図書館が7時過ぎまで開館してくれるのは助かります。仕事を切り上げて定時で職場を出られれば、それから図書館に行っても本を手にとって選ぶ時間があるからです。先日も松浦寿輝(1954 - )の『青の奇蹟』という本を何気なく書棚から出すと、表紙にド・スタール(Nicolas de Staël、1914 - 1955)の美しい静物画が印刷されていました。おそらくド・スタールについての文章があるのだろう、と思ってページを繰ってみると、予想通りありました。わずか3ページの短文ですが、さすがにみごとな文章なので、そのはじめの1ページ分くらいを書き写してみます。
見ることの至福とでも言おうか、まなざしの法悦とでも言おうか。
ニコラ・ド・スタールのタブローと向かい合って幸福にならない人間がいるとは信じられない。あの艶麗な色彩、あの大胆な筆触、あの極度に単純化された形態。彼のタブローの空間にひととき視線を遊ばせていると、精神の奥底まで心地よく揉みほぐされてゆくような気がする。人体を知悉した整体師の指先が骨の歪みを探り当てて矯正してくれるように、ド・スタールの色と形の戯れは、わたしたちの感覚と精神の内部に潜む不均斉を正し、曲がっていたものをまっすぐにし、外れていたものを元の位置に戻してくれるような気がする。わたしたちはさわやかに覚醒し、混濁の晴れた視界に瞳を見開いて、いったい、世界とはこんなに明るかったのかと改めて驚くことになる。要するにこれは、幸福な絵画なのだ。
だがそれは、ただひたすら優美で静穏な世界に抱かれて心が慰められるという、のどかな体験なのではない。
実際、ド・スタールのタブローとの出会いは、どの一点を取ってみても、見る者にそのつど、ある美しい衝撃をもたらさずにおかないだろう。あの赤にせよ、あの青にせよ、あの白にせよ、あのピンクにせよ、ほとんど暴力すれすれの荒々しい原色を大胆に駆使する彼の画面構成は、人を優しく慰撫するというよりはむしろ、あたかもこちらの体のツボをぐっと押してくるような強い力の一撃となって、わたしたちを文字どおり撃つ。そして、その一撃によってようやく視覚と精神が正常に働き出したかのような快感を、わたしたちは享受するのである。
(『青の奇蹟』 眼の法悦から「見ること」の冒険へ)
ド・スタールの絵が、ただ美しいというだけではなく、見る者に言いようのない衝撃を与えるものであることを、芥川賞作家であり、詩人、批評家でもある松浦寿輝はみごとに言葉にしています。
そしてこの文章に異論があるわけではないのですが、ド・スタールについていずれどこかで自分なりに考えをまとめてみたい、と思っているところです。というのは、ド・スタールの作品の変遷を見ていくと、他の作家にはない、気がかりなところがあるからです。
ド・スタールの絵画は、若い不遇の時代を経て、1950年頃に厚塗りの抽象絵画として素晴らしい成果を上げ、一定の評価も得ていたようです。彼の同時代には、抽象表現主義やアンフォルメルの画家たちなど、抽象絵画においてめざましい結果を残した画家たちがたくさんいますが、彼らと比べてもド・スタールの絵画は個性的だし、また内容的に高いレベルにあると私は思っています
それなのにド・スタールは、そんな抽象絵画の様式から徐々に脱し、晩年には薄塗りの具象的な絵画へと移行します。『青の奇蹟』の表紙に使われている静物画はそのなかの一枚ですが、これはすばらしい作品です。しかし私の見たところ、晩年の作品群の中には、ド・スタールにしてはやや安易な色の対比を用いたような作品もあります。おそらくド・スタールは、厚塗りの絵画から薄塗りのそれへと脱するに当たり、制作におけるスピード感を重視したことでしょう。時間をかけて一枚一枚を吟味するよりも、即興的に、とまでは言わないにしても、まずは作品を生み出すことを優先したのだと思います。結果として晩年の魅力的な作品群のなかにはバラつきが生じたのではないでしょうか。それはそれでよかったのだと思いますが、この変遷がわずか5年ほどの間で起こっている、ということを考えると、あまりに急な展開です。この性急さを、どう解釈したらよいのでしょうか。
松浦寿輝はこの点について、つぎのように解釈しています。
やや年長でやはりロシアからの亡命組であるフランス人画家セルジュ・ポリアコフのように、美的調和の支配する幸福な抽象空間のうちに円満に自足することができたなら、ひょっとして彼はもっと長生きしていたのかもしれない。ド・スタールは抽象世界の内部での完結を潔しとせず、絶えず「見ること」の冒険に身を投じ、瞳と世界との出会いがいかにして可能かを、具象と非具象とのあわいで探りつづけた画家である。その意味で、彼はセザンヌの直系の継承者といえようし、いや、或る意味では、ルネッサンスからバロック、ロココ、印象派を経て二〇世紀の前衛運動に至るまでの西欧絵画史の全体が、すべて彼のまなざしと造形の中に流れ込んでいるとさえみえる。
(『青の奇蹟』 眼の法悦から「見ること」の冒険へ)
ポリアコフ(Serge Poliakoff, 1906 – 1969)について、私は多くを知っているわけではありませんが、この文章と似たような印象を持っています。好ましい作品も多々ありますが、自分のスタイルを大切にした画家であり、正直に言ってド・スタールほど重要な画家ではないと思います。
そして、ド・スタールが自分の抽象絵画に満足せず、「瞳と世界との出会いがいかにして可能か」という新たな課題に身を投じた、と松浦が書いていることも、おそらくそのとおりでしょう。しかしそれは裏を返せば、彼は自分の抽象絵画の中に「世界との出会い」を見いだせなかった、ということなのでしょうか。そうだとすれば残念なことだと思います。ド・スタールが自分の表現にどれほどの自覚があったのかはわかりませんが、もしも十分にその価値や可能性に気づいていれば、もっとじっくりとこの時期のやりかたに取り組むこともできたのではないでしょうか。
それにしても、ド・スタールは性急でした。その性急さが、彼の才能や気質の一端であったことは間違いないのでしょうが、それと同時に、私には20世紀という時代背景もそのひとつの要因としてあるような気がします。目に見えて新たな成果を上げ続けることを当時のモダニズムという時代は要求していた、と私は思うのです。ド・スタールは純粋であったが故に、そのことにナイーブであったような気がします。
松浦は文章の最後を、こう結んでいます。
これほど激しい集中力が、ついに肉体と精神を焼き尽くしたのは当然の帰結でもあろう。四十一歳で自らの命を絶った彼の人生を思いつつその作品を見直すとき、眼の法悦を押しのけるようにして、改めて「見ること」の悲劇性の主題が浮上し、わたしたちに吐息をつかせることになる。
(『青の奇蹟』 眼の法悦から「見ること」の冒険へ)
これも、ド・スタールという画家の解釈としては、このとおりだと思います。
しかしド・スタール以降の時代に生きる私たちにとっては、これで話が終わるわけではありません。「見ること」の悲劇性を乗り越えて、ド・スタールが「激しい集中力」で「焼き尽くし」てしまった課題について、じっくりと取り組むという方法もあるのではないでしょうか。松浦寿輝が書いているように、「西欧絵画史の全体が、すべて彼のまなざしと造形の中に流れ込んでいる」のだとすれば、ド・スタールの仕事の中に私たちがこれから取り組むべき、新たな課題を見いだすことも可能なはずです。
さて、そんなことを考えているところで、東京の調布にある「東京アート・ミュージアム」と「プラザ・ギャラリー」で佐川晃司(1955 - )、藤村克裕(1951 - )の作品を見る機会がありました。(展示期間は9月1日までですが、夏休み期間があるので、ご注意ください。)
(http://www.plaza-gallery.com/)
佐川さんは、京都の大学に勤めている方なので、関西で展覧会をされることが多いようです。距離的な問題から、私はなかなか足を運べずにいるのですが、彼がこちらで展示される時には、可能な限り見に行くようにしています。ですから、彼の作品の変遷については、大まかには理解しているつもりです。それに加えて、今回はミュージアムに展示されているデッサンと、ギャラリーに展示されているタブローのなかに描かれた形象が似ているものがあるので、見比べてみると彼の絵画の方向性について、理解しやすいと思います。
佐川晃司の作品を見ると、そもそも絵に描かれた形象とはいったい何なのか、と考えてしまいます。例えばギャラリーに展示されているタブローにえがかれた四角形や五角形、あるいはそれを積み重ねたような形は、単純に見れば幾何学的な抽象画として見ることも可能です。しかし彼の作品の場合、形象と形象以外の余白とが同じ空間を共有していて、容易に二分することができません。それもそのはずで、ミュージアムに展示されているデッサンを見れば、中心に二本の木のあるスケッチが幾何学的な形象へと変貌しいく様子が見て取れます。二本の木の根元にあたる手前の地面から、少し小高くなった奥の空間へと流れるようにつながった画面(『雑木林のスケッチ』)が、平面的に単純化された形象へと移り変わっていく(『半面性の樹塊 No.80』)のです。しかし佐川の絵画の特筆すべき点は、平面的な形象へと画面が整理されているのに、ダイナミックな奥行きがそこに残されていることです。
なぜ、そんなことが可能なのか、それは彼の絵画を実際に見てみるしかありません。
考えてみると、ミニマル・アートの絵画以降、絵画の平面性と奥行きの問題は、容易に両立しない矛盾した二つの要素でした。絵画が平面性へと向かうのがモダニズムの絵画だとするならば、その先にあるのは平滑な色面の絵画だけです。その袋小路から脱するため、例えば平面的に見えながら、そこに消極的な奥行きを表現する筆触や色彩のブレを残すような作品も多々ありました。しかし、佐川のように形象の成り立ちにまで遡って、その二つの要素が必ずしも矛盾しないことを大胆に示した表現は、他にないと思います。
そして私には、佐川のこのような表現が、ド・スタールの残していった絵画の課題とどこかでつながっているような気がします。例えば「瞳と世界との出会いがいかにして可能か」というド・スタールの課題は、そのまま佐川の絵画の中で息づいているように思うのですが、いかがでしょうか。もちろん、ド・スタール以降、絵画表現そのものがさまざまな経験を経ているので、二人の絵画はまったく違ったものです。しかし、絵画の可能性をぎりぎりのところで追究している点では、同じなのです。
だいぶ長くなってしまいました。
プラザ・ギャラリーで同時に開催している『藤村克裕』展も、絵画について考えさせる作品です。
実は、藤村さんの作品を見せていただくのは、本当に久しぶりです。
今回は着色された額縁がガラス張りの壁面に立てかけるように置いてあり、その上と中に額縁よりも小ぶりなキャンバス(?)が置いてあります。キャンバスの表面は板がはってあり、斜めに交錯したこまかな線状の傷が入っています。キャンバスはそれぞれ、白や黄色、青などの単色で塗ってあります。ミュージアムには、壁にかかった作品が展示してありますが、プラザ・ギャラリーの作品の方が、印象が強烈だったので、おそらくこちらの方が作者のイメージ通りの形式なのかな、と思いました。
一見するとミニマル・アートの絵画作品のようにも見えますが、それよりも絵画を絵画として展示する形式や制度に対して、再考を促す作品なのだと思いました。フランスのシュポール/シュルファスやドイツのイミ・クネーベル(Imi Knoebel)などの方向性の方が、近い気がします。遠目に見てカッコ良くて、近づいてみると細部にまで手が入れてあって・・・、というところが藤村克裕らしい作品です。
実は横須賀のわが家から調布の「東京アート・ミュージアム」と「プラザ・ギャラリー」までは、かなり遠いのですが、ミュージアムでは『視触手考画説』という企画の中で、たくさんの楽しい作品を見ることができ、夏休みらしい一日を過ごすことができました。展覧会に関わったみなさまに感謝する次第です。
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