10月27日のこと、鹿児島の777さんから枕崎市の美味しいものが山のように届いた。のおつまみにどうぞとメールも。
早速「戻りかつお」の刺身をいただくことに。もちもちっとなんと美味しいこと。
かつおのheartの燻製
歯ごたえといい、塩加減が最高
同封の㈱枕崎市かつお公社のパンフには
かつおが一番早く着くまち枕崎。
枕崎は古くより日本有数のかつお漁業の基地として栄えております。また、かつお節の生産量は、現在日本一を誇っております。
とのことでした。
goo地図で枕崎確認
10月27日のこと、鹿児島の777さんから枕崎市の美味しいものが山のように届いた。のおつまみにどうぞとメールも。
早速「戻りかつお」の刺身をいただくことに。もちもちっとなんと美味しいこと。
かつおのheartの燻製
歯ごたえといい、塩加減が最高
同封の㈱枕崎市かつお公社のパンフには
かつおが一番早く着くまち枕崎。
枕崎は古くより日本有数のかつお漁業の基地として栄えております。また、かつお節の生産量は、現在日本一を誇っております。
とのことでした。
goo地図で枕崎確認
10月12日のこと青森のfunaさんからりんごが届いた。
りんご箱のふたを開くと甘酸っぱいりんごの香りが何とも心地よい。
赤いりんごは「フジ」、黄色いりんごには「とき」と手書きのシールが貼られていた。「とき」というりんごはきっと初めて。funaさんに御礼の電話をすると「とき」は「王林」と「ふじ」の交配とのこと。まだ早いから味はどうかなぁと心配そうな表現。早速いただくと、甘酸っぱく歯ざわりよくとても美味しいこと。
「とき」について検索すると下記
http://homepage3.nifty.com/malus~pumila/appls/toki/toki.htm
よく分かりました
金龍山・雷門
撮影は2009年9月13(日)、14(月)日
雷門内側から
雷門・仲見世・浅草寺 google地図で見る
明治13年神谷傳兵衛創業 浅草神谷バーでアサヒビールの屋上の「炎のオブジェ」を眺めながらお食事。バスガイドさんの説明では「躍進するアサヒビールの心の象徴、本当は垂直に立てたかったのだけれど建築法の関係で横にした」のだとか
仲見世の様子
宝蔵門
「宝蔵門」の一対の金剛力士。左(上写真)は蜜迹(みつしゃく)金剛、右(下写真)は那羅延(ならえん)金剛
五重塔
浅草寺本堂左側の阿弥陀如来像
17時19分(拡大166kb)
10月2日の松山は、朝から雨が降っていてなんだか暗い一日。
17時18分、町が銀色に輝いていたので「あれぇぇ」と不思議に思い西の空に視線を移すとまぶしいばかりの太陽が、垂れ込めた分厚い雲の隙間から顔を覗かせていて、今日の雨ですっかり埃が落とされた町を浮かび上がらせていた。そのとき東の方角一面に大きく弧を描く見事な虹に遭遇
この日は「待宵(まつよい)」中秋の名月の前夜
この空模様では月は見られそうもないとあきらめていた
17時20分の動画
弧が大きすぎるので動画をぱらぱらgifアニメに収めた
西の空が白くまぶしい (クリックで拡大)
ちょっと控えめに右側に副虹
17時29分
虹に気付いて15分間、みごとな弧を描いていた
虹について目から鱗が落ちた2006年8月28日へ
副虹虹がふたえに200年8月27日へ
10月3日(旧暦8月15日)は一年でもっとも美しい月が見られるという夜。この夜に出る月は、中秋の名月といわれ各地で観月会などのイベントで楽しみにされている
待宵(まつよい)名月を待ちこがれる前夜
十五夜の前夜、8月14日の夜のこと名月の前夜、空には限りなく満月に近い月がかかります。明日もこんな風に晴れればいい。今夜のように美しい月が見られるといい。そんな願いを込めて名月を待つ夜を過ごしたのでしょうか。明日は雨かもしれないという心配も含まれていたのでしょう。その思いが「待宵」という美しい言葉を生みました十六夜(いざよい)満月の翌日、十六日に出る月を「十六夜」といいます。「ためらう」「進もうとも留まろうともしきれないでふらふらとする」という意味の「いざよう」という言葉が元になった月。これは空を見上げたときにほのかに欠けた月の形に、満月の前なのか後なのか判断がためらわれるからということと、十五夜よりも遅い時間にためらいがちに昇ってくる月だからということ、二つの意味を併せ持つ言葉として使われてきました。現在よりも夜が遥かに暗い時代。月や星の明かりで人々は外を歩き、歌や楽器の遊びを楽しみました。特に満月とその前後の月は皓々と明るく美しく空を照らしていました。
昔の人々にとっては、空を見上げて、月や星の美しさを愛でることは何よりの喜びだったのでしょう。月で暦をつくり、詩や歌をつくり、月は生活のごく身近に存在していました。立待月(たちまちづき)十六夜よりさらに遅れての登場
十五夜が過ぎて2日、旧暦8月17日の月は「立待月」と言い習わします。十五夜よりも少し月の出が遅くなるため、「立って待っていると出てくる月」という意味でつけられたのです。旧暦の月の名前は、ほかにも居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)といった呼び方があります。それぞれ18日、19日、20日の月のことです。日が進むにつれて月の出が遅くなり座って待ち、寝て待ち、夜更けまで待ちしないと月が見られないということです。
~~美しい日本語帳(永岡書店)より抜粋
10月3日18時08分伊予灘方面の美しい夜景を見ながらの中秋の名月。月見団子に「坊ちゃん団子」を掲げてちょっとおふざけ。
坊ちゃん団子と中秋の名月
くるりんとライトアップされた松山城(クリックで拡大)
18時08分はまだくるりんもライトアップされていた
巷で話題のじゃこてんをカツに仕上げた「じゃこかつ」
ショップカーが中秋の名月の下にお目見え
3日と4日にはライトアップされた松山城で観月会のイベント。
3日の夜は名月を引き立てるためなのでしょうか、いつもあでやかな輝きを放つ「くるりん(観覧車)」は「中秋の名月」に一歩譲ってか、気がつくと消灯されていました。
赤い三日月・8月26日へ(月の変化)
takeoさんが他界して37回目の法要が10月3日に営まれた。
takeoさんは大正11年7月3日生まれ。昭和48年10月25日、51歳という若さで突然逝ってしまった。今も元気で居てくれたらまだまだ御歳87歳。お元気で活躍の方が周りにはたくさん。37回忌となると在りし日のtakeoさんを偲ぶよりもみんなが集まって賑やかな法要でした。若くして他界することは無念の一言。
takeoさん 終戦記念日に2008/08/15へ
懐かしいtakeoさんの同窓会へ