2025年になりました。
明けましておめでとうございます。
年は明けましたが、何がおめでたいのか、よくわからないという思いが募る状況ですね。どうして、世界中でこんなにも無為に人が死んでいくのか、どうして地球の温暖化や環境破壊が止まらないのか、いろいろと考えるとおめでたいどころか、不安な気持ちしか残りません。
それでも、前を向いて生きていくために、私のような無力な人間に何ができるのか、私のように才能のない人間に何が表現できるのか、今年も懸命に考えながら歩いていきます。自分自身の残りの時間も、若い方ほどたっぷりとはないでしょうから休んでいる暇はありません。
というわけで、年始早々から文章を綴りますので、お時間のある時に読んでいただけるとありがたいです。
今年も、よろしくお願いいたします。
それから、もう一つお願いがあります。私の旧ホームページが7月でサーバー停止となります。つきましては新しいサーバーに移行しました。もしも私のホームページのアドレスを登録されている方がいらしたら、次のアドレスへの変更をお願いします。お手数をおかけしてすみません。
https://ishimuraminoru.web.fc2.com/
さて、本題に入ります。
年末の12月27日にすべりこみで三つの展覧会を見に行くことができました。
年が明けると、自分のスケジュールがどうなってしまうのか予想がつかなかったし、混雑も予想されたので、三ついっぺんに見ましたけど、やっぱり疲れました。
その三つの展覧会のうち、今回は『モネ 睡蓮のとき』について簡単な感想を書いておきます。あとの二つも、印象が薄くならないうちに書いてアップしますので、このあとも読んでいただけると幸いです。
まずは、展覧会の情報をピックアップしておきます。もしも、これからこの展覧会に出かける方がいらしたら、混雑には十分にご注意ください。
『モネ 睡蓮のとき』
会期;2024年10月5日[土]-2025年2月11日[火・祝]
※事前予約制;土日祝と2月全日程がこれから予約制となります。
休館日;月曜日、12月28日[土]-2025年1月1日[水・祝]、1月14日[火]
(ただし、2025年1月13日[月・祝]、2月10日[月]、2月11日[火・祝]は開館)
会場;東京上野・国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024monet.html
それでは、先ほど書いた混雑の状況についてです。
私は平日の開館20分前に美術館に着きましたが、すでに美術館の角を曲がるあたりまで列ができていました。会期末に近くなるほど、混雑するかもしれませんね・・。
私は、モネ(Claude Monet, 1840 - 1926)さんの作品をたくさん見ていますし、日本ではモネさんの展覧会が多いので、そのたびに足を運んでいます。ですから、西洋美術館の所蔵品はもちろんのこと、以前に見たことのある作品もあったのですが、それでも見るたびに発見があるのがモネさんの素晴らしいところです。
こんなふうに見慣れてしまうと、どうしても会場のはじめの若い頃の作品は、おざなりに見てしまいます。展覧会場に入った当初は皆さんが列をなして熱心にご覧になるので、人が多くてじっくりと鑑賞しづらいということもあります。もしも、あなたが何回かモネさんの作品を見ている方でしたら、私のような見方も悪くないと思います。会場の後半までしっかりと集中力を蓄えておいて、モネさんの晩年の作品をしっかりと目に焼き付けましょう。
それでは、この展覧会はどのような展示なのか、概要を美術館の公式サイトから書き写しておきましょう。
印象派を代表する画家のひとりであるクロード・モネ(1840-1926)。1890年、50歳になったモネは、ノルマンディーの小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、これを終の棲家としました。そして数年後には、睡蓮の池のある「水の庭」を造成します。この睡蓮の池こそ、以降の画家の心を占め続けた、最大の創造の源にほかなりません。本展は、〈睡蓮〉連作を中心に、モネ晩年の芸術をご紹介するものです。
(国立西洋美術館 公式サイトより)
この展覧会は、印象派を代表するモネさんの全容をバランスよく展示する展覧会ではなく、ジヴェルニーで制作された睡蓮の池をモチーフとした作品に焦点をあてたものです。したがって、展示室の奥に行くにつれて睡蓮の絵が増えてきて、最後の部屋はほぼ晩年の時期の作品に占められることになります。この部屋の展示が、本当に素晴らしいのです。
そのことについて触れる前に、モネさんと印象派について、すこしおさらいをしておきましょう。
このことについて、もっとも手軽に知識を得るには、このblogで何回もご紹介している高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932 - 2024)さんの『名画を見る眼Ⅱ』の「モネ『パラソルをさす女』-光への渇望」を読むとよいでしょう。たった数ページの説明ですが、内容は次の通りです。
この絵(『パラソルをさす女』)のかんたんな説明、印象派誕生のいきさつ、それと関連する戸外制作についての説明、戸外制作を可能にした絵具のチューブ容器に関すること、印象派の光の表現と色彩分割などの科学的な手法についてなどが、分かりやすく、かつ隙のない文章で書かれています。
とりあえず「色彩分割」については、ネット上で辞書をひいても要領よくまとまった解説があるので、ご紹介しておきます。
となりあわせに置かれた二つ以上の色彩が、遠くから見ると混じり合ってひとつの色に見える光学現象。色彩の鮮やかさを重視したクロード・モネをはじめとする印象主義の画家たちによって、絵画に応用された。カンヴァス上に並置した鮮やかな色と色が、「眼のなかで溶けあう」ことで生まれる色は、パレット上で絵の具同士を混ぜ合わせてできる色より輝いて見える。ここから、例えば灰色を塗りたいときでも鮮やかな黄緑と赤紫の小さな筆触を並置するという「筆触分割」の方法が生まれ、これはさらに、新印象主義の点描あるいは「分割主義」へとつながってゆく。身近なところでは、この視覚混合の原理は網点スクリーンによる商業印刷に応用されている。
(現代美術用語辞典 1.0)
https://artscape.jp/dictionary/modern/1198579_1637.html
モネさんがどこまで忠実にこの「色彩分割」の手法を取り入れたのかはともかくとして、この科学的な知見が新しい芸術を切り開くきっかけになったことは間違いありません。モネさんが彼の先輩だった外光派と呼ばれる画家たちの影響下にありながら、自らの芸術の可能性を大きく広げたのは、この科学的な理論によるところが大きかったと思います。
ところが、先の『名画を見る眼Ⅱ』の「モネ『パラソルをさす女』-光への渇望」は、実は少し不穏な文章で終わっています。
その部分だけ引用しておきましょう。
モネは、「自分の作品は自然に向かって開かれた窓だ」と言ったが、その「窓」から見える世界は、それなりにひとつの虚構の自然でしかなかった。この「パラソルをさす女」が描かれたのは、1886年、ちょうど印象派の最後のグループ展が開かれた年のことであるが、この頃から、モネの世界は、こまかいタッチで表現される光の洪水のなかに溺れていくようになる。事実、明確な形態把握を必要とする人物像は、この時以降、モネの画面から消えていくのである。
(『名画を見る眼Ⅱ』の「モネ『パラソルをさす女』-光への渇望」)
これは晩年に向かっていくモネさんの芸術の方向性を暗示した文章だと思います。高階さんは、西洋美術の手軽な案内書がなかった時代に、自らその第一歩目を踏み出そうとして、この本を書きました。その読者として想定した人たちは、はじめて西洋絵画の名画に触れる人たちです。
そこで先ほど書いたような印象派の案内を、それこそ膨大な知識と情報から選んでまとめたのですが、その解説の最後に、あえてモネさんが印象派の概念を超えていくような表現に踏み出していったことを暗示したのです。「光の洪水のなかに溺れていく」とか、「明確な形態把握を必要とする人物像は、この時以降、モネの画面から消えていく」とか、一読するとネガティブな言い回しが目立ちますが、これはモネさんの晩年の作品について、評価が分かれていることをちゃんと含んだ結果なのだと思います。
ちょっと横道にそれますが、この『名画を見る眼Ⅱ』の初版『続 名画を見る眼』が出版されたのが1971年だと思いますが、それ以前の日本の人たちのモネさんの芸術の受け止め方はどうだったのでしょうか?
次は一般書とは言い難いと思うのですが、評論家の小林 秀雄(こばやし ひでお、1902 - 1983)さんの『近代絵画』という本を覗いてみましょう。
これはのちに(1963年)新潮文庫から出版されていますが、初版はたぶん1958年です。小林さんは生前、批評の神様のように言われた人で、その文章は国語の教科書に必ず掲載されていたものです。現在はどうでしょうか、私の子どもたちの世代では、小林さんの文章に触れる機会はあまりなかったようです。
もっとも小林さんの文章が盛んに読まれていた当時から、実は文章がわかりづらいとか、何を言いたいのか読み取れないとか、本当は悪文だとかいう陰口も聞こえていました。これは、以前にどこかで書きましたね。
この『近代絵画』も、高階さんのような一般の読書への配慮に満ちた、そして学術的に裏付けの取れた文章と比べると、小林さんらしい直観に満ちたものです。
例えばモネさんについて、次のような文章がありました。
芸術家は、自分の創り出そうとするものについて、どんなに強い意識を持とうと、又、これについて論理的な主張をしようと、その通りに仕事ははこぶものではあるまい。モネに於ける最も個性的なものは、無論、誰も真似手のないものだったのだが、彼が歩き出した地点、つまり彼が啓示した光に関する新しい意識というものは、新しい画家達にとっては、非常な影響力を持った事件の如きものであった。モネの始めた彩色上の色の分解の方法を合理化する事は失敗に帰した。点描主義者は、色のオルガンを作ろうとする技師の様に失敗した。併し、印象主義によって解放された光の新しい意識は、画家達を、今迄はっきり感じた事のない、音楽と絵画との相関関係の意識に導いた事は否めない。
(『近代絵画』「モネ」小林秀雄)
歯切れのよい小林節が読み取れますね。
例えば、芸術家は論理的な主張をしてもうまくいかない、とか、モネの個性的な表現は誰も真似できない、とか、色彩分割の方法は失敗した、とか、点描派(新印象派)は(芸術家ではなく)技師のようなものだから失敗した、とか、まあ、その通りですが、この数行で次々とこれらの私的な見解を断定的に語っていくところがすごいです。もちろん、この文章に至るまでのところで、印象派の科学的な手法と絵画との関係についてくわしく論じているのですが、それにしても・・・、という感じです。
その小林さんが最後の行で書いているのは「音楽と絵画との相関関係」ですが、これが実は小林さんのモネ論の魅力となっているところです。この評論の10年ほど前に『モーツァルト』(1946)で音楽を論じた小林さんならではの、音楽と美術との関係について言及した文章です。このモネさんの絵画と、音楽との相関関係については、私のこれからのblogで『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』という展覧会について書く時に考察してみましょう。ここでは、音楽というきわめて抽象的な表現とモネさんの絵が関連している、と小林さんが直観したことだけを確認しておきましょう。
ところで、このモネさんの印象派の理論と絵画制作との関係ですが、高階さんは『続 名画を見る眼』の4年後に出版した『近代絵画史』の中で、次のように書いています。
それどころか、「小鳥が歌うように」描いていたモネは、むしろ理論的なものには興味を示さなかった。
「私はいつも理論は嫌悪してきた……。私がやったことといえば、直接自然を前にして、きわめて逃げ去りやすい効果に対する私の印象を正確に表現しようと努めながら描き続けてきたということだけだ。ほとんどの人がおよそ印象派的でないわれわれの仲間が、私のおかげで印象派と呼ばれるようになってしまったことは、きわめて残念なことだ……」
一九二六年、彼の死の年に書かれた手紙のなかで、モネは自分の生涯を振り返って、このように述べている。
(『近代絵画史』「第7章 印象派の画家たち クロード・モネ」高階秀爾)
これは、モネさんの作品『印象 日の出』が「印象派」の語源になってしまった、というエピソードについて、モネさんが亡くなる前に語ったことです。自分が感覚的な「印象」という概念を重視したことから、自分の仲間たちが総じて「印象派」と呼ばれるようになってしまったことを少し後悔している、という文章なのです。
さて、こんな知識をもってモネさんの晩年の作品群と向き合うと、もはやその作品が「印象派」というカテゴリーにあてはまらないことが納得できます。
この複雑で興味深い画家の表現について、鑑賞者は予断を持たずに絵と向き合うのがもっともよいと思いますが、最後に私の拙い感想を書いておきます。
私は、晩年のモネさんの絵画は、印象派どころか、のちの表現主義絵画、抽象絵画、抽象表現主義の絵画すら超えていると思います。つまり、モネさんの絵画は、モダニズムの絵画を経験した私たちにとって、これからの絵画を考えるうえでおおいに参考になる、ということです。
それはなぜでしょうか?なぜ、私はそんなふうに感じるのでしょうか?
ここで少し、順序だてて考えてみましょう。
モダニズムの絵画は、さまざまな考え、論理によって先へ先へと進んでいきました。そして、いつしか芸術表現は少しでも先に進んでいること、新しい表現であることが、絵画にとってとても重要なこととなりました。その新しさの度合いを、仮に絵画の「先進性」というふうに言ってみたいと思います。
モダニズムの絵画にとって、絵画の先進性を測る物差しは、主に二つあったと思います。
その一つは、絵画の内容の抽象度にあったと思います。つまり完全な抽象絵画を到達点として、そこにどこまで届いているのかによって、その先進性を測るのです。例えば抽象絵画の父といわれるカンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)さんは、完全に非対象的な絵画を実現したので、この考え方で言えば最も先進性の高い画家だと言えると思います。
もう一つの物差しとして、絵画の「平面性」という考え方があります。このblogでは前回もクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)さんの理論とジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)さんの芸術について取り上げましたが、グリーンバーグさんは「平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件」だと言ったのです。彼のこの言葉によって、モダニズムの絵画は完全な平面の絵画をその到達点として定めてしまったのです。グリーンバーグさんが、本当はどう考えていたのかは、前回の私のblogを読んでいただけるとわかりますが、ミニマル・アートの平面的な絵画がこの点で最も先進性の高い絵画だと言えます。
これらの条件から見ると、モネさんの絵画は高階さんが書いたように「明確な形態把握」が「モネの画面から消えていく」とはいえ、そこには睡蓮であったり、枝垂れ柳であったり、日本風の橋であったり、とにかく何かが描かれています。青い空と白い雲が映った池の水面のように、きわめて抽象度の高いモチーフであっても、とにかくそこには何か描かれているのです。ですからその内容の抽象度という点では、晩年のモネさんの絵画は先進的であるとは言えません。
また、絵画の「平面性」という点では、どうでしょうか?モネさんの絵には、平面的な池の水面を描いた作品でさえも、奥行きが感じられます。それにあの荒々しい筆触は、ミニマル・アートの平面性とはまったく相いれないものです。この点でも、モネさんは先進的ではないし、モダニズム絵画の視点から見ると、ずいぶんと遅れています。
しかし、このような絵の見方、絵の評価の仕方は、かなり馬鹿らしいものだといえないでしょうか?
例えば、ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)さんの傑作『アビニョンの娘たち』は現代絵画にとって最重要な作品ですが、それは具象的なモチーフをあつかっているという点で、抽象度が低く、この点では先進性が低いということになってしまいます。あるいはカンディンスキーさんの抽象絵画は、必ずしも平面的ではないという点で、やはりモダニズムの絵画にとって先進性が低いということになってしまいます。
しかし、こんなことは、ありえないでしょう?
私たちは、これから絵画を描き続けていくためには、この二つの先進性の物差しにこだわるべきではない、と私は考えます。
それに私は、これらの二つの観点以外にも、モダニズム絵画をもっと豊かにするために、他の要素も考えてみたいと思います。
それは絵画の「触覚性」であり、あるいはその絵画の「行為性」であり、その「行為性」と関わる「時間性」です。
このblogを読んでいる方なら、私の言わんとすることがおわかりいただけると思いますが、そうでない方も何となく読み進めてみてください。
今回の展覧会では、モネさんの晩年の制作の、おそらくエスキース(試作品)に当たるものが何点かありましたが、それらがとても興味深かったです。一見すると未完成にも見える作品ですが、だからといって、それらの表現が劣っているとは言えないのです。むしろ、モネさんの生々しい筆致からその「触覚性」と「行為性」がじかに感じられて、その表現がとても現代的に見えるのです。
また、モネさんの晩年の作品は、下塗りの段階からすでにモチーフのおおよその形象を描き出そうとしていて、どこで筆を止めても絵画として成立するのです。これは、ある程度の作業工程の定まった抽象絵画に比べて、そこに含む「時間性」という点で多様であり、豊かであり、興味深いと思うのですが、いかがでしょうか?
これは現代絵画の最先端だと思われているゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932 - )さんの「抽象絵画」のシリーズと見比べてみると、その先進性という点で時代が逆転しているのがわかるでしょう。リヒターさんの絵画が緻密な作業工程の結果であるのに比べ、モネさんの晩年の絵画は、モネさんの制作時の感覚や認識の揺れが見えてくるのです。ただの一枚の絵画が、偉大な芸術家のものの認知、感受の仕方から思考、表現までをあからさまに見せてしまう、ということは興味深いことではないですか?
私は、これこそがこれからの絵画の可能性に他ならないと考えています。動画でもインスタレーションでもない、ただの静止した絵から、それを描いた画家の知覚、認識、表現のすべてが見えてきて、さらに画家が絵の制作に携わった時間さえも感じ取ることができるのです。
それだからこそ、モネさんの晩年の作品は、今でも参照すべき重要な資料でもあるのです。
それに加えてモネさんの筆致と色彩には、これまでの絵画理論では語りつくされていないエモーショナルなものを感じます。これはモネさんの後輩で後期印象派の画家、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh 、1853 - 1890)さんやゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin , 1848 - 1903)さんが提唱した色彩表現の可能性とは、別な意味での色彩表現の可能性を感じるのです。
私は今回の展覧会を見て、モネさんは具象的なモチーフを描いていたからこそ、絵画表現として抽象画家よりも思い切った表現ができたのではないか、と感じました。
例えば、モネさんの草花を描く大胆な曲線を、抽象的な画家がモチーフのない線描として描くとなると、あれほどの力強さを表現するのは並大抵のことではありません。また、モネさんが朝夕の光に仮託した朱色やオレンジ色は、抽象的な色として表現するとなるとかなり作為に満ちたものになってしまうのではないでしょうか?そして、それらの具体的な形がない空の色や水面の色を見ると、モネさんが抽象画家以上に自由に色彩を表現していることを感じます。
これらのモネさんの具象的なモチーフのあつかい方を、実は私も取り入れています。この私たちの周囲にある自然から得られる視覚の世界の素晴らしさ、力強さを自分自身の表現に取り込みながら制作するのです。そのことで、これまでのモダニズムの絵画を乗り越えていくことが可能だと私は考えます。
さて、このように考えていくと、まるでモダニズム絵画の理論をないがしろにしているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。私自身のこれまでのモダニズム的な表現の挫折も含めて、その経験がなければモネさんの晩年の作品の真価に気づくことも難しかったのです。
このような考え方を整理するために、私は前回、論理学者のクリプキ (Saul Aaron Kripke、1940 - 2022)さんの難解な著書、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』を読み、そこから現代絵画について考察してみました。よかったら前回の私のblogもお読みください。
そして、私の論理にどんなに破綻があっても、モネさんの作品の素晴らしさとその先進性、可能性を否定することはできません。
もしも私の論理に不満を感じる方がいらしたら、ぜひとも自分の言葉で晩年のモネさんについて語ってみてください。私自身、そんな未知の論理があることを期待しています。
それでは皆さま、どうかご無理のない範囲で、モネさんの息遣いを感受しに行ってみてください。
そして、あらためまして、今年もよろしくお願いします。