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Wilko Johnson
(1947年7月12日 - 2022年11月21日)
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英国のギター・ヒーロー、ウィルコ・ジョンソンが75歳で逝去
英国音楽界の生きる伝説であり、その音楽だけではなく、2013年に末期の膵臓癌と診断された状態から驚異的かつストイックに回復したことの両方の点で、多くの人にとってのヒーローだったウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)が、2022年11月23日に75歳で逝去した。享年75だった。
彼のソーシャルメディアのアカウントには、次のようなメッセージが書かれている。
「これは私たちが決してしたくなかった発表であり、非常に重い心境です。ウィルコ・ジョンソンが亡くなりました。彼は11月21日に自宅で旅立ちました。このとても悲しい時に、家族のプライバシーを尊重していただきありがとうございます。RIP ウィルコ・ジョンソン」
(2022.11.23.UDiscovermusic)
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ウィルコ・ジョンソンが75歳で死去
英ブルース・ロック・バンド、ドクター・フィールグッドのギタリストとして長年活躍したウィルコ・ジョンソンが75歳で死去した。2022年11月23日にジョンソンの家族が彼の死を認め、「これは私たちが決して行いたくなかった発表であり、非常に重い心境で行います。ウィルコ・ジョンソンが亡くなりました。11月21日の月曜日に自宅で息を引き取りました。このとても悲しい時に、家族のプライバシーを尊重していただきましてありがとうございます。RIP Wilko Johnson」と綴った。 ジョン・ウィルキンソンとして1947年に生まれたジョンソンは、英テムズ川河口にある殺風景な工業石油都市キャンビー・アイランドで育ち、学校の教師として働いたあとに、ザ・ピッグボーイ・チャーリー・バンドとして活動していた同郷の友人たちとグループを結成した。バンド名をドクター・フィールグッドに改名後(敬愛するジョニー・キッド&ザ・パイレーツによるピアノ・レッドのブルース・スタンダードのカバーが元ネタ)、1971年にライブ活動を始め、ジョンソンがフィンガーピッキングでザクザクと繰り出す独特のカッティング・スタイルとボーカリストの故リー・ブリローの唸るようなボーカルが特徴の「Roxette」や「Back in the Night」などの人気曲や、ブルースのスタンダード曲「Bonie Moronie」や故ウィリー・ディクソンの「You'll Be Mine」のカバーなどで初期の頃に称賛を得た。
ドクター・フィールグッドは“パブ・ロック”と呼ばれることを嫌ったが、騒々しくエネルギッシュなパフォーマンスで知られ、その様子は1976年の全英1位のライブ・アルバム『Stupidity』(当時の邦題は『殺人病棟』)で最もよく捉えられている。バンドは、これまでに十数枚のアルバムをリリースしている。主にカバーやブルースのスタンダード、ジョンソンが在籍していた頃には彼が書いていたオリジナル曲を織り交ぜた内容で、彼は最初の3枚のスタジオ・アルバム(1975年の『ダウン・バイ・ザ・ジェティ』と『Malpractice』[当時の邦題は『不正療法』]、1977年の『スニーキン・サスピション』)と『Stupidity』にのみ参加し、シンガーのブリローとの対立が報じられ1977年にグループから脱退している。 その後、ソリッド・センダースやウィルコ・ジョンソン・バンドを結成し、1980年には英パブ・パンク・ロッカーの故イアン・デューリー率いるザ・ブロックヘッズに短期間参加した。彼は2000年代まで自身の名を冠したバンドで演奏とレコーディングを続け、12枚以上のアルバムとEPをリリースする一方、世界的人気ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の4エピソードで口がきけない処刑人サー・イリーン・ペイン役を演じるなど、時には俳優としても活躍した。指で弾くために血が吹き出すこともあった特徴的なカッティング・スタイルと、無表情で目を見開くステージ・パフォーマンスで、セックス・ピストルズ、ギャング・オブ・フォー、ザ・ジャム、ザ・クラッシュなど、英国のパンクやポスト・パンクのバンドマンたちに影響を与えたと言われており、ステージ上の表情や風変わりなスタイルを真似されることもしばしばだった。 2012年11月に体調不良で公演を直前にキャンセルしたジョンソンは、2013年1月に末期の膵臓がんと診断されたと発表した。医師から余命1年未満と告げられたため化学療法を見送ることを選択したと明かした彼は、2014年3月にザ・フーのロジャー・ダルトリーと“最後の”とされるアルバム『ゴーイング・バック・ホーム』をリリースした。その後、実は誤診されていたことや、同年末に腹部にあった巨大な腫瘍を取り除く長時間の手術を受け、がんではなくなったことを報告した。 ジョンソンは亡くなる数週間前までライブ活動を続けていた。報道時点では死因は明らかにされていない。
(Billboard Japan2022.11.24)
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英ギタリスト、ウィルコ・ジョンソンさん死去
パンク誕生に影響
(2022年11月24日 朝日新聞)
英ミュージシャンのウィルコ・ジョンソンさんが21日、死去した。75歳だった。本人の公式ツイッターが伝えた。
1970年代にバンド、ドクター・フィールグッドのギタリストとして活動。ピックを使わずにコード(和音)をかき鳴らす独特のスタイルで人気を集めた。英国でのパンクロックの誕生に影響を及ぼした。
日本でも人気が高く、ウィルコ・ジョンソン・バンドとして来日を重ね、フジロックフェスティバルにも出演した。「シーナ&ロケッツ」のギタリスト・鮎川誠さんと親交が深く、来日時などに共演を重ねた。
2014年には、英バンド、ザ・フーのボーカル、ロジャー・ダルトリーと共作したアルバムが話題になった。
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Dr. Feelgood
『ダウン・バイ・ザ・ジェティ(Down by the Jetty)』
『不正療法(Malplactice)』
『殺人病棟(Stupidity)』
『ウォッチ・アウト(Watch Out! (Live in London))
鮎川誠のソロアルバム『ロンドン・セッション#1』『ロンドン・セッション#2』
2004年4月、恋人時代も含め40年間を共に過ごした最愛の妻、アイリーンが大腸癌に冒されていることを告げられる。急遽、日帰りできないギグと海外公演を全てキャンセルし、ウィルコはアイリーンに付き添ったが、アイリーンは告知からわずか4ヵ月後の8月4日の早朝、ソールズベリーのホスピスで静かに息を引き取った。
2013年1月10日、南青山レッドシューズで一夜限りのセッション「Wilco Johnson Tokyo Session 2013」を開催。ベンジャミン・テホヴァル、シーナ&ザ・ロケッツ、奈良敏博、市川JAMES洋二らが参加。
2022年11月21日、夜に自宅にて逝去。享年75歳。
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