萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが
26日午前10時30分、
消化管間質腫瘍のため東京都内の病院で死去していたことが28日、分かった。
68歳。
さいたま市出身。
葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻理加(りか)さん。(共同)
傷だらけの天使 2017年再放映
萩原健一の歌声
萩原健一
(1950年7月26日 - 2019年3月26日)
本名 /萩原 敬三(はぎわら けいぞう)
出生地 /埼玉県北足立郡与野町(現・同県さいたま市中央区)
1966年 - 1970年ザ・テンプターズ(The Tempters)
1971年 - 1972年 PYG
1972年
『約束』松竹映画
「太陽にほえろ」
早見淳(はやみ じゅん/マカロニ)(1話 - 39話、41話、43話、45話 - 52話に出演・65話、116話、167話、300話、415話、665話、718話は回想)
1973年
『股旅』(1973年、ATG、監督:市川崑) - 黙太郎
『化石の森』(1973年、東宝、監督:篠田正浩) - 緋本治夫
1974年
『青春の蹉跌』
キネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。
『傷だらけの天使』
1975-1976
『前略おふくろ様』
1975年
『雨のアムステルダム』(1975年、東宝、監督:蔵原惟繕) - 作田明
『アフリカの光』(1975年、東宝、監督:神代辰巳)
・小泉一十三と結婚し女児をもうけるが3年で離婚
1976-1977
「前略おふくろ様II」(1976年 - 1977年、日本テレビ) - 片島三郎
『八つ墓村』(1977年)
アルバム
NADJA〜愛の世界(1977年3月)
Nadja2〜男と女(1978年6月)
祭ばやしが聞こえる(1977年 - 1978年、日本テレビ)
Nadja3〜エンジェル・ゲイト(1979年6月)
熱狂雷舞(1979年10月)
ニューイヤーロックフェスティバル
『その後の仁義なき戦い』(1979年、東映、監督:工藤栄一) - 飲み屋の客
熱狂雷舞(1979年10月)
Don Juan(1980年7月)
Don Juan Live(1980年12月)
・1980年にいしだあゆみと結婚、1984年に離婚発表
『影武者』(1980年)
『魔性の夏〜四谷怪談より』(1981年、松竹、監督:蜷川幸雄) - 伊右衛門
『誘拐報道』(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)
D'erlanger (1982年3月)
シングル
ハロー・マイ・ジェラシー (1982年)
・1983年1月インドはカルカッタでチャリティコンサートを行う。
同年4月20日、大麻不法所持にて逮捕され、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決となり、1年間に渡って全ての活動停止。
アルバム
Shanti Shanti(1983年)
Thank You My Dear Friends(1984年3月)
・1984年、飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害罪で逮捕。
アルバム
Andree Marlou Live(1985年)
・1985年11月には、女優倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌に撮られて激昂。カメラマンと編集者に暴行し、書類送検。
1985
『カポネ大いに泣く』(1985年、監督:鈴木清順- 桃中軒海右衛門
『瀬降り物語』(1985年、東映、監督:中島貞夫)
『恋文』(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)
1987
アルバム
Straight Light(1987年2月)
シングル
愚か者よ c/w めぐり逢い(1987年1月)
See Saw c/w 友(1987年)
桜子 c/w 今(1987年7月)
1991
『渋滞』(1991年、ディレクターズ・カンパニー、監督:黒土三男) - 藤林蔵
『いつかギラギラする日』(1992年、松竹、監督:深作欣二) - 神崎
1993
課長サンの厄年(1993年、TBS) - 寺田喬
1994
『居酒屋ゆうれい』(1994年、東宝、監督:渡邊孝好) - 壮太郎
1995
外科医柊又三郎(1995年、テレビ朝日) - 柊又三郎
・2004年10月、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕された。
・監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため途中降板となった主演映画『透光の樹』の前払いの出演料半額分(750万円)の返還をプロデューサーから求められた際に、「一方的に降板させられた」として拒否。さらにプロデューサーに電話をかけ、国税庁・警視庁・実在する暴力団の名を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、出演料全額分(1500万円)の支払いを要求したことで、同年11月に製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年の2月に再び逮捕された。当初脅迫電話をしたことは否定していたが、証拠として録音された音声が出されると、これを認めた。
・2005年6月に恐喝事件で東京地裁で懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決
・2005年7月にテレビ番組内で、「大麻解禁にしましょうか」と発言し、その後、厚生労働省から注意されたため、「ジョークのつもりだった」と釈明した。
・2011年2月7日に、モデルの冨田リカと結婚。「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語った。晩年は芸能活動の傍ら四国八十八箇所を遍路する等仏教研究に取り組んだ。
・2018年、自身のレコードレーベル『Shoken Records』を設立。
自分がガッツリハマッタのは
テンプターズ 1967-
太陽にほえろ 1972-
傷だらけの天使
股旅 1973
青春の蹉跌 1974
NADJA〜愛の世界 1977
熱狂雷舞 1979
ニューイヤーロックフェスティバル 1979
『その後の仁義なき戦い』1979
この時まではヒーローでカリスマでしたが
1980年にDon Juanのツアーで大阪公演を生身で見て「あれっ?」て思ってからは
客観的に冷静に観察するよーになりました
鴨川食堂(2016年)と不惑のスクラム(2018年)を見たのが最後です
特に何も思わなかったです
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