すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

ビッグ・ビル・ブルーンジーのフォーク・ブルース50曲

2017年10月22日 | 音楽

ビッグ・ビル・ブルーンジー
アンソロジー

Big Bill Broonzy
Anthology 2-CD
Double CD anthology presenting 50 great original recordings from Big Bill Broonzy,
one of the most influential artists of the Chicago Blues style.

マディー・ウォーターズの1960年に出したアルバムでビッグ・ビル・ブルーンジーの事がどーしても気になり
YOU TUBE見たり 評判を聞くと良さげだったので アマゾンさんで速攻ポチ

ぶわっとしてるMuddy Waters 「Sings Big Bill Broonzy 」

Big Bill Broonzyのギター

Anthology
クリエーター情報なし
Not Now UK



速攻で届いて 速攻で聴いてみると
これがもー抜群に聴きやすくってヨイ

楽曲の良さはもちろん
音数の少なさ(基本弾き語り +小編成バンド)
音の良さ
ひつこくくどくない歌声
そして素晴らしく歯切れの良いギター
リズムもソロもよし
これぞ弾き語り

これはしばら聴き込める
お世話になるアルバムである

紹介してくれたマディー・ウォーターズに感謝
そして偉大なるビッグ・ビル・ブルーンジーに感謝

ビッグ・ビル・ブルーンジー(Big Bill Broonzy , 1893年または1898年6月26日 – 1958年8月15日)



DISC 1
1Where The Blues Began
2Key To The Highway
3John Henry
4Big Bill Blues
5Martha Blues
6Saturday Evening Blues
7Glory Of Love
8Backwater Blues
9Little City Woman
10You Changed
11How You Want It Done
12By Myself
13Jacqueline
14Hollerin' Blues
15Willie Mae Blues
16C.C. Rider
17South Bound Train
18Mopper's Blues
19Lonesome
20Mississippi River Blues
21Mindin' My Own Business
22Never Never
23Bill Bailey
24Get Back
25Careless Love

DISC2
1Whiskey and The Good Time Blues
2Midnight Special
3I Know She Will
4Five Feet Seven
5Stump Blues
6Preachin' The Blues
7Water Coast Blues
8Lonesome Road Blues
9Hey Hey
10Crawdad
11Walkin' The Lonesome Road
12I'm Gonna Move To The Outskirts
13Shine On Shine On
14San Antonio Blues
15I Don't Want No Woman
16Diggin' My Potatoes
17Tell Me Who
18Tomorrow
19Sweet Honey Bee
20Wee Wee Hours
21Romance Without Finance
22Old Man Blues
23Make My Get Away
24I Feel Like Crying
25Sad Letter Blues




ブルーンジーは最初にソロのシンガーとして1929年に録音し、そのスタイルで録音を続けた。1936年彼は、トラップス(ドラムス)とアコースティック・ベースと、ひとつ以上のメロディ楽器(ホーンもしくはハーモニカ)で構成された小さなグループを使った、最初のブルース歌手の一人となった。これで録音された盤は、通常は「ビッグ・ビルと彼のシカゴ・ファイブ(Big Bill and his Chicago Five)」名義でリリースされた。当時、ブルーンジーはARCレコーズ系列のより安いレーベル(メロトーン、パーフェクト・レコーズなど)で録音していた。1939年、ARCがCBSに吸収されて、ブルーンジーはヴォカリオン(後のオーケー)に現れ、1945年以降はコロンビア・レコーズに移った。彼の最も知られた曲のひとつ、「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」はこの頃に書かれた。彼の人生の大半では、寝台車のポーター、コック、鋳物工、守衛をして収入を稼いでいた。
この時期、ブルーンジーは通常サウスサイドのクラブで演奏し、また1930年代の間はメンフィス・ミニー(w:Memphis Minnie)と共にツアーをした。第2期のアメリカ音楽家連盟(w:American Federation of Musicians)が1948年に解散すると、ブルーンジーはマーキュリー・レコーズのレーベルとの契約を結ぶ機会に恵まれ、そこで彼は1951年にレコードを制作した。その後、ブルーンジーはフォーク・ブルースのルーツに戻り、1956年初めまでヨーロッパ中を広範囲にわたってツアーし、そして録音した。さらに英国で紹介されたことが、彼の知名度を大きくアップさせた。ブルーンジーの演奏を見た英国の聴衆は、彼の演奏技術に驚嘆の声をあげたと伝えられている。彼はシカゴ・ブルースのスタイルのパイオニアであり、1942年の初めにはエレクトリック楽器を導入していたにもかかわらず、彼の新しい白人の観衆たちは、彼にアコースティック・ギター一本だけで初期の曲を演奏するのを聞きたがり、それらの曲がより「正真正銘」であると考えられた。ブルーンジーは1956年にシカゴに戻り、演奏を続けた。スタッズ・ターケル、ウィン・ストラックとブルーンジーは「I Come for to Sing」と呼ばれるフォーク音楽の批評のツアーをした。ブルーンジーはシカゴのオールドタウンスクール・オブ・フォークミュージックを設立した教員の一人であった。ターケルは彼をこのグループの重要人物と評した[2]。ブルーンジーは開校の初日の夜に現れて、最初のクラスに彼の曲「The Glory of Love」をどのように歌うのかを教えた[3] 。
彼は1958年に咽頭癌で亡くなり、イリノイ州ブルーアイランドのリンカーン墓地に埋葬された[4]。彼のフォーク・ブルース時代の間、彼はピート・シーガー(w:Pete Seeger)、ソニー・テリー(w:Sonny Terry)、ブラウニー・マギー(w:Brownie McGhee)、レッドベリーらと録音した。彼の初期のARC/CBSでの録音物に相当する曲は、CBSソニーの名曲集で再リリースされている。同じく、他の初期の録音は、後期のヨーロッパとシカゴでの1950年代の録音物と同様に、ブルース再発レーベルにまとめられている。
ブルーンジーは彼の1950年代初期の同時代の他の人のように華々しいエレクトリックのギタリストでは決してなかったので、彼はその時代の他の人ほどには有名ではなく、また1960年代の英国の「ブルース・リバイバル」の時期にも広範囲にわたってカバーされなかった。しかしながら、デレク・アンド・ザ・ドミノスが彼の曲「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」を、アルバム「いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)」で取り上げたことで多少の人気を得た。彼はアコースティックギター奏者として称賛されていて、マディ・ウォーターズ、メンフィス・スリム(w:Memphis Slim)、レイ・デイヴィスらの主なインスピレーションの源であった。
2007年9月のQ-Magazineでは、ローリング・ストーンズのロン・ウッドが、ギター音楽の中で彼のお気に入りがブルーンジーの曲であると言及された。その曲は「ギター・シャッフル」で、「それは俺が演奏を学んだ最初の曲のひとつだけど、今でもそれを正しく演奏できないんだ」と語った。

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