
象印元副社長強殺、二審も死刑=「冷酷非道」と非難―大阪高裁
堺市で2011年、象印マホービン元副社長ら2人を殺害したとして、
2件の強盗殺人罪などに問われた西口宗宏被告(55)の控訴審判決が14日、大阪高裁であった。
後藤真理子裁判長は、死刑とした一審大阪地裁堺支部の裁判員裁判判決を支持し、弁護側控訴を棄却した。
弁護側は即日上告した。
後藤裁判長は「緻密さに欠けるが、強盗殺人の骨格部分の計画性は高く、犯行意思は強固だった」と指摘した。
その上で責任能力を認め、「冷酷非道と言うほかなく、強い非難に値する」と述べた。
弁護側は「計画性は乏しく、殺意も強くない。心神耗弱だった可能性がある」として、
無期懲役が相当と主張していた。
判決によると、
西口被告は11年11月に歯科医師の妻田村武子さん=当時(67)=、同年12月には知人の同社元副社長尾崎宗秀さん=同(84)=に対し、いずれも顔に食品用ラップを巻き付けて窒息死させ、現金を奪った。
(時事通信 9月14日)
象印元副社長殺害事件 西口宗宏被告死刑判決 2014年3月
堺市連続強盗殺人事件
2011年11月15日、大阪府堺市南区に住む主婦(当時67歳)が買い物帰りに失踪。翌日ATMで主婦の口座から現金が引き出された。12月1日、同市北区の象印マホービン元副社長、尾崎宗秀(当時84歳)の自宅で尾崎が結束バンドで拘束され顔にラップが巻かれた状態で発見された。自宅からは所有マンションから集金した家賃計74万円が無くなっていた。尾崎は搬送先の病院で死亡が確認された
12月6日、主婦の口座から現金を引き出した容疑で、同市に住む男(当時50歳)を窃盗罪で逮捕した。取り調べで男は2人を殺害し(主婦の遺体は焼却し河内長野市の山中に遺棄した)現金を奪ったことを認めたため、2012年2月14日に男を強盗殺人罪、死体遺棄・損壊罪で起訴した。3月15日には尾崎に対する強盗殺人罪でも起訴された。
逮捕された男は保険金詐欺目的で自宅に放火した罪で逮捕、有罪判決を受け服役していた。尾崎とは向かいの家に住み幼少のころから付き合いがあった。今回の事件は放火事件で服役して3ヶ月後に起きた出来事であった。
2014年2月12日に男の初公判が開かれた。検察側は男が「過去の事件で服役中に金持ちの人を襲うという計画を練っており、自己中心的で残忍だ」と指摘し死刑を求刑。弁護側は「死刑は憲法違反の残虐な刑」であると指摘した。2014年3月10日、大阪地裁は男に死刑判決を言い渡した。弁護側は控訴した。
(wiki)
西口は少年時代から母と2人で象印マホービン元副社長尾崎さん宅の向かいに住み、尾崎さんとは40年来の付き合いがあった。 子どもがいない尾崎さんは、西口を息子同然に可愛がっていたという。
温厚な母のもと、裕福な家庭に育った西口。当時の西口家について、近所の住民はこう話す。
「お母さんは文化住宅を持っていたりして家賃収入があって、働かんと家にずっといるようやった。家も100坪くらいの土地があり、株でもけっこう稼いでいたみたい」
西口は地元の高校を卒業し、建設関係の会社で働き始め、30代で独立するも失敗。 多額の借金を抱えていたようだが、無職にもかかわらず、5万円以上するブランド服を娘に着せるなど、浪費癖が目立っていた。 1999年に母親が亡くなり7千万円の預金と不動産を相続するが、それも3年足らずで使いきってしまう。
「99年にお母さんが亡くなって遺産をもらったみたい。本人が『遺産は7千万円の預金と不動産や』と言っていたそうや。その前後からあの子の表情が険しくなっていった。目がつりあがったような顔になっていって、生活はぐんと派手になった」(前出・近所の住民)
その後、3600万円の保険をかけた自宅を 放火したとして2004年に逮捕される。尾崎さんはこの時、「西口はそんな事をするような奴じゃない」と最後まで西口をかばっていた。
仮釈放されたのは2011年8月。尾崎さんが発見される前日、彼が書きこんだと思われるサイトにはこんな記載があった。《今日も根性出んかった。明日こそは絶対! 確実に!!》
(出典 西口宗宏 - Yourpedia)
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