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すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

不知八幡森 やわたしらずのもり 八幡不知森

2017年08月17日 | 社会

八幡の藪知らず
〒272-0021 千葉県市川市八幡2丁目8

R14号線沿い「八幡の藪知らず」 2010

SDアナイス不知八幡森

帝釈天ユノア不知八幡森


市川市|葛飾八幡宮と文化財
八幡の藪知らず

国道14号線をはさんだ市役所の向かいに、鳥居と祠に護られた小さな竹藪があります。これが有名な「八幡不知森(やわたしらずのもり)」で、広辞苑にも「八幡の藪知らず」の項目があり、「ここに入れば再び出ることができないとか、祟りがあるといわれる。転じて、出口のわからないこと、迷うことなどにたとえる」とあり、江戸川乱歩の「孤島の鬼」や夏目漱石の「行人」等、さまざまな小説にも、迷い込んで出られなくなることの喩えとして使われています。
※詳しくは図書館の「市川の文学データベース」で「藪知らず」で検索してみてください。

この喩えの元になった、さまざまな伝承が残されています。
•日本武尊(やまとたけるのみこと)が陣所とした跡だから入ってはいけない。
•葛飾八幡宮を最初に勧請(神仏の分霊を他の場所に移して祭る)した神聖な土地だから入ってはいけない。
•平将門(たいらのまさかど)が朝廷軍と戦ったとき、将門軍の鬼門に当たった場所が不知森だった。
•平将門平定の折、平貞盛(たいらのさだもり)が八門遁甲(はちもんとんこう、占星術によって吉凶を占い、周囲の人目をくらまし身を隠す妖術)の陣を敷いたが、平定後もここにだけ将門軍の死門(あの世への関門)の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。

 ※伝説や言い伝えについては、「市川のむかし話」(市川民話の会 編集・発行)を参照。また図書館の「市川のむかし話データベース」で「やぶしらず」で検索してみてください。

特に、最後の伝承について、この話を聞いた徳川光圀(水戸黄門)が馬鹿げた話だと藪に入ったところ、白髪の老人が現れ「戒めを破って入るとは何事か、汝は貴人であるから罪は許すが、以後戒めを破ってはならぬ」と告げたといい、この話は三枚綴りの錦絵になって全国に広まりました。



史実を見ると、この地が行徳の入会地(いりあいち、村やなどの村落共同体で総有したことで、入会権が設定されている山林原野または漁場など)であり、八幡の住民はみだりに入ることが許されなかったので、「八幡知らず」と言われたのが藪知らずになったのではないかと言われています。

【神隠し】入ってはいけない森「八幡の藪知らず」 NAVER

千葉県にある神隠しの森「八幡の藪知らず」とは? NAVER


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