平らな深み、緩やかな時間

370.宮下圭介展と『「複雑系」入門』『「雑」の思想』について

前回に続き展覧会のお知らせです。

宮下 圭介 展 「面位」という展覧会が、2024年 2月28日(水)〜3月10日(日)の期日で開催されています。会場は、台東区 (Japan・東京都)上野桜木2-15-1の「Sakuragi Fine Arts (櫻木画廊)」です。

https://www.facebook.com/SakuragiFineArts/?locale=ja_JP

 

もう会期が終盤になってしまいますが、ご覧になっていない方は、ぜひ会場に足を運んでみてください。

そして、宮下さんの作品のこれまでの流れをお知りになりたい方は、よかったら私が宮下さんの作品集のために書いたテクストをお読みください。私の文章はともかく、宮下さんのこれまでの営みは、とても勉強になります。

http://ishimura.html.xdomain.jp/text/2013-8宮下圭介・透視する眼差し.pdf

 

また、宮下さんがこのところの制作でテーマとしている「面位」という言葉ですが、この言葉について私は以前に書いたことがあります。ちょっと専門的な話になりますが、よかったらこちらをお読みください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/73bbf4c96115a163d4356b57282d6110

 

 

さて、その宮下さんの今回の作品について、最近読んだ本にからめながら、もう少し初歩的なところから考えてみることにしましょう。

宮下さんの作品は、一般的な言い方をすればモチーフなどの対象物にとらわれない「抽象絵画」というふうに言うことができるでしょう。しかし色や形を勝手気ままに描いた普通の「抽象絵画」とは、どこか違っています。そのことは、宮下さんの作品について何の予備知識も持たないで見ていただいても、感じ取れるのではないかと思います。

 

宮下さんの作品は、気ままに描いているように見えて、その制作プロセスはしっかりと考えられたものです。

宮下さんは描き初めの段階で、薄く溶いた絵の具と、はっきりした色合いの絵の具を重ねながら大胆に描き進めます。その筆致を見ると、太い筆、もしくは刷毛のようなものを使っていると思われます。

そして、その上から、黒くて鋭い線で何かの形を描きます。これは宮下さんの豊富なスケッチ素材から選ばれた断片的な描線だそうです。その描線は明確な形態を持たないように、それでいて描かれた時の複雑な形象を見失わないように、集中力を持って描かれています。

さらにその上から白っぽい色の絵の具で、盛り上げるようなマチエールで自由に線を描いています。このドローイングは、出来上がってきた画面に反応しながら描き進められているようです。

そして最後に、その前の盛り上がった絵の具にからめながら最後の色を塗りつけます。ときに盛り上がった線の絵の具とぶつかりながら、あるいはそれを乗り越えながら、粘りのあるタッチで色が塗られています。そのことによって絵の具の素材感、立体感が強調されます。宮下さんの絵画が単なる平面的な、きれいな色を合わせたような抽象絵画でないことが、最終的に明確になるのです。

 

このような複雑で、そして面倒な制作過程がなぜ必要なのでしょうか?

私は先にリンクを貼った宮下さんのテキストを、次のような文章で結びました。

 

そして私はそんな宮下の作品に、現在の絵画が直面している困難な現実に対する、ひとつのこたえを見いだします。現代絵画の世界では、ミニマル・アートの絵画以降、絵画を描くことが無意味だと思われた時期がありました。その後、絵画形式の作品をいたるところで見るようになりましたが、絵画に正面から向き合うことの困難さは減じる気配がありません。そんな中でどのように表現すれば、モダニズム以降に描かれた一枚の絵画として存在することができるのでしょうか。宮下の絵画は、形式的には何ら奇をてらうことなく、それでいて新たな可能性を指し示している点で、独自の存在感を放っています。その宮下の絵画のあり方こそ、いまその絵が存在するべき理由なのだと、私は考えます。

(『宮下圭介・透視する眼差し』より)

 

ここに書いたことを、もう少し噛み砕いてみましょう。

私は「現代絵画の世界では、ミニマル・アートの絵画以降、絵画を描くことが無意味だと思われた時期がありました」と書きました。これはどういうことでしょうか?

現代絵画の強い傾向として、絵画は平面性を追求しなければならない、ということがあります。これは、モダニズムの美術批評でもっとも影響力のあったアメリカの批評家、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)さんが書いたことに象徴されます。彼は主論文である『モダニズムの絵画』の中で、「モダニズムの絵画はほかに何もしなかった、というほどに平面性を追求した」という趣旨のことを書いているのです。グリーンバーグさんは、その論文の中で自分のことを近代哲学の基礎を築いたドイツの哲学者、イマヌエル・カント(Immanuel Kant 、1724 - 1804)さんの考え方を引き継ぐものだ、とも書いています。

つまりグリーンバーグさんによれば、近代から現代にかけての思想(モダニズム思想)を正しく引き継ぐなら、絵画は平面的にならざるを得ない、ということなのです。そこには、近代科学に象徴されるような「要素還元主義」の考え方が反映されています。絵画表現の核心的なものを追求し、余計なものはすべて排除していく、という考え方です。その結果、絵画は純粋な平面(色面)にまで還元されてしまったのです。

しかし、純粋な色面にまで至った絵画に対し、私たちはそこから何をすればよいのでしょうか?絵画表現が同一色面上の微妙な色やタッチの差異、ブレのようなものしか許容できないのだとしたら、それはすでに終わってしまった表現形式ではないか、と考えるのが普通でしょう。そんな絵画表現に創造的な意味など見いだせないのは、当然のことです。

これはどうでもいい話ですが、そのような絵画の状況に対して、市場としての絵画は大きく動きました。単色の絵画ばかりでは商売にならない、それでは考えることをやめてしまおう、いっそ子供の描いた落書きのような作品でいいじゃないか!というわけです。今の絵画市場の傾向は、残念ながらその思考停止状態を引き継ぐものとなっています。

 

ここまで読んでいただくとおわかりだと思うのですが、宮下さんの作品はこのいずれの行き方とも違っています。先ほども書いたようなさまざまな制作過程を経ることで、宮下さんの絵画は要素還元主義的なモダニズムの絵画を超えているのです。

その一方で、一つ一つの制作過程の中では、絵画の平面性、それから現代絵画の発展で明らかになった絵画の行為性、などのモダニズム絵画が探究してきたものを、宮下さんは意識的に取り入れています。そしてさらに、宮下さんはスケッチの描線を表現に取り入れるなど、絵画の伝統をも視野に入れているのです。

このように、複雑な要素が絡み合う宮下さんの絵画は、きわめて知的な考察による制作の方法論に基づいているのです。それは市場的な絵画のような思考停止状態とは対極にあるものです。

そこで気になることは、このような宮下さんの表現を裏付けるような思考、思想、哲学はどこかにあるのでしょうか?モダニズムの思考、とりわけ還元主義的な考え方を超えていなくてはならないのですから、美術批評の中ではそのような批評を容易に見出すことができません。

 

しかし、もちろん、それはちゃんとあります。少しでもまじめに生きて、考えようとするならば、おそらくは誰でも同じ壁に直面し、それを乗り越えようとするでしょう。そして、それぞれがそれぞれの場所でその方法を考えるのです。

美術批評においても、私はそういう良質の批評をこのblogで取り上げてきましたが、今回はたまたま目に止まった2つの著書を紹介しておきます。美術批評ではありませんが、その思考方法を広く受け止めておくとよいと思うものです。

 

前回のblogで私は次のように書きました。



一冊目は『「複雑系」入門 カオス、フラクタルから生命の謎まで』(金重明 著)という本です。

 

この本は「複雑系の科学はなぜ新しい科学なのかを、日本数学会出版賞を受賞した著者が、数式をほとんど使わず、文系の読者にも平易に読み進められるように書いたものです」というものです。「文系の読者にも平易」かどうか、これはちょっと怪しいですが、頑張って読み解いてみることにしましょう。

 

もう一冊はもっと一般的な本で、『「雑」の思想 : 世界の複雑さを愛するために』(高橋源一郎+辻信一 著)という本です。

 

これは「 “雑"なる対話から広がる魅力的な世界」とほんの宣伝で謳われている通り、作家、研究者の対話に、さらにゲストが加わって「雑」について語り合う、というものです。「複雑系」あるいは「雑」という概念が、私たちの生活にどのように結びついているのか、ということを考える上でのヒントになりそうなものです。

 

 私たち芸術に関わる者は、なんとなく直感的に「要素還元主義」の行き詰まりを感じ取っています。そして私は、おそらくは宮下さんも、自分の作品が「要素還元主義」的なモダニズム絵画にならないように制作し、その一方で旧套的な絵画に後戻りしないように注意もしているのです。そこで私たちの手順は、ときに有機的に、ときに無機的になるのです。

(前回のblogより)



それでは、具体的に『「複雑系」入門』から、私たちに関わりがありそうな文章を読んでみましょう。先程の本の紹介にも書きましたが、この本は「数式をほとんど使わず」とは書いてありますが、やはり数学的な話がほとんどを占めています。そのなかで、「まえがき」と「あとがき」にあたる章を先に読むことをおすすめします。

例えば、次のような「はじめに」の文章はいかがでしょうか?

 

そのころのわたしは、「近代のパラダイム」にどっぷりと漬かっていた。つまり、事象を細かく分析し、その本質を抉り出すことによって、あらゆる謎は解明される、と信じていたのだ。

<中略>

その後、数学などを学んでいたなかで、「数学」という分厚い書物のうち、人類はその第一章「線形」の部分を何とか読み終えたにすぎず、第二章以後、つまりその大部分を占める「非線形」の部分はかろうじてその最初のページを読みはじめたにすぎない、というような文を読んで、かなりショックを受けた。

そういうなかで、「複雑系」なるものを知るにいたる。

<中略>

複雑系の科学が、人類の謎として残されている「非線形」の数学にかかわるものであることはすぐに理解できた。そのころ、21世紀の科学、という謳い文句で、「複雑系」はちょっとした流行となっていた。

<中略>

そして数年前、カウフマンの著書に出会った。

そこでは複雑系の科学が花開き、絢爛たる美を誇っていた。

その豊穣なるイメージはわたしを圧倒した。

ニュートンによる第一の科学革命が生み出した近代のパラダイムは生命の謎の解明などでその限界を露呈したが、そこを克服し前進を担保する第二の科学革命はここからはじまる、とわたしは確信した。

(『「複雑系」入門』「はじめに」 金重明)

 

ちなみにスチュアート・アラン・カウフマン (Stuart Alan Kauffman、1939 -)さん は、アメリカ合衆国の理論生物学者・複雑系研究者だそうです。その研究は、文系の学問にも広く影響しているとのことです。

次に「おわりに」の文章からも抜粋しておきましょう。次の文章をお読みください。

 

文学などを語り合う友はいる。しかしかれらに複雑系の科学についての話をしても、まったく反応を得ることはできなかった。

難しくてよくわからない、という言葉が返ってくるのはまだ良いほうで、ほとんどの場合、完全な無関心の壁がわたしの前に立ちはだかるのが常だった。

複雑系の科学は21世紀の科学だ。数学や物理学だけでなく、歴史学や経済学など、社会科学、人文科学の分野も、これからは複雑系の科学を無視しては根本から成り立たなくなる、とわたしは思っている。

常にカオスの縁に向かって進化していき、事前予測不可能な方向へ隣接可能領域を次々に拡大していくという、柔軟でまばゆいばかりのイメージと、近代のパラダイムによる貧相で硬直した社会像、歴史像とを比較してみればよい。そして何よりも、複雑系の科学は、わたしたちに希望を与えてくれるのだ。

文学もまた、この世界をどのように理解するのか、という点が常に問われている。21世紀の文学は、古代の人たちがこしらえた英雄叙事詩と同じではだめなのだ。

(『「複雑系」入門 』「おわりに」金重明)

 

この中で「近代のパラダイムによる貧相で硬直した」という部分などは、単色の平面性ばかりのモダニズム絵画のことを指しているのではないか、と思えてきます。そして「常にカオスの縁に向かって進化していき、事前予測不可能な方向へ隣接可能領域を次々に拡大していくという、柔軟でまばゆいばかりのイメージ」という部分は、現在の宮下さんの作品の方法論にあてはまりますし、あるいは彼のこれまでの営み全体がそうであった、とも言えるのです。

この「カオスの縁」に向かっていく、ということですが、これはむやみに絵筆を振り回してもだめなのです。硬直したパラダイムの落とし穴がそこら中にあって、でたらめにやってみても決して自由な表現は得られないのです。宮下さんの絵画においてさえ、常にその落とし穴から逃れられるとは限りません。しかし、宮下さんの制作の方向性が「事前予測不可能な方向へ隣接可能領域を次々に拡大していく」というベクトルを持っていることは確かです。宮下さんの作品が、かつての表現よりも線や色、形象について多くの困難を抱えていることは確かです。それは宮下さんの表現が「隣接可能領域を次々に拡大していく」ことによって、自ずと引き寄せているものなのです。

 

さて、もう一冊の本『「雑」の思想』にも触れておきましょう。

こちらの本は、高橋源一郎さんと辻信一さんの対話を軸にして、ときにゲストを交えて「雑」という思想、概念について考えるものです。こちらの本は、文系の私でも敷衍して学習したいことがたくさん書かれているので、その成果をまた別の機会に書いてみたいと思います。とりあえず、この本の最初の方に掲載されている二人の対話を書き留めておきましょう。

 

<高橋>

ぼくは、作家の仕事は複雑なものを複雑なままに表現することだと思っています。でも、いま多くの場面で、複雑なものを単純化して理解する、または単純なものにして比較することが当たり前になっています。学問でさえそうなっている。100人をフィールドワークしても、それを分析してまとめた結果、最初にあった一人ひとりの「雑」は消えてしまう。まあ、これはある意味しかたがないというか、単純化、抽象化しないと理解するのが困難だからではあるのですが。

でも、すべてだと言ってしまうことはまた違います。セオリーとか原理に還元するのではなく、生々しい歴史や事実から出ない、という選択もあるということです。それこそが、要するに「雑」なんじゃないか、と。ぼくたちがいま問われている多くの問題は、じつは「雑」を消去して単純な何かに還元する、一種の還元主義(リダクショニズム)から生まれているのかもしれないと思うんです。

 

<辻>

なるほど、複雑さを何かに還元したり縮減したり、リデュースしないで、複雑なものを複雑なものとしてつかもうとすることが大事だ、と。還元や縮減というのは合理主義の特徴で、その流れのなかで文学や人類学は「雑学」とみなされ、馬鹿にされたりする。両方とも、複雑さを複雑さのままつかむ、提示するというところが特徴ですからね。

(『「雑」の思想』「第1章」高橋源一郎、辻信一)

 

この二人の対話も、先程の金重明さんの本と共通することを語っています。

ここでは、高橋源一郎さんが「作家の仕事は複雑なものを複雑なままに表現すること」だと言っていることに注目しましょう。

例えば、宮下さんの今回の作品では、さまざまな色合いの作品があります。だから制作方法は共通しているのに、作品にはバラつきがありますが、宮下さんはあえてそれをそのままに見せているのです。もしも「還元主義」的に考えるのなら、宮下さんの方法論で一番うまくいきそうな色合いの作品を選び、その色合いで集中して制作した方がよいでしょう。その方が合理的ですし、実際にそういう考え方で似たようなヴァリエーションの作品をたくさん制作している作家もいます。むしろ、そういう作家のほうが多いのかもしれません。

しかし、宮下さんは同じ制作方法であっても、さまざまな出来具合の作品が生まれることを隠さずに、あえてそれを見せているのです。繰り返しになりますが、先程の本の引用で言えば、そのことによって宮下さんは「カオスの縁」に向かっているのです。単純な言い方をすれば、課題や問題のない作品を作ろうとしているのではなく、あえてより大きな問題や課題を見出そうとしているのです。そして、新たな探究に向かうことによって「事前予測不可能な方向へ隣接可能領域を次々に拡大していく」ということを実践しようとしているのです。

ですから、展示された作品のバラつきを否定せずに、「柔軟でまばゆいばかり」の成果をその中に見出すべきだと私は思います。実際に私は今回の展示の中から、数点のとりわけ素晴らしい作品を見つけました。そのうちの一点は、制作過程でうまくいかず、宮下さんがあれこれと手を加えた結果できた作品だとわかりました。言わば宮下さんの方法論を行ったり来たりした結果の産物だったのです。そういう発見や宮下さんとの対話がとても楽しかったことは、言うまでもありません。もしも宮下さんが方法論に忠実なあまり、制作過程で気になった作品をそのまま仕上げてしまったり、仕上げたあとで廃棄してしまったりしたら、こういう結果には至りません。芸術表現は生き物のようなものですから、厳しい制作態度の中にもつねに「柔軟」さが必要なのです。そして、そこに「複雑さ」が生まれてくるのです。



さて、今回は宮下さんの作品がどのような制作過程を経たものなのか、あるいはそれがわかったところで、どうしてそのような制作過程を実践していく必要があるのか、ということについて「複雑さ」について触れた本から読み解いてみました。

宮下さんの制作の背後には、モダニズムを超えるパラダイムが潜んでいると私は考えます。そのことを、一人でも多くの方に理解していただければうれしいです。

 

ともあれ、とにかく作品を楽しんで見てください。特に作品の素材感や立体感は、写真では分かりません。単純に言って、作品の迫力が違います。

 

そして、「複雑系」、あるいは「複雑」、「雑」について、またあらためて勉強した成果を書いてみます。いくつか読んで見たい本、考えてみたいことを見つけました。

ということで、継続して読んでいただけると幸いです。

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