すそ洗い 

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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

瑞浪市立瑞浪中学校の自殺女子生徒

2019年11月28日 | ヒトゴロシ




2006年(平成18年)10月23日に、中学2年生の女子生徒がバスケットボールのクラブ活動などでいじめを受けていたことやそれを行っていた女子生徒4人の名前を遺書に書き残して自殺した事件が起こった。少女の親が自殺の数日前にいじめについて学校に相談していたが、事件後の会見で学校側は「いじめはなかった」と説明していた。 その後、両親の依頼による学校側の再調査の結果、いじめがあったことを認めて校長は謝罪し(遺族によりビデオ録画された)、瑞浪市ホームページに「お詫び文章」が市長名で掲載された。その後「意識がもうろうとしていじめを認めてしまった」と校長は前言を撤回している。 
事件から3年後の2009年(平成21年)10月23日、両親が遺書に名指しされた女子生徒4人とその保護者を相手取り4千万円の損害賠償訴訟を起こした。両親は事件から3年経過し女子生徒4人とその保護者の対応が2008年(平成20年)以降無くなり罪の意識を感じていないと憤り民事上の時効が切れる前に訴えたという。なお、告訴することについて女子生徒4人に対し文書で通告したが3人からは連絡が無かったという。また、両親は川端達夫文部科学大臣(当時)に対し「人の心を傷つけ死に追いやるいじめを刑事罰化すべき」と請願書を送った。なお、このいじめ自殺事件の対応の不手際から教育長が引責辞任した。2011年11月30日に岐阜地裁は、「(生徒の保護者が)いじめを推認させているとする事実は無かった」として、原告の両親の訴えを棄却。両親は名古屋高裁に控訴した。 

坂東愛子
西村依里香・早川友
安藤里穂
保母冬妃
西尾真由美
土屋沙世
工藤千江梨


岐阜 中2少女首吊り自殺“遺書に名前が残された加害者の言い分”

〈皆さんへ 今、誰かが私の手紙を見ている時、きっと、私は死んでいるでしょう。今まで、私を愛し、育ててくれた家族、ありがとう……〉

‘06年10月23日。14歳の誕生日を迎えた岐阜県瑞浪市立瑞浪中学2年生・吉村有里さん(仮名)は、自室で首を吊って自殺した。残された遺書には衝撃的な事実が書き込まれていた。遺書を続ける。

〈今まで、仲良くしてくれた友達。ありがとう―。部活のみなさん、特に〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これでお荷物が減るからね。もう、何もかも、がんばる事に疲れました。それではさようなら〉(文中〇は実名)

わずか200字あまりの文字の中に、同級生の女生徒4名の名前が書き残されていた。14歳の少女が死を決意するまでに苦しめられた原因は何だったのか。誰に何を伝えようとして4人の実名を書きつづったのか。

その日、有里さんはバスケット部の部活のため朝7時10分頃に歩いて10分ほどの場所にある学校に行った。当日は先生たちの研究授業日で、生徒は半日授業で帰宅している。有理さんが帰宅したのは12時頃だ。自宅で会社を経営する父親の雄二さん(仮名・当時45)が昼食で母屋に戻り、母親の紀子さん(仮名・当時43)も仕事先から帰り2階の有里さんを呼ぶが返事がない。部屋を覗きに行くと、高さ180㎝のクローゼットのドアに電気コードをかけ首を吊っている娘を発見したのだった。

有里さんの学校の成績は5がずらっと並ぶトップクラスで絵もうまくデザイナーを目指していた。成績表の所見には「仲間に対して思いやりを持って接することができる素晴らしい性格の持ち主です」と担任の教諭が記していた。

自殺の報を聞いて吉村さん宅に飛んできた校長は、遺書を見るとこういった。

「これって何ですかね。(有里さんは)どうされたんですかねー」

娘の死を悼む言葉もない校長の言葉に、雄二さんはあきれ果てた。真実を知りたいという両親と、事実から目を背ける学校との溝はこの日を境に大きく広がった。事件の翌日、学校側は、

「これまでまったく報告がなく、いじめが原因ではない」

と、いじめを否定した。だが、「おかしい」という声が生徒から上がり、同級生からは“いじめの証言”が次々に寄せられた。そして、自殺から5日目に吉村さん宅を訪ねた校長と学年主任は、

「(バスケット部の)部員の保護者が、『自分の子供が言葉や態度などで有里さんをいじめていた』」

といじめの事実を認めた。ところが、翌日の会見で校長はいじめを否定、前日と食い違う理由をこう説明した。

「事件後に2度、生徒に今考えていることを書いてもらったが、いじめがあったという話や、彼女のことをねたむような内容は一切なかった。亡くなった本人の気持ちを確認できない以上、いじめと結論は出しにくい」

学校が行った2度の調査は生徒が実態を告発しにくい“記名式”の調査だったのだ。遺族は3回目に無記名の再調査を依頼した。そこでやっと事実が出てきた。

10月30日に行われた調査の結果、「私はいじめられている場を見た」という情報は41件にも上ったのだ。いじめと自殺の因果関係を学校が認めたのは10月31日、自殺から9日目の事だった。実は、事件の数ヵ月前から有里さんは家族、学校にいじめ被害のSOSを出していた。

「自分の爪の皮を血が出るほど剥いたり、学校から帰って来るといつもイライラしていた。クラブを終えて帰る娘を迎えに行った母親の車に泣きながら飛び込んでくることもあった。『(4人と一緒にいると)どきどきして変になりそうになる』、と家で泣くようになり、様子が一変してきたんです」(雄二さん)

そのため自殺の1週間前には母親が学校に行き、担任と部活の顧問にいじめ被害の相談をしている。だが、そこで学年主任が出した指示は、「しばらく見守ろう」でしかなかった。

遺書の中で名指しされた4人の女生徒とその保護者は、その後遺族とどう向き会い謝罪しているのか。

「娘が遺書で名指しした4人の名前の順番も意味があるようです。『いじめで大きな傷を受け、有里が嫌っていた順番です』と娘の友達が証言してくれました」(雄二さん)

4人の少女は吉村さんの自宅からさほど遠くない距離に住み、そのまま瑞浪中学に通っている。’07年12月27日、文部科学省所管独立法人「日本スポーツ振興センター」から「災害共済給付制度」に基づく死亡見舞金が吉村さんに支給された。文科省が「いじめ自殺」を認定したのだ。私が、遺書で最初に名指しされたAの父親にこの件を尋ねると、

「文科省がいじめを認めたのは間違いだ!」

と強い口調で反発した。
3番目に名前の挙がったCの母親は、

「いじめはありません。うちの子はやっていないと言っている。遺書を見て、あれでどうやっていじめがあったといえるんです。この件はもう終わっているんです」

と、玄関の引き戸越しに大声で答えた。

「(自殺の原因が)いじめだったということは本人や保護者には指導しています。途中で仲介者(弁護士)が入ってきたため指導が中途半端になりましたが、(有里さんの)心に傷を付けたことを4人の保護者は納得しているはずです」(平林道博・学校教育課長)

市教委と4人の保護者との認識はまったく異なる。雄二さんが憮然と言う。

「月命日に来る校長らに尋ねるのですが、『名指しされた生徒に定期的に面談し聞き取りをしても拒否され、口をつぐまれて聞き出せないんです』という。先生の立場はこんなにも弱いんですか」

こうした市教育委と学校の対応に、遺族が納得できるはずはない。
    
(2019.11.28FRIDAYデジタル)


 
 
 
 
 
 
 
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