平らな深み、緩やかな時間

404.鳥居純子展について

今回もトキ・アートスペースで開催されている展覧会を取り上げます。

今日(9月29日)が最終日となります。

鳥居純子さんの個展です。

 

http://tokiart.life.coocan.jp/2024/240924.html

 

最終日のご紹介で申し訳ありません。

もし、一人でもこれをお読みになって、ギャラリーに足を運んでいただけたら、という思いで、早急に感想をまとめました。

時間のかかる考察は、次回に続けて書くことにします。

 

鳥居さんは、2年前にもここで個展を開きました。実は私は、その時にも感想を書いています。よかったら参照してください。

 

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/08f5fd0af90529511282a9e58109691b

 

その時の鳥居さんの作品は、キャンバスに描かれたものでした。

それが今回は、主に和紙の上に描かれていて、その紙を額装せずに、そのまま鋲で壁に固定する、というものでした。先のギャラリーのリンクに貼ってある写真の絵も、そういう作品です。

これには、ちょっと驚きました。ギャラリーに入った途端に、作品の変化にびっくりしたのです。しかし、これは私にとって好ましい驚きでした。そこで作家自身のコメントを読むと、なるほど、と合点がいったのです。

そのコメントを書き写しておきましょう。

 

今は、様々な画材と紙に挑んでいる。
紙は光を透し水が染みる。
それらは想像を膨らませ思わぬ表情を見せてくれる。

今、表面が凪いでいるとしても、底には全く違う流れがある。
目に見えているもので納得したくない。
その奥に流れているはずの勢いが、紙の隙間から見え、半透明の滲みの奥に感じられればいい。

(作家コメントより)

 

これだけ素材が変われば、当然、作品も変わります。

前回の個展の時には、鳥居さんは色彩に関する興味を語っていました。作品もコメントの通り、鮮やかな色彩のものでした。

しかし今回は、素材について語られていて、やはりコメントの通り、透明感のある紙を貼り合わせ、さらに水性の絵の具や描画材で描かれているのです。作品の仕上がりにもバラつきがあって、さまざまなことを試みているように見えます。紙に浸透するように絵の具が使われているので、前回のような鮮やかな色は影を潜め、その代わりに少し淡くて、温かみのある色が使われています。ところによっては、薄い透明な和紙を上から貼ることで、色彩を抑えて複雑な味わいを与えている部分もあるようです。

前回の作品が、支持体の上に絵の具がのっているのだとしたら、今回は支持体の中に絵の具が染み込んでいるのです。その違いが大きいのでしょう。

 

このような新しい試みの中ですが、鳥居さんらしさが維持されている面もあります。

それは、画面上にかっちりとした構成を与えずに、自由な広がりのある画面を実現しているところです。今回の作品では、キャンバスの木枠を使わずに、和紙を漉いたままのような状態で展示しているので、絵画の矩形の枠組みが若干、和らいでいました。その分だけ、画面構成を意識せずに、楽になった面もあったと思います。一般的な言い方をすれば、肩の力が抜けた状態、というところでしょうか。

それと関連して、鳥居さんは画面構成を繕うような、強いアクセントを画面に置くことはしません。それは今回も徹底していたと思います。作品に強い刺激を求めるだけの人ならば、それでは少し物足りなくなるのでしょうが、私にはこの鳥居さんの感性にとても共感できます。その分だけ、どこで筆をおくのか、ということが悩ましくもなるのですが、鳥居さんはどの作品においても、安易な言い切り方をせずに作品を完結させていたと思います。

 

今回は、作品によっては具象的な形象が半ば記号のように使われていたり、コラージュ的な紙の使い方が目立つ作品、細い線描が目立つ作品など、繰り返しになりますが、さまざまな試みがなされてきました。

今回の試みは、とても好ましいものですが、今後、鳥居さんがどのような方向性を見出すのか、さらに注目されてくると思います。

私は案内状に使われていた写真の赤みがかった作品や、その右側の壁に掲げられた作品が完成度が高かったと思います。現代美術というよりも、新しい日本画と言ってもいいような味わいのある作品です。

あるいは、ギャラリーの入り口付近に展示されていた小さな作品は、それぞれに良い作品だと思います。このように断片的な切り取り方をすれば、鳥居さんの感性の良さがそのまま作品に反映するのだと思いました。

しかし、感性の良さをそのまま味わうだけでは、どこか物足りません。やはり、奥の壁に展示されているような大きな作品を、これからも見せていただきたいと思います。大きな作品になると、鳥居さんのように構成的なアクセントを用いない作家には、画面の緊張感を維持するのが少し難しくなると思います。それを画面に密度を持たせることで、乗り越えたところを見てみたいのです。今回も、作品を横から見ると、何枚も紙を貼り合わせるなど相当な努力が為されていました。この方向性を維持していくと、継続して素晴らしい作品ができてくるのだと思います。

 

これは私見ですが、絵の具の浸透と和紙の貼り合わせの結果、鳥居さんが得た淡い表現をさらに意識的に進めていくと、鑑賞する方の目も自然とそこに焦点が合ってくるのではないか、と思いました。

例えば先ほど取り上げた案内状の作品とその右の作品から一点をおいて、さらに右に展示してあったうすい青みがかった作品があります。とても淡くて、微妙なニュアンスの作品ですが、その明度が高く、彩度が低い色彩の中で、さらに鳥居さんが手を加えていくと、見る人はその微細な領域の中で他の作家の作品にはない特別な体験をすることになるのではないでしょうか。

作品を見る人は、作家が何を考え、何を感じて表現しているのか、理屈ではなくて感性でそれを感受して作品を眺めます。鳥居さんが表現の標準を合わせたところに、鑑賞者は目を向けることになるのだろうと思います。この多様な試みの中で、鳥居さん自身がこれからどこに注目していくのか、どこに標準を合わせるのか、その方向性が楽しみです。

 

それから、私は鳥居さんの作品の中に、ゆったりとした時間を感じました。絵画は静止した表現ですが、その中に時間性を含んでいます。そのことについて書き出すと長くなるので、とりあえず今回はここまでとします。

 

本日は鳥居さんの個展の最終日となるので、取り急ぎ簡単な感想を書き留めました。

「時間」の話は、次回の続きとします。今のところ、前回の大江健三郎の本からもヒントをもらいながら、書きつなげたいと思っています。

どうぞ、お楽しみに。

 

それでは、お時間のある方は、ぜひ展覧会場に足を運んでください。

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