアートディレクターに任命される。1976年には南カリフォルニア大学で美術学部の組織員となった。ジローは大学でサマー・コースを企画し、1983年まで組織上の責任者に就いた。1980年代から1990年代にかけて、ジローはニューヨークのグッゲンハイムで舞台衣装デザインやマスクのデザイン業を行なった。1990年にフランスでレジオンドヌール勲章を受賞。

 

 
 
 
 

 

 

 

 
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