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高橋 幸宏(1952年6月6日 - 2023年1月11日)
高橋幸宏さん「ぬぼっ」とした細野晴臣に誘われて結成したYMO…
90年エピソード
世界的に活躍した伝説のテクノバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のドラマーで、数々のバンドやユニットで活躍したミュージシャンの高橋幸宏さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため死去した。70歳だった。
高橋さんは1990年の本紙のインタビューでYMOの結成秘話やメンバーとのエピソードを語っていた。 「細野晴臣さんは昔から、ぬぼっとして半分眠っているようで、今も全然変わらない。彼のソロアルバムに参加した時、『実はこんなバンドを作ろうと思っているんだ』と誘われた。それがYMO」。1978年2月、細野が自宅に高橋さんと坂本を呼んだ。こたつに入りながら、分厚いノートを開くと、「コンピュータを使った音楽をディスコを媒体として、全世界でヒットさせる」というコンセプトとともに、噴火する富士山の絵の上に「アメリカで200万枚のヒット!!」と書かれていたという。「こたつに入って、おにぎりを食べながら、その絵を見たぼくと坂本龍一は、その迫力に圧倒されてしまった」と振り返った。 また、坂本が「教授」の愛称で親しまれていることについて「音楽的なことを彼に相談すると、非常に明快でロジカルな答えが返ってくるわけ。そこで彼に『教授』というあだ名を付けた。命名者は、僕です」と明かした。YMO以前の坂本は「長髪にジーンズ、はだしにゴム草履で、足の爪真っ黒という格好で、まさに昨日までゲバ棒振っていましたという感じ」で、「初対面の時、彼は僕のことを女みたいにおしゃれして、なんてやつだろうと思ったらしいよ」と振り返った。
(報知新聞社 2023.1.16)
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高橋 幸宏(1952年6月6日 - 2023年1月11日)
高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。
1969年にフォークバンド「ガロ」のサポートメンバーとして加わる
『学生街の喫茶店』ヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼と共に脱退。
武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科在学中の1972年(昭和47年)、
加藤和彦の誘いを受け「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。
全英ツアー帰国後、解散。
「サディスティックス」を経て、1978年(昭和53年)からはソロ活動を開始。
そして同年「Yellow Magic Orchestra(YMO)」を結成。
2023年(令和5年)1月11日 午前5時59分、
脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため死去。70歳没
高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。
1969年にフォークバンド「ガロ」のサポートメンバーとして加わる
『学生街の喫茶店』ヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼と共に脱退。
武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科在学中の1972年(昭和47年)、
加藤和彦の誘いを受け「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。
全英ツアー帰国後、解散。
「サディスティックス」を経て、1978年(昭和53年)からはソロ活動を開始。
そして同年「Yellow Magic Orchestra(YMO)」を結成。
2023年(令和5年)1月11日 午前5時59分、
脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため死去。70歳没
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