私の父親は下戸ではなかったが、一切晩酌をしなかった人で、
家で一緒に酒を飲んだのは正月ぐらいしかなかったと思う。
高校1年の時、同級生の話を聞いていると、どうも晩ご飯の時に
親と飲んでいるみたいで、その上たまに親とおでん屋などにも
行っているようだった。
で、中学生になった頃、私は母屋の隣の、昔住んでいた小さな
家を改造した離れに部屋をもらったのだが、そこは出入り口が
母屋に面した側と、駐車場に面した側のふたつあったので、駐車場の
方のドアから出入りすれば、ほとんど親達に知られる事なく、部屋を
出入り出来るという喜ばしい状況になった。
家は駅前商店街の表通りの広い道を少し入ったところにあって、
狭い道とか路地が入り組んでいるような場所だった。
そうして2年になってすぐぐらいに、つまらない勉強に飽きてきた
夜10時ごろ、部屋をそっと抜け出し、心の中でヒヤヒヤ思いながら
路地をぬって、小さい時に通った駄菓子屋の向かいにある自動販売機
まで行き、ビールをガタンゴトンと買ってきて、部屋で飲むとこれが
むやみやたらとうまく、その後は自動販売機通いが習慣になって
しまった。
その時代は何かにつけ大らかであったので、年齢とかに関係なくお金を
入れれば自動販売機は、素直に誰にでもどんどんビールを売ってくれた
のである。
それで今から考えると不思議な事に、高校を卒業するまで、その
自動販売機の往復途中、ただの1回も誰にも全く会わなかったこと
である。
自分にとっては、ごく好都合ではあったが週に2回は通っていたのに、
本当に誰もいなかった。まあ田舎だから夜は人通りは少なくなるけれど、
それにしてもと思ってしまう。
ということで、高校の時から私もお酒の練習を自発的積極的にやった
わけだが、誰にもそれを見咎められる事がなかったのは、これは
たぶん、酒好きなご先祖さまが見守っていてくれたのかも、などと
とてつもなく自分勝手な考えに浸ってみた月曜日なのである。