ドイツ南西部の「黒い森」。背の高い、もみやとうひなどの針葉樹の森が続き、うっそうとして一年中暗いことから、その名がつけられた。日本にも似たような「暗い森」が国中にあり、日々増殖している。1960年代から増えたスギ、ヒノキの人工林である。ドイツのそれは、燻製の生ハムやサクランボ酒、さらには精密工業を生み出し、世界的な観光地になっているが、日本の方は厄介者扱いで、放置されている。しかし心ある人たちは、この森をなんとかして広葉樹との混交林に出来ないかと、試行錯誤の努力をしている。私たちあわがオオムラサキの会も、蝶の飼育活動をしながらそれに取り組んでいる。
そうした中の一人、東北大学教授の清和研二氏は、3年前に著した「多種共存の森」という本の中で、一筋の光ともいえる、ズシッとくるエピソードを紹介している。
伊勢神宮では、式年遷宮といって、20年ごとに社殿を造り替えるという行事が690年以来、絶えることなく続けられている。これには長大な大径材が絶えずいる。宮域林ではha当たり50本の大樹候補木を決め、200年伐期というまさに長期の計画で直径1㍍を越える大木に育て上げる森林経営がされている。競合する二,三等木は早めに伐られ、その強間伐によってできた広い空間には、多くの広葉樹が侵入し成長する。それらの広葉樹は、高く枝打ちされたヒノキの下枝を越えるほどにのびて育ち、ヒノキの成長を妨げない限り伐られないという。しかし樹齢200年の木を育てる目的の森に、なぜ広葉樹の木も伐らずに一緒に育てていくのか。
神職で営林部次長の肩書きの方の答はこうである。「宮域林は神域であり日本神道では自然そのものが神様であります。ヒノキばかりの山ではなく、本来の自然の景観を取り戻すことも大事なことです」。
神道の理念から言えば、針広混交林の森づくりは当然の施業。多くの神々が宿る豊穣な森を取り戻す、心技一体の道というわけである。
とはいえ伊勢神宮では江戸時代に入ってから、自然林としての宮域林の大径木が枯渇しはじめた。それにお伊勢参りの人々への薪炭林の提供で禿げ山同然になった。神宮の中を流れる五十鈴川は氾濫が頻繁に起きるようになり、大正7年の大洪水を機に森林学者をまじえての森林経営計画がつくられた。その5年後には、①神宮に相応しい景観の保持、②五十鈴川の水源涵養、③遷宮用材の確保という総合施策が策定された。その結果、今では世界に誇れるような針広混交林が生まれた。
清和氏は、この神宮施業の根底には「自然を敬うという日本古来の伝統的な自然観」があり、それが混交林施業の成功を導いたと述べている。
後先(あとさき)を考えて仕事せよ、とは古来からの教え。それが今は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮がはびこる。自然にある動物も植物も、すぐ金になるものだけを育てようとする。それ以外のものには絶滅しようが目もくれない。
この発想は一体どこから出てきたのだろうか。戦後の新しい近代的テクノロジーの中には、途方もない大きな落とし穴がある。
逆に伝統文化など日本的で不合理・非効率と見られる手法・思考の中に、今日の社会が直面する現代的課題を解くヒントとなるものが沢山ありそうだ。そのことが、一段とはっきりと見える時代が来たように思う。