オオムラサキの飼育も難しいが、エノキの生育管理も思うようにいかない。やわらかそうな大きな葉が沢山着いて欲しいが、あるものは6月頃から葉の表が黒く煤ける煤病にとりつかれる。あるものは、葉の着き方が少ない。また他のものは、葉がチジレ気味でひとまわり小さい。
煤病は、サナギになる頃から増えるので、実害は大したことは無さそうですが、8月に孵化した幼虫にはありがたくないエサだろう。それでもそれを食べて、今も生きてくれているのでありがたいのですが、なんとかしてやりたいのです。
10月17日、友人の庭師に来てもらい見てもらいました。土質は砂ばかりなので粘土質の土、有機堆肥を補充する。植え方が深植えになっている、一度掘り上げ、足りない土と堆肥をを補充して土まんじゅうのような形に植え直す。保水力を高め、株からでる根が下向きに伸びていくようにする。根と土とを密着させ隙間、空洞を作らないようにする。煤病は、とにかく風通しを良くすること。鉢植えのものは時々ケージの外に出してやる。網の目を少し大きくする。
植え直しについては納得いく指摘でしたので月末か来月初めに手直しに取り組みたい。
三谷神社の森がエノキの繁茂地になっていることは先にふれた。ところで京都の下鴨神社には参道沿いにエノキの巨木がズラリと並んでいる。神社とエノキの結びつきはどこから来ているのだろうか。
9月30日、天草の本渡市(今の天草市)に行ったときのことである。島原の乱の激戦地のそばに八坂神社があると聞いたので,お参りした。社殿は海岸段丘の上にあり、そこに行く石段の上がり口に、立て札が立っていた。読むと「南蛮エノキ」という見出しで、境内にあった幹周り3.7㍍、樹高20㍍、樹齢300有余年のエノキの御神木が、20年前に朽ちて危険な状況となり伐倒されたとある。断崖斜面の中腹には切り株がまだ残っていた。
南蛮から持ち込まれたエノキという意味でそう呼ばれていたのかどうかは、さておき、ここでも神木扱いとされたのはどういうことでそうなったのだろうか。