「銀輪の覇者」斉藤純著 ハヤカワ文庫
途中経過
面白エピソード満載
ブラマンク(佐伯祐三の師匠)が自転車乗りだったなんて、たまげました
上巻一気に読み終わったところです
やっぱりハヤカワゆーぐらいやからミステリーです
色んなエピソードが実用自転車にからまりついてきて レース
とてもイイ感じの展開です
自分的にはもっとブラマンクの一生を調べてみたくなりました
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ヴラマンク
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Maurice de VLAMINCK
1876年4月4日、パリの音楽家の家に生まれる。
父親はフランドル出身で「ヴラマンク」はフランドル人を意味する。パリ近郊セーヌ河畔の町シャトゥーで育つ。家は貧しく、幼少時からさまざまな仕事を経験する。若い頃は自転車の選手やヴァイオリンの教師として生計を立てたこともあり、絵画についてはほとんど独学であった。
偶然に知り合ったドランとは1900-01年と1904-05年にシャトゥーに共同のアトリエを持つなど親密に交流し、自由奔放な色彩でしばしばいっしょに制作する。(シャトゥー派)。ファン・ゴッホの強い影響のもとにフォーヴィスム運動に参加しその展開に重要な役割を果たした。ただし、真の意味でフォーヴィスムの画家として活躍するようになるのは、1905年のサロン・ドートンヌ以降のことと考えられており、その後、他のフォーヴの画家たちとともにサロン・ドートンヌだけでなくサロン・デザンデパンダンにも積極的に出品している。
フォーヴィスム期を過ぎると、次いで1908年頃よりセザンヌの影響を受け、構成的画風に転ずる。画面からはそれまでの強烈な明るい色彩が消え、青や茶色を中心にした暗い色彩が多用されるようになる。構図にセザンヌの影響が明かなこの時期の作品では、厚く塗られた絵具や強いハイライトが特徴的であり、スピード感のあるすばやいタッチで、ダイナミックな風景や静物が題材とされている。
代表作『赤い樹』(1906、パリ、国立近代美術館)など。水彩画の作品も多く、版画も手がけている。
Le Tournant dangereux、1929(危険な曲り角)をはじめ、絵画についての著述も多く、小説や誌も書いた。
1958年10月11日、リュエイル=ラ=ガドリエールで歿。
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この他には、小説のセカンドウインドゥとか、漫画のバイキングスとか好きなんですけど…。でも、吉原さんの趣味に会うかどうか…?
よろしかったら、また、辛口コメント聞かせて下さい。
漫画の方はどーも、どれもこれも、あの絵柄が受け付けないんでんなー、オーバードライブも途中で止めちゃったしー、やっぱし水島慎司先生の「輪球王トラ」しかあきませんなー