平らな深み、緩やかな時間

267.星の王子さま、宮崎駿、多和田葉子、リービ英雄について

箱根にある「星の王子さまミュージアム」が2023年3月31日で閉館してしまいます。

https://www.tbs.co.jp/l-prince/

私は子供が小さい時に一回行っただけですが、「星の王子さまミュージアム」というメルヘンチックなイメージと違って、このミュージアムはアントワーヌ・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, de Saint-Exupéry、1900 - 1944)の本格的な文学館でもあったと記憶しています。『星の王子さま』という物語も、子供の読み物というよりは多様な解釈ができる優れた寓話ですが、このミュージアムは「星の王子さま」の一般的なイメージをうまく利用して、多くの人に文学の世界への入り口を見せているなあ、と感心したものでした。施設の老朽化とコロナ禍での観客減が閉館の原因だということですが、こういう施設をつぶしてしまうと再建は難しいでしょうから、なんとももったいないものです。ご覧になっていない方は、ぜひ閉館前に尋ねてみてください。

 

さて、そのサン=テグジュペリという作家ですが、多くの矛盾を抱えた人だったようです。フランスの伯爵家の血筋に生まれ、作家であるとともにパイロットでもありました。飛行機が発展途上だった時代に軍用飛行機、郵便飛行機などに乗り、その経験を小説やエッセイに綴り、最後は第二次世界大戦中に出撃したまま、帰らぬ人となったようです。この事故は不幸な偶然というよりは、テグジュペリという人の性格が招いたものとも言えるようです。事故の前にも、テグジュペリは着陸時の機体破損を理由に実戦から外されたということもあったようで、かなり無茶な飛行機乗りだったのではないでしょうか。

テグジュペリの著作に『人間の土地』(1939)というエッセイがあるのですが、この本の新潮文庫版に「空のいけにえ」という解説を書いているのが、アニメーション作家の宮崎駿さんです。宮崎さんはテグジュペリが書き残した郵便飛行士たちの業績について、「サン=テグジュペリが存在しなかったら、おそらくこの若者達の物語はとうに忘れられていたにちがいない」と称えつつも、彼らの運命について、あるいはテグジュペリの死について次のように冷徹に書いています。

 

サン=テグジュペリの描いた郵便飛行士の時代は、彼が「人間の土地」を執筆中にすでに終わっていた。その変化に、ある者は逆らい挑みつづけ、ある者は挫折していく。メルモスもギヨメも姿を消し、サン=テグジュペリ自身も「世界は蟻の塚だ」と書き遺して、ほとんど自殺同然に地中海上で消えていった。

(『人間の土地』「空のいけにえ」宮崎駿)

 

ちなみに、文中のメルモスとギヨメは『人間の土地』に登場するテグジュペリの飛行士仲間です。

宮崎さんが書いている通り、飛行機をめぐる時代の変遷はとても早いものでした。飛行機の安全性が向上するにつれ、それは一刻を争う冒険のための乗り物ではなく、安全に大量のツアー客を運ぶための運送手段に変わりました。郵便物をそれまでありえなかったスピードで世界中に届けるために、郵便飛行士たちが新しい航路を開拓する冒険の時代は「一代限りの物語」として終わったのだ、と宮崎さんは書いています。

私がここで「星の王子さまミュージアム」の閉館記事を読んでテグジュペリのことを少しなつかしく思い出したのですが、それは彼の空を飛びたいという衝動が、前回までこのblogで取り上げた多和田葉子さんの『エクソフォニー』における「母語の外に出たい」という思いと、どこかで繋がっていると感じたからです。冒険家と表現者に共通するのは、まだ見ぬ世界を見たい、という想いを抱いていることです。テグジュペリが飛行家と作家の、その両方を兼ね備えていたことは偶然ではないでしょう。そんなテグジュペリに対して、優れたアニメーションの表現者である宮崎さんが親しみを感じていたことも、必然的なことだったのではないでしょうか。

そのテグジュペリは、『人間の土地』の冒頭で次のように書いています。

 

ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっと障害物を征服するには、人間に、道具が必要だ。人間には、鉋(かんな)が必要だったり、鋤(すき)が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつかすこしずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然(ほんぜん)が、世界共通のものたりうるわけだ。これと同じように、定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは星かげのように、平野のそこここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。

(『人間の土地』サン=テグジュペリ 堀口大學訳)

 

上の文中の「大地が人間に抵抗するがため」というのは、空を飛びたいテグジュペリの実感でしょう。よく「人間は大地に縛り付けられている」という比喩表現を目にしますね。サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』の歌詞の中にも「A man gets tied up to the ground」という一節がありました。かつて人が移動するには、大変なエネルギーとリスクを伴っていたのです。飛行機は、その大地という「障害物を征服する」ための「道具」だとテグジュペリは言いたいのでしょう。空から見た大地の景観は、点々としていた人々の暮らしの様相を一つの視野の中に収めることができたのです。

このように、点でしかなかった自分の周囲の世界から脱出して、大空へ飛び立ちたいという欲求は、「母語の外へ出たい」という文学者の願いと重なるものではないでしょうか。例えばこの『人間の土地』を翻訳した堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892 - 1981)は、「訳者あとがき」の中で次のように書いています。

 

生命の犠牲に意義あらしめようとする、人道的ヒロイズムの探求、これがこの書の根本想念をなしている。サン=テグジュペリは、この書において、詩人として、哲人として、飛行家の職業を語っている。彼はこの職業を、自我を掘り下げ、自我を知る手段とする。彼はこの職業によって、大自然と接触し、人間の真実、その本然の発見に努める。彼はヒロイズムとは、いたずらに生命を軽んじることではなく、人道的大義のために、自己を滅却することだと説き、「ぼくは死を軽んずることをたいしたことだと思わない。その死がもし、自ら引き受けた責任の観念に深く根ざしていないかぎり」とまで言っている。

<中略>

『人間の土地』は、物質的利益や、政治的妄動や、既得権の確保のみ汲々たる現代から、とかく忘れられがちな、地上における人間の威厳に対する再認識の書だ。この書を書くには、だれよりも果敢な行動人にして、だれよりもきびしい精神を備えた人を必要とした。幸いぼくらは、サン=テグジュペリの中に、飛行家として、文学者として、二つの才能の邂逅(かいこう)をもった。

(『人間の土地』「訳者あとがき」堀口大學)

 

堀口大學さんは、サン=テグジュペリにとって「飛行家」とは、「自我を掘り下げ、自我を知る」職業であり、さらにはテグジュペリのことを「大自然と接触し、人間の真実、その本然の発見に努める」人でもあったのだ、と書いています。空を飛ぶこととは飛行機を操縦するだけではなく、地上では知ることのできない真実を発見し、探求することでもあったと評価していたのです。

これは手放しでテグジュペリを称賛する文章であるのですが、現実のテグジュペリは多くの矛盾を抱えた人であり、堀口さんはそのことを払拭してしまったのだと私は思います。テグジュペリが飛行機乗りとして無茶な性格の人だったのではないか、と先ほど書きましたが、そもそもテグジュペリという人は、存在そのものが矛盾に満ちた人でした。そのことを指摘したのは、やはり宮崎駿さんです。彼の書いた「空のいけにえ」の冒頭部分を読んでみましょう。

 

人間のやることは凶暴すぎる。20世紀初頭に生まれたばかりの飛行機に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、墜ち、死に、破産し、時に讃えられ、時に嘲られながら、わずか10年ばかりの間に大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである。

空を飛びたいという人類の夢は、必ずしも平和なものではなく、当初から軍事目的と結びついていた。19世紀に、既に飛行機は無敵の新兵器として空想科学小説に定着されていたし、実際にライト兄弟は陸軍への売り込みに執心し、硬式飛行機の発明家ツェッペリン伯爵が夢見たのは、敵国の心臓部に爆弾の雨を降らす空中艦隊の建設だった。

(『人間の土地』「空のいけにえ」宮崎駿)

 

このような文章が、ほぼ3ページにわたって書かれていて、テグジュペリの名前はなかなか出てきません。そして、この部分の結びは次のようなものです。

 

それでも、多くの若者達が空中の兵士になる事に憧れ、パイロットに志願した。泥の中をはいまわる塹壕(ざんごう)戦の歩兵になるよりマシ、というだけでは説明できない熱狂に、青年達はとりつかれていた。空を自由に飛びたいという願望は、空を自在に高速で飛びまわる自由に変わり、速力と破壊力が若者達の攻撃衝動をかきたてたのだ。今日の信号を無視して突っ走るバイクの若者達を見ればすぐ理解できることである。実は、速度こそが20世紀をかりたてた麻薬だった。速度は善であり、進歩であり、優越であり、すべての物差しとなったのだ。

(『人間の土地』「空のいけにえ」宮崎駿)

 

最後には、辛口の文明批評、あるいは20世紀のモダニズム批判にまで至りました。堀口大學さんがテグジュペリを手放しで称賛したのに比べて、対照的な文章です。そのことも宮崎さんは自覚していて、上記の一節の後で、段落を変えて次のように書いています。

 

ここまで読まれた読者のみなさんは、「人間の土地」の解説に何の世迷い言を、と思われるにちがいない。しかし、サン=テグジュペリの作品や、同時代のパイロット達が好きになればなる程、飛行機の歴史そのものを冷静に把えなおしたい、と僕は考えるようになった。飛行機ずきのひ弱な少年だった自分にとって、その動機に、未分化的な強さと速さへの欲求があった事を思うと、空のロマンとか、大空の征服などという言葉では胡麻化したくない人間のやりきれなさも、飛行機の歴史の中に見てしまうのだ。自分の職業は、アニメーションの映画作りだが、冒険活劇を作るために四苦八苦して悪人を作り、そいつを倒してカタルシスを得なければならないとしたら最低の職業と言わざるを得ない。それなのに、困ったことに、自分は冒険活劇が好きだと来ている・・・。

(『人間の土地』「空のいけにえ」宮崎駿)

 

この文章は解説の3ページ目の終わりのところから始まるのですが、本来ならば堀口大學さんのように飛行機による冒険がいかにヒロイックなものなのかを語らなくてはならない「解説」なのに、あろうことか、飛行機がいかに人を殺してきたのかについて語り出し、それがスピードを求める麻薬のような思想によるものだと語った上で、自分の書いているものが『人間の土地』の解説として不適切であることを自ら吐露しているのです。私の数少ない読書体験の中ですが、このような「解説」を読んだことはありません。もちろん、文学作品の中には歴史上、批判されるべき作品も多々あって、その批判的な評価を書かなくてはならない「解説」だって数多くありますが、この宮崎駿さんの文章はそれらとも違っています。

しかし、宮崎さんはテグジュペリだけを批判しているのではなくて、先ほども書いたように20世紀モダニズムの中には、そのまま突き進んでしまうと人類や生命を滅ぼすほどの危険性が潜んでいることも事実です。そしてタチの悪いことに、私たちの中には大量に人が死んでしまうような冒険活劇を見て、カタルシスを得てしまうような感情的な側面があるのです。宮崎さんは表現者として、そのことに人一倍自覚的なのだと思います。

さっき引用したように、そのカタルシスをもたらす飛行機による冒険活劇も、航空技術の発達によってテグジュペリが『人間の土地』を書いている頃には既に終わりを迎えていたのです。その運命を受け入れないかのように、テグジュペリは自らを危険な運命へと追い込んでいき、「ほとんど自殺同然に地中海上で消えていった」という宮崎さんの解説は、妥当なものなのだと思います。ちなみに堀口大學さんは、テグジュペリの(生と)死について次のように書いています。

 

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年6月29日フランス中部のリオン市に生まれ、1944年7月31日、フランス解放戦争に従軍中、偵察を目的に単身ライトニング機に搭乗、飛び立ったまま、地中海上で行方不明となった。ナチスの戦闘機隊と遭遇し、多勢に無勢、撃墜されたものと信じられている。

(『人間の土地』「訳者あとがき」堀口大學)

 

この「訳者あとがき」の後に、宮崎さんの「空のいけにえ」が掲載されているのですから、この両者を読み比べるだけでも、この文庫本を買った甲斐があったというものです。堀口さんが「訳者あとがき」を書いたのが1955年で、宮崎さんが「空のいけにえ」を書いたのが1998年となっています。この40年の間に、モダニズムはあらゆる分野の心ある人たちによって、見直されてきたのだと思います。

 

さて、私はこの40年の間のテグジュペリ評価の変遷について、前回までの多和田葉子さんの『エクソフォニー』から学んだことと合わせて、次のように考えます。

戦後まもない頃は、テグジュペリが衝動的に大地から飛び立とうとしたこと、すなわち自分の見ていた世界の外部へと出ようとしたことが、手放しで賞賛されたのでした。しかし今では彼が抱えていた矛盾が明らかにされており、これから後は飛行機であれ、ロケットであれ、私たちは自分たちの世界の外に出るということがどういうことなのか、そして外に出たのちにどのような真実と向き合うのか、ということも考えなくてはならなくなったのです。

それでは、現代に生きる多和田葉子さんはどのようにそのことを考えたのでしょうか。彼女にとっての冒険は、「母語の外に出る」ということでしたが、彼女はその後に「ドイツ語と日本語の両方で表現する」という方法を選び取りました。そしてそのことによって、「母語の外に出る」ことを単なる衝動的な欲求に終わらせない術を得たのですが、彼女の結論はそんな単純なことではありません。そしてそのことについて考察する前に、主に1960年代を中心に自分の言葉の世界から外に出るために、お酒や麻薬の力を借りて破滅的な人生を送った文学者が数多くいたことを思い出しておきましょう。一見すると勇ましく見える彼らよりも、多和田さんは極めて困難な道を選んだ勇気のある人なのだと、この後の考察を読んでいただけるとわかるはずです。

その多和田さんの書く文章ですが、そのようなことを思わせるような肩に力の入ったものではありません。もっと自然で、それでいてとても説得力のあるものです。前回もご紹介した『エクソフォニー』ですが、その「初めに」に書かれた彼女の文章を改めて読んでみましょう。

 

言葉をめぐって、世界は常に動いている。その動き全体を把握するのは、太平洋を泳ぐあらゆる種類の魚の動きを同時につかめと言われるのと同じで、ほとんど不可能に近い。初めは「移民文学」「越境」「クレオール」「マイノリティ」「翻訳」などのキーワードを網にして、魚の群れを捕まえようとしてみた。それがどういうわけか、なかなかうまく行かない。そこで、今度は、自分が魚になって、いろいろな海を泳ぎ回ってみた。するとその方が書きたいことがうまくまとまって捕えられることに気がついた。そういう書き方が、いつも旅をしているわたしの生活に相応しい。

(『エクソフォニー』「初めに」多和田葉子)

 

とても素敵な文章ですが、その中で「そこで、今度は、自分が魚になって、いろいろな海を泳ぎ回ってみた」とさりげなく書かれているところに注意しましょう。誰もが「魚になって、色々な海」を泳ぎ回れるわけではありません。「魚」になるということは、ただ単に外国を旅行して、目新しいものを眺めるのとは、わけが違います。母語から自由になって泳ぐには、その能力と覚悟が必要なのです。

また、それは母語以外の言葉を母語のようにマスターすれば良い、ということではないのです。もしもあなたが優秀な通訳者になりたければ、それで良いのだと思いますが、多和田さんが言葉の世界で求める冒険は、それとはまったく違います。

彼女はそのことについて、具体例をあげながら次のように書いています。

 

思えば、フランス語ほど長い時間、意味を理解せずに耳を傾けた言語はない。そのおかげで、フランス語はわたしの中で「純粋言語」の位置を占めそうになってきた。そんなことを何年もしているならば、さっさと勉強すればいいのだが、この状態には捨てがたい味がある。やがて勉強し始めるようになるのだろうが、それまでの執行猶予期間を大切にしたい。全然理解できない状態や、まだ少ししか理解できない状態そのものから、どれだけ創作的な刺激を引き出せるか。ドイツ語の場合は必死で、そういうことを観察している余裕などなかった。でも今なら、ある程度、伝達がうまくいかない状態に身を任せて、つまずいたり転んだりする自分をあまり傷つかずに、くわしく観察記録することができるのではないかと思う。人はコミュニケーションできるようになってしまったら、コミュニケーションばかりしてしまう。それはそれで良いことだが、言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない。母語の外に出てみたのも、複数文化が重なりあった世界を求め続けるのも、その中で、個々の言語が解体し、意味から解放され、消滅するそのぎりぎり手前の状態に行き着きたいと望んでいるからなのかもしれない。

(『エクソフォニー』「20 マルセイユ」多和田葉子)

 

うーん、わかるようでわからない、難しい文章です。私自身には経験のないことだから当たり前ですが、「意味というものから解放された言語」とは、どんなものでしょうか?このことについて、英語を母語としながらも日本語で創作しているリービ英雄さんが、次のように解説しています。ちょっと長くなりますが、この難しさを理解するためには必要なことなので、よく読んでください。

 

多和田葉子においては、「外に出る旅」はけっして「向こう」へたどりつけば終わるような旅ではない。境をただ超えてしまうこと、ドイツへの到達もドイツ語の上達も、目的ではない。自分がたどってきた道程をふりかえって、「私は境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、とも思った」という。二つの言語の間に生きることによって、日常的な言語感覚には危険も生じるが、コミュニケーションのマイナスが、うまく行けば逆にエクスプレッションのプラスに転じることもできる。

 

「頭の中にある二つの言語が互いに邪魔しあって、何もしないでいると、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。放っておくと、わたしの日本語は平均的な日本語以下、そしてわたしのドイツ語は平均的なドイツ人のドイツ語以下ということになってしまう。その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。」

 

そして一人の作家にとって、そのような表現力を極めれば「個々の言語が解体し、意味から解放され、消滅するそのぎりぎり手前の状態」がかいま見えて、最終的にそこに行き着きたいというエクリチュールの究極的な願望が生じているのである。

たとえ外国語で一行も書いたことのない人でも、母語の外へ一度出たかのごとくに、自分の書いている母語に対して意識的にならざるをえない。文学の書き手、文学の読み手なら誰しも何となく気づいているそのことの、「発見」の書は、やがては一つの現代のヴィジョンへと展開する。いくつもの母語が同等に存在する「多民族共生」のかなたに、何人もの人が、一人一人、異言語で話し出す空間なのである。「一人の人間が複数の声をもつ」ようになり、「いろいろな人がいるからいろいろな声があるのではなく、一人一人の中にいろいろな声があるのである」。

(『エクソフォニー』「解説『エクソフォニー』の時代」 リービ英雄)

 

わかりやすい文章なので、解釈は不要だと思いますが、多和田葉子さんの「母語の外に出る」ということは、ドイツ語の学習やドイツ語による表現によってなされた一方で、多和田さんの到達点はそこにはない、とリービ英雄さんは書いています。言語の境界に身を置いて「境界の住人」になること、そしてそこで「単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくこと」が目的なのだというのです。

そうであるならば、外国語を流暢に話すことができなくても、日々の生活の中でそういうことを意識できる場所に身を置いていれば、同じような発見ができるかもしれません。リービ英雄さんが「最終的にそこに行き着きたいというエクリチュールの究極的な願望が生じている」と書いている「そこに」とは、個々の言葉が解体されて、その意味から解放され、消滅する手前の状態のことです。もしかしたら、言語表現ではなくても、例えば絵画を制作していても、そういう状態に身を置くことは可能なのかもしれません。そして先日来、学習している新しい現代思想の潮流も、さまざまな思想がタコツボ的にこもって考えるのではなく、それらが共存して見える地平を考察する時代に来ている、と私は考えています。そしてせっかくそのような地平に出ることができたなら、その中のいずれかのタコツボを選んで籠ってしまうのでは意味がありません。たとえ居心地が悪くても、それらが見える地平を維持したままで、自分の思想を深めたり、表現を展開したりすることができるのではないでしょうか?

 

それには多和田さんやリービ英雄さんの活躍が、参考になります。多和田さんは日本語とドイツ語と、両方の言語で表現しつつ、さらに自分にとって、まだ外国語の感触があるフランス語について考えています。その外国語としての感触を大切にしながら、言葉の意味が消失するような何かを学ぼうとしているのです。意味を伝達するという以上の言語の可能性がそこにあるのではないか、と彼女は考えているのです。しかし、文学として何かを表現する限りは、何かの言語の世界に入らなければなりません。そこでは、母語としての表現に匹敵する高度な表現が求められます。しかしそれでいて、自分の視点はつねにその外側にある、という位置に身を置くこと・・・、それは何もかもが中途半端になる危険性もありますが、だからといってそれを否定してしまっては新たな発見はありません。すでに世界は、「一人の人間が複数の声をもつ」状況にあるのです。多和田さんやリービ英雄さんの文章を読むと、もう後戻りはできない、という切迫感を感じます。

この多和田さんの冒険は、作家としての命運のギリギリに身を置いているということで、サン=テグジュペリの飛行と同様に命懸けの行為であると思います。しかし、その判断の的確さと勇気の強さから言えば、テグジュペリを超えているのだと私は思います。「星の王子さまミュージアム」で異国の作家のロマンに満ちた冒険を体感したら、それ以上の冒険に挑んでいる現代の作家のことにも想いを馳せてみましょう。

そして私は、現代思想や現代絵画において、多和田さんの言う「境界の住人」になることを、真剣に考えてみたいと思います。その手がかりを得るためにも、苦手な語学もちょっとはやらなくてはなりませんね・・・。



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