但馬に吹くみどりの風 粟鹿山の麓に舞うオオムラサキ    

地球規模で自然と人間が共生できる社会を理想とし、全世界でその実現を追い求める多様な活動の情報を発信していく。

伊勢神宮の式年遷宮と混交林施業

2016-09-21 22:12:17 | 里山の再生

 ドイツ南西部の「黒い森」。背の高い、もみやとうひなどの針葉樹の森が続き、うっそうとして一年中暗いことから、その名がつけられた。日本にも似たような「暗い森」が国中にあり、日々増殖している。1960年代から増えたスギ、ヒノキの人工林である。ドイツのそれは、燻製の生ハムやサクランボ酒、さらには精密工業を生み出し、世界的な観光地になっているが、日本の方は厄介者扱いで、放置されている。しかし心ある人たちは、この森をなんとかして広葉樹との混交林に出来ないかと、試行錯誤の努力をしている。私たちあわがオオムラサキの会も、蝶の飼育活動をしながらそれに取り組んでいる。
 そうした中の一人、東北大学教授の清和研二氏は、3年前に著した「多種共存の森」という本の中で、一筋の光ともいえる、ズシッとくるエピソードを紹介している。
 
 伊勢神宮では、式年遷宮といって、20年ごとに社殿を造り替えるという行事が690年以来、絶えることなく続けられている。これには長大な大径材が絶えずいる。宮域林ではha当たり50本の大樹候補木を決め、200年伐期というまさに長期の計画で直径1㍍を越える大木に育て上げる森林経営がされている。競合する二,三等木は早めに伐られ、その強間伐によってできた広い空間には、多くの広葉樹が侵入し成長する。それらの広葉樹は、高く枝打ちされたヒノキの下枝を越えるほどにのびて育ち、ヒノキの成長を妨げない限り伐られないという。しかし樹齢200年の木を育てる目的の森に、なぜ広葉樹の木も伐らずに一緒に育てていくのか。
 神職で営林部次長の肩書きの方の答はこうである。「宮域林は神域であり日本神道では自然そのものが神様であります。ヒノキばかりの山ではなく、本来の自然の景観を取り戻すことも大事なことです」。
 神道の理念から言えば、針広混交林の森づくりは当然の施業。多くの神々が宿る豊穣な森を取り戻す、心技一体の道というわけである。
 とはいえ伊勢神宮では江戸時代に入ってから、自然林としての宮域林の大径木が枯渇しはじめた。それにお伊勢参りの人々への薪炭林の提供で禿げ山同然になった。神宮の中を流れる五十鈴川は氾濫が頻繁に起きるようになり、大正7年の大洪水を機に森林学者をまじえての森林経営計画がつくられた。その5年後には、①神宮に相応しい景観の保持、②五十鈴川の水源涵養、③遷宮用材の確保という総合施策が策定された。その結果、今では世界に誇れるような針広混交林が生まれた。

 清和氏は、この神宮施業の根底には「自然を敬うという日本古来の伝統的な自然観」があり、それが混交林施業の成功を導いたと述べている。
  後先(あとさき)を考えて仕事せよ、とは古来からの教え。それが今は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮がはびこる。自然にある動物も植物も、すぐ金になるものだけを育てようとする。それ以外のものには絶滅しようが目もくれない。
 この発想は一体どこから出てきたのだろうか。戦後の新しい近代的テクノロジーの中には、途方もない大きな落とし穴がある。
 逆に伝統文化など日本的で不合理・非効率と見られる手法・思考の中に、今日の社会が直面する現代的課題を解くヒントとなるものが沢山ありそうだ。そのことが、一段とはっきりと見える時代が来たように思う。 

 

 

 

 


  


書評「雑木林のなかを飛ぶ オオムラサキ」

2016-09-07 20:11:55 | メディアの紹介・批評

 「雑木林のなかを飛ぶオオムラサキ」
                                        高橋 健・文  海野和男・写真
                                                   1980年 講談社発行
 この本は1980年の発行だが、古本で手に入ることがある。本書は子ども達に動物と人間がともに生きることの大切さを理屈としてでなく、生き方として掴ませたいという願いで編集された「自然観察物語」シリーズの1冊。著者は動物雑誌の編集の仕事を通して、全国で野生動物の棲む場所が急速に減ってきた現実をつぶさに見てきて、自らもかれらの生息環境を守るための市民運動に取り組んだ 。
 物語の舞台は、山梨県北巨摩郡長坂町日野原、現在の北杜市。ここには全国一の規模を誇るオオムラサキ飼育センターがあり、大型飼育ケージを核に、クヌギの雑木林づくりがヘクタール単位で展開されている。
 物語は東京に住む著者がオオムラサキを追いかけているカメラマンの案内で、日野原を訪れたところから始まる。そこで見た光景は、子どもも大人も竹ざおを振り回し、捕獲をただ楽しむだけの姿。その足元には、「成虫や幼虫をみだりにとると罰せられます」と書かれた、山梨県の立てた「自然記念物」の立て看板があった。

 著者は理想と現実のあまりの隔たりに愕然とした。先輩格のカメラマンの「オオムラサキが一番困るのはこの雑木林がきられてしまうことじゃないですか」という助言を受け、気を取り直して、以後、日野原通いを始めて行く。現地の少年と知り合いになり、幼虫・成虫観察の仕方のノウハウを教え、協力してオオムラサキの生態の特徴を把握していく。
 この部分の展開が実に面白い。中央構造線の断層地形の上で、雑木林とエノキとの分布に違いがあることに気付く、雑木林の中でも特に昆虫のエサ場になっているのは「台木」という、クヌギ。幹の途中から数本の太い枝が伸びている。たきぎ用として使うために、わざとそうしているのだ。それらの枝の股が裂けて樹液がしみ出ている。そうしたオオムラサキにはまたとないエサ場の木も、石油への燃料革命の中で無用の長物として伐られていく。

  色んな生き物が減る→生息環境が壊される→人間の居住環境も悪化していく。時代背景も押さえた著者のこうした問題意識の下で、少年との生態観察が日々発見の物語として展開される。エノキの枝に付く葉の数、一枚の葉に産む卵の数、幼虫は自分のねぐら(台座)を持つ、遠くに食べに出かけても、口から吐く糸を命綱としてたどり必ず自分の台座に帰って寝るなど興味の尽きない話が続く。それらの知識はこれから飼育に取り組もうとする人にもすごく役立つ。

  そうこうして7年後、現地に「国蝶オオムラサキを守る会」が発足。著者は日野原の雑木林に蝶や昆虫を観察できる自然公園を作りたいという夢の実現にとうとうこぎつけた。原動力になったのは子ども達や青年会の人たち。後日の日野原小学校の教室の黒板の前には、著者の姿があった。
 筆者も4年前、現地を訪れた。オオムラサキセンターの館長から、「エノキよりクヌギを増やすことが大事ですよ」と指摘され、腑に落ちなかったが、本書に巡り会えて、やっと合点がいった。


黒いアゲハチョウ

2016-09-03 21:25:53 | 関連情報

昨日の昼下がり、オオムラサキより一回り大きな黒いアゲハチョウが出現した。ヒラリヒラリとしなやかな飛び方、オオムラサキのパタパタと羽音を立てて飛ぶ飛び方とは、大いに異なる。

花の蜜を吸うクロアゲハ、樹液を吸うオオムラサキ。それぞれの異なる生息環境で形成されてきた特有の機能、それらを体現した姿の美。金子みすずではありませんが、「みんな違ってみんな良い」ですね。