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2020年11月30日 | 映画・テレビ・動画

杉咲花 関連









浪花 千栄子 本名・南口 キクノ
1907年(明治40年)11月19日 - 1973年(昭和48年)12月22日
大阪府南河内郡大伴村大字板持(現・富田林市東板持町)に、養鶏業を営む家に生まれる。8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出される。その後、京都で女給として働いていたが、18歳のとき、知人の紹介で村田栄子一座に入る。間もなく舞台にも立つようになるが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移る。香住 千栄子の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)に山上伊太郎の初シナリオによる大作『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来順調に役をこなしていく。その後、市川右太衛門、市川百々之助に招かれて帝国キネマにはいり、芸名を浪花 千恵子に変えて、映画出演を続けたが、給与未払いなどもあり映画界から足を洗う。
1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に参加。1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外、曾我廼家十吾らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わる。同年、2代目天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍する。しかし、2代目天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団する。
芸能界から身を引き、同業者にとっては行方不明同様になっていたが、NHK大阪放送局のプロデューサー・富久進次郎が浪花を捜索。その富久に請われて、NHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演し人気を博した。『アチャコほろにが物語 波を枕に』を経て、引き続き『お父さんはお人好し』にも二人で出演、これが長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により映画化もされた。
同時に映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞して以来、溝口監督や木下恵介監督らに重用される。この時期の代表作に、森繁久弥と共演した『夫婦善哉』(1955年)、黒澤明の『蜘蛛巣城』、内田吐夢の『宮本武蔵』、小津安二郎の『彼岸花』などがある。京都嵐山の天龍寺内に旅館「竹生(ちくぶ)」を開き、養女とともに経営。開業直前には、溝口監督に頼まれて『近松物語』(1954年)で共演する香川京子を旅館に預かり、着物の着こなしや立ち振る舞いを指導した。
テレビドラマでも『太閤記』、『細うで繁盛記』などに出演した。
1973年12月22日、消化管出血のため死去。66歳没。没後、勲四等瑞宝章受章。

 
 

 
 
 
 


 
 
 
 
 

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