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廿日市女子高生刺殺事件 鹿嶋学被告(36)無期懲役 

2020年03月18日 | ヒトゴロシ
廿日市女子高生刺殺事件で無期懲役 広島地裁判決「結果はあまりに重大」

2004年10月に広島県廿日市市上平良の廿日市高2年北口聡美さん=当時(17)=が自宅で刺殺された事件で、殺人、殺人未遂、女性暴行致死、住居侵入の罪に問われた山口県宇部市東岐波、無職鹿嶋学被告(36)の裁判員裁判の判決公判が18日、広島地裁であり、杉本正則裁判長は求刑通り無期懲役を言い渡した。

 杉本裁判長は「一人の生命を奪い、一人に生命の危険が迫る重傷を負わせた結果はあまりに重大」と指摘。鹿嶋被告の発達の偏りの影響や計画的な殺害ではなかった点を認めつつも「強い非難に値する。事実の重大性を厳粛に受け止めさせ、贖罪の日々を送らせるのが相当」と述べ、有期刑を求めた弁護側の訴えを退けた。

 判決などによると、鹿嶋被告は04年10月5日午後3時ごろ、乱暴目的で離れの聡美さんの部屋に侵入し、折り畳みナイフで脅迫。腹や胸を多数回刺して殺害し、物音を聞いて駆け付けた祖母のミチヨさん(88)を刺して殺そうとした。事件から13年半後に逮捕された鹿嶋被告は公判で起訴内容を認め、量刑が争点だった。

 鹿嶋被告は事件前日の同年10月4日、山口県萩市内の職場の問題などを巡って自暴自棄になり、会社の寮をミニバイクで飛び出し東京方面に向かった。女性暴行を思い立って翌5日、廿日市市内で帰宅中の聡美さんを偶然見掛けて乱暴しようと決意。聡美さんの部屋に侵入し、折り畳みナイフで脅したが、乱暴する前に逃げられたため刺殺した。

 聡美さんの父忠さん(62)は被害者参加制度で公判に参加。意見陳述で「自分の命で償ってほしい」と死刑を求めた。検察側は論告で「動機は極めて身勝手。強い殺意があり残虐で冷酷非道」と指摘した一方、殺害行為の計画性は認めがたいなどとして無期懲役を求刑。弁護側は殺人の計画性が乏しい点や、犯行前後の心理状態などを鑑定した精神科医の証言を基に「物事のレベルに応じた対応ができない思考特性が意思決定に影響した」と強調し、有期刑を求めていた。

  事件を巡っては捜査が難航したが、18年4月上旬、鹿嶋被告が勤務先の同僚を蹴り、山口県警の任意聴取を受けたのを機に急展開。その際に採取された指紋などが、廿日市市の事件現場に残っていたものと一致し、同月13日に広島県警に逮捕された。     

(2020.3.18 中国新聞社)



「朝起きたら、会社が目の前なんで、会社から機械の音がして、遅刻したんだと気づいて……それきっかけで寮を逃げ出しました。寝坊して『やばい、怒られる』と思ったんですが、怒られるのが嫌で、どんくらい、時間経ったかわからんですけど、寝っ転がったまま考えて、会社行くの嫌になりました。
逃げ出すことが、自分にとっては許されんことで、それをしたことで、もう、どうでもいいっちゅう気持ちになりました」(被告人質問での証言)
就職して3年半、初めての寝坊による遅刻で会社が嫌になり、原付バイクに乗ってそのまま寮を飛び出した鹿嶋被告は「当時ゲームが好きで、秋葉原に興味があった」(同)ことから、東京を目指すことにした。途中でホームセンターに寄り、方位磁石と、のちに凶器となった折りたたみ式ナイフを購入する。
「地理に詳しくなく、東に進めば東京に着くだろうと思ったことと、ナイフは野宿するつもりで、ナイフがあればどうにかなるやろ」という理由からだったという。貯金約20万円を引き出して友人の家に泊まり、餞別として(証言ママ)5万円ほど渡し、翌朝、原付で山口を発った。そして、偶然車を走らせていた両親に呼び止められるも振り切り逃走したうえ、「近くの川に携帯を投げ捨て、もう宇部に戻らんことを決意しました」
会社の寮を飛び出し、有り金を全て持ち、両親を振り切り、携帯を捨て、東へ原付を走らせていると広島に到着した。下校中の女子高生達を見かけ、こんなことを思い立つ。
「レイプしようっていう思いになりました。『性行為がしてみたい』っていう気持ちがあったのと、そのときはもう、捕まってもいいと思って、レイプしようと、そういうふうに思いました」
そんな思いを抱いた鹿嶋被告がたまたま見かけたのが、まさに帰宅しようとしていた聡美さんだった。しばらく様子を伺ったのち、聡美さんがいた自宅の離れに侵入。2階寝室にうつぶせに寝転んでいた聡美さんにナイフを示して言った。
「動くな。脱げ」
隙を見て逃げ出そうとした聡美さんは階段を転げ落ち、被告に追いつかれる。離れの出入り口ドア付近でもみ合いになったとき、被告は脅すために持っていた折りたたみ式ナイフを、聡美さんのお腹に刺した。
「『なんで逃げたんか』って聞きました。自分が刺したにもかかわらず、刺したことを認められなくて、聡美さんのせいにしようという思いから、そういう発言をしました。聡美さんは『えっ、なんで』というような表情をしてました。それから……そのあとに『くそ、くそ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。
自分が……どうなってもいい、っていうふうなことを考えるようになった環境とかそういったものを聡美さんにぶつけてしまいました。最後に首を切りました。これで最後にしようと思って。そうせんにゃ、止まらんかった」(同)
さらに、出入り口ドアの外にいて、鹿嶋被告を目撃した祖母も複数回刺し、聡美さんの妹も追いかけた。
「小さい女の子を追いかけました。通報されると思って……。追いついたら……たぶん右手に持っていたナイフで刺していたと思います。でも追いつけませんでした。途中で追うのをやめました」(同)
その小さい女の子、聡美さんの妹は鹿嶋被告の逮捕後に、当時のことを調書でこう語っている。
「鍵を使って扉を開けると、姉が白眼をむいて崩れ落ちるように倒れました。そしてその姉が目に入ったのとほぼ同じタイミングで、右側に立っていた男と思い切り目が合いました。姉が倒れたと同時に祖母が『ギャー!』と叫び、その間もずっと男と目が合い続けていました。
悲鳴が止んだのを合図のようにして私はすぐに走って逃げました。途中で後ろのほうから足音のような音が聞こえて、追いかけてきていると思いました……」
被告はその後すぐに原付バイクで東京に逃走。「3日間くらい、ひどく後悔し、嫌な気持ちになって……寝ずに何も食べずにずっと走らせてました」(鹿嶋被告)というが、やがて所持金が底をつき「何も食べることできず、5日くらい過ごして、飢え死にすることが怖くなって、餞別をあげた友人に、パン屋で電話を借りて電話をかけて銀行に金を入れてもらいました」。その後、実家に戻ったという。戻ってからは長年真面目に勤務していたが、部下の太ももを蹴り、暴行罪で検挙されたことがきっかけで、この事件の関与が明るみになった。
検察官 「事件後もAV観てて、いわゆるレイプものもあると言っていましたね。観ていたのは1回や2回じゃないですよね。どのぐらいの頻度で観ていましたか?」
被告 「頻度までは……はっきり憶えてないですが、まあ、結構観ています」
検察官 「その中には、ナイフやハサミなど刃物を使って女性を脅しレイプするものもありましたよね」
被告 「……そこまで憶えてない……」
検察官 「それ以外も首を絞める、殴るものなどありましたね。どういう気持ちで観ていたんですか?」
被告 「事件のことは全然考えてないです。ただ単純に性欲を満たす目的で観ていました」
検察官 「レイプもので事件のことを思い出さないんですか?」
被告 「レイプしたわけでもないので思い出すことはなかったです」
凶器のナイフは実家に持ち帰り、自室の机の引き出しにしまっていた。その理由を「自分にとっては、逃げ出したい、忘れたい事件ですが……ずっと、責任を感じていて捨てることができませんでした」と語り、逮捕当日のことは「突然のことだったので驚いたのと、あとはホッとした気分になりました」と振り返る。
「じゃあ、なぜ自首しなかったのか」という検察官の問いには、「捕まらないのをいいことに、甘えてました」と答えた。暴行罪での検挙がなければ、この事件は今も未解決だったことだろう。
瀕死の重傷を負った聡美さんの祖母は、被害に遭った記憶が残っていないのだという。
「聡美の妹が血相を変えて『2階で大きな音がする』と言ってきました。ただ事ではないと思い、一瞬、警察に電話しようと思いましたが、音だけでは警察は動いてくれないと思い直し、聡美のいる離れの出入り口に向かいました。その時はなんの音も声もしなくなっていました。そしてそれから先のことがどうしても思い出せないのです。憶えているのはドアが開いて知らない男が立っている姿ですが、それも黒い影が立っているようなイメージです。
とにかく通報しなければという一心で母屋に入り、警察に電話して意識がなくなりました。他のことはどうしても思い出せないです。意識を取り戻した時は入院していましたが、なんで入院してるのか、何が起きたのか全くわからなかった。とにかく背中が痛かった。高いところから落ちたから痛いのかと思っていたら、数日後、お医者さんから『背中を刺されているから癒着しないよう動いてくれ』と言われ、初めて刺されたことを知り、とにかく大変なことが起きたんだと思いました。
そのあと息子から『さっちゃんは死んだ』と聞かされました。
聡美の命を奪い、私の命を奪いかかり、家族の人生を大きく狂わせた。聡美が殺されて、犯人が生きているのはやはりおかしい。死刑にしていただきたい」(祖母の調書)
犯人の顔を憶えているのは聡美さんの妹だけだった。長年、犯人が捕まらず続いた苦悩を、彼女は調書に語っている。
「いつか報復されるのではないかと恐怖心を抱き、苦しい思いを抱き続けてきた。犯人を見たのは私だけ、一生忘れてはいけないというプレッシャーと、見たことを忘れるかもしれないという恐怖がないまぜになり、心が押しつぶされそうになるのをなんとか耐えてきた」(妹の調書)
鹿嶋被告は弁護側被告人質問の最後で泣きながら大声で言った。
「私は……取り返しのつかんことを、してしまい……自分でも自分は、死刑がふさわしいと思っております。大変申し訳ございませんでした!」
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