すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

富岡八幡宮

2018年12月21日 | ヒトゴロシ

富岡八幡宮へようこそ
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TEL 03-3642-1315 FAX 03-3642-5580

富岡八幡宮

富岡八幡宮殺人事件2017年(平成29年)12月7日
東京都江東区富岡八幡宮


1994年(平成6年)10月に盛彦の息子である第19代宮司が体調を崩して引退し、その長男が1995年(平成7年)3月に第20代宮司となったが、1999年(平成11年)以降に金遣いの荒さや女癖の悪さなどが問題化し、2001年(平成13年)5月に解任され、先代の第19代宮司が宮司として復帰する。第20代宮司は勘当状態となった後、新たに後継者とされた姉や父たちを恨んで脅迫を行ったり怪文書を撒いたりするなどしており、2006年(平成18年)に脅迫罪で逮捕されている。

《今年中に決着をつける、覚悟しておけ。積年の恨み、地獄へ送る》
2006年、茂永容疑者がそう綴ったはがきを長子さんに送り、脅迫罪で逮捕された。

2010年(平成22年)に第19代宮司が引退したため、富岡八幡宮はその長女を宮司として任命するよう神社本庁に具申していたが、正式な宮司への就任具申が3度にわたり認められなかったため、長女が「宮司代務者」となる宮司空席状態が7年ほど続いた。そのため、富岡八幡宮は2017年(平成29年)9月に神社本庁からの離脱を決定し、単立神社となり、長女が第21代宮司に就任した。別表神社としては、2010年(平成22年)の気多大社、2013年(平成25年)の梨木神社に続く本庁離脱となり、神社本庁のトップまで務めた有力神社の離脱として話題となった。

しかし2017年12月7日、第21代宮司とその運転手が、第20代宮司とその妻に日本刀で襲われ、第21代宮司は死亡し、運転手は重傷、第20代宮司は妻を殺害した後に自殺した。警察は、実姉が正式に宮司となったことに対して第20代宮司が自暴自棄になったものと見て、捜査に当たった。富岡八幡宮は同月9日、緊急の責任役員会議を開催、宮司の補佐や代理を務めていた丸山聡一・権宮司を宮司代務者にすることに決め、2018年(平成30年)8月に丸山がそのまま第22代宮司に就任した。


帰宅した宮司の富岡長子さん(享年58)に、弟で元宮司の富岡茂永容疑者(享年56)と、妻の真里子容疑者(享年49)が襲いかかった。
茂永容疑者は車に逃げ込もうとした長子さんを引きずり出し、刃渡り約80cmの日本刀で後頭部や胸などを切りつけて殺害。その場から逃げた運転手も、100mほど離れた場所で真里子容疑者に切りつけられました。運転手の右腕は、切断に近い状態だそうです。その後、茂永容疑者は長子さんの自宅前に戻ってきた真里子容疑者の胸や腹を刺して殺し、続いて自らの心臓をサバイバルナイフで串刺しにして自殺しました。その間、わずか5分の凶行

9日、茂永容疑者が姉への恨みを綴った手紙が関係先20か所以上に届いた。

《さて、先ずは約30年に亘り続きました、富岡家の内紛について、その真相を此処にお伝えさせて頂きます》

《もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます》


 

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