前回、トキ・アートスペースで開催されていた鳥居純子さんの個展について書きました。
今回、はじめてお読みになる方は、次のリンクから鳥居さんの作品を確認してください。
http://tokiart.life.coocan.jp/2024/240924.html
鳥居さんの今回の作品は、主に和紙の上に描かれていました。それをそのまま額装せずに、鋲で壁に止めて展示していました。そして、上のリンクに書かれた、作家自身のコメントは次のようなものでした。
今は、様々な画材と紙に挑んでいる。
紙は光を透し水が染みる。
それらは想像を膨らませ思わぬ表情を見せてくれる。
今、表面が凪いでいるとしても、底には全く違う流れがある。
目に見えているもので納得したくない。
その奥に流れているはずの勢いが、紙の隙間から見え、半透明の滲みの奥に感じられればいい。
(作家コメントより)
前回、私は鳥居さんの作品の素材の変化について書きました。キャンバスから絵の具の浸透性の高い紙に素材を変えたことで、色彩にも変化が生じていることを指摘しました。
今回は、鳥居さんの作品の中に流れる、ゆったりとした時間について書いてみたいと思います。そして、鳥居さんが表現している作品の内面的な「時間性」は、実は人間が生きていくうえで必然的なものだということをお示ししたいと思います。
その手がかりを提供しているのは、前々回も取り上げたノーベル賞作家の大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935 - 2023)さんが書いた『「自分の木」の下で』と『「新しい人」の方へ』という本です。
さて、絵画は静止した芸術表現ですが、その中には時間が流れています。
絵画の中の時間性については、いくつかの種類があります。
例えば有名なのは、フランスのロマン派の画家、テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault、1791 - 1824)さんの馬の絵と、写真技術の黎明期の写真家、エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge、1830 - 1904)さんの馬の写真の不一致です。
https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=RMN091001562
https://imaonline.jp/articles/archive/20191008eadweard-muybridge/#page-4
現実の馬の瞬間的な姿は、ジェリコーさんの馬の絵とは違っています。その一方で一瞬の馬の写真よりもジェリコーさんの馬の方が疾走感があります。それは絵画という表現の中には、ある程度の時間の幅が含まれていて、絵画においては、人が見ている(と思っている)馬の姿を表すことが可能なのです。
このような具象的な表現でなくても、絵画は抽象的な表現においても、その画面上に動きを含んだ時間性を表すことができます。カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)さんやパウル・クレー(Paul Klee, 1879 - 1940)さんなどの抽象絵画の先駆者たちは、そのことをよく知っていました。
そういうことを思い浮かべながら今回の鳥居さんの絵を見ると、その画面上にゆったりとした時間が流れていることに気がつきます。色の変化が穏やかであるために、色から色へと移る私たちの視線も穏やかでゆったりとしたものになるのです。また、鳥居さんの紙を貼り合わせたコラージュ的な技法ですが、コラージュは一般的に画面上のアクセントとして用いられることが多いのですが、鳥居さんの紙の貼り合わせ方は、むしろ下地の色の彩度を抑えるようにして半透明な和紙が貼られていて、視覚的な効果をより微妙な表現にするために用いられる傾向があります。
それは先ほどの穏やかな色彩の効果を補助すると同時に、紙の層を重ねることで垂直方向の時間軸を感じさせる効果もあるのです。現代絵画の時間性にはアメリカの画家、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)さんのアクション・ペインティングに見られるように、絵画における行為性が表現されるようになりました。
https://artscape.jp/artword/5478/
行為があれば、そこには行為を成す時間性が生じます。ポロックさんの絵画の素晴らしいところは、実際に描いた時間をそのまま見せるのではなく、そこに複雑に交錯した時間を表現したことです。
鳥居さんの絵画においても、紙の半透明性を生かして下の層の絵の具の色が見えたり、上から描いた色が見えたり、複雑に重ね合わされた多層的な時間性が見られました。その時間の多層性が、鳥居さんの場合は穏やかに見えて、そこにもゆったりとした時間が流れていたのです。
このようなゆったりとした時間性を、私はとても好ましいものだと思っています。
とかく画家は、表現の強さを求めるあまり、形や色のコントラストを強くして、性急な時間の流れを感じさせるような作品を作りがちです。ゆったりとした時間を表現するということは、実は勇気のいることでもあります。
鳥居さんは、前回までの作品においても、彩度の高い色を使いながらも色彩の変化を漸次的にして、単なる対比の強さを求めるような色使いを避けていました。今回はそこに彩度の抑制された色が加わって、ますますゆったりとした時間と空間の広がりを感じさせるような作品になっていました。
この鳥居さんが私たちに投げかけている作品の時間性は、私たちにデジタルに流れる機械的な時間とともに、私たちの心の中には内面的な時間があることを教えてくれます。その内面的な時間性は、ときに科学的な事実と矛盾して、伸びたり、縮んだり、途切れたり、繋がったりするのです。
冒頭に書いたように、前々回取り上げた大江健三郎さんの若者向けに書かれた二冊の本は、まさにそういう時間が四国の小さな村で暮らした幼い日の大江さんの中に流れていたことを示しています。その中のわかりやすいエピソードをいくつか拾ってみましょう。
まずは、先日も取り上げた、大江さんの病気の時の、大江さんと大江さんの母親との会話です。母親の言葉は、大江さんの中に不思議な時間を引き起こすのです。もう一度、その際のことを書き写しておきます。
戦争が終わった夏のなかばまで、つまり戦争が終わる直前までは、天皇を「神」だと言い、アメリカ人を「鬼か、獣だ」と言っていた先生たちが、終戦後の夏の後半になると、まったく反対のことを平気で言い始めました。それで学校不信になった大江さんは、朝、家を出て学校に行くと、すぐに裏門から出て森へ入り、木に囲まれて夕方まで過ごすようになりました。植物図鑑を携えた大江さんは、一人で勉強して大人になるつもりだったのです。
こうして、一日を森の中で過ごすようになった大江さんですが、そこに大きな事件が起こります。
秋になって強い雨が降った日に大江さんは森の中にいたのですが、道路が土砂崩れで遮断され、身動きできなくなってしまったのです。発熱したまま大きなトチの木の洞のなかで倒れているところを、村の消防団の人に救出されました。家に帰っても発熱が治まらず、隣町の医者が来ましたが手当の方法も薬もない、といって引き上げてしまいました。大江さんの枕元には、幾日も眠っていない母親が座っていました。そこで朦朧としながら、大江さんは母親と次のような会話を交わしました。
ーお母さん、僕は死ぬのだろうか?
ー私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。
ーお医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それがきこえていた。僕は死ぬのだろうと思う。
母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。
ーもしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。
ー・・・けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
ーいいえ、同じですよ、と母はいいました。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。
私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。そして翌朝から回復していったのです。とてもゆっくりとでしたが。冬の初めには、自分から進んで学校に行くことにもなりました。
(『「自分の木」の下で』「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」大江健三郎)
その後の大江さんは、ときに自分は生まれ変わった自分なのではないか、と感じるようになります。そして、周囲の子どもたちも、戦争で亡くなった後で、自分と同様に生まれ変わった子どもたちではないのか、とも感じるようになるのです。
ここでは、デジタルに流れる時間が、病気や戦争という体験のために一度分断し、そこから新しく再生された時間として幼い大江さんの中で感じられるようになったのです。
前々回は、私は大江さんの村の死生観について言及しましたが、この話は時間性の観点から見ても、とても興味深いと思います。
それから、次は大江さんの祖母に関する話です。
大江さんの祖母フデさんは、村の森の中で起こったことを、よく覚えている方でした。そのフデさんが語った話の一つに、「自分の木」という話があります。
谷間の人にはそれぞれの「自分の木」が決められていて、人の魂はその「自分の木」の根方(根本)から谷間に降りてきて、人間としての身体に入る、そして死ぬときには、身体がなくなるだけで、魂はその木のところに戻っていく、というのです。
ここから先は、大江さんと祖母フデさんの会話の描写です。
私が「自分の木」はどこにあるのだろうか、とたずねると、これから死のうという時、ちゃんと魂の目をあけていればわかるでしょうが!という答えでした。いまから急いでそれを知ってどうするのか?本当の頭にいい魂は、生まれて来る時、どの木からやってきたかを憶えているけれど、軽率に口に出さぬ、といいますよ!そして、森のなかに入って、たまたま「自分の木」の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある。そういう時、とくに子供はその人に対してどう振る舞ったらいいかわからないから、「自分の木」には近づかないほうがいいのだ、というのが祖母の教訓でした。
正直にいって、私は「自分の木」を覚えているだけの頭にいい魂ではなかったことが残念でした。ある時には森にひとりで入っていって、立派に感じられる大きな木の下に立って、年をとった自分がやって来ないかと待っていたこともあります。うまくその人に会うことができれば、私は質問したいと思いました。学校で習う標準語で、問いかける準備もしていたのでした。
ーどうして生きてきたのですか?
(『「自分の木」の下で』「どうして生きてきたのですか?」大江健三郎)
この大江さんのエッセイでは、「どうして生きてきたのですか?」がテーマになっているのですが、私にはこの不思議な時間感覚の方が興味深かったのです。とくに幼い大江さんが、「立派に感じられる大きな木の下に立って、年をとった自分がやって来ないかと待っていた」という話は、ほほえましいと同時に、デジタルな時間に縛られている私たちからすると、ちょっとうらやましい感性だなあ、と思います。
はたして私は、幼いころに年を取った自分に会いたい、と思っただろうか、と考えてみると、私の魂は相当にポンコツで、そのことすら覚えていません。しかし、私はこの年になると、若いころの自分にもしも会えたら、もう少しマシな人生になるように助言できるのではないか、と思うことがあります。
大江さんも、次のように書いています。
60年近くがたち、もう実際に生きている私が、年をとった自分です。故郷の森に帰って、立派な大きい木ーまだ、どんな種類の木かしりませんがーの下を通りかかると、半世紀以上前の子供の自分が待ちうけていて、こう問いかけるかもしれない、と空想します。
ーどうして生きてきたのですか?
(『「自分の木」の下で』「どうして生きてきたのですか?」大江健三郎)
「どうして生きてきたのですか?」という質問の答えを知りたい方は、大江さんの本を読んでください。
私は、大江さんの暮らした村には独自の説話的な時間が流れていて、その時間が現代のデジタルな時間を超越していることに面白さを感じます。このように時間を自由に行き来する内面的な時間性が、小さな集落の人たち全体に共有されているということは、現代ではなかなかないことです。
そして晩年の大江さんも、当然のことながらこの村の中の時間を生きていたのではなく、幼い日の自分の時間感覚を客観視できるような、現代的な時間の中にいたのだと思います。しかし、幼い日の大江さんの時間性、時間の感覚は大江さんの中から完全に消滅してしまったのか、と言えばそうではないと私は思います。
大江さんは『「新しい人」の方へ』という『「自分の木」の下で』の続編となる本の中で、「本をゆっくり読む法」というエッセイを書いています。
忙しい現代社会を生きる私たちは、本を読むとしたら、ゆっくりと読むよりは速く読んだ方がいいと考えがちです。しかし大江さんは「速読術」とか「速く本を読む法」というような本の広告を例にあげて、そんなことが若い人にとって良いはずがない、と書いています。
さらに大江さんは、ある女性ニュースキャスターが、アメリカの大学院で勉強したときに、毎週、大きな本を5冊も6冊も読んでレポートを書いたり、クラスで討論したりした経験を記事に書いていたことを取り上げています。それは明らかに速読による勉強法だろう、というのです。アメリカの大学では、そういうハードな勉強法が必要とされるのでしょう。
実際に、大江さんがアメリカで知人の大学教授の講義を見たときには、優秀な学生たちが専門書を索引(インデックス)によって必要なところだけ読む、ということをしていたそうです。これに対して、大江さんは「一冊の本は、必要なところだけを取り出すだけのものではない」と書いたうえで次のように書いています。
若い人たちが、とくに子供が、本を読むにあたってとるべき態度。それはどういうものでしょうか?私は自分の経験からその答えを持っています。ゆっくり読むこと、それが本当に本を読む方法です。簡単な答えですが、そのためには、ゆっくり読むことのできる力をきたえねばなりません。それを実際にやるのは決して簡単なことではないのです。
私自身、つい早く読んでしまう子供でした。ある時、母親に、読んだ本の内容を質問されて、なにも確実なことを答えられなかった。そして、本をゆっくり読まなくてはならない、と気付いたのです。
(『「新しい人」の方へ』「本をゆっくり読む法」大江健三郎)
また、大江さんの母親が登場しました。
このときのエピソードは別のエッセイに書かれています。それがなかなか愉快なものなので、次にご紹介しておきます。
母は、公民館の本を全部読んだ、もうこの村には読む本はない、と私がいった時、私をそこに連れ戻して、本棚の一冊一冊を取り出しては、この本にはどういうことが書いてあったのか、とたずねたのです。
そして、私がろくに答えられないのを見てとると、
ーあなたは、忘れるために本を読むのか?といったのでした。それも、なんとも情けないことだ、という失望を露骨に表して・・・。
それ以来、私は、一冊読むと、ノートかカードになにを読んだか書く、という習慣を作りました。そうしながら、自分はまだ若い、いつかは、それまで読んだ本が積み重なって、大きい知識となる日がくるだろう、とタカをくくっていたように思うのです。
(『「新しい人」の方へ』「もし若者が知っていたら!もし老人が行えたら!」大江健三郎)
「タカをくくっていた」という文章の続きの話として、大江さんは恩師の渡辺一夫(1901 - 1975)さんから、小説家になるのだったら、ある作家、詩人、思想家を3年間読み続けるように、というアドヴァイスをもらったことを書いています。小説家は研究者のように、一生一人の作家を追いかける必要はないけれども、三年間はテーマを決めて一人の文学者を掘り下げる、そして次の年にはまた新しいテーマを探す、という読書法を教わったのです。
フランス文学者の渡辺さんのアドヴァイスはともかくとして、大江さんと母親とのエピソードは素晴らしいですね。おそらくは、小さな集落に収蔵されている本では物足りなくなった大江さんを、母親が「あなたは、忘れるために本を読むのか?」と一喝したというのですから、学校の先生も顔負けです。そして、それからはノートやカードを作るようにした、という幼い大江さんもすごいです。
さて、この大江さんの「速い」よりも「ゆっくり」の方がよい、という考え方に注目しましょう。
さらに大江さんは、「ゆっくり」読むことは実は困難で、それを実現するためには「ゆっくり読むことのできる力をきたえねばなりません」と考えていたことにも注目しましょう。
この大江さんの考え方は、幼い日の経験が基礎になっていることに間違いありません。大江さんの暮らした小さな集落の内面的な時間性は、大人になってからの大江さんの中にも脈々と流れていて、「速い」ことが良いことだ、という現代的な考え方、あるいはデジタルな時間をいかに節約するのか、ということに囚われている現代社会に対して、即座に疑問を抱かせるのです。
ここまで読んでいただくと、強い色の対比や、はっきりとした形象表現に安易に依存しない鳥居さんの絵画の価値が、少し見えてくるのではないでしょうか?
鳥居さんは、穏やかな色彩の変化、重層的で味わい深い色によって形成された形象などの表現によって、画面にゆったりとした時間性を獲得していたのです。そのゆったりとした時間性は、鳥居さんの作品をじっくりと鑑賞する人の心の中にも共有されるのです。
そのゆったりとした時間は、いつも画廊に飛び込むと一瞥で作品を判別し、売れそうな作品かどうかを気にするような人には理解できません。安易に絵の価値を比較するのではなくて、一つ一つの作品と向き合うことが、現代の私たちには必要なのではないでしょうか?
大江さんは、そういうことがわかる人のことを「新しい人」と名付けたのだと思います。古い集落では当たり前のように共有されていた価値観が、いまや「新しい」考え方として見直さなければならない、大江さんは二冊の本を通じて、終始そう言っているように思います。
そして現代においても、丹念に作品を見ると、そういう「新しい人」による作品を発見することができます。鳥居さんの作品の今回の変化は、まさにそういう試みの一つだったのではないか、と私は感じました。
さあ、美術ジャーナリズムの宣伝に惑わされずに、これからも私たちはそういう作品を丹念に見ていきましょう!