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性犯罪やめられない男  

2019年12月06日 | ヒトゴロシ
女児わいせつで懲役7年 二審、平成4年に中学生2人殺害 福岡高裁
(2019.6.18 産経WEST)

7歳女児への強制わいせつ致傷罪などに問われた無職、寺本隆志被告(66)の控訴審判決で、福岡高裁(野島秀夫裁判長)は18日、裁判員裁判で審理し懲役7年とした一審長崎地裁判決を支持し、被告の控訴を棄却した。
被告は平成4年に女子中学生2人を殺害した罪などで服役していた。
 
一審判決によると、昨年6月、長崎市で下校中の女児を襲い、腰や尻に軽傷を負わせた。昨年5、6月には別の女児2人の運動靴や下着などを盗んだ。

被告は4年、東京都と長崎市で女子中学生2人を殺害。起訴されて公判中にもう一つの事件を告白したため別々に審理され、東京の事件で懲役17年、長崎の事件で同15年の判決を受けた。





性犯罪やめられぬ男の本音  女子中学生2人殺害、出所後も繰り返す過ち「やらない自信ない」
(2019.12/6  47NEWS)

「刑務所に戻りたくない」。しかし「二度とやらないという自信はない」。2019年2月、長崎拘置支所(長崎市)で記者と接見した男は、160センチに満たない小柄な背中を丸めてさらに小さくし、うつむきがちにつぶやいた。18年6月に起こした7歳の女児への強制わいせつ致傷などの罪に問われた男は、過去に女子中学生2人の殺害で服役。出所後も性犯罪を繰り返していた。19年2月から始まった接見や手紙のやりとりで打ち明けた心情から、記者は性犯罪の再犯を防ぐ難しさを痛感した。

 男は妻子と同居していた1992年、東京都北区で「恋仲だった」という女子中学生を刺殺。逃亡先の長崎市でも別の女子中学生の体を触った上で殺害した。約20年の服役を終えて出所した2013年ごろ、移り住んだ広島市で強制わいせつ事件を起こして懲役4年の実刑に。18年1月の出所後に故郷の長崎に戻り、同年6月に路上で女児を襲うなどした容疑で逮捕された。

鳥元竜次受刑者(66)=仮名、上告棄却で19年10月に懲役7年確定=と初めて接見したのは、長崎の事件の公判が始まる少し前だった。

整った短髪に眼鏡、グレーのジャケット姿。面会室のガラス越しに柔和な表情で話す姿は、どこにでもいる高齢者にしか見えない。
なぜ罪を繰り返してしまうのか。自己紹介もそこそこに切り出すと、こう答えた。「ストレスがたまると過去の犯罪を思い出し、性的な衝動が抑えられなくなる。被害者には、本当に申し訳なく思っている」。そして、ゆっくりとした口調で身の上話を始めた。面会が許される時間は1日30分。記者は連日のように拘置支所へ通った。

 彼の話によると、23歳の時に恐喝などの罪で4年ほど服役した後、長崎市の飲食店に就職。そこで働いていた女性と結婚し、2児をもうけた。東京に引っ越して「家族のために寝る間も惜しんで働いた」。だが、夫婦のすれ違いが始まり、同じマンションに住む女子中学生へ愛情を向けるようになったという。1992年3月、最終的に殺害に至り「この事件で自分の中の何かが壊れてしまった」。

当時の有期刑の上限は懲役20年。長崎での殺人は東京の事件の公判中に発覚したため別々に審理され、死刑を求刑されずに済んだ。出所後の広島市での生活については「孤独だった」「居場所がなかった」と繰り返す。広島市で起こした事件は「言ってしまえば憂さ晴らしだった。精神的に落ち込むと、自分より弱い人を突発的に襲ってしまう」。

そうした自身の特性は、広島の事件で服役中に受講した再犯防止プログラムで自覚した。他の受刑者らとグループを組み、自分が罪を犯した背景や被害者の気持ちを話し合った。カウンセラーに指導を受けながら、衝動を覚えた際にどう対処するかを考え、箇条書きで紙に記した。昨年1月に出所して長崎に戻ってきた後も、肌身離さず持ち歩き、何度も読み返していたという。

 「自己分析できたし、もう繰り返さないと思っていた」。ところが、半年もたたずに再犯。「故郷の長崎に戻ったのに、親族や近所の人に拒絶されて孤独感が募った」「なぜ寂しいと性犯罪に走るのか、自分でもよく分からない」。そう語った後に「病気ですよね」と諦めたようにぽつり。「獄中で死にたくない。出所後は治療施設に入りたい」と口にする様子は、投げやりにも見えた。

彼が受けたプログラムは2006年に法務省が導入した。12年の検証では、受講者の再犯率が未受講者より2・6ポイント低くなっているが、根絶には遠い。大阪府や福岡県では、18歳未満への性犯罪で服役した元受刑者に住所などの届け出を義務付けた条例が成立。海外には性犯罪者の体に衛星利用測位システム(GPS)を装着する国もあり、新潟県議会でも導入を求める意見書が可決された。

監視を強めて再犯を防ごうとする風潮を、当事者はどう受け止めているのか。記者が質問すると、カッと目を見開き、怒りの表情で答えた。「人間には最低限のプライドがある。そこまで落ちるなら、誰にも迷惑を掛けない方法で命を絶ちますよ」

 2月下旬、長崎地裁で言い渡された一審判決は懲役7年。翌日の接見では、記者の顔を見るなりまくし立てた。「判決は重すぎる。私の主張が無視されている」。興奮した様子に思わず聞き返した。「反省していないのですか」。それでも冷静さを取り戻すことはなかった。「被害者には悪いと思っているが、納得できない気持ちの方が強い」。控訴したが福岡高裁は6月、一審を支持する判決を言い渡した。

4月下旬、移送先の福岡拘置所から記者のもとに手紙が届き、文通が始まった。便箋2枚に丁寧な楷書体の文字で近況がしたためられていた。一審の判決翌日の態度は「心が動揺していて自覚が足りなかった」。「今は平静を取り戻しつつある。徐々に自分を見つめ直していくつもり」とし、再犯防止についても「これまでとは違った対処法が必要かもしれないと改めて思っている。GPS導入も有効かもしれない」とつづっていた。

 その後の手紙でも「事件に関しては私が全て悪い」などと反省を述べていた。だからこそ、二審判決後に上告した際は驚いた。記者は手紙で真意を問いただし「一日でも早く社会復帰できるよう、すぐに服役して罪を償うべきでは」と提案した。返信には「(主張が)何ら考慮されていないことに反発しているのは事実」「(記者が)言っていることも実際はよく分かってはいるが…」と記されていた。

 文通は続いていたが、11月になって拘置所に送った手紙は「受取人不在」で返ってきた。後になって最高裁が上告を棄却し、10月12日に懲役7年を確定させていたことが分かった。今、どこの刑務所で服役しているのかは分からない。

最近のやりとりは金の無心とそれを断る返事の応酬が主だったが、生い立ちを明かしてきたこともある。稼ぎのほとんどをギャンブルで失った父が母に暴力をふるい、止めに入った被告は「激しく蹴られ、たたかれた」。「そういったことが何十回となくあった」。家は貧しく「わずか数百円が全財産で、一日の食費の全てだった」。学校では「兄の非行が原因で偏見を持たれ、クラスでのけ者にされた」。家族とは絶縁状態だと強調し「私は長い長い服役中、全くの孤独だった」。

 数年後、彼は社会に戻ってくる。その時に、どうすれば再犯をさせないようにできるのか。私たち一人一人が考えなければならない。もしかしたら、あなたの隣人になるかもしれないのだから。
 
印象的だったのは、鳥元受刑者が自身の犯罪傾向や性格上の欠点を明確に自覚していたことだ。それでも罪を繰り返した。現行の再犯防止策の限界が露呈したとも言える。「分かっていても止められない」というのは、彼一人で解決できる問題ではないことの証明だ。

もちろん動機に酌量の余地はない。身勝手な自己弁護を並び立てる姿には、怒りを覚えた。だが、いくら憎んでも再犯は防げない。彼や彼と同じように罪を重ねる人たちを、社会はどう受け入れるべきなのか。建設的な議論が進むことを望んでいる。


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